手段と成り果てた支配、超越者が齎す緩やかな滅亡
2036年6月7日午後4時31分
「……辰上の討伐って。
辰上ってのは、アンタのことじゃないのか?」
「逆に問うが、仮にそうだとして俺の話はそこまで奇異なものか?」
天乃の問いに対し、《無貌》の男が鷹揚に問いを返す。
そして、天乃はその問いには即答できず、閉口する。
その様子を見た《無貌》の男は一息吐くと、独り言でも述べるかのように自身の考えを開陳し始める。
「自らが、遠からぬ未来に人の世を滅ぼす厄災と化そうとしている。まぁ、正直、人の世の趨勢など、俺にとってはどうでもよい。元より、大した帰属意識もないからな。
かといって、積極的に滅ぼさんとする動機もない。つまり、人の世を滅ぼすのは俺の意志ではないということだ。俺が俺でなくなり、俺の本意でないことをしようとしている。であれば、許せる道理がなかろうが」
そのとき、《無貌》の男から確かな怒気が漏れたのが天乃にも感じられた。
なるほど、この傲岸不遜なこの男にとっては、自我を失うというのは、耐え切れぬ屈辱なのであり、世の趨勢とは比肩し得ないほどの重大な関心事なのかもしれない。
だが、天乃には、それを踏まえても、なお疑問が残った。
「あぁ――っと、討伐の対象は、『亡霊』であって、アンタじゃないってのは、なんとなくわかった。だが、いくつか確認したい。なぜ、その『亡霊』が表に出てきていないんだ? 英莉の話では、三年前には出ていたそうだが?」
「単純に、奴は未だに昏睡中だ。俺に施されていた封印は、主に奴を封じるためのモノだった。要は、現状では、影響が軽微だったが故に先に目覚めた俺が一時的に肉体の主導権を握っているに過ぎん。奴が目覚めれば、一瞬でこれが逆転する。無様な話だが、俺では奴には抗いきれん」
あっさりと内情を話した《無貌》の男に、天乃は続けて質問を繰り出す。
「次だが、そもそも、前提となっている世界の破滅ってのは、いったいどういうことなんだ? 『亡霊)』とやらは『支配)』の“起源”の極点――その具現化のような存在なんだろう?
だったら、その『支配』の対象となるはずの人を世界ごと滅ぼそうとするなんて、おかしくないか?」
「なるほど、もっともな疑問だな。だが、まずは一つ、貴様の認識を訂正する。奴が滅ぼさんとするのは、あくまで現行の“人の世”だ。世界ではない。そして、貴様の疑問を端的に説明するならば、奴が『支配』の対象とするのは、奴が認める『人』だけだということだ」
「……つまり、現行人類は、奴にとっては『支配』すべき『人』ではないってことか?」
「正確には、魔術を用いる素養のない『人未満』の存在を間引くつもりのようだ」
現在の地球人口のうち、魔術を扱う者の比率は7パーセント弱とされている。
つまり、『辰上の亡霊』とやらは、世界人口の90パーセント以上を殺害すると宣言しているに等しい。
そして、仮にそれが叶うならば、確かに、人の世を現在の形で維持することは不可能となるであろう。
「確かに、そういった意味では、『現行の人の世を滅亡させる』というのは、強ち間違った表現ではない、のか?」
「いや、そのような生温い話ではない」
「はい?」
天乃が納得しかけた理解を《無貌》の男が苦々し気に否定する。
「間引きを終えた奴は、残った人類を『支配』し始めるだろうよ。だが、忘れてはならないのは、奴の目的は『支配』による『統治』ではなく、『支配』そのものだということだ。つまり、常人にとっての手段が目的化しており、その先はない。待ち受けるのは、人の文明の終焉と緩やかな滅亡だけだ。信じがたい話だが、奴はこれを自ら望まず引き起こす。最期まで、人類が滅亡する原因に心当たりを持てぬままな。
だからこその厄災なのだ」
目的なき支配は、人類への抑圧と停滞だけを生む。
新しい価値観は、古い支配体制を淘汰し、時として支配の及ばぬ領域を生み出すからだ。
だからこそ、目的なき支配の行きつく先は、文字通り、永遠の現状維持となる。
実際のところ、現状を維持するだけであっても、発展は不可欠なのだが、支配体制の崩壊の要因となり得るそれを『亡霊』は決して許さない。
人類は発展する術と機会を失い、やがて有限の資源を消費し尽くすまでそれが続くこととなる。
それを回避しようと奔走すること自体、『亡霊』の支配に対する反逆なのであり、『亡霊』は決して認めない。
だが、目的なき『亡霊』はその“次”に備えることなどするはずもない。
『亡霊』は未来など見ていないし、資源の枯渇という問題は、『亡霊』の敷いた支配の維持には、直接的には影響を及ぼさないからだ。
そして、緩やかに人口減少が続き、人類は衰退し、滅亡の一途を辿る。
目的のない支配衝動がもたらすあまりに救いのない未来図に、天乃は軽い頭痛を覚える。
しかし、同時に、今までの話と、英莉から聞いた『辰上の亡霊』の人格からすると、それは十分にありえそうな未来だと“直観”してしまう。
とはいえ、これをもっても天乃の当初の疑問が解消されたわけではない。
「じゃあ、質問を続けるが、そんな大規模な人類の間引きなんて、実際にできるものなのか?」
そう、《無貌》の男の話は、この点がそもそもの前提となっているわけだが、天乃としては、一個人が人類全体に勝利するという図式自体が、どうにも荒唐無稽に感じてしまうのだ。
「ふむ、天乃慎よ。【超越者】――という言葉に聞き覚えは?」
「何度か英莉から聞いたけど、意味までは聞いてないな……そんな雰囲気でもなかったし。なんとなく、字面から人間を超えた存在というイメージしか」
「ハッ、あれは、人から生じるモノではあるが、既に人の域にはいないモノだ。諸人を超克した存在であり、もはや人類にとっては“天災”に近い概念とすら云える。
厄介なのは、『人から生じ、人を超えた』という点だ。その意味で、【超越者】は、総じてその存在基盤そのものに人類に対する明確な優位性が存在する。奴らは、各々が人類では抗えないだけの能力を保有しているのだ。出現頻度は稀ながら、正真正銘の人類に対する脅威なのであり、対処を誤れば、人類は容易に滅亡する。所謂人類史存続の危機というヤツだ」
《無貌》の男はそこで言葉を切ると、ボトルに残った液体を全てグラスに注ぎ、一気に飲み干す。
「例えば、《王の法》はまさしく人類に対する優位性を具現化したような術式と云えるだろうな。対人類特効魔術式など、人を越えし【超越者】ならではのチョイスだとは思わんか? 現状、“人の王”たる俺が使っているからこそ、この程度の影響で済んでいるに過ぎん。【超越者】が使用すれば、効用も範囲も段違いとなる」
仮に《王の法》の範囲が広がり、広範囲に同時に先程の雷を降らせることできるとすれば、それだけでかなりの脅威となるものと思われる。
そして、副次的機能である術式再現によって、次々と他の魔術師の魔術を取り込んでいけば、即座に手のつけようがなくなっていくのは想像に難くない。
「いろいろと追加の疑問は湧いてきたが、確かに、それなら人類滅亡の可能性もあるかもしれないな。ただ、その割に、【超越者】に対する反応より、【討伐令】に対する反応の方が大きかったような気がするけどな」
「無理もなかろう。先程の俺の【超越者】に関する説明は一般的な理解ではない。世間では、【超越者】といえば、『ちょっと人の道を踏み外した魔術師』くらいの認識だ。意図的に情報が制限されているからな。悪名高い【討伐令】の対象者という方が余程インパクトがあるだろうよ。とはいえ、元エリザベート・ナイトウォーカーは【超越者】の正しい意味を理解していたはずだがな」
思い返してみると、確かに遊上や天空は、【討伐令】対象者が危険との前提で発言をしていたように思うが、英莉だけは一貫して【超越者】の危険性を説いていたように思う。
それどころか【超越者】は「ニンゲンではない」とも明確に発言していた。
そういった意味で、英莉だけは認識を歪められつつも、正しく状況を説明していたのである。
「じゃあ、最後の質問だ。『亡霊』とやらに本体はあるのか? つまり――」
「俺が死ねば、万事解決ということなら、なぜ俺は自ら死を選ばないのか、ということだろう?」
《無貌》の男は、天乃の質問の意図を正確に理解し、その疑問に回答する。
「当然、そうできるのであれば、それは選択肢の一つであった。同じ身体を用いている以上、切り離せぬのなら致し方あるまい。俺ごと、かの『亡霊』を存在を消し去るのも吝かではないと、考えはした。
だが、業腹なことに、俺はこう見えて、奴から行動にいくつかの制限が課されている。その中の一つに、自身の命に直接危険をもたらす行為の禁止が含まれる。こうして貴様と会話することで、間接的に危害を招くこと禁止されておらんがな。
故に、貴様の発想は実に正しい。俺を殺せるというのであれば、それでも構わんぞ。ただし、俺はそれに全力で抗わねばならん。不作為すら許されん身であるが故な」
つまり、天空を排除したのは、正当防衛だったということなのだろう。
確かに、《無貌》の男の方からもいろいろと挑発をしていたようにも思われるが、先に臨戦態勢に入ったのも、不意打ちによる攻撃を仕掛けたのも、いずれも天空である。
そして、天空は、文字通り最後まで《無貌》の男の喉笛を噛み切らんと飛び掛かっていたのであるから、排除もやむなしだったということなのだろう。
「さて、わざわざ貴重な時間を割いてここまで説明してやったのだ。よもや、協力を拒むなどとは云い出さんだろうな?」
「それは、内容による、としか。だいたい、アンタは、オレに何を期待しているんだ? この世界の命運なんて、握りたくもないんだが」
「ハッ、人の世の危機を前にして、ずいぶんと悠長な奴だ。言っておくが、貴様には本来選択肢などないのだぞ? だが、なに、俺は不可能を強いるほど無能でもない。貴様には、【覚醒者】へと至ってもらうだけだ。今日、ここで」
「【覚醒者】?」
「【超越者】が破壊不能な暴走した終末装置だとすれば、【覚醒者】は装置の外付け緊急停止スイッチ――いや対終末装置専用破壊兵器だ。破壊不能を破壊する――この矛盾を体現できるのが【覚醒者】という存在だと思え。本来、この措置に貴様の自発的な意志は、ある一点を除いて必要がない。条件さえ満たせば、勝手に『成ってしまう』モノなのだからな。
だが、それ故に、条件さえ理解していれば、人工的に“その状況”を作り上げてしまうことも可能なのだ。事前に状況を説明したのは、せめてもの慈悲という側面はあるが、この状況を整えるのための条件の一つでもあったわけだな」
《無貌》の男の不穏な物言いに、天乃は遅まきながら、状況の最悪さを自覚する。
この云い振りからして、この《無貌》の男は、自身が【超越者】になることが避けられないと見込んで、その対抗手段として、天乃を【覚醒者】とやらにすると述べているのだ。
【覚醒者】の詳細は不明だが、対となる【超越者】の存在からして、きっとそれは碌なものではない。
最低でも、人間を辞めることにはなるだろう。
「それは、どうやって成るって?」
「そう急くな。まだ、最後の条件のための役者が揃っておらん。
――ん?」
天乃が時間稼ぎのために適当に発した言葉に反応した《無貌》の男は、返答した直後、空になったワインボトルを無造作に天乃の背後の扉へと投げつける。
しかし、そのワインボトルは扉にぶつかることはなく、直後に扉を開けて部屋の中に入ってきたスーツ姿の男によってあっさりと掴まれる。
ワインボトルを受け止めたその手には、薄手のグローブが嵌められている。グローブと言っても、その見た目は、防寒具というより、ツーリングやサイクリングに用いられるものに近しい。
そして、ワインボトルを受け止めたときに聞こえたわずかな金属音からして、機能としては、おそらくメリケンサックと同類なのであろう。
「――ッぶねぇなァ。当たったら痛ぇだろ?」
「……なッ!? 『不滅』……」
「よぉ、思い出したか? 馬鹿野郎」
そう言って部屋に入ってきたのは、緋澄や狗飼が所属する第三高校の一年一組において、魔術の座学を担当する教師――伏見鋼一であった。
部屋に入ってきた伏見を目視した途端、《無貌》の男は頭痛を覚えたかのように頭を押さえる。
「何の、話だ。俺は、知らない……はずだ。そうとも、貴様が誰かなど、知ろうはずも、ない」
「そうかい? だが、呼んだよなァ? この俺を、『不滅』と」
「黙れ」
「天乃ぉ、呼んだよなァ?」
「え? いや、呼んだかは知りませんが、確かになんかそんなことは云ったような気がしますね」
天乃にとっては、伏見は見覚えのない者であるが、急に名前を呼ばれたため、内心の焦りを隠しつつ、とりあえずどっちつかずの回答でお茶を濁しておく。
その伏見に対しては、天乃の“直観”が最大限の危険を知らせてくる。
天乃が今までに見てきた存在の中では、未だに顔すら“視えない”目の前の辰上と思しき《無貌》の男と、目視しても測定不能だった『殺し屋』の二人を除外すれば、英莉こそが最も理不尽な存在であった。
しかし、伏見からはそういった理不尽すらも呑み込みかねないほどの暴威を感じとったのである。
まるで、理性を備えた“暴力”が服を着て歩いているかのようである。
「そらみろ。呼んだってよ」
「……貴様との問答に付き合うつもりはない。出し惜しみは――できるはずもないか。場所を移すぞ、天乃」
「お? 逃げるってのか?」
「《俯瞰地図》
《天空召喚――“狂魔狼形態”》ッ!!」
《無貌》の男が机上の何かを操作しつつ、二つの魔術を同時に行使する。
すると、《無貌》の男と天乃の姿が部屋から掻き消え、代わりに巨大な銀狼が現れる。
その狼は既に臨戦態勢であり、即座に目の前の伏見へと飛び掛かる。
しかし、伏見と接触した瞬間、ガキンッという牙が鳴る音と共に、その巨躯が空中で制止する。
大狼の咢は、スーツの袖の上から伏見の左腕を的確に穿ち貫いていた。だが、伏見は敢えて左腕を差し出すことで、大狼の動きを止めたのである。
そして、伏見は凄惨な笑みを浮かべ、空いた右手の拳を握る。
「おぉおぉ、いいように遣われてんなァ。けどま、悪ぃのは、理性を手放すほどの大技を見せたにもかかわらず、相手を仕留め損なったテメェだぜ。しっかりと――反省しろやッ!!」
そして、そのまま握った拳を大狼の眉間に向かって振り抜く。
次の瞬間、大狼の頭蓋がひしゃげる音、伏見の拳が砕ける音、伏見の右腕の筋繊維が弾け飛ぶ音など、耳を塞ぎたくなるような不快な音が室内に鳴り響く。
そして、伏見の一撃を受けた大狼の存在感が薄くなり、瞬時に掻き消える。
伏見の一撃は、召喚体が現界を維持するために必要な魔力で編まれた肉体を、修復不可能なほどに損傷させることで、強制退去を誘発したのである。
(ちぃと脆すぎんなァ。正規召喚じゃねぇのか? 或いは――)
振り返った伏見は、ドア越しに、廊下一面に現れた大量の大狼を目撃してしまう。
「なぁるほどね。つまり、こいつァ、反省し足りねぇってことなのかねぇ。だが、俺も暇じゃあねぇんだ。さっきみてぇな厳しい指導はもうできねぇぞ?」
伏見は獰猛な笑みを浮かべると、ドアを閉めて籠城するなどという安易な選択肢には見向きもせず、喜々として廊下へと飛び出していく。
そして、大狼の群れに拳が砕けたはずの右手で殴りかかっていった。




