迷宮の通学路と、十二の特性
2036年6月6日 午前9時48分
(おかしい)
水無月風華は違和感に気づき、戸惑っていた。
つい先ほどまで、水無月はいつも通り学校――浅木大学附属第三高等学校へと向かっていたのだ。そのはずである。
ところが、いつの間にか周りには人がいなくなっており、一向に目的地である第三高校に辿り着かないという現象に見舞われていた。それどころか一時間以上も彷徨っていたにもかかわらず、そのことにも先程気が付いた。
もう遅刻は決定的だという問題もあるが、そもそもこの現象にどの程度の悪意があるかが問題である。
もちろん、悪意があろうとなかろうと、このような魔術による攻撃が正当化される状況ではないのだが、自分が少々目立つ存在であると自覚している水無月にとっては、魔術による攻撃の被害に遭うことはある程度想定済みである。
そのうえで、この攻撃の目的を考える。
水無月の感覚からすると、攻撃の種類としては、方向感覚を狂わせること、目的地に辿り着かせないこと、人気のない方向に誘導されることの三種類が複合しているように感じる。
これら三要素を備えた概念を顕現させる術式である可能性も否定できないが、いずれにしても、この術式単体では、悪意の程度としては中の下程度であろう。もっとも、人気のない場所に誘導するという効果には誘導した後の続きがある可能性を否定できないことからすると、全体としてみれば結構危うい立場に陥っているかもしれない。
このまま正体不明の襲撃者の思惑に従って移動させられることは危険と考えた水無月は、即座に自己の理解に従って本件の術式の正体を看破しようと試みる。
(アタシを『道を誤る者』という被支配者に変換する術式とゆうことで、主としては従属特性だとは思う。そこに人気のない方向への誘導があるという性質から、流動特性が組み合わされている……のかな?)
魔術に対する魔術師の認識には、個々の魔術師ごとに若干異なる場合がある。
例を挙げると、魔術とは複数の属性に分類できるとし、火属性や水属性といった分類を行い、個々の魔術ごとの相性を相対的に決定しようとする属性説。魔術とは色によって分類できるとし、黒魔術や白魔術といった分類を行う色魔術説。魔術には大別して小源を用いるものと大源を用いるものが存在し、このうち小源を用いる魔術を元素魔術とその他とに区別し、大源を扱う魔術については分類が不可能だと論じる小源大源説など、多岐にわたる。
その中でも、魔術とはいくつかの特性の組み合わせで説明できるというのが水無月の魔術に対する理解であり、そのような理解を特性説と呼ぶ。水無月は第三高で主流となっている十二の特性説で魔術を理解していた。
そのなかでも、従属特性というのは、主に自己に従属するものを操作する特性とされている。これと良く似ているのが支配特性であり、主に意思あるものを自己の意のままに支配する特性とされる。この二つの特性の共通点は何かを動かすというものであり、相違点は対象の認識の有無とされる。つまり、本来は意思のある水無月を何らかの方法で無意識状態にし、本人の意思を曲げることなくその行動を制御していることから、従属特性であるとの結論に至ったのである。
また、流動特性とは、物事の流れの方向性を変化させたり、操作したりする特性とされる。これは観念的な流れから物理的な流れを包括するものであり、例えば川を逆流させる魔術というものがあるとすれば、それは流動特性に含まれる。
即座に水無月は術式の性質にあたりをつけるが、他者に大きく依存する自身の得意とする唯一の術式では脱出は困難と判断する。次に、水無月が術式にかかったタイミングについて検討する。
(いったいいつだろう? そもそもアタシの防壁を突き破って術が掛かってるってゆうのが問題ね。そうなると、やっぱり嵌合しかないか)
水無月は生来より保有魔力量が多く、とある事情も相俟ってこれを常に開放しながら全身を覆うことで守りを固めているために、このように被支配者に作り替えられるようなことは本来ほとんどありえないはずなのである。それにも拘らず術中に陥ってしまったことから、水無月は何らかの条件を満たしたことにより、相手の術式にかかることに形式的に合意してしまったのだと考えられた。
このように形式的な意思を合致させて相手を術中に引き込む技術は、魔術師たちによって嵌合と呼ばれている。効果を享受する気持ちが強いほうが魔術の効果が大きく作用するという仕組みである。この現象に関する仮説では、魔術とは共同主観内に存在する因果に対する修正力の弛緩を利用した技術であり、その存在や結果に肯定的な意見が多い空間では、修正力の弛緩が大きく働き、実際の力量より大きな結果を生むものとされている。
周囲に他の人がいたにも拘らず、この術式に掛かったのはおそらく水無月だけであった。水無月と他者の認識の違いが、術式の嵌合の有無の差異になっているものと想像できる。
(つまり、アタシ個人の考え方の中で、他人と明らかに違うことが嵌合の条件となっている可能性が高い。それは――なんだろ?)
「起きてる?」
「はいな。面倒ごとかいな」
水無月がだれもない虚空に話しかけると、男性の声がそれに返答した。
「なんかの攻撃を受けてる。どうにかしなさい」
「ワイかて万能やないんやで」
「わかった。どうでもいいから力を貸しなさい。とりあえず、術式を無理矢理魔力で全部ブッ飛ばす。気持ち悪いの」
「こわいわぁ。考え方が脳筋すぎるで、嬢ちゃん」
「で? どうなの? 有効?」
「有効や。ワイを使えばこの程度の術式簡単に洗い流せるで」
「じゃあ、つないで」
そこまで水無月が言ったとき、ふいに、彼女の足が止まった。
目の前には、スーツ姿にサングラスを掛けた男と私服姿の若い男、そばには従属特性の魔術で召喚したと思われる犬のような獣がいた。
(連結中止。どうやら向こうから来てくれたみたいだし。後はこいつらに訊くことにするわ)
水無月は即座に迎撃の準備へと移り、相手より先に言葉を紡いだ。
「”我、汝らの伏臥を命ず”」




