明かされた罠の正体、自ら陥穽に嵌る狂気
2036年6月7日午後3時27分
狂ったように笑い続ける英莉を見ながら、天乃は先程の緋澄との会話の続きを思い出していた。
2036年6月7日午後2時19分
「今回の件、多分、英莉が何者かにいいように操られている」
「……そうなの? ちゃんと自分の意志で行動しているように見えたわよ?」
天乃の言葉に、緋澄は疑問を呈する。緋澄から見て、英莉の態度には一見して不審と思われる点は見当たらなかったのだ。
「そう、今回の肝はそこなんだ。
さっきも言ったけど、意のままに操られているんじゃなく、いいように操られているのさ」
「それは、同じことではないの?」
首を傾げる緋澄に対し、天乃は淀みなく説明を続ける。
「要するに、元の行動様式に変化はないが、思考の一部に、気づかない程度の誘導があるってこと。
そのせいで、英莉は、オレを辰上のもとに誘導するように行動してしまっているわけさ」
「そう。根拠は?」
「根拠といえるほどのものじゃないが、取っ掛かりというか、違和感があった」
「違和感?」
「英莉は、何というか、あんな見た目で、変な行動も目立つけど、頭はいいんだ。明確な不利益は避けるし、意味のないことはほとんどしない」
「確かに、あの使い魔は普段から無駄に態度が尊大だし、不遜すぎてびっくりするけど、それが大事になったことはないわね。ちゃんと、相手や状況を選んでやってるってことかしら」
「それで、昨夜とか今朝とかの英莉の態度を思い出すと、いろいろと引っかかってな。あんなこと、英莉が独自の判断では、まずしないじゃないかと思ってな。でも、英莉自身は確信をもってその行動をとっていたように見える。だから、そこにはなんらかの思考誘導があったというのが、合理的だと判断した」
「天乃慎がそう“直観”したのなら、犯人は天乃慎で決まりじゃない」
緋澄が冗談めかしてそのような発言をする。
かつて天乃が使用していたとされる固有魔導《認識変換》は、このような状況を引き起こすのには、まさしくうってつけの魔術だったのである。
「オレもそう思う」
「え?」
冗談を強く肯定された緋澄は、一瞬何を言われているかわからなかった。
「ちなみに、緋澄は聞いてなかったかもしれないけど、辰上は他人の固有魔導を再現できるって話がある」
「固有魔導を? いえ、だったら、犯人は辰上かもしれないじゃない」
「そうだな。けど、辰上が実行犯である可能性はゼロだ」
「……そもそも《認識変換》でない可能性は?」
「ない」
緋澄が挙げる反対仮説を天乃は次々と否定する。
「そう。根拠はお得意の“直観”かしら?」
「いや、魔術の痕跡だ」
「痕跡……? そうか。使い魔に何かあれば“魔術師殺し”に見えないはずがなかったわね」
そもそも英莉の全身は魔導書で構成されており、常時いくつもの魔術が起動している。その中には英莉とのパスを通じて、天乃の魔力によって維持されている術式も混在していた。
例えば、記憶を失う前の天乃が英莉に時限式の魔術を仕掛けていたとして、記憶を失った天乃が英莉を見たとき、その魔術の痕跡は、記憶を失った天乃にとっては『英莉に初めから存在する天乃の魔力によって起動する術式』ということになる。
だからこそ、逆に天乃ではそれに疑問を抱けない。
まさしく木を隠すなら、森の中の発想である。
「そう。だから、犯人は、記憶を失う前のオレ以外には有り得ない。
――だから、これには必ず意味がある。つまり、傍から見ると、オレが辰上のもとに向かう動機が薄いように見えるってのはこういう理由だよ。
英莉は誘導していることを疑問に思ってないし、俺もこれに気付きつつ無視してるんだから」
2036年6月7日午後3時27分
天乃が数瞬の回想から我に返ると、哄笑を轟かせていた英莉の声が途切れていたことに気付く。
英莉の位置が、前進を続けていた武装歩兵集団の射程距離に入ったのである。
とはいえ、英莉には飛び道具がないことがばれているのか、武装歩兵集団はさらに横に展開しながら、必中必殺の位置に着くまでは仕掛けてこないつもりのようである。
「はぁぁ……いやぁ、あの状況を誤魔化すには、若干、演技力が足りんかったか?」
そんな目の前の状況を尻目に、英莉の口調に焦りはない。
先程はやむを得ない事情で一発きついのをもらってしまったが、英莉にとって普通の銃弾とは本来、大きな脅威となるものではないのである。
そんなことよりも、今は天乃との会話が優先される。
「いや、この表情が出せん身体では、無理からぬことよな。わっちの名演の妨げになっておる。よいよい。今回はわっちの負けじゃ。して、主殿よ。種明かしをする前に、一つ確認したい。いつから、気づいておった?」
(今朝)
英莉の演技がかった言葉に対し、天乃は言葉に出さずに内心で答える。
「ぐっ、それはそれは。とんだ道化を演じる羽目にもなっておったようじゃな」
(いや、ほとんど素だろ、あれ?)
「主殿よ。もちっと、わっちを立ててほしい。威厳とか面目とか、何かそういった尊厳に近しいものが音を立てて崩れていっておるのを感じる」
(つっても、精神面へのデバフ・状態異常耐性が皆無なのは、昨日の件でもう知ってたからな)
自身の尊厳を懸けて抗議する英莉を置いて、天乃が考えていたのは、やはり昨日にあった《案山子》との一件のことである。
英莉は、幻覚から記憶改竄まで全てに見事嵌まっており、それまでのいいところは、あれでほとんど消し飛んだと言っても過言ではない。
「うぅ、わっちが気にしておることをズバズバと言うのぉ」
(ところで、今はもう大丈夫なのか?)
「そうじゃの。肩にドぎついのを一発もらってもう目が覚めたぞ」
(そんなわけないだろ)
「くかか。とはいえ、もう一点だけ訊いておきたい。こればかりは、さっきの主殿の回答を聞いても、さっぱりわからんかったのでな」
(なんだ?)
「主殿は、なぜここに? わっちのことは、今朝から様子がおかしいと思っとったわけじゃろ? 律儀に誘き出されるように来る必要はなかったのじゃないか?」
(なんだ、そんなことか)
天乃は、ふっと笑い、口を開き、わざわざそれを声に出して回答する。
「もちろん、オマエのためだ」
「ほぉん? ……ん?」
「首を捻るなよ」
「いや、だって、え?」
想定すらしていなかった回答に、英莉がその小さな全身を用いて疑問符を浮かべる。
「そんなにおかしな話か? 正直、オマエには昨日から助けられてばかりだ。それがオマエの役目なのかもしれないが、オレはオマエに感謝している。そして、思考を誘導されてたってことは、オマエはこの一件には乗り気じゃなかったんだろ?
だったら、その思惑を台無しにした上で、その誰かさんに、文句の一つくらい言いたくもなるってもんだろ?」
「お、おう? そんなものか?」
「少なくとも、オレにとってはそんなもんなんだよ。ま、それとは別に、辰上とやらにも、何としてでも一発お見舞いしてやらねえとって気になってるけどな」
「えっ、と。えと。待て待て、ちょい待て。まさかとは思うが、主殿よ。ここに来たのが、わっちのためだってのは、えっと、その、マジなのか? 冗談的なものではなく?」
「ああ。まあ、それ以外には特に理由はないかな」
想定外の回答の連続に、英莉の思考が一時的に硬直する。
そして、いろいろと思い出してしまい、ついに羞恥の限界を迎えた英莉は、赤面が表情に反映されない『闇の眷属』に珍しく感謝することとなった。
そして、その衝撃と羞恥からは即座に立ち直れそうにはなかった。
「ううぅぅ」
英莉は、もしかして天乃が羞恥責めで自分を殺せるかの実験をしているのだろうか、などと真剣に考え始めていたが、もちろん被害妄想である。
「でもほら、狗飼の娘御の件とかあったじゃろ?」
「まあ、誘拐云々は悪いがついでだ。オマエの一件がなければ誰かに任せてたさ。彼女には気の毒だとは思うが、無関係なオレがそこまでする謂れはないだろ」
「そうか。……それも、そうか」
英莉は天乃の言葉を聞き、珍しくトーンを落とす。
このタイミングでようやくメンタルのリセットに成功した英莉は、天乃の後方に視線を向ける。
そのとき、空気を読まないけたたましい銃声と共に、銃弾による弾幕が英莉に飛来する。
それに対し、英莉は落ち着いた様子で『漆黒の翼』を瞬時に展開すると、それを盾とすることで全ての銃弾を弾き飛ばす。
配置についた武装歩兵集団からの攻撃がついに始まったのである。
「くかか。というわけで、これがこっちの事情の種明かしじゃ。
なんだか惚気話のようになってしまったし、思いがけず救出の動機に乏しいことも発覚してしまったが、後は頼んでもよいか?」
銃撃を意に介すことなく、英莉は天乃の後方に立つ人影にそう声を飛ばす。
「まさしく、どの口が、などとは思わなくはありませんが。そう恐縮されずとも構いませんよ、英莉様。元より立てるべき義理すら記憶されておられないことは承知の上です。その事情込みで、天乃様の護衛を『承った』と返答したつもりですので」
その声に天乃が振り返ると、英莉に首を折られた上、雷に打たれて黒焦げの死体となっていたはずの天空が無傷で立っていた。
そのメイド服にも焦げ跡どころか土埃り一つついていない。
「――とはいえ、さすがにいきなり首を折られたときは多少揺らぎましたが」
「この現象……そうか、再生かッ!」
「そう、わっちが傷つけ、破壊したモノは、何であれわっちの意志で再生できる。例え、わっちが傷つけた後にさらに別の原因で損傷したとしても、わっちが傷つける前の状態まで遡って再生されるのじゃ。
これがあの“神罰”を越えて《王の法》の内側に侵入する奥の手じゃ」
英莉の肉体を構成する魔導書『闇の眷属』は、製作者のとある傍迷惑な拘りにより、再生という毀棄できない魔導書には本来不要なはずの能力がデフォルトで付与されている。
そして、この『闇の眷属』に付随する再生能力は、本来的には自身の肉体に対してしか用いることはできないのだが、英莉――エリザベート・ナイトウォーカーの本質から来る能力の転用によって、それ以外の用途にも使用可能となっていた。
その一つが、自身が攻撃し、傷つけたり破壊したりしたものを再生できるという能力である。
これには、傷つけた時間から離れすぎていると効果が発揮されないという時間的制約こそあるものの、空間的な隔絶は問題とはならず、そこには制約ない。
また、他にも、再生具合を調整することで、本来とは異なるもの同士を癒着させ、接合するいう用途も存在する。
英莉は、この用途での使用頻度が比較的高く、昨日も懐古主義者所属の襲撃者である欠月恭二の上唇と下唇を縫い合わせたり、マンションの一部と身体を接合することで拘束したりするなどしていた。
「“神罰”? さっきの雷か。いや、《王の法》なのに神罰ってなんだよ」
「くかか。では、わっちはここで彼奴等と遊んどくから。ちゃっちゃと行って終わらせてきてくれ」
「なあ、『枷』はそのままで大丈夫なのか?」
「なぁに、例え銀弾であっても、魔導書である『翼』を傷つけることはできん。わっちらは今は接触できんのじゃから、ないもの強請りもできんしの。それに、接近戦なら逆に望むところでもある。ガタが来とるとはいえ、ただのニンゲンにすぐにどうこうされるわっちではないぞ。それに、もうすぐ4時じゃろ? そうなったら、『闇の眷属』が活性化し始める時間じゃから、このダメージも自然と癒えるじゃろ。何も問題なしじゃ」
「――そうか、わかった。じゃあ、行ってくる」
そういうと天乃は、不遜に言い放つ英莉と別れ、武装歩兵を迂回するようにして、天空と共に正面に見える研究所の入り口を目指すのであった。




