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Replica  作者: 根岸重玄
登校騒乱編
56/286

玉座に座す者

2036年6月7日午後3時56分


「こちらのようですね。では,()ろします」


 天空(てんくう)小脇(こわき)(かか)えられていた状態(じょうたい)天乃(あまの)は,順調(じゅんちょう)研究棟(けんきゅうとう)内部ないぶへと侵入(しんにゅう)を果たしていた。

 天乃(あまの)が見ていた限り,天空(てんくう)は10分ほど前に何かの接近(せっきん)感知(かんち)した。

 そこからは天空(てんくう)指示(しじ)に従い,(せま)る何かから(とお)ざかるような軌道(きどう)(えが)いて進んでいたようであるが,5分ほど前に再び(かみなり)が落ちたのを確認した途端(とたん)天空(てんくう)突如(とつじょ)として蛇行(だこう)()め,急いだ様子で天乃(あまの)の身体を持ち上げると,()ぶようにまっすぐ建物内(たてものない)を目指し(はじ)めたのである。

 そして,そのまま建物(たてもの)接近(せっきん)すると2階の(まど)に向かって跳躍(ちょうやく)し,それを蹴破(けやぶ)ることで中に侵入(しんにゅう)し,現在に(いた)るというわけである。


「こちらです。急ぎましょう」

「お,おう」


 建物内(たてものない)解放(かいほう)された天乃(あまの)は,天空(てんくう)(まよ)いのない(うご)きに(したが)って後ろをついて行く。

 おそらく,天空(てんくう)は何かに気付(きづ)き,それを()えて(だま)っているようであるが,天乃(あまの)はそれを聞き出す意味は(うす)いとの“直観(ちょっかん)”に(したが)い,ここでは(たず)ねないこととしたのである。

 その後,侵入(しんにゅう)してすぐ(そば)にあった階段(かいだん)を上がったことから,ここは建物(たてもの)の3階のはずである。

 建物(たてもの)3階は,周囲に人気(ひとけ)は一切なかったが,階段(かいだん)(のぼ)った(さき)()き当たりに見える部屋(へや)にだけは()かりが(とも)されている。

 天空(てんくう)は,天乃(あまの)に止まるように身振(みぶ)りで指示(しじ)を出すと,単身(たんしん)()かりの()いている部屋(へや)へと近づく。

 しばらくして,階段付近(かいだんふきん)待機(たいき)していた天乃(あまの)のもとに戻ってきた天空(てんくう)によると,(とびら)(かぎ)はかかっておらず,ブービートラップの(たぐ)いも仕掛(しか)けられていないとのことである。

 そして,中からは人の気配(けはい)がするとのことであった。


「いかがいたしましょう。

 《天眼(てんげん)》の反応(はんのう)のある5階を目指(めざ)すべきなのでしょうが,如何(いかん)せん不審(ふしん)すぎるかと」

「それには同意見(どういけん)だが,ここは5階を優先(ゆうせん)しよう」


 詳細(しょうさい)理由(りゆう)天乃(あまの)にも説明(せつめい)できないが,ここは上階(じょうかい)優先(ゆうせん)すべきという“直観(ちょっかん)”に(したが)って,天空(てんくう)(さき)(うなが)す。


「んで,そっちのお嬢様(じょうさま)を見つけたら,(すき)を見て連れ出して,とっとと脱出(だっしゅつ)だ。

 想定外(そうていがい)事態(じたい)が起こってるわけだし,英莉(えり)も残して来てるわけだしな」

「よろしいのですか? 一発お見舞(みま)いするとかなんとかは」

「……さっきは英莉(えり)の手前ああいったが,そういった個人的(こじんてき)遺恨(いこん)はこの際,無視(むし)だ」


 揶揄(からか)うような口調(くちょう)(たず)ねる天空(てんくう)に,天乃(あまの)はぶっきらぼうに返答する。


了承(りょうしょう)しました」


 そのような天乃(あまの)の態度に,微笑(ほほえ)みを()かべて返事をした天空(てんくう)は,思い(なお)したかのようにすぐに表情(ひょうじょう)()す。

 そこから天乃(あまの)先導(せんどう)するように,近くにあったエレベーターを無視(むし)して,階段(かいだん)で5階を目指(めざ)(はじ)める。

 天空(てんくう)がエレベーターを()けたのは,遠隔(えんかく)操作(そうさ)で中に閉じ()められる危険性(きけんせい)考慮(こうりょ)したためである。

 しかし,その後も特段(とくだん)妨害(ぼうがい)支障(ししょう)もなかったため,あっさりと5階にまで辿(たど)り着けてしまう。

 すると,正面(しょうめん)には他の階のいくつもの部屋(へや)(かべ)をぶち()いて1つに(つな)げたかのような広さの部屋(へや)が目に入る。

 そこにも明かりは(とも)されており,中からは人の気配(けはい)がする。

 天空(てんくう)の《天眼(てんげん)》の反応(はんのう)もここからしているようで,天空(てんくう)には今にも電子錠(でんしじょう)(とびら)物理的(ぶつりてき)(やぶ)って部屋(へや)に飛び込みそうな(いきお)いである。

 それを(うで)をつかむことで()めた天乃(あまの)は,(とびら)天空(てんくう)の間に身体(からだ)()り込ませることで道を(ふさ)ぐ。

 そして,少し憮然(ぶぜん)とした表情(ひょうじょう)を浮かべた天空(てんくう)に声を掛ける。


最終(さいしゅう)確認(かくにん)だ。

 《天眼(てんげん)》で映像(えいぞう)は見れないままか?」

「……はい,この天空(てんくう)把握(はあく)できるのは位置(いち)情報(じょうほう)だけです」

「なあ,天空(てんくう)さん」

「はい,なんでしょうか」

「オレに何かを期待(きたい)しているんじゃないのか?」


 天乃(あまの)の言葉に,天空(てんくう)一瞬(いっしゅん)口を(つぐ)むと,少し考える素振(そぶ)りをして,おそらく初めから決まっていたであろう回答(かいとう)を口にする。


「――()()

 同行さえしていただけるのであれば,その後はこの天空(てんくう)が何とか(いた)します。

 ()いて言うなら,この天空(てんくう)の身に何かあった場合には,お嬢様(じょうさま)(すく)っていただきたいとは思っておりますが。

 それも,期待(きたい)まではしておりませんよ」

「……そのときは,できる範囲(はんい)善処(ぜんしょ)するさ」


 天空(てんくう)から『だって,()が重いでしょう?』との言外(げんがい)指摘(してき)を受け,天乃(あまの)は気まずそうに玉虫色(たまむしいろ)の回答を返すことしかできない。


「それは――気休(きやす)めにしては,上出来(じょうでき)ですね。

 安請(やすう)け合いをしないというのは美点(びてん)です。

 では,参りましょうか」


 そうあっさりと言って,天空(てんくう)天乃(あまの)()けて前に進み,(とびら)に手を掛けようとする。

 すると,電子錠(でんしじょう)(はじ)めから掛かっていなかったのか,(とびら)はそのまま自動(じどう)で開いた。


「ずいぶんと,遅い到着(とうちゃく)だったではないか?

 まぁ,大方(おおかた),例の“土竜(もぐら)”の仕業(しわざ)だろうがな」


 (とびら)の先から男の声が聞こえてくる。

 その声の方を向くと,部屋(へや)乱雑(らんざつ)()まれた様々な計器(けいき)機器(きき)(かこ)まれた男が椅子(いす)(こし)かけている様子が目に入る。

 天乃(あまの)は,その男の顔に見覚(みおぼ)えがなかった。

 しかし,その顔に対し,そもそもこれは顔なのだろうか,という漠然(ばくぜん)とした疑問(ぎもん)が浮かんだ。

 天乃(あまの)は,男の目や鼻や口などのそれぞれの部位(ぶい)をはっきりと目視(もくし)できている。

 だが,これを1つの『顔』という()(とら)えようとしたとき,突如(とつじょ)として実体がつかめなくなる感覚に(おちい)るのだ。

 顔を(おお)模様(もよう)あるいは仮面(かめん)を見ている感覚(かんかく)に近い。

 なまじ本当の顔が見えているから,それが仮面(かめん)だと気付(きづ)けないかのようでもある。

 違和感(いわかん)困惑(こんわく)する天乃(あまの)は知る(よし)もないが,これは《無貌(むぼう)》と呼ばれる認識阻害効果(にんしきそがいこうか)のある固有魔導(こゆうまどう)によるものである。


「さて,(まね)かれざる客もいるようだが,一応,()べておくか。

 ようこそ,俺の(しろ)に。

 ま,(しろ)というには少々現代風(げんだいふう)過ぎるが」

辰上(たつかみ)の方とお見受(みう)けします」


 違和感(いわかん)の正体を(つか)めずに硬直(こうちょく)する天乃(あまの)に対し,《無貌(むぼう)》の男の顔に特段(とくだん)の違和感も(おぼ)えなかった天空(てんくう)は,物怖(ものお)じすることなく,単刀直入(たんとうちょくにゅう)用件(ようけん)を切り出す。


当方(とうほう)狗飼(いぬかい)にて使用人(しようにん)(つと)めております,天空(てんくう)(もう)します。

 此度(こたび)は,こちらに当家(とうけ)朱音(あかね)嬢様(じょうさま)がお邪魔(じゃま)していると(うかが)い,お(むか)えにあがった次第(しだい)

 お嬢様(じょうさま)何処(いずこ)におられるでしょうか?」

「ほぉ,俺の(しろ)無礼(ぶれい)にも2階から(まど)()って土足(どそく)侵入(しんにゅう)した(ぞく)の言い(ぐさ)とは到底(とうてい)思えんな。

 礼節(れいせつ)(まも)られるべきだとは思うが,やはり時と場合があるのではないか?」


 《無貌(むぼう)》の男は,若干(じゃっかん)愉快気(ゆかいげ)な声を上げて天空(てんくう)に言葉を返す。

 その言葉はあまりに理路整然(りろせいぜん)としており,反論(はんろん)余地(よち)がない。

 そこからは,英莉(えり)(ひょう)する人物像(じんぶつぞう)とはかけ(はな)れた知性(ちせい)を感じるほどである。


「確かに,未成年者(みせいねんしゃ)略取犯(りゃくしゅはん)を前に,これは少々迂遠(うえん)なアプローチでしたね。

 本来(ほんらい)礼節(れいせつ)()くすべき相手ではなかったのですから,それも当然(とうぜん)ですか。

 とはいえ,この態度(たいど)職業病(しょくぎょうびょう)のようなものですので,(ひら)にご容赦(ようしゃ)を」


 慇懃(いんぎん)に返す天空(てんくう)の言葉には,強烈(きょうれつ)皮肉(ひにく)が込められている。

 《無貌(むぼう)》の男の顔は,(いま)だにはっきりとはしないが,(まゆ)部位(ぶい)不快感(ふかいかん)(しめ)すように動いたのを天乃(あまの)は確認する。


「ハッ,“略取(りゃくしゅ)”とは()なことを。

 自らの意思(いし)積極的(せっきょくてき)に付いてきた者をこの俺が略取(りゃくしゅ)したと!?

 侮辱(ぶじょく)(はなは)だしい()()かりだぞ,(いぬ)

 そも,この俺が他者より何かを(うば)う必要などあるものかよ。

 必要なものは,その時までに自然(しぜん)手元(てもと)にあってこそ“(おう)”の度量(どりょう)よ。

 わかるか? 必要なものを必要な時に(もと)めているようでは二流以下(にりゅういか)なのだ。

 前提(ぜんてい)()(ちが)えるなよ?

 ここでは,俺が“(おう)”であり,そして《(ほう)》だ」


 そのようなピントのずれた反論(はんろん)(とも)睥睨(へいげい)する《無貌(むぼう)》の男に対し,天空(てんくう)無言(むごん)で会話中に並行(へいこう)して準備(じゅんび)を進めていた魔術(まじゅつ)無警告(むけいこく)放出(ほうしゅつ)する。

 その名も《氷天(ひょうてん)》。

 大気中に(ただよ)魔力(まりょく)の元を氷塊(ひょうかい)(てん)じて射出(しゃしゅつ)する魔術(まじゅつ)である。

 その最高(さいこう)初速(しょそく)音速(おんそく)すら()えるが,天空(てんくう)精密(せいみつ)射撃(しゃげき)苦手(にがて)としており,有効(ゆうこう)射程(しゃてい)精々(せいぜい)10メートルほどである。

 とはいえ,室内(しつない)という(せま)い空間であれば,まず(はず)さない。

 相手が椅子(いす)(すわ)っているなら尚更(なおさら)である。

 天空(てんくう)はこれによる氷塊(ひょうかい)飛礫(つぶて)を《無貌(むぼう)》の男に向けて全部で4発同時(どうじ)()()んでいた。

 まさしくそれは致命(ちめい)一撃(いちげき)――となるはずであった。


「なッ!!?」


 だが,次の瞬間,(おどろ)きの声を上げたのは,苦悶(くもん)の表情を浮かべ,(くず)れるように地面に(ひざ)をついた天空(てんくう)であった。

 なんと,《無貌(むぼう)》の男に向かっていった天空(てんくう)の《氷天(ひょうてん)》は,《無貌(むぼう)》の男が射出(しゃしゅつ)した《氷天(ひょうてん)》を空中でぶつけられたことによって軌道(きどう)を変え,明後日(あさって)方角(ほうがく)(はじ)き飛ばされたのである。

 

「まったく,下賤(げせん)(いぬ)だな。(しつけ)がなっておらん。

 同じ言葉を(はっ)するからと言って,会話ができるとは(かぎ)らないということか。

 (たわむ)れに(きょう)じてみた(わけ)だが,(じつ)(くだ)らん(まく)()きだったな」

「今のはッ――」

「ハッ,()()()()()()()

 ただの見様見真似(みようみまね)という(やつ)だ。

 そも,そこの(いぬ)(ごと)きにできることが,なぜ俺にできぬと(だん)じたのだ?

 ――俺は,万人(ばんにん)の上に君臨(くんりん)する“(おう)”だぞ。

 “(おう)”である以上,下賤(げせん)(やから)ですらできることが()()()()()()()()()


 天乃(あまの)(おどろ)きの声に対し,《無貌(むぼう)》の男はごく当たり前のことのように説明(せつめい)する。

 ――そうあらねば“(おう)”にあらず。

 ――万人(ばんにん)ができることを当たり前のようにできてこそ,万人(ばんにん)(いただ)かれる“(おう)”たり得るのだと。

 考えるまでもなく荒唐無稽(こうとうむけい)理屈(りくつ)であったが,《無貌(むぼう)》の男の言葉には確信(かくしん)()ちていた。

 それと同時に,天乃(あまの)英莉(えり)の言葉の意味を確信(かくしん)する。

 英莉(えり)は,『物理的(ぶつりてき)(なぐ)(たお)すのはワケない』と()べていた。

 しかし,これは,魔術(まじゅつ)(せん)では,この術式(じゅつしき)再現(さいげん)とでも言うべき異能(いのう)のせいで勝負(しょうぶ)にならないということの裏返(うらがえ)しだったのだ。

 英莉(えり)の話によると,この術式(じゅつしき)再現(さいげん)固有魔導(こゆうまどう)(おう)(ほう)》の副次的(ふくじてき)機能(きのう)であり,特定(とくてい)条件下(じょうけんか)でのみ使用可能で,かつ回数(かいすう)制限(せいげん)もあるとのことである。

 しかし,現状(げんじょう)において,これらの条件(じょうけん)特定(とくてい)している余裕(よゆう)はない。

 ただ,どのような魔術(まじゅつ)であっても再現可能というのは,まさしく先程(さきほど)の《無貌(むぼう)》の男の言葉どおりの理屈(りくつ)が,少なくともこの《(おう)(ほう)》の(もと)では機能(きのう)していることの証左(しょうさ)に他ならない。

 そうであるならば,条件(じょうけん)の1つは,おそらく術者(じゅつしゃ)が《(おう)(ほう)》の内部(ないぶ)にいたことがあることと推測(すいそく)できる。

 そして,それこそが《(おう)(ほう)》という固有魔導(こゆうまどう)真髄(しんずい)であるとすれば――次の瞬間(しゅんかん)にも未知(みち)多種多様(たしゅたよう)魔術(まじゅつ)()(そそ)ぐ可能性が否定(ひてい)できないのである。


「だが,(まよ)いなくこの俺に魔術(まじゅつ)(はな)った胆力(たんりょく)感嘆(かんたん)(あたい)する。

 その激痛(げきつう)は俺なりの褒美(ほうび)と思え。

 人ならぬ身とはいえ,貴様(きさま)(れっき)とした狗飼(いぬかい)()召喚体(しょうかんたい)だ。

 ()()()()(いた)みも感じるのであろう?

 ハッ,不敬(ふけい)ではあったが,貴様(きさま)には貴様(きさま)(とお)すべき(すじ)があったということだ。

 (いぬ)(いぬ)でも忠犬(ちゅうけん)(たぐ)いであったか」

「くッぅぅぅ」


 だが,《無貌(むぼう)》の男は椅子(いす)に座ったまま(ひざ)をつく天空(てんくう)見据(みす)え,追撃(ついげき)を行わない。

 対する天空(てんくう)苦痛(くつう)に顔を(ゆが)めるのみであり,次の行動に(うつ)れない。

 このことから,《無貌(むぼう)》の男が追撃(ついげき)の必要性を(みと)めていないようでもある。


戦力差(せんりょくさ)圧倒的(あっとうてき)すぎるッ……)


 内心(ないしん)でそう思う天乃(あまの)の《魔眼(まがん)》には,天空(てんくう)が《無貌(むぼう)》の男との会話中から《氷天(ひょうてん)》の準備(じゅんび)をしている様子が確認(かくにん)できていた。

 そして,それとほぼ同時に,天空(てんくう)対象(たいしょう)とする魔術(まじゅつ)発動(はつどう)感知(かんち)していた。

 それは天空(てんくう)の《氷天(ひょうてん)》の発動(はつどう)と同時に,()()()()発動(はつどう)をしたのである。

 これも,事前(じぜん)英莉(えり)から聞いていた現象(げんしょう)――『(ほう)』に(たが)えたことに対する『(ばつ)』であると推測(すいそく)される。

 おそらく,前者が特定(とくてい)の行動を(ふう)じる《自由刑(じゆうけい)》であり,後者が苦痛(くつう)を与える《身体刑(しんたいけい)》なのであろう。

 攻撃(こうげき)意志(いし)を向けたことに対する《自由刑(じゆうけい)》によって,攻撃(こうげき)行動(こうどう)(ふう)じられ,攻撃(こうげき)の実行に対する《身体刑(しんたいけい)》によって苦痛(くつう)(あた)えられる。

 実際のところ,天空(てんくう)が《無貌(むぼう)》の男を攻撃(こうげき)できたように,《自由刑(じゆうけい)》による行動(ふう)じは完全(かんぜん)なものではないらしい。

 この《無貌(むぼう)》の男(いわ)く,胆力(たんりょく)信念(しんねん)があれば乗り()えられる問題(もんだい)らしいのだ。

 一方で,それを()()えて実際に攻撃(こうげき)をしたことに対する罰則(ばっそく)は,天空(てんくう)をして身動(みうご)きが取れないほどの苦痛(くつう)(あた)えるものなのであり,(あき)らかに(しつ)が上である。

 (あたか)も,罪状(ざいじょう)(おう)じて刑罰(けいばつ)が重くなっているようでさえある。

 とはいえ,これは英莉(えり)からの情報(じょうほう)ではありえないはずの現象(げんしょう)である。

 英莉(えり)の話では,『法』で(しば)れるのは人間のみであり,()()()()()()()()()

 つまり,召喚体(しょうかんたい)たる天空(てんくう)に『(ばつ)』が下る道理(どうり)がない。

 《無貌(むぼう)》の男は,天空(てんくう)のことを『人ならぬ身』『召喚体(しょうかんたい)』と呼称(こしょう)した。

 そのように見ているのであれば,道理(どうり)に合わないことが起こっているのである。


天乃(あまの),様,お()がりください」


 (ひざ)をついた天空(てんくう)が,手で天乃(あまの)()がるように(うなが)す。


幕引(まくひ)き,と言ったはずだがな,(いぬ)

 俺は,(すで)貴様(きさま)健闘(けんとう)(みと)め,そして(たた)えた。

 それ以上の足掻(あが)きは,これまでの貴様(きさま)の行いを(けが)すことになるぞ」

(かま)いませんよ。この天空(てんくう)には,(いくさ)(ほまれ)など不要(ふよう)です。

 欲しいのはいつだって,実利(じつり)だけですので」

「ハッ,()く言った」


 《無貌(むぼう)》の男は(かる)い笑い声を上げると,小さく手を()げる。

 それに呼応(こおう)するかのように,《無貌(むぼう)》の男の周りに氷塊(ひょうかい)が4つ出現する。

 先程(さきほど)と同じ,《氷天(ひょうてん)》である。


「では,精々(せいぜい),役に立たぬその実利(じつり)とやらを後生(ごしょう)大事(だいじ)(かか)えたまま,浮上(ふじょう)(かな)わず溺死(できし)しろ。

 もっとも,あの世に常世(とこよ)()など持っては行けぬがな」

天乃(あまの)様,後は,(まか)せました。

 “――()()は人に有らず”」


 そう()げた天空(てんくう)身体(からだ)に,天乃(あまの)の《魔眼(まがん)》でなければ(とら)えることのできない(ほころ)びが(しょう)じ始める。

 同時に《(おう)(ほう)》による《身体刑(しんたいけい)》が(はず)れようとしてる。


「この姿(すがた)人前(ひとまえ)にさらすのは屈辱(くつじょく)(きわ)みですが,その(むく)いはあの男に受けてもらうとしましょう。

 天乃(あまの)様,事前(じぜん)(あやま)っておきますが,()き込んでしまったら,(もう)(わけ)ありません。

 なにぶん,制御(せいぎょ)()かないものでして」

「……どういう――」

「“(くる)()け――()大神(たいしん)()らう魔狼(まろう)なれば”」

「む,これは,不完全(ふかんぜん)ながら……詠唱(えいしょう)かッ!?

 貴様(きさま)ッ,何のつもりだ!」


 《無貌(むぼう)》の男は,そのときになって天空(てんくう)が《(おう)(ほう)》の適用(てきよう)対象(たいしょう)から(はず)れたことにようやく気付(きづ)く。

 しかし,その瞬間(しゅんかん)には《氷天(ひょうてん)》を天空(てんくう)()()んでいた。

 だが,音速(おんそく)飛来(ひらい)した氷塊(ひょうかい)は,そこにいた(けもの)毛皮(けがわ)に突き()さることなく(はじ)かれる。

 そこにいたのは,メイド姿(すがた)の女性ではなく,1匹の銀色(ぎんいろ)毛並(けな)みを持つ体長(たいちょう)3メートルほどの大狼(たいろう)であった。

 大狼(たいろう)は,グルルルルル,と低く(うな)りながら,目の前の《無貌(むぼう)》の男を睥睨(へいげい)する。


「ハッ,なるほど。()()()不完全体(ふかんぜんたい)(えら)んだわけか。

 (たし)かに,人の身形(みなり)()て,理性(りせい)()て,本性(ほんしょう)(あらわ)し,魔性(ましょう)()せば,《(おう)(ほう)》のもとに『(けい)』を()すことはできん。

 貴様(きさま)()()()()()()(),今の貴様(きさま)は『人』の範疇(はんちゅう)にはないだろうさ」


 《無貌(むぼう)》の男は,得心(とくしん)が言ったとばかりに(うなず)くと,あろうことか,(すで)大狼(たいろう)には興味(きょうみ)(うしな)ったとばかりに目線(めせん)()らし,今度は天乃(あまの)見据(みす)える。

 だが,その瞬間(しゅんかん)大狼(たいろう)見逃(みのが)すはずはなく,その巨躯(きょく)見合(みあ)わぬ俊敏(しゅんびん)な動きで,《無貌(むぼう)》の男に(きば)()き立てんと飛び()かる。

 《無貌(むぼう)》の男は,それに対し,一言(ひとこと),「《()()()()》」と()げると,大狼(たいろう)姿(すがた)がその場から()()える。

 《天空召喚(てんくうしょうかん)》とは,召喚体(しょうかんたい)である天空(てんくう)を呼び出し,退()()()()()狗飼(いぬかい)朱音(あかね)固有魔導(こゆうまどう)である。

 ただし,そのオーナーである狗飼(いぬかい)がこの《(おう)(ほう)》内で()らわれている以上,先程(さきほど)天乃(あまの)予測(よそく)した条件(じょうけん)からして,《無貌(むぼう)》の男がその固有魔導(こゆうまどう)再現(さいげん)できないと考えるのは,楽観(らっかん)が過ぎたのだろう。

 《無貌(むぼう)》の男は,相対(あいたい)する瞬間(しゅんかん)より前に,天空(てんくう)に対する絶対的(ぜったいてき)優位性(ゆういせい)確保(かくほ)して(のぞ)んでいたのである。

 天乃(あまの)が《無貌(むぼう)》の男に対する警戒(けいかい)レベルを最大限(さいだいげん)にまで引き上げると,大狼(たいろう)姿(すがた)消滅(しょうめつ)したことで静寂(せいじゃく)(おとず)れた室内(しつない)に《無貌(むぼう)》の男の声が(ひび)く。


「まぁ,前座(ぜんざ)余興(よきょう)としては楽しめた(ほう)か。

 それでは,本題(ほんだい)に入ろうか,天乃(あまの)(しん)

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