類感魔術
2036年6月7日午後2時39分
「はええ,結構速いね」
天乃とエリザベートが遠ざかっていく姿を眺めながら,遊上が感想を漏らす。
「では,この天空も向かいます。
お二人を待たせるのも悪いですから」
「そうね,私は,あんたらが失敗してからしか出番はないでしょうけど,狗飼をよろしくね」
「はい,緋澄様のお手を煩わせるような事態になることだけは,避けたいと思います」
「ええ,是非期待してるわ」
緋澄が手を振ると,天空は一礼してそのまま跳躍し,建物の屋根伝いに直線コースで目的地に向かって進んでいく。
「……あの,お姉ちゃん」
「わかってる。私に話があるんでしょ?」
「えっと,その件は後で――」
「――でも,少し待って」
緋澄は,徐に声をかけてきた遊上に断りを入れ,さっと振り返る。
そして,背後の校舎に向かって声を上げる。
「で,何か用かしら,伏見先生?」
2036年6月7日午後2時39分
(あれ? 思った以上に――)
「負荷がない,かの?」
第14学区に向かって飛翔中のエリザベートに掴まれたままの天乃は,思っていた以上に過酷ではなかった道中に安堵の吐息を漏らした。
その溜息にも似た吐息を確認したエリザベートは「くかか」と声を出して呵い,視線を天乃に移す。
「脅すようなことを言ったが,わっちらは実際の物理法則に則って飛翔しているわけではないからの」
(なら,なんであんな嘘を?)
「ふむ,単純な話じゃが,あそこにいたのは,切っ掛け1つで容易に敵に回りかねん連中じゃったからの。
手の内を明かすのは避けたかったのじゃ」
(……意外だな)
「なにがじゃ?」
(英莉は,いや,今はエリザベートか)
「言いにくいのなら,わっちの見た目に合わせていちいち呼び名を分ける必要などはない。呼び方は好きにしてもらって構わんぞ」
(うーん。なら,とりあえず縮めてエリザとでもしておくか。
で,だ。エリザはなんというか,そういった細かい機微に頓着しないというか――)
「――くくくく,くかか。なるほど,そうかそうか。
なに,わっちと主殿の仲じゃ。そのような婉曲的な物言いなどせずとも,考えが頭に過るだけで,その意図は十全に伝わってくるのじゃぞ?」
(……この伝達方法に隠し事はできないってことか?)
「いや,そういうわけでもない。隠し事はできるとも。
ただ,言い方や表現方法による誤魔化しが効かないというだけじゃ。
だから,のう。はっきりと言えばよかろう。
わっちの普段の態度からして,些か慢心が足りないのではないかとな」
(……いや,まあ,概ねそうなんだけどね)
ニュアンスの違いからか,微妙に言わんとすることが伝わっていないような気もしたが,天乃はそこに関しては一旦呑み込むこととして話を続ける。
「実際,一昔前と比べて,少し慎重に行動しておることには違いないぞ。
わっちは最強じゃが,弱点がないわけでもないからの」
(普通に慢心してるじゃん)
「くかか,異なことを。
正しい認識に基づく事実の指摘は,慢心とは言わん」
(問題の根幹が意外と根深いっ!)
一点の曇りもない純真な表情で嘯くエリザベートの言葉は,おそらく本心からのものなのだろう。
そのように公言することに,一切の後ろめたさが感じられない。
彼女の中では,もう昨日の対案山子戦の失態はなかったことになっているのであろうか。
(そういえば,前の話では,オマエがエリザベートの力を使えるのって午後4時以降の1時間だけじゃなかったか? まだ4時前なんだけど)
「うむ。そうじゃが,『魔人の枷』を解けばいつだって姿だけはこれになるぞ。あくまで,能力を全開で使用できるのが1時間というだけじゃ。わかりづらかったか?」
(なんか,『漆黒の翼』の件といい,オマエのスペックについてはいろいろと再確認した方がいいように思えてきた)
「えっ,いや,その。
そういえば主殿よ。言い忘れておったが,実は,この状況で普通に喋っても舌を噛んだり声が掻き消されたりするようなことはないぞ」
「……そうなのか?」
天乃は,エリザベートが焦ったように急激な話題転換を試みたことには敢えて触れず,高速で流れていく景色を見ないようにしながら,恐る恐る声を出してみる。
本来であれば,これだけの速度をもって生身で移動していれば,風圧によってその声は掻き消されそうなものだが,双方の声は普通に届いている。
「聞こえるか?」
「うむ,それに,いざとなれば,『漆黒の翼』のもう一方の能力を使えばよいしな」
「飛翔の他にもあったのか?」
「ほれ,音響操作じゃよ」
「ああ,例の音を消すやつか」
「うむ。実際のところ,音を消す以外にも,音を遠くまで聞こえるようにしたり,特定の者にのみ聞こえるようにしたりと用途は多岐に渡る」
「へぇ,便利だな。っていうか,さっきはスルーしてやったけど,マジで詳細の確認しとくか?」
「うむ。では,少し時間があることじゃし,まずは『漆黒の翼』の飛翔の原理に関する講義をしてやろう」
天乃の提案に応じ,エリザベートは自身の飛翔能力の詳細について解説し始める。
天乃は,わざとはぐらかされているような気がしたが,とりあえずは口を挟まずに聞いてみることにする。
こうして,エリザベートによる唐突な魔術講義が始まった。
「主殿よ。この魔導書『漆黒の翼』は,こうして飛んどるわけじゃが。
見てのとおり,航空力学的には,飛翔するだけの機能などありゃせんのじゃ」
「……飛ぶには翼が小さすぎるってことか?」
「うむ。加えて,羽搏きの頻度も全く足りておらんから,わっちらの重量を浮かせて,飛翔させるために必要な揚力など生まれようもない。
つまり,この目に見える翼の部分には,ニンゲンを抱えて飛ぶほどの性能など望むべくもないというわけじゃな。
では,わっちらがなぜこのように飛翔できているのか,疑問ではないか?」
「そういう魔術だからってのは,回答にならないよな」
天乃はそういうと言葉を切って黙考するが,すぐに「お手上げだ」と述べ,考えを打ち切る。
「一応,考えられるのは,彩芽が使ってた魔術みたいに空中に敷いたレールの上を移動するような魔術が働いているとか,重力そのものを操作して体重を軽くしているとかだけど,どっちの可能性も薄いな」
「わっちは,“アヤメ”とやらについては知らんが,なぜそう思ったのじゃ?」
「前者については,単純にレールに相当するものがオレのこの魔眼に映っていないからで,後者については,見えないことに加えて,体重が軽くなっているという実感もないからな」
「ふむ,なるほどのぉ。じゃが,実のところ,最初に言った『そういう魔術だから』という回答が一番真実に近いぞ」
「は?」
天乃が怪訝そうな声を上げてエリザベートを見やる。
「魔術による事象の改変には,例外はあれど,原則的には結果となる物理法則が働くために必要なだけの物理的な力を生じさせるものと,物理法則では到底説明できないものの,特定の現象の結果だけを生じさせるものがある。
飛翔という現象に限って言えば,前者は先ほど主殿が言ったように重力の軽減やそれこそ飛翔に必要な揚力等を直接生じさせるようなものじゃな。
一方で,後者のイメージとしては,まぁ,箒に跨って飛ぶようなもんじゃと思え。
当たり前じゃが,箒そのものに飛翔能力はない。これは,飛翔に必要な物理的な力を生じさせているのではなく,飛翔という結果だけを再現しておるわけじゃな。
そして,この『漆黒の翼』は,典型的な後者でな。要するに『翼』という概念に付随する“飛翔”という要素だけを抽出して,結果だけを生じさせておるのじゃよ」
「よくわかんないけど,要するに“翼”自体が『飛ぶためのもの』だから,その『漆黒の翼』は『飛ぶことができる』って話……なのか?」
「まさしくその通りじゃ。これは,古来より存する魔術の技法のうち,形状の類似性を利用して互いに影響を及ぼし合わせるという考え方を使ったものじゃ。
一般的には類感魔術といった方が通りがよいかの?」
「類感――っていうと,いわゆる丑の刻参りとかの発想ってことか。
あれは,手元の藁人形を対象の人間に見立てて,呪いをかけることで本体にも影響を及ぼそうとする呪術だって話だったな」
「これも要は同じということじゃよ。この到底飛翔が不可能な翼を,本来の飛翔のための翼に見立てることで,その性質を類感魔術の理論に基づいて流用し,飛翔という結果だけを抽出してきているのじゃ」
エリザベートのここまでの説明を聞いた天乃は,ふと疑問に思ったことを口にする。
「ん? だとすると,さっきの例に出た箒に跨って飛ぶってのは,どういう理屈だ? 箒は本来飛ぶための道具じゃないだろ」
「何をいうとるんじゃ,この主殿は。
確かに,箒は飛ぶための道具ではないが,跨れば飛べるというイメージは既に定着した概念であろうが」
「……そりゃあ,そうかもしれないけどさ。
え? そんなんでいいわけ?」
「類感魔術なんてそういうもんじゃ。飛翔していることそのものに理屈なんてないんじゃからな」
「そう聞くと,今のこの状況も落ちるんじゃないかって,急に不安になるな」
「それは,強ち間違った懸念ではないがの」
「え? ……落ちんの?」
「まあ,そんな簡単には落ちんが」
エリザベートは,天乃の小さな疑問から生じた疑念に苦笑しつつも,説明を続ける。
「これは,全ての類感魔術に言えることじゃが,元となる概念が揺らげば,結果を維持できる理屈がなくなるのじゃ。
つまり,これは極論じゃが,『翼は飛ぶためのもの』という常識が一時的にでも消え去れば――」
「単体で飛翔するだけの能力がない以上,墜落は免れないってこと?」
「そういうことじゃな。
何らかの物理法則があって飛んでるわけではないのでな。」
「なら,逆に,この『漆黒の翼』が到底『翼』と呼べる代物でなくなった場合も同様なのか?」
「うーむ。理屈から言えばそうなるんじゃろうが……」
「なんだよ,歯切れが悪いな」
「そちらに関しては,厳密にはそうならない場合がある,とだけ答えておくかの。
――とかいう雑談をしている間に,ほれ。合流地点に着いたぞ」
そういうとエリザベートは話を打ち切り,高度を落とすと,目的地手前にあるバスの停留所に降り立った。




