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Replica  作者: 根岸重玄
記憶喪失編
6/346

命がけの逃走、街を駆ける標的

 2036年6月6日 午前10時27分


「無理だって、今度こそ無理!」

「いけるわ。ここまで来れたアタシの力を信じなさい。さっきからゆってるけど、アンタがそんなんじゃ本当に落ちるわよ。いくわよ。”我、汝に疾走及(ゴー・ゴー・ア)び跳躍を命ず(ンド・ジャンプ)”」

「わっ、また、脚が勝手に……わかったよ、やるよ! やりゃあいいんだろ!」


 現在、天乃(あまの)水無月(みなづき)を肩に抱えながらマンションの屋上に立っていた。いや、その脚は本人の意思とは関係なく前へ、そして前へと進んでいる。天乃(あまの)水無月(みなづき)を肩に抱えたまま、マンションの屋上のフェンスの上へと跳び乗り、フェンスの細い足場を踏み台に少し高い隣の建物へと跳び移ろうとする。ギシィというフェンスが軋む音が聞こえたが、天乃(あまの)はなんとか踏み切り、隣の建物に着地した。


「――っ! 死ぬかと思った」

「まだまだいくわよ。とりあえず、あの鎧どもから逃げ切る」

「まだやんの!? もう追って来れないよ」

「甘いわね。あの鎧の使い手は結構な腕前よ。この程度の曲芸では逃げ切れないと想定するわ。魔術戦は、相手の裏をかくのが常識! アンタの常識はいったん捨てなさい」


 2036年6月6日 午前10時17分


「パルクールって知ってる?」

「パルクール? なんか、街の中を最短で走る競技だったような……」

「それ、やるわよ」

「は?」

「お二人さん。そろそろ逃げるんなら逃げようぜ」


 間森(まもり)が会話をする天乃(あまの)水無月(みなづき)を急かす。


間森(まもり)? アンタ、雹霞(ひょうか)姉ぇと一緒にいたってことなら、一人でもそこそこできると思っていいのね?」

「ああ、そうだな。その認識で構わない」

「なら、アンタは置いてくわ。自力で逃げなさい。行くわよ、天乃(あまの)。”我、汝に運搬(アタシを運びな)及び逃走を命ず(がら逃げなさい)!!”」

「ちょっ――え、えぇ――」


 気が付けば、天乃(あまの)水無月(みなづき)を肩に担ぎ、甲冑に背を向けて猛烈な速度で逃げ出していた。それを見た間森(まもり)は、甲冑を分散するためか別方向に逃げ出す。


「な、なんだ? 身体が勝手に!!」


 天乃(あまの)達が逃げ出すと同時に、ゆっくりと距離を詰めていた甲冑が一斉に速度を上げて二人を追いかけ始める。


「全部こっちに来たわね、やっぱり狙いはアタシか。好都合だわ。天乃(あまの)はそのままの速度を維持し続けなさい。”我、傀儡の自壊を命ず(そっちは壊れてろ)”」


 甲冑が二体、折り重なるように膝から崩れ落ちる。その光景を確認したかのように、甲冑は密集した陣形を崩し、水無月(みなづき)の攻撃を回避しようと行動する。


「なんで狙いが君だってわかるのさ?」


 天乃(あまの)は場違いかと思いながらも小さな暴君に質問してみる。


「ただの経験則よ。天乃(あまの)、そこ右!」

「了解!」


 そうして走っているうちに、天乃(あまの)の目の前に折り重なるようにして上に登っていく形の階段が現れる。


「”我、傀儡の自壊を命ず(つぶれなさい)”。んで、天乃(あまの)!! ”我、汝に跳躍を命ず(そっちから上に跳んで)”。手すりを足場に、階段を回避して! 追いつかれたら終わりよ」

「了、解!」


 水無月(みなづき)の《王宮勅令》によりまた一体、甲冑が崩壊する。天乃(あまの)水無月(みなづき)を担いだまま斜めに跳躍し、階段の手すりに跳び乗る。そのまま上の手すりに逆の足で跳び移り、それを繰り返すことで、まっすぐに階段のある坂を上っていく。


「すごい、自分の身体じゃないみたいだ」

「当然よ。アタシのサポートがあるんだから。でも、アンタができないとかやりたくないとか思ったことは失敗する確率が増えるから注意しなさい。と・に・か・く、アンタは何でもできる、そう思ってなさい」

「わかった。とりあえず、このまま逃げながら各個撃破といこう」

「それがねぇ……」


 水無月(みなづき)が後ろを指さすと先ほどまで追ってきていた甲冑は一つも見えなくなっていた。


「どうやら、そうゆう訳にもいかないみたい。アイツらやり方を変えたみたいよ」

「でも、こっちに来ないのなら安全なんじゃ――」


 ――――シュッ


 そこまで言葉を発した天乃(あまの)の頬の真横を何かが通り過ぎる。掠ったと思われる部分がわずかに熱を持ち、一筋の赤い液体が流れ出した。


「――今の、なにか見えた?」

「わからない。どこからだ?」

「見えないわ。とにかく今のは試し打ちよ。これからもっと正確なのが来るわ。だから、”我、汝に逃走を命ず(さっさと逃げなさい)”」


 水無月(みなづき)の王宮勅令により、天乃(あまの)の身体が本人の意思とは関わりなく動き出す。


「わかってるよ。でも、どこに?」

「遮蔽物が多いところ――に敵はこっちを誘導したいんでしょうね。こっちの射線も通らなくなるから。だから、敢えて上に行くわ」

「上?」

「このマンションの屋上ね。無理なんてゆわないで、”我、汝に登攀を命ず(登りなさい)♪”」

「マジ?」


 言葉とは裏腹に、天乃(あまの)は片手で水無月(みなづき)を肩に抱えながら、ベランダ伝いに跳躍と片手での登攀を駆使して垂直にマンションを駆け上がるという人間離れした方法で、十階建てのマンションの屋上に到着した。そして、冒頭のやり取りを経て隣のより高い建物へと着地する。天乃(あまの)の見る限り、その屋上はフェンスで囲われていないが、貯水槽などの遮蔽が周囲を囲んでおり、籠城には向いているように思えた。


「次に行く前に、ここから敵の位置を目視できる?」

「いや、見当たらない。そもそも、水無月(みなづき)ちゃんのその魔術の射程ってどの程度なの?」

「射程は対象を目視した上で声が聞こえる範囲よ。あと――」

「いたッ! さっきのマンションの陰に入っていった」

「あぁあっ、もぉ、ちょこまかと!」


 水無月(みなづき)は羽織っている上着の内側から十センチほどの細長い筒のようなものを取り出す。彼女はその筒の先を先ほど甲冑が隠れた場所付近に向け、「つぶれなさい」と声を発した。


「何それ?」

「音に指向性をつけて通常より遠くまで音を飛ばす拡声器の一種……らしいわ。仕組みはよく知らないけど、イメージとしては声の弾丸をとばすようなものね」


「ふーん。それで、仕留めたの?」

「わからないわ。とりあえず、鎧共は術者を介して連携をとってる。だから、こっちにはこんな武器もあるぞーってのを見せてみたのよ。これで慎重になってくれれば御の字ね。時間さえ稼げれば、異常に気づいた警備隊がなんとかしてくれるでしょ」


「そっか。とりあえず、ここから離れよう。敵に場所を知られた」

「ずいぶん積極的になってきたわね。いい傾向だと思うわ」

「僕も、なるべくならこんなことしたくないんだけどね。巻き込まれた以上はしょうがないかなって諦めたんだよ」

「巻き込まれた、ね。そうかも。状況的にアタシが巻き込んじゃったのかも」

「そ、そうとは限らないんじゃないかな。巻き込まれたってのは言葉の綾で……それに、まぁ、仮にそうだとしても気にしてないよ。とりあえず、ここから離れよう」


 想像以上に落ち込んだ様子の水無月(みなづき)天乃(あまの)は再度離脱を促し、気を逸らそうとした。


「でも、アタシ、まだ、アンタに――」

「――危ない!」


 水無月(みなづき)が何かを言いかけたとき、天乃(あまの)は先ほどのマンションの陰から崩れかけた身を乗り出し、左腕に装着されているボーガンの先をこちらに向けている甲冑に気づいた。そのボーガンは甲冑の手甲に偽装されていたらしく、ワンタッチで展開できる仕組みになっていた。

 とっさに、天乃(あまの)水無月(みなづき)に覆いかぶさるように伏せ、射線から逃れようとする。しかし、水無月(みなづき)を庇ったために反応がわずかに遅れ、天乃(あまの)の右肩をボーガンの矢が掠めた。


「いっ――」

「うっ――」


 肩を怪我した天乃(あまの)と、彼に押し倒された水無月(みなづき)が同時にうめき声をあげる。


「ちょっとなにが――って、アンタ、肩から血が出てるわよ!」

「掠り傷だ」

「早く止血しないと……」

「大丈夫だ。そんなことよりも、あの矢を飛ばしていたのはボーガンだった。けど、矢の速度は普通のボーガンのものよりもっと速いし、射程がある」

「加速術式!? だとすれば、相手はたぶん複合型か特化型。分が悪いわね」


 加速術式は文字通り、推進力を加えてものを速く動かす術式である。


「どうする? ここはまだ死角みたいだが、多分包囲されつつある。迂闊に動いたらどこから矢が飛んでくるかわかったもんじゃない」


「ねぇ――」

「逃げねぇよ」

「え?」


 水無月(みなづき)が何かを言おうとしたとき、被せるように天乃(あまの)は言葉を発した。


「今、狙われてるのは自分だからオレに逃げろって言おうとしただろ? だから、逃げねぇっつったんだよ。それに、さっきも言いかけたんだが、狙いがオレの可能性もある」

「でも、じゃあ――」

「オレに命令しろ。甲冑どもをぶち壊せってな」


 それは水無月(みなづき)にとっては予想外の言葉だった。


「そんなの、無理よ。できないことは――」

「――できる。何でもできると思えといったのはオマエだろ?」


「ねぇ、アンタは、今、アタシの命令で普通はできない無茶な運動して、怪我して、アドレナリンが出まくってて、その、冷静な判断ができてないと思うの。遠距離攻撃のボーガンと近接攻撃の大剣を躱しながら、あの金属の鎧を倒せると思うの?」

「倒すさ。さっきのマイクでここからオレに指示を出してくれればいい。命令は抽象的なもの、例えば敵がボーガンを構えたら『躱せ』とかで構わない。近づければ、あとはこっちで何とかする」


「何とかって、ね。アンタ……さっきからちょっとキャラ変わってない?」

「さぁな、自覚はあるよ。多分、これが地なんじゃないか?」

「なんで疑問形なのよ」


 天乃(あまの)は自分が記憶喪失であることを水無月(みなづき)に伝えていないことに気づいたが、結局、自分の言いたいことを優先することにした。


「オレは、ただ、この状況に、いい加減、頭にきてんだよ。こんな小さな女の子もいるのにあんな甲冑を複数体持ち出して攻撃してきてやがるどっかの魔術師に対して、な」


 この言葉に対し、水無月(みなづき)は急に機嫌を悪くする。


「ムカっ。わかったわ。アンタがそうゆう態度なら、とりあえず、初対面でいきなり攻撃したことについては謝らないことにしたわ」

「なんでだよ? それとこれとは関係ないだろ?」


「とにかく、アンタのゆうことはわかった。でも、駄目よ。やっぱりあの鎧相手に素手で立ち向かうのは無謀だから。勝てない勝負は勝たない」

「は?」

「アタシの好きな言葉よ」

「……なるほど、至言だな。それで? 対案はあるのか?」

「アタシが撃破役に回るわ。アタシだったら一対一なら負けないもの」

「どうかな? 敵が飛び道具を使いだした以上、そうとは言い切れないと思うがな。今まではオレという足があったから一方的に打ち取れてたんだと思うぞ」


「……へぇ、だったら、これは勝てない勝負よ。勝つことを考えるべきではないわ」

「だから、オレが甲冑に近づいたら、『壊せ』と命令しろよ。たぶん、それで片がつく」

「どういうこと?」

「あの甲冑、どうやって動いてると思う? 足首や膝の関節部分から崩れ落ちるかのようにバラバラになっていった。あれの中身は空っぽなんだろ? だったら、多分、可動領域を確保するために関節部分は物理的につながっていないんだと思う」

「つまり、あの鎧は魔術の影響下にあるから、一体の鎧武者として機能してるけど、魔術さえなければ一つ一つのパーツに分解されるってゆうこと?」

「おそらく」


「ぅん? でも、だから何? そのことはアンタが素手でアレらに勝てる根拠にはならないわよ」

「え? あれ? そう、だな」


「でも、オマエとなら本当に何でもできる気がする」

「なにそれ? 話にならないわね。そんな不明瞭な根拠じゃあアタシは協力できないわよ」


 水無月(みなづき)天乃(あまの)の自信の根拠が分からない。ところが、それに関しては天乃(あまの)自身も同様であった。何故かはわからないが、何でもできるという錯覚だけが強烈に天乃(あまの)を突き動かしている。


「そう、か。悪い。確かに、今のオレはどうかしている。近づいてどうにかなる問題ではなかった、のに」

「どうしたのよ? 大丈夫? 顔色が悪いわよ。そういえば、病み上がりって話だったわね。どのみち、これ以上無理はさせられないわね」

「どうするつもりだ?」

「ごめん。もうちょっと早く問題を解決すべきだったわ。実はね、あの間森(まもり)ってやつと離れたのも上に逃げたのにも理由があるのよ」

「え?」

「これ、何に見える?」


 水無月(みなづき)はポケットから一枚のカードを取り出した。


「白いカードだな。何のカードなんだ?」

「間違った。こっちだったわ」


 水無月(みなづき)はポケットからもう一枚カードを取り出す。


「啓吾の学生証だな」


「そう。やっぱりアンタにはそう見えるのね。アタシには()()()()()()()()()()()()()わ。先に見せたのはアタシの研究室のカードキーよ。それに、アタシは、本物の間森(まもり)啓吾けいごの外見を知っている。少なくとも金髪の西洋人ではなかったわね。つまり、アンタが見ているのは幻覚よ」


「…………は?」


 天乃(あまの)の思考は空白に染まった。

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