不滅の参戦理由、不祥事の隠蔽エトセトラ
2036年6月7日午後2時42分
「で、何か用かしら、伏見先生?」
その緋澄の言葉を受けて、校舎の影から姿を見せたのは、緋澄や水無月たちのクラスの担任である伏見鋼一であった。
4限目の授業が終わってから既に約二時間が経過していることから、スーツ姿に着替えていたが、その手には薄手のグローブがはめられている。
伏見は、跳躍しながら視界から消えつつある天空の方に一瞬視線を向けると、すぐに緋澄の方に目線を向け直し、ようやく言葉を発する。
「ッたく、ずいぶんと面倒なことになってんなァ……」
「あら、口調が崩れておられますわよ、伏見先生?」
「そらァお互い様だ、緋澄。
それに、今は、業務時間外だろうが。
真面目に教師をやる必要もねぇんでな」
緋澄の挑発するような物言いに対し、呆れ顔の伏見は軽くいなすような口調で返答する。
「あら、そう。つまらないわね。
それで、私に何か用かしら、伏見先せ……?
いえ、今は教師じゃないってことだったかしら。
えぇっと? 敷地内にいるけど特定の立場を持たない――つまり不審者ね?」
「――いや、んなわけねえだろ」
「でも、とりあえず通報しといたほうが――」
「ほいきた」
「返事が軽ぃんだよ。
こんなところで双子特有の妙な以心伝心的な連帯感を発揮すんなや。
ッてか、本当に通報しようとするやつがあるか。早くそいつを仕舞え」
「ありゃ? やっぱ繋がんないね」
緋澄の言葉を受け、携帯端末を取り出していた遊上は、警備隊に通報できないことを確認すると、「ちぇー」と言いながらそれを鞄に戻す。
「あァ、そうだったな、もういいや。
はっきり言っちまうと、俺ァ、今回の件にテメェらが首を突っ込まないようにするための見張りだよ」
「えぇー、それってしっかり業務じゃないですかぁ」
投げやりな態度で目的を告げる伏見に対し、遊上が律儀に突っ込みを入れる。
「うっせぇ、教師としての業務じゃねぇからいいんだよ。
ッつか、あれな。今のお前ら、見た目が被っててわかりにきぃな。
……もしかして、わざとか?」
「余計な詮索は身を滅ぼすわよ、警備隊大隊長殿?」
「あはは、“元”だよ、お姉ちゃん。
でも、天下の《不滅》様に対してその物言いは、ずいぶんと皮肉が効いてていいよね。
うん、『いいね』しといた」
「当て擦りみたいに古い呼称を使うんじゃねぇッつの。
誰が聞いているかわかんねえんだろが」
緋澄と遊上の微塵も感情を載せない言葉に、伏見は眉を顰め、溜息をつきながら苦言を呈する。
「でも、これは私やお姉ちゃんより先生が悪いと思いまぁす」
「そんな当たり前のことはわざわざ指摘するまでもないでしょ」
「あァ、そぉだな、軽率だった。俺が悪い。
ッつうことで、本題いいか?」
伏見の言葉に、遊上は一歩下がり、黙示で話合いを緋澄に任せるとの意思表示をする。
同時に、緋澄は腕を組みつつ伏見を睥睨し、無言で先を促す。
「まァ、なんだ。この一件、外部に漏らすのは禁止なんだそうだ」
「そう、つまり、やっぱりこの電波障害は意図的ってことね」
「そういうことだ。こっちの都合でさっきのように通話もできねえように設定してる。
本来は対テロ組織用の設備だ。
校内に侵入された際、通信障害を起こすことで連携を阻害するためのもんだな。
こんな使い方するとは思わなかったが。
とはいえ、この敷地から出れば障害はなくなる」
「だから、出てきたと?」
「そういうこったな。
もし、この件を外部に漏らすってんなら、テメェらをしばらくこの敷地外に出すわけにはいかない、ということだ」
会話しながら、伏見は、緋澄らが気付くようにわかりやすく重心を少し前に移す。
これに対し、緋澄は後方にある校門をちらりと一瞥しつつ、質問を繰り出す。
「……いつまで?」
「事態が進展・解決するか、天乃らが全滅するまで、だなァ」
「そう、なら、仕方ないわね。
――押し通るわ」
緋澄は、そう言葉に出すと同時に後ろに逃走の合図を出す。そして、前方の伏見の動きを押さえるべく、『操魔法』を利用した魔力放出による拘束を実行する。
これは天乃らにも使った放出した魔力に性質を付与し、蔦のように対象に絡みつかせる技術である。
緋澄は、今日初めて見聞きして使用したこの技法を、わずか数回の実践のみで完全に感覚を掴み、物にするに至っていた。
緋澄の狙いは、これによって稼いだ数瞬のうちに、《荊の女王》を発動させる下地を整えることにある。
一方、遊上は、緋澄と伏見が会話している間にもジリジリと後退し始めており、緋澄が合図を出す前には、緋澄の声色から正確に緋澄の次の判断を見抜いていた。
そして、緋澄が合図を出した時点では既に校門に向かって駆け出す脚を動かしていたのである。これは、背後からの追撃を想定しない、全速力の“逃走”であった。
だが――
「知ってたぜぇ?
そう来んのはなァ!」
次の瞬間、遊上は目の前にいた伏見にぶつかり、その反動で弾かれたところを伏見に取り押さえられ、地面に押さえ付けられる。
「なッ!?」
驚きの声を上げたのは、状況を確認するために後ろを振り向いた緋澄である。
緋澄は、魔力放出による拘束が空振りしたのを感じ取るのと同時に、自身に向かって高速で移動してきた伏見へに対し、魔術による迎撃を敢行したという認識だったのである。
緋澄の魔術は、遠距離攻撃をするためには、ある程度の下準備が必要であるが、接触距離であれば、大仰な準備を必要としない術式を利用した攻撃が可能なのである。
ところが、伏見は、緋澄の拘束を躱した後、緋澄に向かって攻撃する素振りを見せながら高速で移動していたが、それはフェイントであり、本命は校門に向かって駆け出していた遊上だったのである。
そして、自身の正面に向かって面攻撃を仕掛ける緋澄の横を悠々と迂回し、そのまま遊上の前に回り込むことで、まんまと本命を取り押さえたという構図である。
「これで、終わりだなァ」
「――行ってッ!」
伏見に取り押さえられた遊上は、緋澄に向かって声を張り上げる。
「残念ながら、そいつァねぇ」
「……ッ」
緋澄が返事をする前に、伏見は遊上に声を掛ける。
事実、緋澄は一歩も動けずにいた。
「取り押さえられているのが、逆なら、テメェは迷わずにここを立ち去れたんだろうぜ。
だが、その逆はない。
だからこそ、俺はそっちの緋澄じゃあなく、テメェを押さえることに専念したんだ。
これは、“《荊》”の保有者がどちらかという問題ではなく、単にお前らの個性と優先度の問題だ」
「随分と、知った口を利くのね」
「知ってるさ。
警備隊にも犯罪者用プロファイリングはしっかりと採用されているんだぜぇ?
過去データを見た結果、これが、お前たち二人に対する最適解だと出てんだからよォ。
要は、過去のヤンチャのツケってっヤツさ」
緋澄から射殺すような視線を向けられながらも、伏見は涼し気に回答する。
「ちなみにだが、今テメェがやっている花粉を用いた攻撃も、俺には通用しねぇぞ。
こっちは、単純に相性の問題だがな」
「ちッ!!」
図星だったのか、緋澄は苛立たし気に盛大に舌打ちする。
ただし、緋澄は、そのような冷静さを欠いたかのようなポーズを取りながらも、実に冷酷に既に穏当な解決策を捨て、剣呑なアイデアを実行に移すべく、その考えを渦巻かせていた。
ところが、この一触即発の状況は、続く伏見の意表を突く言葉で霧散した。
「ただ、勘違いするなよ、緋澄。
テメェらの今の行動は称賛に値する。
俺個人としても、天乃を手助けしたいというお前たちの意見には大賛成だ」
「は? 私は天乃なんてどうでもいいんですけど私は狗飼の安否が気がかりなだけだし手助けがしたいのは天空だし」
「……」
「あっ、お姉ちゃんのそこら辺はスルーしてあげてください」
「お、おう……」
ブレない緋澄の意見に、押さえ付けられたままの遊上がフォローを入れる。
「……まぁ、兎に角だ。その件、俺で手を打たないか?」
「……本気?」
伏見の提案は、天乃らの助力に伏見が行くというものである。その提案を聞き、緋澄が先程までとは違う胡乱気な目を伏見に向ける。
というのも、緋澄らは、この伏見が単なる教職員でないことを知っている。
一般論として、魔術師としての評価は、戦闘における強さだけが基準ではないとはいえ、魔術行使により発生する世界への影響の大きさが指標の一つである以上、ある程度の相関関係があるということは周知の事実である。
優秀な魔術師が行使する魔術は、戦闘に転用できるものばかりではないが、主にそういった非戦闘用の魔術を使用する者であっても、護身の心得程度に戦闘用に転用可能な魔術を習得することが多いのが実情である。
緋澄は、その中でも主に一度の魔術行使によって影響を与える範囲の広さが特筆して評価されているものの、対個人戦への評価が低いわけでは決してない。
むしろ、多彩さという点では文句なく最上の評価が出ている部類なのであり、有効射程については言うに及ばずである。
欠点として、出の遅さが指摘できるものの、それを補って余りあるほどの潜在能力は有していると目されている。
緋澄は、北米に存在するとある格付け会社によって三年に一度発表される通称『人間辞めましたランキング』でも、初登場ながらも40位以内と好成績を叩き出している。これは、現在の日本国内では三位、場所を浅木に限れば形式的には一位の成績である。
もっとも、このランキングは、見立てはおおよそ正確との評判こそあるものの、魔術師界隈でも悪名高い者が上位を占めており、その通称からもわかるとおり、一般的には好成績であることは不名誉なこととして扱われている。
ただ、悪名とはいえ、このように魔術師として高い評価を受けている緋澄を実戦において圧倒できている時点で、伏見が単なる学校教員であるはずがないことは自明の理であろう。
実際、緋澄が聞いた噂によると、フリーランス時代の伏見を正規の価格で雇おうとすれば、一回の仕事につき、プロ野球選手の年俸並みの前金が必要となったとのことである。
そのような伏見が、無条件で協力すると申し出ているのであるから、緋澄が胡乱気な反応を返してしまったとしても、それは無理からぬことであろう。
一方の伏見も、緋澄の反応は想定済みだったのか、苦笑を浮かべつつ他意はないことをアピールする。
「あァ、面倒なことこの上ないが、結果的にこれが最適だって話でな」
「これが、最適って?」
「あッと、つまり、そのだなァ――」
「責任の所在からして、収まりがいいって意味なんじゃない?」
「ん? ああ、なるほど、そういうこと。
確かに、狗飼の件は、考えてみれば、この不審者さんの監督不行き届きが原因になるんだものね」
伏見に拘束されたままの遊上の鋭い一言に、緋澄は得心がいったとばかりに頷く。
緋澄の言う通り、狗飼に校舎外周の走り込みを指示したのは伏見である。
そして、その途中に生徒が失踪したというのであれば、明確な不祥事であり、目を離した監督者でもあった伏見が責任を追及されるのは当然の流れであろう。
「そうそう。あとは、警備隊的な意味でも、ね」
「?」
ただ、ついでのように付け加えられた一言に、緋澄は疑問そうに首を傾げる。
伏見は、自分の先程の一言で事情を全て察せられるとは思っていなかったため、意外そうに目を細めて自分の下にいる遊上を見る。
「テメェは……あの師匠の悪ぃところだけを的確に継いでやがるよなァ」
「それは心外。
風評被害もいいとこだよ。
断固抗議するねッ!
でも、ふふふ、意外だねぇ。先生ってば、そんなこと気にしてるのぉ?
いい加減にしとかないと、ハゲちゃうよぉ?」
「それはねぇ」
「体質的には、そうかもねぇ?
でも、こういうのって心労からくるっていうしぃ?」
余裕そうに揶揄する遊上に、伏見が真顔で答え、更に遊上がニマニマと笑顔を浮かべて伏見を煽る。
とても、上から押さえつけられている人間の反応ではない。
「ちなみに、もしその提案を断ったら?」
このままでは収拾がつかなさそうだったため、緋澄が強引に話を前に進める。
「テメェらをここで気絶させて、然るべき処置を施した後、やっぱり俺が行くことになるよなァ」
「なら、気絶するだけ損ね。
真理、構わないでしょ?」
「かの生ける伝説――英雄《不滅》様の助力に文句を付けられるほどの上策があるワケないじゃん」
緋澄の割り切った態度に、伏見の下敷きにされている遊上も同調する。
「決まりね。さっきの話には乗るわ。
私たちは情報を外部には漏らさない。
なんなら、私が《契約》したっていいわ。
だから、さっさと真理を放しなさい。
――いい加減、セクハラで告発するわよ」
「あ、あァ」
緋澄の若干怒気の入り混じった声に応え、伏見が、押さえつけていた遊上の上から退く。
遊上は服に付いた砂や小石を手で払いながら立ち上がると、伏見に対して今更ながらの疑問をぶつける。
「ただ、私としては、さっきの話に出た辰上との相性は気になるかなぁ。
先生がおよそ無敵なのは知ってるけどぉ。
私の知る限りの情報では、ぶっちゃけ相性はよくないっていうか。
むしろ悪そうなんですけど」
「そこんとこ、どうなの? どうせ、私たちの話は聞いてたんでしょ?」
これらの問いに伏見は、「さァな」と述べ、肩を竦める。
「「は?」」
「生憎、相性なんか考えて立ち回った経験がねぇもんでな」
「あ、こいつ情報以上の脳筋だよ、お姉ちゃん」
「ある意味、割り切ってんのね」
不敵ともいえる伏見の言葉を、遊上が笑顔で茶化し、緋澄が呆れたように感想を漏らす。
ただし、緋澄は溜息を挿みながらも自分の考えの続きを口にする。
「でも、それが結果的に正解ってことなんでしょ。
どこに使っても相乗効果は期待できないけど、一定の戦果は確実に稼いでくるってタイプかしら」
「なんか爆弾みたいだね」
「実際の俺の軍での運用法はそんな感じだったぞ。
敵陣に放り投げて、あとは自力で帰ってくるまで放置ってのが、お偉方が考えた俺を有効に使い切るための『作戦』なんだと」
「雑ッ!! 毎回そんな雑な切られ方してんのに、なんで未だにそんなにピンピンしてるの? いつ死ぬのッ!?」
「っていうか、使い切るって。
それ、軍側もなんとかしてあんたを殺そうと躍起になってたんじゃ……?」
「どっちでもいいだろ、んなこたァ」
伏見は「過ぎたことだ」と投げやりに述べ、会話を打ち切る。
ちなみに、1980年代から始まった魔術資源獲得戦争は、国際的に見ても各国に非常に大きな影響を及ぼしており、その一環として、日本でも1996年には憲法改正が実施されている。
これにより、同年より正式に日本軍が合憲的に存在している。
ちなみに、自衛隊は、組織再編により、そのほとんどは日本軍に接収されたものの、一部は山岳救助隊や水難救助隊などに合流しつつ、2036年現在では主に災害救助を主目的とする組織として、名前だけを残すに至っている。
「んじゃまァ、話は済んだし、俺はもういくぞ」
「あら、《契約》とかは要らないの?」
「あァ? メンドくせぇ。
俺が行くんだ。んなもんなくたって、情報を外に漏らす理由がもうなくなっただろうが?
それとも、ここの地面で一夜を明かしたいってんなら、止めねぇがなァ」
「やめやめ、お姉ちゃん。
この人に交渉とか駆け引きとか難しいこと期待したら駄目だよ?
云いたいことがあるなら、はっきりと口に出して言わなきゃ」
「……別に、特に何もないわ」
「意地っ張り」
双子の姉妹のやり取りに、立ち去ろうとしていた伏見が足を止める。
「んだァ? なんか言いたいことがあるなら聞いとくぞ、ほれ」
「ほれほれ、言っちゃえ言っちゃえって」
「……何でもないわ。ただ――」
緋澄は、横で囃し立てる遊上を一瞬睨むと、徐に噤んでいた口を開く。
「ただ――ちゃんと連れ帰ってきなさいよ」
「は?」
「くれぐれもみんなをよろしくね、って意味だよ、センセー」
緋澄の精一杯の言葉の含意を遊上がよりわかり易く伝わるレベルにまで翻訳する。
「あァ、なんだ。言われるまでもねぇよ、んなこたァ」
伏見はそういうと、天空と同じように、跳躍による屋根伝いの移動を開始する。その姿は、数秒で緋澄らの視界から消え去ってしまった。
「真理、あなたね――」
「ゴメンって。
でも、これは私の役割じゃないでしょ」
「そうね」
「で、お姉ちゃん、どうする?」
「どうって?」
「とりあえず、研究室まで行こっか。
待機命令、出るでしょ? この調子だと。
無駄になると思うけどねぇ」
「それも、そうね」
そういうと、姉妹は連れ立って第三高の正門に向かって進んでいく。
「真理、バイトは?」
「今日はパスしようかなぁ。
店長が上手くやってくれるでしょ。
そのために雇ったわけだし?」
「自分の雇用主をバイトで雇ってるなんて知ったら、どう思うのかしら」
「さすがに店長を見くびり過ぎだよ、お姉ちゃん。
雇用主と顔合わせもできずに、あんな怪しい稼業の名目上の責任者に採用されてるんだよ?
しかも、それだけじゃなくて、こんなサボりがちな小娘を無理やりバイトとして押し付けられて、クビにもできないんだもん。
訳アリなことくらい、とっくに気付いてるでしょ、さすがに」
そういって、遊上はバイト先に連絡しようとして、電波状態がまだ回復していないことに気付く。
「敷地からちょっと離れたところなら繋がってるわよ」
先行して敷地外に出ていっていた緋澄が携帯端末の画面を見せながら遊上に声を掛ける。
遊上は緋澄に続いて敷地外に出てから、バイト先に連絡を入れようとしたところで、「お待ちしてましたぁ」という明るい声が二人に掛けられる。
声を掛けてきたのは、私服姿の三十代くらいの男女二人組のうち、女性の方であった。
緋澄は、彼らに見覚えがなかったため、遊上の反応を横目で見るが、どうやら見覚えがなさそうなのは同様であった。
だが、状況から二人の正体に当たりを付けた緋澄は、開口一番、それを口にする。
「あなたたち、警備隊ね」
「あれ? わかっちゃいます?」
「話が早いのはいい。手間が省けて助かる」
物腰の柔らかい女性が茶目っ気を出しつつ親しみやすさをアピールするが、武骨な男性の口調がそれを台無しにしている。
「もう、室戸さん。そんなに殺気を振りまかないで下さい。
後ろの子――遊上さんが、怯えてますよ?」
「冗談は止せ、小渦隊員。
自分は元からこうだ」
「ごめんなさいね、この人が怖がらせちゃって」
「――い、いえ、問題ないです。はい」
恐縮した様子で回答する遊上に対し、女性の方が小渦、男性が室戸という名であることを確認した緋澄は、その身元を手持ちのデータベースで照会するよう見えないように、ハンドサインを出す。
それに気づいた遊上は、「あの、バイト先に休むって連絡したいんで、用件はお姉ちゃんにどうぞ」と述べ、その場から離れようとする。
「いや、待て。もう察しているだろう。
自分たちは伏見特別顧問から指示を受けてここにいる。
君たちが外部へ連絡を取る際は、機密保持のため、通話は禁止させてもらう。
アプリやSMSによるメッセージの送信は、事前に連絡先の照会と内容の検閲をした上でのみ許可することとなっている」
「本当にごめんなさいね」
有無を言わさぬ室戸の淡々とした語気と、心底申し訳なさそうに謝罪する小渦の態度により、遊上の動きは止まり、緋澄は内心で舌打ちをする。
なお、室戸は堂々と憲法上禁止されているはずの検閲を行うなどと告げているが、そもそも忘れがちなことながら、警備隊は公的機関などではないため、これは憲法によって禁止されている検閲には当たらない。
警備隊は、法的にはあくまで浅木という教育機関内における治安維持のため、浅木大学が業務委託している外部組織という位置づけなのである。
だが、それだけに、浅木のお墨付きさえあれば、普通の警察には捜査法上の縛りによって到底不可能な手法ですら、警備隊であれば罷り通ることがある。
そもそも、現状は日本法に限らず、各国の法律は魔術によって可能な行為に対する制約を大枠でこそ定めているものの、個別具体的な事案には未だに十分な法整備が為されているとは言えないと評価されている。
そういった事情もあり、この浅木内では、浅木における学問の自由から派生した大学の自治が拡大解釈され、部分社会の法理が柔軟に認められる傾向にある。
遊上の動きが止まったのは、こういった警備隊の権限の大きさを知ることから生じた結果である。
しかし、一方で遊上は、緋澄の内心の苛立ちを気配だけで察しており、緋澄の先程の行動とその意味に既に辿り着いていた。
「えっと、さすがにバイト先への欠席の連絡くらいは、電話でした方がいいかなって思うんですけど、常識的に。
メッセージを飛ばしただけだと、店長から電話が掛かってくるかもしれませんし」
そこで遊上は、まず本命を前に常識を盾に条件の緩和から試みる。
「どう思う、小渦隊員」
「そうねぇ。じゃあ、その電話に私が隣で立ち会っていてもいいかしら」
「ええ、いいですよ。
要は、今日のことを喋らずに、休むって言えばいいってことで」
「そうそう」
同意を示す小渦の反応を見た後、遊上は自然な動きで緋澄の方を向き、会話を本命の狙いの方向に誘導し始める。
「お姉ちゃんは? どこかに連絡しとく?」
「――その予定はないわ」
「だったらさ。電源切って預かってもらえばいいじゃん。
どこにも連絡できないように」
「ああ、なるほど。確かに、それは名案ね」
緋澄は、遊上の提案の意味に気付くと、即座に携帯端末を取り出し、電源をオフにする。そして、そのままスマートフォンを小渦に差し出す。
「私たちへの情報封鎖措置が終わるまで、預かっていてもらえる?」
「ええ、わかりました。責任をもって預かります」
こうして緋澄は、校舎の敷地外に出た直後には既に情報を送信済みであった携帯端末を、小渦へと手渡す。
緋澄が危惧していたのは、最新のメッセージの送信履歴を見られることだったのである。
もちろん、プライバシーを盾に全力で拒めば、何ら正当な権限のない彼らは諦めざるを得ないだろうが、不信感を持たれるのは確実であり、それが伏見との関係悪化につながるのは、現状としては避けたいことである。
そこで、それら全てを瞬時に察した遊上の機転により、その端末から情報が発信されることはないという偽りの安心感を与えることで、その調査そのものを回避したのである。
「じゃあ、とりあえず。研究室までの送迎、よろしくね」
気掛かりが消えた緋澄は、余裕をもってそう宣言した。




