第七章 再会 3
朝日が昇ってきても、裕貴の気分が晴れることはなかった。侑希が完全にいなくなってしまった。裕貴は、感覚的に今回のそれが以前のものに比べて全く違うものであると気がついていた。自分がどんなに手を伸ばしたとしても、もう侑希と会うことはできない。
最初、侑希との出会いは些細なことだと思っていた。しかし、侑希にとっては裕貴の想像を遙かに超える意味を持っていた。侑希はたった今日という一日のために毎日を過ごしてきたのだという。西宮に来るまで、裕貴は少し強引でも侑希との関係が続くように手を打つことを考えていた。しかし、事情を知った今、そんなことはできなかった。
侑希が最後に残していったものは、過去二回と同じように一枚の和紙だった。そこにはどこかの住所が書かれている。西宮という文字が入っていることから、この周辺であることは想像できる。しかし、侑希がそれを裕貴に残して何を伝えようとしているのかはいつもの通り分からなかった。
侑希は一番大切なことを口にしない。一番初めに裕貴と侑希がこの神社で会ったときも、侑希は感謝の言葉の代わりに一枚の紙を渡した。東京で侑希と別れることになったときも、またもう一度会いたいという気持ちを一枚の和紙に示した。
そして今回、侑希が最後に裕貴に対して何を求めているのか、裕貴はそれが気になって仕方がなかった。それでも、裕貴はあえてそれを深く考えるようなことはしたくなかった。裕貴は今までのことを学習して、自分が何かを考えたところでそれが大きな意味を成さないと気付いていたのである。色々な憶測を飛び交わせるくらいなら、実際にその場所に行った方が早い。
ある程度の時間が経ってから、裕貴は最後にこの土地でしなければならないことを考えた。ただ、今回は何かに迷うことなくすぐに決めることができる。
裕貴は携帯を取り出し、住所の検索を試みる。場所が分かれば最悪歩いて行くこともできる。裕貴はそれを安直な考えだとは思っていなかった。しかし、裕貴がそうして操作を始めた瞬間、携帯は充電切れで活動を停止した。
溜め息をつきたくなった裕貴だったが、それをなんとかして飲み込む。別の方法がないわけではない。とにかく神社から出て、動くことが重要だった。
しかし、そうして動き出した裕貴の足を止めたのは、一人の声だった。裕貴は後ろから声をかけられて振り返る。するとそこには、一人の巫女姿をした女性が立っていた。この神社で働いている人のようである。
「……朝早くからどうかされたんですか?」
女性は、裕貴がこんな時間から一人で立っていたことを怪しく見ているようだった。人と話すには少々距離が遠すぎていることが証拠である。裕貴は反応に困って苦笑いを浮かべた。
「最近は賽銭に手を出す人が多いです。もしかしてあなたも?」
「違いますから」
裕貴は自分が賽銭泥棒と勘違いされそうになってそれを否定する。しかし、それならば何をしているのか説明しろと言わんばかりの顔をされる。裕貴は仕方なく一枚の紙をその女性に見せた。女性は遠くからそれを確認しようとする。
「ここに行きたいんです」
裕貴は紙を見せるために女性に近づこうとする。しかし、女性は警戒して後ずさりする。
「何もしませんから」
「それは常套句だと思いますけど」
女性は眉間にしわを寄せる。しかし、そんなことを言いながらも裕貴に寄ってきてその紙を受け取った。そして、書かれている住所を見た女性は少し驚いた表情を見せた。
「もしかして君、東京から来た?」
唐突に質問を受けて、裕貴は驚く。何よりもどうしてそんなことを女性が思ったのかが気になった。
「そ、そうですけど、どうしてそれを?」
今度は裕貴が女性に懐疑的な視線を向ける。女性はすぐに何でもないと流した。
「この場所に行くには、駅前のバスを使って」
「バス……ですか」
「ここ、結構坂を登らないといけないから歩くとしんどいよ?」
女性はその住所を知っているのか、情報を裕貴に与えていく。しかし、裕貴はそれを聞いてさらに女性に対して疑惑の目を向けた。普通は住所だけを与えられて、そこに何があるのかを思い浮かべることはできないのだ。
「そこには何があるんですか?」
裕貴は女性の言っていることを全て鵜呑みするようなことはせず、追加の情報を求めた。すると、女性は馬鹿にするような顔つきで裕貴のことを笑った。
「それは自分で行ってみて確認しないといけないんでしょ?」
女性は、侑希との会話を聞いていたかと疑ってしまうほど適切な答えを返してくる。裕貴はそんなことを言われて何も言い返せなくなった。それでも、裕貴はどうして女性がそんなことを言えるのか不思議に思った。
裕貴がたとえこの女性のことを信用できなくても、結局はこの住所の場所に行くことになる。住所を示したのは侑希で、裕貴がそれを疑うはずがないからである。それでも、裕貴は自分が上手く乗せられているような気がしてならなかった。
「……分かりました。とにかく駅前に行ってみます」
関わらない方がいい人なのかもしれない。裕貴はそんなことを思って女性から離れていく。侑希との約束に他の人を介入させようとした自分が悪かった。裕貴はそう感じたのである。
しかし、そんな裕貴の背中に女性はさらに声をかけた。
「こんな時間から神社に来てくれているんだから、少なくともこの神社に興味はあるんだよね?」
「……そうですね」
女性が再びよく分からない話を始めたため、裕貴は返答を鈍らせる。ただ、女性はそれから特に話を膨らませてくることはしない。裕貴の反応を見て何かを考えているようだった。
「もういいですか?」
「……そうね。君は何も知らないみたいだから一つだけ教えてあげる」
今度は女性の方が裕貴に寄ってくる。先程まで裕貴のことを警戒していた素振りはなかった。
「この神社に直系の神社があるんだけど知ってる?」
「いえ、初耳です」
裕貴がこの神社について知ったのはつい最近のことである。詳しいことを知っているはずがない。女性はそんな裕貴の返事を聞いて、なるほどと頷いた。裕貴には何が起こっているのか全く理解できない。
「……ごめんなさい時間をとって。それじゃ失礼するわ」
女性は何か肝心なことを口にすることなく、その場から離れていく。裕貴はそんな女性を少しの間眺めていたが、すぐに歩いて駅の方に向かった。
駅に着くと、近くの人に同じように住所を見せて行き方を聞く。すると、女性が言っていたことは正しかったようで、親切な人が住所を検索してその行き方を全て説明してくれた。その人は、住所を見ただけでは場所がどこか分からなかったようである。
その人から聞かされたことは、そこが市内の墓地だということだった。裕貴は教えてもらったバスに乗り込むと、そのまま余るようにある時間を過ごした。携帯は使えないため、時間を潰す方法が残されていない。裕貴は新しく見る街の風景を楽しんだ。
目的のバス停に到着すると、裕貴はそこから周囲を眺める。バス停は目的地の目の前に止まってくれたようで、裕貴は迷うことなくその場所に入った。
訪れた墓地はかなり大きく、入り口に花が売られている場所がある。裕貴はとりあえずこの先のどこに行けばいいのかを考えた。
ただ、裕貴は今の時点でおおよそ自分がどこに行けば良いのかということを理解している。後はそれがどこにあるのかを探すだけだった。
広いということから墓地は区画で仕切られており、それぞれに数字が振られている。紙に書かれていた番号がそれを意味していると気付くのに時間はかからなかった。
裕貴は地図で目的の区画を確認してから歩く。まだ早い時間であるからか、他の人は見当たらない。雲息が次第に怪しくなっていき、裕貴は不思議な感覚になる。その区画の中から一つの場所を探し出すことにも時間はかからなかった。
周りのものと変わりのない一つの墓石には、知った名前が彫られていた。側面には日時も記載されている。こまめに誰かが来ているのか、他人のものに比べて汚れは少なかった。
裕貴はその名前を見て、ようやく侑希が言っていたことを理解する。侑希はずっと昔に亡くなった人だった。しかし、裕貴ともう一度あの神社で再会するために今まで色んなことをしてきた。それが現実的でなかったとしても、裕貴が体験したことを踏まえれば疑う余地はない。
侑希が最後に裕貴をこの場所に連れてきたのには理由がある。裕貴はそれを噛みしめた。
裕貴はしばらくその前で時間を潰した。侑希がいま目の前にいるのか、それともどこか違う場所にいるのか、それは裕貴には分からないことである。しかし、万が一侑希が裕貴のことを見ていることを考えて、侑希のことを悲しませてしまうようなことは控えた。
侑希と過ごした時間を思い返したあと、裕貴はバケツを持ってきて掃除をする。寒い水をかぶって不平不満を言っているかもしれない。それでも指で溝をこすって目に見える汚れを落としていく。小一時間かけて満足な状態にすると、裕貴は大きく息を吐いた。
悪くなりかけていた天気はすぐに良くなっていって、今では晴れ間が覗いている。今日は東京に戻らないといけない。電車の時間を調べられない裕貴は、余裕を持って行動する必要があった。
「……じゃあ、また来るから」
裕貴は最後、侑希に一言残す。それでも何か特別なことが起きることはなかった。
裕貴は来た道を戻ってその場を後にした。裕貴は侑希とは違う。裕貴には行く場所やしなければならないことがある。これで侑希との関係は終わった。
新幹線で帰っている間も、裕貴はぼんやりと何でもないことを色々と考えた。それは侑希に固執するようなことではない。自分がこれからどうすれば良いのか、そして何を目的とすれば良いのか。裕貴からその考えが全て抜け落ちてしまったのだ。
意味もなく頭を働かせていると、裕貴は突然侑希が以前言っていたことを思い出した。良いことがあった後、自分はそれからどうすれば良いのかという話である。裕貴の場合、大きな何かを失ってしまった中で、将来もう一度侑希のように大きな穴を埋められる何かが出てくるのか。それが問題だった。
侑希にはそれがあった。しかし、侑希のそれと引き替えに裕貴は大きなものを失った。それが良いことなのか、それとも最善ではなかったのか。それを今更になって議論することは不毛なことである。裕貴はそれが分かっていたために困っていた。
東京に戻ったのは日が沈む直前だった。帰った裕貴は、母親に迎えられて帰宅する。ただ、裕貴の顔を見た母親は何も言ってこなかった。




