幹が観測できない大樹と《俯瞰地図》
2036年6月7日午後4時53分
「軟禁されているって、どうして?」
三俣の研究室にて、天乃が三俣へ質問を投げかける。
天乃は、おそらくそう時間はないとは考えつつも、《無貌》の男に関する情報収集よりも、三俣の境遇を優先して尋ねてしまったのは、そもそもの三俣の立場を知らなければその情報を当てにすべきかを判断できなかったから――などという尤もらしい理由ではなく、強いて言うなら三俣の雰囲気が気になったからという訳のわからない理由であった。
つまり、“直観”に基づくお告げである。
(なぜか、この建物に入った後くらいから、“直観“が妙に冴えている気がする)
天乃には、一見合理性のない行動で的確に『正解』の択を選んでいるという感覚だけが残っている。
これが何を意味するのかは、現状では考察する材料がないため、保留しているが、とにかく、『正解』を選んでいるのであれば、それで問題ないだろうと違和感を無理やり飲み込んで納得する。
「ふむ、訊きたいのは主体ではなく、意図かい?」
「あ、それは――」
「いや、構わないよ。主体が誰かは決まってるんだろうしね。ただ、そうだなあ。これからする話は、裏付けがあるようなものじゃないから、多少脚色した想像交じりの回答となってしまうんだけど、それは構わないかい?」
「はい、大丈夫です」
三俣の話に天乃が同意すると、三俣は机の上からこの建物の見取り図のようなものを取り出す。
「まずは、ちょっと僕について話そう。僕は、さっきも言ったとおり、本職は研究者なんだけど、魔術も使えなくはないんだ。実際、魔術が使えるほうが実践ができる場合には効率的だし、研究者を目指す魔術師も年々増加傾向にある。魔術は発見から新しい分野で、まだまだ未解明な事象に溢れているからね。現状、統一的な体系化すら困難を極めている。君たちがここ浅木の学校で習ってるあれらの魔術体系も、全て仮説段階のものさ。だから、ちゃんと『説』って名前が付いてるだろう? この原因は、先行研究とは異なる法則――いわゆる“幹が観測できない大樹”とも称される“例外のほうが多い法則群”が発見されたせいだと言われているね。これにより、魔術がまだ神秘であった時代の魔術師の研究成果が丸ごと使えなくなってしまっているわけだから、是非もないよね。まあ、だからこそ、僕のようなニッチな分野の研究成果も、何らかの基礎研究の裏付けになる可能性があることで御目溢しをもらえてるわけで。そういった意味では、僕が文句を言える筋合いではないことなんだけどね。むしろ、そのおかげで生活が成り立っていると言っても過言じゃない。“例外のほうが多い法則群”様様ってわけだよ。
ちなみに、ここからが本題。僕が使える魔術はたった一つ――分類上は固有魔導って呼ばれてるやつさ。その魔術の名称を――《俯瞰地図》という」
「――それって」
それは、天乃がこの場所に転移させられたときに《無貌》の男が使用した魔術の名称であった。
「これで察してくれただろうか?」
「《俯瞰地図》の術式再現の条件を満たすために軟禁しているのか?」
天乃は、事前に推測していた《無貌》の男の術式再現の条件から、そのように推理する。
三俣はその回答に笑みを深め、先程持ってきた見取り図を床に置くと、天乃に着目するようにと指し示す。
「僕の魔術は、ちょっと特殊でね。対応する地図とか見取り図が存在しないと使うことすらできない。この魔術は、例えばだけど、こうやって――」
三俣はそう述べると、屈んでその見取り図上にペンで直線を引く。
「――線を引くと、そこを通行できなくなる」
「え?」
「そして――」
困惑する天乃を放置し、三俣はさらに引き出しからチェスの駒を取り出し、見取り図の上に無作為にばらまく。
そうすると、倒れた駒の一部が不自然に立ち上がり始める。
中には、見取り図上を移動するものすら存在する。
その後、三俣は見取り図を床から持ち上げると、天乃に見えるように広げてみせる。
上に載っていたチェスの駒は一部が地面に落ちていくが、その中でも先程立ち上がったチェスの駒はそのまま見取り図に磁石で吸着させているかのように張り付いており、移動している駒もそのまま移動し続けている。
「――どうだい? 駒の数さえ足りていれば、このとおり、図面内の人間を全て表示することだってできる。まあ、目印は駒である必要はないんだけどね。使っている図の縮尺に対応するサイズであり、かつ数さえあっていれば、砂粒とかでも代用できるよ」
「クソッ、これは――」
「駒を置いて人に見立てれば、その駒を別の個所に置き直すことで、理屈上は空間転移ができるって寸法さ。もっとも、これは僕一人では、できない芸当なんだけど――」
「――いますぐ地図から手を離せッ!!」
「いいとも。もっとも、もう遅いんだけどね」
天乃の言葉に、三俣は見取り図から手を離し、見取り図に向けていた目線を天乃に移す。
それを確認する前に天乃は、足元に散らばっていたチェスの駒を一つ拾い上げると、この部屋唯一の扉に向かって勢いよく投擲する。
しかし、飛んで行った駒は、扉の少し手前で何かに衝突し、扉に当たることなく床へと落下する。
「やっぱりか。アンタ、ここに軟禁された理由について嘘を吐いたな? いや、はっきりと嘘を吐くとばれるかもしれないと踏んで、ワザと関係ない事実を説明してこっちがそれらしい答えに飛びつくの待ったというのが正解かな。結局、最後までアンタは何も話さなかったんだしな。さて、そんなアンタは、一体何がしたいんだ」
「ははは。やっぱりばれちゃってたか。慣れないことはするもんじゃないね」
天乃の指摘に、三俣は悪戯がばれた子供のようにはにかんだ笑みを浮かべ、頬を指で掻く。
三俣がしたことは、天乃に対して自分の術式を説明することに託けて、見取り図上のこの部屋と扉の間にペンで直線を引いたということである。
三俣曰く、『――線を引くと、そこを通行できなくなる』とのことであるから、これは自分と共に天乃を部屋に閉じ込めたということに他ならない。
天乃の行動は、これを指摘し、糾弾するものであったが、三俣はこれをあっさりと認めたのである。
「いや、うーん。そうだね。強いて言うなら、不公平かな、って思ってさ」
「それは、オレの境遇のことか? それとも、アンタの境遇のことか?」
「……察しがいい、というのは、本当のようだね。少し、怖いくらいだ」
三俣は、観念したかのように両手を上げて降参の意思を示す。
「両方だよ。最適という理由だけで選ばれた君には同情してるし、僕だけ何もチップを積まないのはどうなのかなって思ってたのさ」
「アンタも、今回の一件の首謀者の一人だったんだな」
「首謀者……そうなるのかもね」
三俣は、力なく椅子に腰かけると、天乃に対して話を続ける。
「その辺の経緯は、時間がないから省略させてもらうよ。問題が起きたのは、準備が終わったころ。方針の対立ってやつでさ。僕は、君にもちゃんと今回のことの説明をしたほうがいい、むしろ協力者として声を掛けたらどうかって意見したんだよ。こっちの都合に君を巻き込むわけなんだし、それがせめてもの誠意だろうってさ。それに、これはある意味、世界を救うためでもあるんだ。そうそう無下にはされないだろうって。ちなみに、今回の目的の話は知ってる?」
その三俣の言葉に天乃が頷くと、三俣は、「なら端折るか」と呟いて話を続ける。
「まあ、けど、彼は、必要ないと言っていたよ。時間の無駄だってさ。君を説得するより、選択肢を奪うほうが確実で容易だとも言ってたね。僕は、君の為人を知らなかったから、一応はそれで納得しようとしたんだけどね。ずっと燻ってはいたんだ。
だから、結局、自主的に引き籠った。彼の邪魔はしないが、これ以上の協力もしないってね。彼は僕の態度に理解を示してくれたよ。だから、そうだね。僕には彼の邪魔はできない。でも、このとおり、偶然にも君と一対一で話せる機会が巡ってきた。だから――せっかくだから、僕は僕の意地だけは通しておこうと思ってね」
「それで、ここに閉じ込めて回りくどいアドバイスをくれるつもりだったと?」
「閉じ込めてっていうか、これは一応外からの邪魔を防ぐのが目的だったんだけど。平たく言うとそうなるのかな」
三俣は、天乃の言葉を苦笑しながらも肯定する。
「まあ、その目的を達成する前に一瞬で看破されてしまったのは、我ながら滑稽で、恥ずかしい限りだ。でも、じゃあ、僕の立場はわかって貰えたと思う。僕は、恥を忍んで君に僕のできる限りの言葉を贈るよ」
そう言いつつ、三俣は天乃が反応を返す前に、即座に言葉を続ける。
「“その時”が来たとき、君は自分が何者なのかを改めて考えてほしい」
「――どういう意味だ?」
「申し訳ないが、詳細は伝えられない。それをすると、彼の邪魔になってしまう可能性がある。だから、いざというときに思い出してくれ」
「――――」
「あと、非常に身勝手な話だが、個人的な頼みをしてもいいだろうか?」
「もしかして、そっちが本題か?」
「まさか、ついでだよ」
「……内容によるとしか」
一応、役に立つかは不明だが、助言らしき何かをくれたことを踏まえ、天乃は嫌々ながらも申し出を受ける準備だけはしておくことにする。
もちろん、内容によっては即座に断る所存である。
「できればでいい。助けるべき人間を間違わないでくれ」
「抽象的だな。あと、オレには何が正解かなんて――」
「大丈夫さ。君には“直観”という異能由来のスキルがあると聞いている。大方、僕とのやりとりに違和感を覚えたのだって、それが働いたからなんだろう? なら、何も問題ないさ。君には、いざというときこそ、正しい選択ができるようにできている。そういった意味では、これは余計な頼みだったのかもしれないけどね」
「いや、いざというときに意図的に引っ掛かりを覚えるように釘を刺してきたのは、アンタが初めてだよ」
(というか、もしかして、これまでの問答は全部“直観”の性能を試すためのものか?)
だとすると、この三俣という男は全く油断ならないことになる。
失敗した体でいて、それでも全ての目的を達成しているのだから。
(考えすぎか……?)
これに関して、天乃の“直観”は働かない。
これは“直観”の大きな欠点の一つと言ってもいいところであるが、“直観”は天乃の意志で能動的に使用できるものではない。
天啓や思い付きに近しいものであり、対象を選べず、タイミングのコントロールもできない。
これまでは、偶々都合のいい緊急時には発動していたものの、基本的には発動に運要素が絡むため、行動指針を決定するための前提に組み込める類いのものではないのである。
あくまで、働いたらラッキーくらいに思うべきものなのだ。
そういった意味で、三俣の期待は少々過大評価気味である。
それに加え、天乃は“直観”をあまり過信することはできないとも考えている。
緋澄から聞いた情報を基にすれば、“直観”を当てにし過ぎるのもよくないことは明白である。
天乃の“直観”は、あくまで天乃目線で既知となっている情報の集積体から導き出される最適解である。
つまり、天乃が見聞きしたことがない情報は前提として組み込めない。
もちろん、天乃にとっての既知の情報の組み合わせから高い精度で推測される事象も判断の基礎となっていることから、天乃からすると、知らないはずの情報による判断がなされているように感じられることがある。
しかし、厳密に言えば、この推測の過程にも誤りは介在し得るのである。
したがって、“直観”の導き出される過程にブラックボックスが存在し、後からではその是非が天乃には検証できない以上、“直観”が外れることもあるというのは、常に意識しておくべき状況である。
だからこそ、天乃は三俣の言葉を話し半分に流すことにする。
この非常時に、訪れるかわからない未来のために煩わされるのは御免だからである。
「まあ、“その時”とやらが来たら、善処するよ」
だからこそ、三俣にした返事は、奇しくも天空にしたものと同じになった。
それを聞いた三俣は、満足げに頷くと、手に持っていた見取り図を机に置き、ペンで斜線を加える。
「さて、では、部屋の入り口は開けておいたから、もう出入りは自由だよ」
「あっ、最後に一つ。これは回答を拒んでもらってもいいんだけど」
「なんだい?」
「狗飼朱音を知ってるか? 知ってたら居場所を教えて欲しいんだけど」
天乃の思い出したかのような質問に、三俣は意表を突かれたかのように目を細める。
そして、「その質問は想定していなかったな」と小さく呟く。
「それは、必要なことなのかい?」
「答えは拒んでもいいって言っただろ? 無理に聞き出したりしないさ。でも、これについても『善処する』って、天空さんに言っちまったもんで」
天乃は、その言葉のとおり、三俣が回答を拒めばすぐにでも引き下がるだろうし、何なら明らかに虚偽とわかる不正確な情報であっても鵜呑みにするだろう。
しかし、これは暗に三俣の『頼み』についても、同程度の『善処』しかしないと述べているに等しく、本当に『善処』してもらいたいのであれば真実の回答をしろという実質的な脅迫であった。
「――僕は、彼女を知っているが、居場所までは知らない」
「ありがとう。アンタが知らないってのは、ちゃんと意味のある情報だ」
「これは……最後にいいようにしてやられたなぁ」
そう言って三俣は、天乃の早速の意趣返しに苦笑する。
三俣が知らないということは、彼の《俯瞰地図》では探知できなかったということに他ならない。
すなわち、この建物には狗飼がいないということである。
そうなると、やはり最初の段階から英莉は間違った誘導を行っていたのであろう。
そう考えると、三俣の話に出てきた《無貌》の男の言葉から推測できることがある。
それは、《無貌》の男は、放っておいても英莉が天乃を誘導してくることを知っていたということを意味する。
だからこそ、天乃に協力を持ちかけようと進言した三俣の言葉を無視したのである。
つまり、《無貌》の男と記憶を失う前の天乃は、同じ計画を共有していた――いや、正確には、今回の《無貌》の男の計画を記憶喪失前の天乃がアシストしたことになるのである。
だが――
(どういうことだ。それだとピースが埋まらない)
そう、これでは説明できないことがある。
天乃の手元には、明らかに余剰となるピースが残ってしまっている。
「天乃君、どうやら君がもたもたしている間に、迎えが来てしまったようだよ?」
机上の地図に目を落としていた三俣は、この部屋に近づいてくる駒の存在を天乃に告げる。
天乃もそれには気づいていたが、正直なところ、これ以上他に重要な情報を収集できそうなところに当てはなく、ここで逃げ出す意味は薄いと判断していた。
そういった意味で、これは渡りに船の状況である。
(つまるところ、出たとこ勝負……ってことになるわけか。まったく、『勝てない戦いは勝たない』とか。――なんて、遠い目標を掲げてんだよ、オレは)
天乃が英莉から聞いたかつての自身の指針からすれば、出たとこ勝負など愚行の極みであり、検討に値すらしないものなのであろう。
天乃がこれから挑もうとしているのは、未だ勝ちへの確証がない――『勝てない戦い』に分類されるものだからである。
その場合は『勝たない』――すなわち、如何なる手段を用いても戦いそのものを避けるという選択をするべきとのことである。
そして、勝てる道筋が確定してから、勝つべくして勝つ。
天乃は、そのような理想に軽い憧憬を抱きつつ、それでも――
(――『勝てない戦い』でも、戦うこと自体はできるはずだッ)
天乃は、そうやって自らを奮い立たせると、一歩踏み出して、部屋の引き戸に手を掛け、勢いよく扉を開く。
そして、逆側から扉を開こうと手を差し出していた《無貌》の男に向かって告げる。
「【覚醒者】とやらに至るには、どうすればいいんだ?」




