指摘された無自覚と元大怪異に対する大いなる疑惑
2036年6月7日午後3時12分
首の骨を力技で捻じ切られた天空の身体から力が抜け、見た目だけは八歳程度の少女である英莉に覆い被さるようにしな垂れかかる。
「お、おぅ、結構重いのぉ。……さて」
英莉は、だらりと脱力したメイド服姿の天空の身体を地面に下し、両手で腕を掴むと、自身の身体を腰から捻じり、地面を踏みしめる。
その異様な光景を目撃した武装歩兵集団は、アサルトライフルを構えて警戒しながら足を止める。天乃ですらも状況が読みきれずに絶句している。
このとき、天乃の脳裏を過ったのは、ここに来る前にした緋澄との会話であった。
2036年6月7日午後2時12分
「ねえ、あなたに、ほとんど初対面で、多分全然仲良くもない、むしろ、蛇蝎のごとく嫌われてる可能性が高い女の子を一人助け出すためだけに、命を懸け、身体を張る理由は、どこにあるの?
ねえ、そんなもの、本当にあるのかしら?」
そう言って天乃が狗飼を救出する目的について質問する緋澄の顔が、天乃に迫る。
天乃が顔を背けようとしても、緋澄によって顔の両側を押さえられており、事前にその動きは封じられている。
このように、天乃は、質問に回答する以外に身動き一つとれない状況に陥っていた。
互いに沈黙して見詰め合う中、天乃は、緋澄の甘い呼気が、頬を撫でるのを感じ、思考が若干止まっていた。
「ねえ」
緋澄の蠱惑的な声が耳朶を打つ。
人目につかない放課後の校舎内におけるこの状況は、傍目には恋人たちの情熱的な逢瀬のように見えるかもしれない。しかし、実態は蛇に睨まれた蛙である。
返答次第では、尋常ならざることが起こると、天乃の“直観”が冴えわたっていたからこそ、天乃は下手な答えを口にすることができないでいるのだ。
『捕食寸前の哀れな小動物』『追い詰められた敗残兵』『正体が発覚した密偵』などが、天乃の現状を飾るに相応しい言葉なのである。
これらはいずれも、生き延びる可能性はあるものの、いずれにしても、このままでは碌な結末が待っていないという点では共通している。
「どうなのかしら」
そして、天乃のその“直観”は概ね間違っていない。
緋澄は、天乃の返答次第では、後先を一切考えず、衝動的といって差し支えないほど短絡的に、“この天乃慎”に見切りをつけるつもりでいた。
とはいえ、さすがに、人質として連れていかれた妹のことが頭を過ったので、跡が残るような直接的な攻撃は自重しようと直後に思い直したが。
たっぷりと、十秒ほど沈黙が続き、永遠にこのままの状態が続くかと思われたが、ついに、天乃が口を開く。
「――降参だ」
「……降参」
言葉を反芻する緋澄の目に一瞬怒気が宿るが、その熱は急速に冷めていく。
これに使う熱量すら惜しい――というのがそのときの緋澄の偽らざる感想だったのであり、早急にこの場を切り上げるため、口を開く。
「そう。なら、もういい――」
「本音を云うよ」
「………………わ? ん? なにかしら? 聞き違い?」
緋澄が天乃に見切りをつけようとした瞬間、天乃から予想外の言葉が飛び出したため、緋澄は一瞬、言葉に詰まる。
緋澄の中には、あれだけ迫ってはみたものの、いくら脅しをかけたところで、天乃が口を割ることはないであろうという先入観が存在した。
したがって、この反応は完全に想定外であったのだ。
「実は今回の件、オレは諸々の疑問にある程度答えの当たりを付けててな。その上で、敢えて流されるように乗ってるんだ」
「……え? そう、なの?」
天乃のあっさりとした回答に、緋澄は拍子抜けし、思わず呆けたような声を出してしまう。
天乃は、その意識の間隙を突いて、両手を緋澄の肩に置き、緋澄を少し押し返して、緋澄を再び元の切り株に座らせる。
こうして、自分の顔に添えられていた緋澄の手から密かに逃げ果せた。とはいえ、話し始めたことを途中でやめると、先程の二の舞なので、話自体は続ける。
「正直、誰が聞いてるかわからないし、緋澄の立場もわからないから、ここで緋澄にオレの本音を語っていいものかどうかを考えてたんだが」
「なら、どうして云う気になったのかしら?」
「まぁとりあえず、今の間にこの辺に魔術的な盗聴術式がないことは確認できたし、それに――緋澄は、オレのことを本当に心配していたみたいだからな。本気で心配してくれているのなら、その心配は解消させてあげるべきじゃないか」
緋澄はそれを聞いて、いきなりガツンと後頭部を鈍器で殴られたかのような衝撃を受けた。面食らったといっても過言ではない。
緋澄の脳内では、『誰だ、この“きれいな天乃慎”は……』、と混乱を極めていたが、とりあえず、これまでの天乃とのやり取りを自分の中で反芻してみる。
そうすると、そこはかとなくそのような云い回しをしていたかのような気になってくるではないか。
それを認めるのは、なんとなく癪だったので、緋澄は適当に思いついたことを口にして状況の立て直しを図ろうとする。
「……なら、降参というのは?」
「根負けしたってこと。本気で心配してくれてる人に対して何度も誤魔化しの言葉を述べられるほど、オレの心臓は強くできていないらしい。特に今回、これを明かすことで不利益を被るのは主にオレであって緋澄じゃないし。だったら、多少のリスクは甘受しようかなと」
天乃のあっけらかんとした物言いに、緋澄はようやく自ら掘った墓穴に嵌まっていたことを自覚する。
――なんだこの善良さは。これではただの独り相撲ではないか、と。
「……不愉快な物言いね。ええ、とても、とても、不愉快な気分になったわ」
「心配してるってのが図星だったから?」
「いいえ、そう云われるとそうだと気づいてしまったからよ」
「無自覚でしたか」
「…………」
素直に認めたところに受けた思わぬ反撃に、ムッとした表情で緋澄は黙り込んでしまう。その頬が、わずかに紅潮していることに天乃は気付いたが、それを指摘すると、引き返せない泥沼の争いに進んでしまうことがわかってしまったので、沈黙を選択する。
「……それで、諸々の疑問にはちゃんと回答があるんでしょうね?」
「ああ」
互いに沈黙したまましばらく経つと、緋澄が気を取り直しかのように言葉を発し、それに天乃が応える。
「なら、私にもわかるように説明しなさい」
「今回の件、多分、英莉が何者かにいいように操られている」




