降り注ぐ裁きの雷、勝利への布石
2036年6月7日午後3時12分
「主殿っ、離れて伏せておれ! んでもって、目を閉じ、口を開き、耳を塞げ! 直ぐじゃ!」
緋澄との会話を思い出していた天乃は、耳元からそのような英莉の声が聞こえたことで、思考を中断する。英莉の方を見直すと、英莉は、身動ぎ一つしない天空の腕を掴んだまま、何かをしようと構えている。
天乃は咄嗟に、耳元から聞こえた声が、『漆黒の翼』を利用した《音響操作》によるものだと気づき、事情は不明だったものの、とりあえず、英莉の指示に従い、英莉がいる方向から離れるように跳びながら伏せる。
一方、武装歩兵は、英莉の注意がそちらに向いていないことを確認すると、銃の有効射程まで距離を一気に詰めるべく、行軍を再開していた。
「よし! 受ぅぅぅけとれぇぇぇええ!!!」
天乃が地面に伏せたことを確認した英莉は、叫びながら捻じった身体を元に戻し、片足を軸として回転する。そして、ハンマー投げの要領で天空の身体を天乃の方角に向かって思い切り投擲した。
英莉によって投擲された天空の身体は、空中を放物線ではなく、ほとんど直線を描きながら天乃の方角に向かって飛んで行く。
そして、その投げ飛ばされた天空の身体が《王の法》によって区切られた“境界”線上の領域と空中で交わった瞬間であった。
突如として周囲の世界が白く染まり、“境界”に天を割くような轟音と共に雷光が降り注ぐ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
その余波は地面に伏せていた天乃にも及ぶものであったが、英莉の直前の指示の甲斐もあり、その影響は軽微に留まった。
奇妙なほどに長く感じる一瞬が過ぎ去ると、天乃はすぐ横に黒焦げの物体が地面を滑るように転がって来ていたことに気付く。
天乃は、それが辛うじて人型とわかる形状を保っていたことから、何であるかをすぐに察したが、目まぐるしく変化する状況を前に、脳が処理を中断し、理解することを拒んでいた。
「なんだってんだよ……」
天乃が呟きながら、先程の光が落ちた“境界”付近を見ると、そこには小さなクレーターが出来上がっていた。
「……雷だよな、今の」
その光景に乾いた笑いが口から漏れ出た天乃は、そのまま何となしに目線を上に持ち上げると、赤黒い液体が滴り落ちる右肩を左手で押さえつけながら、辛うじて踏ん張り、荒い呼吸を繰り返している赤い着物姿の少女が視界に入る。
「英莉っ!!?」
「来るなッッ!!」
天乃が咄嗟に遮蔽物から出て“境界”付近に駆け寄り掛けたことに英莉は即座に反応し、自身の状態を顧みることなく大声を張り上げる。天乃も、遅蒔きながら狙撃手の存在に思い至り、その場に踏み止まる。
狙撃手が用いる悪辣な戦術として、負傷者を利用した“友釣り”というものが存在する。
狙撃の際、一人目をわざと殺さずに、遮蔽物のないところで行動不能にする。そうやっておいて、負傷者の救助に来た友軍を次々と狙撃していくのである。勿論、このときの救助者も生かしておけば、第二第三の釣り餌にすることもできる。
ただ、これだけでは、いずれ損害の方が大きくなってしまうので、友軍は救出を躊躇するようになってしまう。そこで、再び釣り餌となっている負傷者を殺さない程度に撃つのである。
その悲鳴に耐えかねた者を炙り出し、その者を次の釣り餌とするために。
この戦術は、狙撃手が一点に留まり続けても反撃を受ける心配がないことが前提であるため、使いどころはそう多くはないが、嵌まればたった一人の狙撃手であっても一部隊を作戦行動ができない程度に壊滅させることができる。
天乃は、この“友釣り”を仕掛けられていると“直観”し、踏み止まったのである。
一方の英莉は、赤い滴で地面に点線を引きながら、じりじりと“境界”側に後退している。
そして、“境界”付近まできて一瞬固まると、撃たれたであろう右側の手を持ち上げ、相変わらず人形のように無表情のままの右頬に指を当て口元をわずかに持ち上げる。
どうやら、天乃に向けて不敵な笑みを浮かべようとして、この状態の自分の表情筋が動かないことを思い出したので、そうしたようである。
だが、天乃はその様子に首を傾げたため、気まずくなった英莉は背を向けるように体の向きを反転させる。そして、表情と比べてかなり自由の利く口を開くこととする。
「くかか、いや、実に肝の据わった狙撃手で恐れ入る。周到かつ狡猾、それでいてお節介と来た。実に最悪の気分じゃ」
(英莉か!? 『漆黒の翼』の《音響操作》だな)
「ご明察じゃ」
天乃と英莉には少し距離があるが、英莉の《音響操作》の効果により、天乃には英莉の声がはっきりと聞こえてくる。その声には、隠しきれない疲弊感が混ざっていた。
「しかし、あんなコンディションでも、わっちの避け得ぬ瞬間を見逃さずに、ちゃんと中ててくるとはのぉ」
人間以上の反応速度を誇る肉体、それを十全に扱える精神、《音響操作》による広域警戒、傷付くことない魔導書を盾とした防御、これらすべての機構を兼ね備えた英莉は、本来であれば、自らが望まない限り、魔術的要素が皆無の狙撃による銃弾をその身に受けることなどは有りえない。
とはいえ、『闇の眷属』が人体を模した構造をしている以上、そもそも不可能な挙動というものが存在する。さすがの英莉も関節を逆に曲げることはできないし、倒れかけた瞬間に身体の構造を変化させて重心を別のところに移すなどといった芸当まではできない。
今回は、ちょうど天空の肉体を放り投げた直後の体勢が崩れた瞬間を狙い撃ちされたのである。
ついでに、その銃撃には、雷の轟音に紛れさせることによって銃弾から生じるソニックブームの音を隠蔽するという細かなテクニックが使用されており、英莉が銃弾の飛来に気付いた時には、ほとんど手遅れだったのである。
「対魔性加工の銀弾は流石のわっちでも、ちぃと痛いぞ。こんなもん常備しとるとか、準備周到にもほどがあるじゃろ」
「それは、大丈夫なのか!? おい!」
対魔性加工の銀弾とやらが英莉にどのような効果をもたらすのかはよくわからなかったが、その不穏な物言いに、天乃は思わず声を荒げてしまう。
もちろん、天乃から英莉への一方通行の意思疎通であれば、言葉を使わずとも可能なので、そんなことをしなくてもよいのだが、その声を聞いた英莉は、落ち着き払って返答をする。
「くかか、大丈夫なものかよ、主殿。
主殿をそっちに投げるときに一回、狗飼の眷属の首を折るので二回、そのまま死体を投げるので三回――『魔人の枷』による封印を解かん状態で容量限界以上の力技を連続で使って、おまけに銀弾によって概念的な弱点を突くダメージも受けた。
これでは、いつ動きが止まっても不思議ではない。今のわっちは、まさしく満身創痍という言葉が相応しい状態じゃぞ」
英莉は、先程の文字通りの青天の霹靂による衝撃から立ち直った武装歩兵集団から目を離すことなく、不敵な笑みを深めようとする。もっとも、表情筋は相変わらず一切動かないので、英莉の口元が笑みを浮かべることはないのだが。
「なんで、オマエ、そんなこと――」
天乃は、一瞬、英莉が何者かに操られているという仮定を持ち出してみようかと思ったが、続く英莉の言葉にその懸念を飲み込んだ。
「愚問じゃぞ。これが、わっちなりの勝ちへの一手だからに決まっておるじゃろう。『勝てない戦いは勝たない』とは、かつての主殿の言じゃが、これは勝てないなら敗北を受け入れるとかいう甘えた現実論では断じてない。
これは、『常勝の状況を作り出すことに全力を傾ける』という宣言じゃ。
つまり、対戦相手との決戦に臨む時点で、結果に『負け』という選択肢に入っているような戦いは、そもそもしないという意味じゃな」
「それは――」
今の天乃であっても、それは一つの理想だと思う。
だが同時に、全く現実的ではないとも思う。
どれだけ事前に準備を積み重ねたとしても、常に想定外は付きまとってしまうであろう。
想定外の事態を全て織り込んで、なお常勝という状況は、つまるところ想定外という事態が存在しないということに等しい。
この世に『絶対』はないのだから、『絶対に勝つ』状況などありえない。
それをちゃんと理解していれば、常勝などとは口が裂けても云えないはずなのである。
(そういえば、水無月もあのときに同じようなことを口走っていたような……意味は全く違ったけど)
「主殿の理想は、くかか、それはそれで大いに結構。常にそうありたいと願うのは、わからんことでもないじゃろ。とはいえ、わっちは、泥臭くとも足掻くのが好み――というか後天的に獲得してしまった性分であるが故、そういった立場とは、本来的に縁遠い存在なのじゃよ」
英莉は自嘲気味にそういうと、押さえていた肩の傷口に指を突っ込み、体内に留まっていた銀製の銃弾を無理やり抉り出す。英莉の肩から抉り出された銀弾は、それ自体が対魔性の概念であるが故に、摘まんでいる英莉の指の肉を音を立てて焼き続ける。
英莉はそれに不快感を示すように、天乃に向かって緩い放物線を描くように放り投げた。天乃はギョッとし、再度の雷を警戒したが、今度は銀弾が“境界”を越えても何も起こらなかった。
天乃は足元に転がってきた銀弾を拾い上げ、この現象の違いを訝しんでいたところ、英莉は何でもないことを告げるような口調で、天乃に声を掛ける。
「というわけでじゃ。あの辺におるワケのわからん歩兵と狙撃手はわっちが受け持つから、サクッと辰上の御子を仕留めてきてくれんか、主殿よ?」
「……ッ。それ、は」
「やってくれんか?」
英莉からの特大の無茶振りであった。
あまりにも荒唐無稽すぎて、一瞬で冷静になれてしまうほどの。
天乃は逡巡し、徐に口を開く。そうする必要はなかったが、英莉にはこちらの声もはっきりと聞こえているようなので、これは天乃の意志で言葉にしておくべきことであると判断したのだ。
「オレ自身に、戦闘力はない。もともとは、オマエと天空さんの戦力を当てにした作戦だったはずだ」
「そうじゃな」
「『勝てない戦いは勝たない』というのが、オレの方針だったな」
「そうじゃの」
「なら、ここは撤退が賢明だと思う。明らかな準備不足だ」
「さようか。では――」
英莉は落胆する様子もなく、天乃の言葉を受け入れる。
客観的に見て、天乃の述べたことは正しい。
当初のプランは一見して崩壊しており、ここからの逆転の目などはないように思える。
だからこそ、英莉は天乃の態度に理解を示す。
そして、偶然知り得た《王の法》の内側から出る方法を口にしようとする。
「……けどな」
「ん?」
「それは、過去のオレの方針だ」
「ほお……?」
「オレはな、英莉。自分で思っていた以上に、オマエを信用していたようだぞ。
だから――」
「ぇ?」
「――オマエが、貴重な限界以上の力を出せる機会を一回使ってまで天空さんを殺した意図をさっさと話せ。何の理由もなく、オマエがそんなことするわけないだろ」
「……………………く、くく」
しばらく固まっていた英莉から、実に愉快そうなくぐもった笑い声が漏れてくる。
その表情には相変わらず全く変化がない。
しかし、本来の彼女は、その声色だけで様々な表情が窺えるほど、感情表現が豊かなのである。
「くかか「くかかか「くか、かかかか「くっかかか「くくくく」」」」」
やがて響いた英莉の哄笑は、《音響操作》を利用したとしか思えないほど不気味に周囲にハウリングしていった。




