最悪の初対面、平伏の強制
2036年6月6日 午前9時31分
目覚めて以降、何度も手術と称する治療が継続されたが、天乃慎の記憶が復元されるには至っていなかった。
天乃の治療に対応した魔術師は十人を超え、頭部に触れるだけというものから催眠療法のようなものまで様々な方法が試されたが、どれ一つとして効果的な治療とはならなかった。
そこで、天乃は、これ以上の入院の継続には意味がないとして、いったん日常生活の中に戻され、経過をみながら治療を継続していくという方針で病院から解放されることとなったのである。
ただ、天乃が常識改変によって失った魔術に関する情報と、この特区に関する情報については、病院の中で特別講習というかたちで補習を受けさせられており、未知の知識の羅列に正直辟易としていた。
もっとも、これも治療の一環だと言われれば断ることもできない。
曰く、魔術が一般的に認知されるようになったのは約六十年前であること。
曰く、その原因は世界に孔が開いたことによるものであること。
曰く、魔術を扱えるものが急速に増加したのは、この世界の孔から何らかの物質がこの世界に流れ込んできており、適性のある者が環境に適応した結果であると考えられていること。
曰く、この特別区画は東京都浅木区という地名であり、全敷地が国立行政法人浅木大学の所有であること。
曰く、浅木にも世界の孔が存在し、《門戸作成》という魔術により封じていること。
曰く、浅木内の情報は外界にはほとんど出ないこと。
曰く、魔術の原理はいまだ解明には至っていないこと。
曰く、原理の解明が進んでいないのは個々の魔術師同士で拠り所としている理論・感覚が異なるせいであり、世界の孔から漏れ出てきていると思われる物質が観測できないことによること。
曰く、個々人の差異を考慮しても統一的に俯瞰できる体系の整理が進められており、高等学校では一般教養の他に主にその理論体系について学ぶこと。
曰く、魔術を行使できない者でこの特区に来ている学生は将来魔術関係の研究職等を目指しているものが多く、非常に勉学について熱心であり、真摯であること。
曰く、曰く、曰く……。
「さて、天乃君。本日付で君は当病院を退院することになる。もちろん、通院は続けてもらうがね。来週からは学校にも復帰することになる。こちらでも可能な限りの予備知識は伝えたが、魔術関連の知識がごっそりと抜けていたのは、君にとって大きな障害となるだろう。まぁ、可能な限りサポートは続けよう」
壮年の医師の言葉に、天乃は頷く。
「さて、そろそろ迎えが来る頃だと思うのだがね」
「迎えって、僕の保護者の百目鬼って人が来るんですか?」
「いや、本人は多忙のため、代わりの者を寄越すという連絡を受けている」
「そうですか……。親族ということなら、ぜひ会ってみたかったのですが」
「まぁ、そのうち機会はあるだろう。なにせ、彼女は――」
そこまで医師が言いかけたとき、こちらに向かって声をかけてくる者がいた。
「おぉ、慎。無事だったか? いや、話を聞く限り無事ってわけじゃなさそうだが。先生もどうも、お久しぶりです」
その男はスーツ姿にサングラスという恰好だったが、まだ若く、高校一年生の天乃と同年代くらいにも見える。身長は天乃よりも十センチほどは高く、スーツ越しでもわかるほどに引き締まった体格をしている。
「間森君。君、今日は学校はどうしたのかね?」
「そんな、先生。わかるでしょう? こっちも勉学に勤しむ心は持ち合わせていますよ。ですがね、親友の一大事とあっては駆けつけぬわけにはいかんでしょう? 学校がどうの、授業がどうの、単位がどうのと気にしている場合じゃあないんですよ」
「そうなのかね? 私は水無月君が来ると聞いていたのだが」
「そこまでわかっているなら話が早い。あの人がこんなことをできると思いますか? 無理ですよ。案の定俺にぶん投げです。百目鬼さんもそこらへん考えて人選した方がいいと思うんすがね。っと肝心の主役を置いてきぼりにしちまったかな。一応、顔見知りなんだが、覚えてないって話だろう? だったら、改めて挨拶しようか。俺の名は間森啓吾。お前とは、まぁ、悪友みたいなもんだった。よろしくな」
「よ、よろしくお願いします、間森さん」
天乃が挨拶すると間森は微妙な表情を浮かべる。
「――マジで記憶ねぇんだな。違和感しかねぇぜ。構わねぇ、俺のことは啓吾って呼んでくれ。いや、マジで。お願いします。あっ、ちなみに俺、お前とタメで同じ学校のクラスメイトだから」
「えっ? じゃあ、その恰好は?」
「うん、なんも知らねぇみたいだな。この街をこの時間帯にどっかの学校の制服で歩こうもんならサボりとみなされて、速攻で警備隊に補導されっての。その目を誤魔化すための仮装だよ」
警備隊とは、この浅木区においての警察機構の役割を果たす組織である。天乃は(余計怪しいような……)と内心で毒づいた。
「むろん、こんなもんじゃあ誤魔化し切れるわけはねぇんだけどよ。それでもしないよりマシなんだぜ? 実際、公欠扱いだから見つかっても問題ねぇんだけどよ」
「公欠? どういうこと?」
「あぁー、それ説明すっとなげぇから追い追いな。まずはお前んち行こうぜ。もろもろの話はそっからだ」
「そうかい。それじゃあ、私はここで」
「あ、先生ありがとうございました」
天乃は立ち去ろうとする医師に声をかける。
「礼には及ばんよ。結局記憶を復元することはできなかったわけだしね。じゃあね、天乃君、間森君。帰り道には、気を付けるんだよ。天乃君はまた来週には予約を取っておくから、学校が終わったら来るようにね」
医師はそのまま立ち去り、その場には天乃と間森だけが残ることとなった。
「んで? 荷物とかは?」
「ほとんどないよ。財布とかこの携帯端末とかくらいさ。ほとんど着の身着のまま運び込まれて、見舞いに来る人も荷物を持ってきてくれる人もいなかったからね」
「そうかい。あっ、ちなみに、見舞いがなかったのは薄情な奴らが多かったんじゃなくて行方不明扱いだったせいだぜ」
「え? なんで?」
間森の思いがけない言葉に天乃は驚愕する。入院中、天乃は学校を無断欠席しているという扱いになっていたらしい。
「まぁ、そりゃあ、な。なんとなくだけどわかるぜ。おそらく、理事会としては今回件を隠蔽しようとしたんじゃねぇの?」
「理事会?」
「そ。特区内にある学校にはそれぞれ理事ってのがついていて、その理事達で構成された組織が統括理事会――通称理事会ってわけ。あとはお前の家までの道すがらで話してやるよ」
「わかった」
二人は、間森が先導する形で天乃の住居――といっても学生寮であろうが――に向かうこととした。
「なんか思ったより普通だね」
天乃が魔術特区浅木の内部を見た感想はこれに尽きた。天乃のいう通り、そこは普通の街並みであって特に魔術を臭わせる得体のしれないものは存在していない。
「どういう想像だったんだ? あちこちに箒にのった魔法使いどもが飛んでたり、妖精やドラゴンがいたり、怪しげな店舗が立ち並んでいたりする光景でも想像していたのか? だったらそんなことは全くないさ。いたって普通の街さ。見かけ上はな」
「そうなんだ。まぁそれはいいや。それよりも、さっきの隠蔽がどうのって話はどういうこと?」
間森の先導に従ってしばらく進んだのちに天乃は先ほどの件を間森に切り出す。
「慎は、俺たちがこの特区じゃ特別な存在だってことは知ってるか?」
「魔術を使えない未成年者ってこと?」
「そう、それそれ。魔術を使うには魔力ってのがいるらしい。まぁ、車でいうガソリンみたいなもんた。これは大体の人間が持ってるらしい。もちろん、魔術を使えない俺たちもな。じゃあ、俺たちが何で魔術を使えないかっていうと――」
「魔術を使うための演算領域が極端に小さいか、そもそも存在しないから、だろう。また、そういった器官を持たない人間は保有魔力数も少ないって話だっけ? 病院の座学で習ったよ」
「そうか。まぁ、そうだ。車でいうエンジンに当たる部分がないからってことだな。んで、ここからが重要なんだが、このエンジンの有無はどうやって決まるのかってことだ。環境的要因や遺伝的要因なんか様々いわれてるが、はっきりとしたことはわかっていない。ただ、親族間では似た系統の魔術が得意って傾向もあるから遺伝的要素は見逃せない」
「僕たちは、三親等以内に魔術師がいるのに魔術の才がない」
「そういうこと。それだけ近親者に魔術師がいながらどうして俺達には魔術が使えないのか。そこに着目して、いっそのことそういう未成年者らを集めて共通項なりを調べてみようってのが、俺達がここに集められた理由さ。むろん、そういう意味じゃ俺達だってモルモットなわけだが、魔術が使えないのに浅木の中に高校生のうちから入れるっていう特大の見返りがある」
「それってすごいことなの?」
「もちろんさ。魔術関連の職に就きたかったら、浅木大の卒業はほぼ必須だってのに、今まで浅木は未成年の非魔術使いの侵入を頑なに拒んでやがったんだぜ。もちろん、それは安全保障上の面も考慮されての結果だけどな。それを限定的ながら解除した第一号が俺達ってわけ。浅木はこの第一号を選別する際、守護霊システムの安全性を説いて生徒を募集したんだ。そんな俺達のうちの一人が入学して二か月足らずで魔術による攻撃で記憶喪失になったってことになったら、どうよ」
「浅木のメンツは丸つぶれってわけか」
「そうさ、守護霊システムはそういった意味では失敗できないプロジェクトだったんだろうぜ。だから、お前を行方不明って扱いにしてすぐに記憶を修復し、守護霊システムの穴を塞ぎ、お前には口止めをしてシレっと復学させる予定だったんだと思うぜ」
「でも、僕の記憶は戻らなかった」
「あぁ、そのせいで予定が狂っちまった。いつまでも慎を行方不明にしておくと、今度は別の問題になっちまうからな」
「それにしても、浅木って結構大胆なことするんだね。僕や僕の保護者が黙ってなかったらどうするつもりだったんだろう?」
「あ? 百目鬼さんが文句を言うわけないだろう?」
「へ? 百目鬼さん? 僕の保護者がどうしたの?」
意外な言葉に天乃は間森に百目鬼という人物について聞き返す。
「百目鬼さんは俺達の学校の理事なんだよ。つまり、守護霊システムや未成年の非魔術師の受け入れなんかの責任者ってわけさ。ってことは、この措置は百目鬼さんも了承したってことだろ。そりゃあ、慎としては黙っとくもんなんじゃねぇの?」
「なるほどね。啓吾が公欠で僕を迎えに来たのはそういう事情か。職権濫用なんじゃないの?」
「相変わらず、そういうところは鋭いねぇ。まぁ、本来、俺みたいな一学生が迎えに行くってのはおかしな話なんだが、これに関しちゃあ、ちょっとした理由があってな。百目鬼さんはその立場上、自由に使える組織がいくつかあるんだが、そこの一個に今回の件を依頼したんだ。ところが、その組織ってのがちょっとした社会不適合者の集まりでな。まともに応対できる人材が限られていて……。結局たらい回しにされた挙句に俺にお鉢が回ってきたってわけ」
「ふーん。大変なんだな。よくわからんけど」
「思いっきり他人事の感想ありがとよ」
天乃と間森が少しずつ打ち解けてきたころ、天乃は周囲の違和感に気づく。
「ところで、結構遠いんだな。病院と僕の住処って」
「まさか……そんなはずはねぇよ。歩いて十分程度だ。こっちだったような? あれ?」
「それに、啓吾が言ってた警備隊の姿を一度も見てないんだが……」
「それも、おかしい。実際、俺は来るときに六回ほどはかち合った」
ここに至り、間森も周囲の状況に違和感を覚え始める。間森はスーツの内ポケットから素早くスマートフォンをとりだすと、何かのアプリを起動させた。
「なんだこりゃ。まぁいい。とりあえず、『召喚』」
間森が困惑気味な顔をした後、呪文を唱える。すると、美しい毛並みをした犬のような獣が現れた。もちろん、間森自身に魔術を扱う素養はない。しかしながら、既に魔術が掛かっている魔道具を用いれば、間森のような才能のない人間でも魔術を用いたように見えるのである。
「それが守護霊ってやつ? 初めて見るけど」
天乃も病院での座学の成果で、魔術を使えないはずの間森が何もない空間から獣を召喚したことに疑問を差し挟まない。
「そゆこと。なんかよくわからんが、魔術による攻撃を受けてるっぽいんだが、守護霊が反応しねぇ。とりあえず、待機から活性にモードを切り替えてみたんだが……どうにもしっくりこない」
「またか」
「また?」
「僕の記憶も守護霊が反応しない魔術で消されたらしい」
天乃は間森にも事情を説明する。
「なるほどな。それで、今回の件も同一犯だと思うか?」
「わからないな。そもそも今どんな魔術がかけられているのかわからないし、守護霊システムがうまく機能したところを見たことがない身としては、システムの重大な欠陥を疑わざるを得ない」
「百目鬼さんも含めて上層部には耳が痛い話だろうぜ。けどな、掛けられてる魔術ならなんとなくわかる。多分、目的地にたどり着けなくなる類のものだ」
「根拠は? 僕の住居に辿り着けなかったから?」
「それもあるが、そもそも俺はこんなところ知らない。それにも拘らず、そのことに何の違和感も持ってなかった。認識阻害系かもな。よくある《人払い》とは逆の感じの」
「ん? 向こうから誰か来――」
天乃がそう口にした瞬間、天乃は地に伏せていた。いや、伏せたというより叩きつけられていたと表現するのが正しいのかもしれない。
「かはっ!!?」
地面に叩きつけられ、肺の中の空気を一気に吐き出した衝撃で状況が把握できない天乃は、一瞬前に聞いた言葉を思い出す。どこからともなく現れた少女はただ、天乃達に向かって「平伏しなさい」といったのである。
その少女の見た目は、天乃が一週間ほど前に見た金髪の娘と同じ年齢くらいの幼さであり、身長ほどもの長さが存在する黒い長髪を折り畳むかのように束ねている。その服装はなぜか冬服の大きめのブレザーを羽織っているものの、天乃や間森と同じ第三高校の女子用の制服姿である。もっとも、ブレザーの丈が長すぎて手はほとんど隠れているし、スカートもほとんど見えないので、一見するとブレザーしか羽織っていないように見える。
「慎!? 無事か!?」
天乃の上から間森の声が聞こえてくる。どうやら間森は無事守護霊に守られたらしい。間森の代わりに守護霊の獣が地に伏し、鳴き声を発している。おそらくこれが警報なのだろう。
「――なんとか、ね。っていうか、守護霊ってそんなふうに役に立つんだ……」
最初こそ突然の衝撃で気が動転したものの、天乃はすぐさま立ち上がる。少女の方は、間森が立ったままであったことから、その間何もせずにこちらの反応をうかがっている。そして、天乃が起き上がると、間森に対して声をかけた。
「ねぇ、アンタがこの妙な魔術の術者ってことでいいのね?」
少女が訝しげな眼で両手を挙げて降参のポーズをしている間森を見やる。
「待ってくれ。あんた、水無月風華だな。えーっと、俺を見たことはないか。一応、あんたの姉さんと一緒にいるところでも何回か会ってるんだけど」
間森が少女を水無月風華と呼ぶと、少女――水無月はさらに警戒心を高めたようだが、姉の話が出ると、少し思案するような素振りを見せる。
「雹霞姉ぇと一緒に? ――どうかしらね、覚えはないわ」
「ええっと。ちゃんとした挨拶は初めてかな。俺は間森啓吾。んで、こっちが天乃慎。俺達は三高の十組の人間だ。生憎こいつは守護霊を置いてきちまってるがな。ほれ、学生証だ」
そういいながら、間森は胸ポケットから片手で慎重に取り出したカードを、水無月に向かって投げる。水無月はカードを空中で受け取ると、うーんと唸るようにカードを見やる。
「……十組ってあの十組?」
「そう、まさしく。今年から設置された例の十組だ。その俺達に攻撃はまずいんじゃないのか?」
水無月が胡乱な目を向けると、間森は大きく肯定した。
「こんなところで、しかもそんな恰好なのはどうして?」
水無月は納得できないのか質問を継続する。
「学校に行ってない理由なら今日、俺は公欠だからだ。しかも、ちょうどあんたの姉さんの代理としてこの天乃慎を病院まで迎えに行っていたんだ。確認してもらってもいい。この恰好は、まぁ、仕事用の恰好だとでも思ってくれ」
「仕事? アンタ、自分で学生だってゆわなかった? それにお生憎様、外部との連絡は遮断されてるわよ。アタシの攻撃に対する守護霊の警報も機能してないでしょ?」
「そうなのか。そうだな、確かに。えっと、仕事云々にはいろいろ事情があるんだが、生憎それは話すことはできない。とにかく、こっちに交戦の意思はない。この妙な現象にはこっちも困ってたんだ。一緒に協力して脱出しないか?」
「アタシ、アンタを信用できない。アンタかそっちの喋んないほう――天乃だっけ? どっちかが術者である可能性を否定できない。特にそっちは十組なのに守護霊もついてないって話だし。怪しすぎるわ」
水無月は天乃に矛先を向ける。天乃は思案顔だったが、ここに来て初めて口を開いた。
「――別に、話せないわけじゃないさ。ただ、順序があると思ってね。謝罪が先なんじゃないかな、こういう場合」
「ふぇ?」
水無月は虚を突かれたように素っ頓狂な声を上げた。
「いやなに。そちらの視点に立つとこちらが怪しく見えるのはわかった。だけど、そちらは完全に黒じゃあない人間に対して先制攻撃を仕掛けたんだ。そちらがこちらを黒だと立証できなかった以上、謝罪はあって然るべきかなって。そう思うんだけど、どうだろうか? 水無月風華ちゃん、だっけ」
「うっ、確かにそうかも……じゃないわ、アンタたちが怪しいのは変わんないんだからぁ。あと、ちゃん付けすんな。アタシはアンタと同い年のはずよ!」
「え? どう見ても小学生――」
「それ以上ゆったらまた地面にキスさせるわよ」
「まぁ、落ち着け二人とも。どうも喧嘩してる場合じゃねぇみたいだ。――あれ、どう思うよ?」
間森が指差す先には大剣を携えた西洋風の甲冑が一つあった。大きさは目測で百九十センチほどである。この街並みにはおよそ似つかわしくない光景であるその甲冑はカシャカシャと音を立てながら天乃らのいる方向に前進してきている。
「何だ、あれ」
「たぶん、見た感じ人形の一種だな。中に人間は入ってない。けど、奴さん、なんだか殺る気満々って感じだぜ。最悪だ」
「つまり、ブッ潰してもいいってことよね? ”我、傀儡に自壊を命ず”」
水無月が甲冑に向かって先ほど天乃達に向けたような言葉を紡ぎだす。――《王宮勅令》。
水無月が使うことのできる唯一の術式である。その特性は支配にある。雑な説明をすると、言葉を用いて他者に行動を強制するものである。
もちろん、ここでも魔術の大原則は有効であり、望まない結果を実現することは容易いことではない。それでも、水無月の《王宮勅令》に抵抗することは一般的に困難とされている。理由は、単純に水無月の支配特性への相性の良さと魔力保有量とされている。保有魔力量の多い魔術師はそれだけで単体で結果を実現する力が強く、望まない者に望まない結果を与えやすいとされているのである。
その原理についても仮説があり、曰く、魔力というのはそれだけで異界を形成するものであり、その保有量が多いということはその存在が単体で物理法則の及ばない異界を形成することができるということにつながる。したがって、その異界の中では現実の修正力が大きく弛緩するため、魔術が成功しやすい環境ができているというものである。
ただ、この説には異論があり、そうであるならば、魔力保有量の多い者に対する魔術攻撃の成功率は大きくなるはずだが、現実にはそうはなっていないということから、魔力保有量と他者介入型の魔術の成功率には相関関係はないという説も近時有力視されてきている。
そのように、保有魔力量と魔術の効果の高さとの相関関係については不明確ではあるものの、水無月の《王宮勅令》を受けた甲冑は、全身の関節を拉げさせながら膝の部分から崩壊していった。
これは、単純に水無月の力量が相手を上回ったというだけではなく、術式の相性の良さというものがある。それは、水無月の《王宮勅令》は支配特性であり、甲冑を操作する魔術は従属特性であると考えられるという点である。
水無月の《王宮勅令》は本来、意思のない無機物である甲冑に命令をしてもそれを操作できる代物ではない。しかしながら、従属特性の術式により、術者の意思が介在した状態にある甲冑に対しては、干渉可能となるのである。そして、従属特性の術式は多くの場合、最初に目標を入力すれば、あとは自動で動くことから、術者と対象とのつながりはあるものの、非常に希薄という特徴がある。そのような状態にある対象に対して、直接新たな命令を直接書き込む形となる支配特性の術式は相性がよく、支配特性の術式がほとんどの場合で上回るのである。
「どんなもんよ」
水無月は喝采をあげ、天乃は安堵の表情を浮かべるが、間森の険しい顔は変わらない。
「なぁ、このカシャカシャって音、どっから聞こえてきてると思うよ?」
「ふぇ?」
「音?」
カシャ、カシャ、カシャという金属が擦れる音と共に今度は九体の甲冑が現れた。
「なんなのよ、こいつらぁ!」
先程の説明の通り、従属特性の術式で操作されている対象に対しては、支配特性の術式による上書きが有効である。しかしながら、支配特性の術式は基本的に対象一つにつき、一つの術式が必要となるが、従属特性の術式は、一つの術式で複数の操作が可能であり、その点においては支配特性を上回っているのである。
「水無月ちゃん、さっきみたいに何とかできないのか?」
憤慨する水無月に天乃が声をかける。
「無理よ、巻き込めて三体まで。残りは止められないわ。あと――」
「なら、逃げんぞ。水無月妹は俺が担ぐ。慎は病み上がりだろうが何とかついてこい」
水無月の言葉を遮り、間森がこの場で最適解と思える提案をする。水無月の体つきでは、全力で疾走する甲冑から逃げきれないのは火を見るより明らかだったからだ。
「待ちなさい。アタシを担ぐのは天乃の方よ」
「けどそいつは病み上がりで――」
「守護霊がないんでしょ。だったら、アタシが命令すればいいのよ。あの鎧から逃げろ、走れってね。短時間なら何とかなるわ。ところで、天乃君だっけ?」
水無月は可愛らしい顔を綻ばせて天乃に向き直る。
「な、なにかな。嫌な予感がするけど」
「パルクールって知ってる?」




