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第六章 融解 2

 東京でも雪が降り、裕貴の家の周りでも数センチの積雪となった。年を越して数日が経っている。裕貴は外に出る気にもなれないで土曜日の朝を迎えていた。


 三学期はすでに始まっていて、裕貴は早急に未完成の宿題に手を付けなければならない。年末年始はバイトで忙しかったこともあり、するべきことに手が回っていなかったのである。


 しかし、全くそんなものをする気にならない裕貴は、ぼんやりと自分の状況を考えながら外の様子を眺めていた。疲れていないのに体が悲鳴をあげている。


 侑希と別れてから半年ほどが経つ。そんな中で裕貴は、侑希の抱える問題や侑希と再会する方法を考えることが嫌になってきていた。


 侑希と交わした約束を果たすことができない。その事実が裕貴に与える罪悪感は小さなものではなかった。万が一、侑希が健気に裕貴のことを待ち続けていたとすれば、裕貴はそんな侑希に会わせる顔がない。


 出来るものなら侑希と過ごした時間を全て忘れてしまい、何もなかったことにしたいとも思った。侑希との出会いは、裕貴にとって特別だった。しかし、今になってその代償を払い続けていると考えると、その釣り合いは反対の方に傾きかけていたのだ。


 しかし、そんな否定的な考え方をしたとしても、侑希がそんな裕貴の気持ちを察することはできない。侑希は裕貴がどんな状況にいるのか分かっていないまま、裕貴のことを待っている可能性があるのだ。


 裕貴が約束したとき、侑希は時間に制限を設けなかった。裕貴は、それが問題を複雑化させたのかもしれないと考えていた。二人は、諦めることが許されない雰囲気を作ってしまっていたのである。そんなことから、侑希を探すことをやめるという大きな判断はできなかった。


 裕貴が新宿に向かう頻度は減ってきている。そして、侑希が二度と新宿には来ないということを肌で感じ取っている。


 しかし、裕貴ができることはその程度で、いつか侑希と再会したときのために諦めるわけにはいかなかった。裕貴から侑希に会いに行くことは難しいことであるが、侑希の方から裕貴に会いに来ることは容易なことである。侑希がこちらに来ていないのであれば、裕貴が動き続ける必要があった。


 とはいえ、時間が経っていくにつれて、裕貴の中で侑希の顔が薄れていっている。それは価値が下がっているわけではなく、関係が薄まっていることを意味していた。そしてその原因は、裕貴の方にあるわけではなく、侑希が裕貴に見切りをつける恐れがあったからだった。


 裕貴も、侑希との関係を壊してしまうかもしれない危険要素を抱えていた。それは沙織の存在である。裕貴は沙織と新宿に行くようなこともした。その時の様子を侑希が見ていたならば、侑希はどんなことを考えるのか。裕貴は少し期待もしながら、それでもそんなことを考えると体が震えた。


 侑希はあの日、裕貴に好意を伝えた。裕貴はその時の全てを覚えているわけではなかったが、自分がどんな気持ちになったのかははっきりと覚えている。そして、侑希も同じ気持ちを共有したと信じている。


 しかし、どんなに待っても裕貴が現れない。侑希がそんなことを考えてしまったとき、裕貴はどうすることもできなかった。


 侑希は優しく気が利くといった性格の面だけでなく、その外見が優れていることを裕貴はよく知っている。そんな侑希が自分から他の人を見つけようとしなくても、男の方から寄ってくることは簡単に想像がついた。裕貴はそれを心配していた。


 ここ最近の裕貴は、そんな事情も気にするようになって平穏から少し離れた生活を送っていた。


 裕貴が再び見るようになった夢も、定常的に見続けている。一度体験した強烈なものはなくなったが、それでもほとんど毎日裕貴の夢を占有していた。


 裕貴は時間が経って、再びそんなことに慣れてしまった。一度、母親に自分が見ている記憶がどこでのことなのか聞いてみようともした。しかし、直前でそんなことをする理由を見失ってしまい、結局どこで起きたことなのかを把握することはしていない。裕貴にとって夢で見ていることは、それほど重要なことではない。その時の裕貴はいつもそう考えてしまうのだ。


 しかし、そんな膠着状態は突然雪解けを迎えた。


 その日、裕貴が暇な時間を持てあまして、ネット上のニュースを携帯で眺めていたとき、裕貴は一つの記事を発見した。裕貴がそれを見つけたのは偶然だった。


 特に興味がなかった記事を間違えて触ってしまう。携帯はその操作を忠実に履行して、その記事を裕貴に見せる。裕貴は誤操作を面倒に思いながら、前のページに戻ろうとした。しかし、その記事と一緒に貼り付けられていた写真に裕貴は釘付けになったのである。


 記事の内容は、とある神社で行われた祭りについてだった。今年の福男というものに選ばれた人について簡単に書かれている。


 しかし、裕貴が驚いたのはそんな記事の内容ではない。その記事の隣にあった神社の写真だった。


 朱色をしている神社の門はかなり大きく、人が小さく映っている。門の前には石造りの鳥居が立っていた。そんな写真は、裕貴の記憶を強く刺激してくる。この写真から衝撃を受けた理由を理解することに時間はかからなかった。


 その風景は、裕貴が夢の中で見る記憶の一部分と全く同じだった。怪我をした少女と出会った場所として裕貴が認識している風景と、写真は瓜二つだったのだ。


 裕貴はすぐにその時のことを思い出そうとする。何度も見続けていたため、最近ではそれを自分が本当に体験したのか、それとも夢として見ているものを自分が実際に体験したと思い込んでいるのか、分からないようになっていた。しかし、今の裕貴にそんな感覚はない。


 裕貴は徐々にその時の記憶を取り戻す。夢で見ていることは、確かに裕貴自身が体験したことである。その少女も確かに実在していた。唐突に自分の過去が明らかとなっていく様子に、裕貴は変な気分になった。


 裕貴は思い出していく中で、自分がその時に少女から何かを受け取ったことを思い出す。ただ、何を受け取ったのかはいまだ謎のままである。


 それでも裕貴は真剣に考えて、ついには考えるだけでは進展しないと判断し、押し入れの中を漁って痕跡を探し始めた。探す場所は裕貴の思い出の中である。


 取り出した一つの段ボールの中には、裕貴が今までに持っていた懐かしいものが無造作に入っている。いつか作った工作物や、美術のポスター、そして昔の教科書などである。裕貴は手当たり次第にその中をひっくり返して、何かを探し続けた。


 そして、四年生用の教科書を手に持ってその間に何か挟まっていないか確認していたとき、裕貴は一枚の紙のようなものを見つけた。それは時間の経過によって色が黄ばんできている。しかし、その紙に描かれていたのであろう絵は、はっきりと今でも認識することができた。


 普通の紙と比べるとざらついていて、繊維が荒く太い。そんな紙に描かれていたのは、先程裕貴が写真で見た朱色の門だった。


 裕貴は自分が何を探していたのか、このときまで把握できていなかった。しかし、この一枚の紙を見た瞬間、探していたものがこれだとはっきり認識した。裕貴はすでに同じようなものを受け取っている。何かが繋がっていくような感覚に裕貴は興奮した。


 夢の中の少女と侑希が繋がった瞬間だった。


 まだ、確信を持って二人が関係のある人物だと断言はできない。夢の中で出てくる少女と裕貴が関わっていたのは、ある時期の本当に短い期間である。裕貴と深い仲ではなかったことは言うまでもない。それに加えて、侑希が裕貴の思っているような人間だったとしても、侑希がそのことを伝えてくるようなことはなかった。


 それでも、裕貴が過去に何を貰ったのかなど知らないはずの侑希が、同じようなものを裕貴に渡してくることは普通では考えられない。侑希がどんなことを考えて裕貴に和紙を渡したのか分からない中で、短絡的な考え方は控えるべきだった。


 そのように一段落して落ち着きを取り戻そうとしても、裕貴はもしものことを考えてしまう。夢の中の少女と侑希に接点はほとんどない。分かっていることは、二人が似たものを持っていたという程度である。世の中には、他にも同じような絵が描かれた和紙を持っている人がいるかもしれない。そんなことを考えると、裕貴は何が正しいことなのかが分からなくなった。


 裕貴が今しなければならないことは、事実関係を確認することだった。記事の内容によると、その祭りが行われた場所は、兵庫県西宮市の西宮神社となっている。自分がこの土地で暮らしていた時期があったのか、それを把握することが重要だった。


 裕貴は、落ち着かない心をなんとかして時間を過ごす。時間は、まだ正午にもなっていない。事実を知っている母親は、まだ帰ってきそうにない。裕貴は自分の他の持ち物から信憑性を確かめることを考えた。


 ただそんな時、玄関から扉が開く音がした。裕貴はまさかと思って急いでリビングに飛び出した。


 リビングに入ってきていたのは母親で、部屋から勢いよく飛び出してきた裕貴に驚いていた。しかし、裕貴はそんなことに構ってはいられない。


 「ちょっと聞きたいことがあるんだけど!あの……どうして帰ってきてるの?」


 裕貴は本題を尋ねようとしたものの、今までに見たこともない母親の顔を見てそれを中断する。もしかすると、裕貴に何かをされると考えたのかもしれなかった。


 「……取引先に行く途中で近くを通ったから、これを一応。それで、何?」


 母親は手にビニール袋を持っている。中身は裕貴への食事のようだった。裕貴は気を取り直して本題に入る。


 「あのさ、俺って昔、西宮ってところにいたことある?」


 「………?」


 母親は裕貴の唐突な質問に口を閉ざしたままである。裕貴は持っている携帯に表示されている写真を見せた。それを見た母親は小さく頷いて肯定した。


 「ええ、いたことはあるけど。一年経たないくらいだったけどね。……それがどうかしたの?」


 母親は、裕貴がそんなことを質問した理由が分からないようで困惑の表情を見せる。しかし、裕貴はこのことを母親に話すつもりなどない。知りたいことだけを得ると、裕貴は一人で考え事を始めた。


 「それだけ?……もう行ってもいい?」


 「……ん?う、うん」


 裕貴が返答をすると、母親は持っていたビニール袋を机の上に置いて再び玄関に向かう。裕貴はそんな後ろ姿を眺めてから、自分の部屋に戻った。

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