漆黒の翼と金色の残滓、飛翔する元大怪異
2036年6月7日午後2時32分
英莉が遊上を引き連れて天乃と緋澄のもとに合流すると、既に天空はその場に戻っていたようで、歩いてきた英莉に声を掛ける。
「英莉様、先程まで移動していた《天眼》での監視対象の位置が固定されました。
場所は、やはり第十四学区のようです」
「しばらく、十四区内を移動しておったのか?」
「はい、そのようですね」
「ふむ、つまり、ようやく向こう側の準備が整ったということじゃろ。
主殿、地図を――主殿?」
「え? 地図……ね。はいはい」
英莉に言われるがまま、天乃は地図アプリを起動させるべく、自前の携帯端末をポケットから取り出す。
ただ、英莉は挙動不審な天乃の様子が気になり、声を掛けてみることにする。
「のぉ、主殿よ。なんかあったか?」
「いや、特に、別に」
そう言って天乃は口籠る。
「《荊の》?」
「あんたのご主人様が何もないって言ってるじゃない」
そう言って緋澄は若干頬を紅潮させながら英莉を睨む。
「狗飼の?」
「この天空のログには心当たりになりそうな情報は残っていませんね」
そう言って天空は目を逸らす。
「人質?」
「私の扱いの酷さよ。うーん……英莉ちー的には、有罪寄りの無罪」
「なんじゃい、それは」
そう言って事情を全く知らないであろう遊上が最も有益な回答を返す。
「でも、お姉ちゃん。私からは後でお姉ちゃんに少しお話があります」
「う……」
「いいよね? 返事は?」
「は、はい」
そう笑顔で告げる遊上の圧に、緋澄が若干たじろいでいる。そこからは、戦略級魔術師などと言われ、一部界隈で異常なほどに恐れられている少女の面影はない。
そんなやり取りを尻目に英莉は、取り出した携帯端末を操作していた天乃が何やら首を傾げていることに気付いた。
「どうかしたか、主殿?」
「いや、校内のWi-fiも端末のデータ通信もできなくて、ネットに繋がらないんだ」
「なんじゃと? アプリはネットにつながらんと開かんのか?」
「ああ、読み込みが始まらない。だが、ちょっと待ってろ。昨日見たところ、確か浅木の詳細な地図の画像データはどこかにあったな」
「地図なんてネットがあれば見れるのに、なんでそんなものがデータで入ってるのよ?」
緋澄がジト目で呆れたように天乃を見やるが、画像データを保存したころの記憶がない天乃は曖昧な笑みを浮かべるしかない。
そして、ほどなく、天乃のスマートフォンに浅木の詳細な地図が表示される。
「よくわからんが、地図が出るならそれでよい。
それで、狗飼の眷属よ。目的地はどこじゃ?」
「ええっと、天乃様、よろしいですか? ここですね」
天空は、天乃に断ってから携帯端末の画面に触れ、画像を目的地のある箇所にスライドさせると、拡大して表示する。
そして、自身が把握している《天眼》が指し示す場所をタップして目的地上にマーカーを設定する。
「この建造物――紫水総合研究所は地図によると、範囲指定型術式を主に取り扱っているのようですね」
「範囲指定型術式って、いわゆる結界とかのことよね?」
「そうじゃ。そして、辰上の御子が扱う《王の法》もまさしく、範囲指定型術式に分類されるものじゃ。」
遊上の確認に、英莉が頷き、《王の法》の性質について補足する。
「現在、《天眼》の反応は、ここの五階にあります。」
「階層もわかるのか?」
「はい、天乃様。
そうでもなければ、校内で天乃様との接触を避け続けるのは難しいでしょう?」
「それもそうか」
天乃の疑問に天空が答え、天乃はその内容に納得する。
「直線距離で約四・五キロメートルか」
「目的地がわかったのなら、さっさと行きなさいな」
「ああ、そうするよ。
そういえば、援軍を呼んでくれるって話だったけど、それはどうなってんだ?」
緋澄が、しっしっ、と手で追い払うような仕草をするのに対し、天乃は、思い出した話を投げかける。先ほどまでの挙動不審さは、もうそこからは窺えない。
「忘れてないわよ。
ただ、今回の件は、どこまで拡散していいのかわかんないからね。
あまり、文章で残さない方がいいかと思って。
『これを見たら、すぐ電話するように』ってメッセージを送ろうとしたんだけど、送れなかったわ。」
「もしかして、ネット障害か?」
「そうみたい」
「ネットを介さない普通の電話は?」
「そっちは繋がるんだろうけど、番号知らないし。現状打つ手なしよ」
「それなら、仕方なかろう。
確かに、この話ってどこまで拡散してええものか、わっちも知らんし。
各所への通達などの細かい話は、全部百目鬼に投げてやったからな。
いい気味じゃて、くかか」
「理事さんもかわいそうに」
天乃の質問に対する緋澄の答えに、英莉が反応し、遊上が奔走しているであろう百目鬼に同情的な感想を漏らす。
「要は、サクッと行ってサクッと解決すればよいのじゃろ?」
「どうしよう。フラグにしか聞こえない」
「なぜでしょう、この天空も同様の感想です」
無駄に前向きな英莉の指針に、同行する天乃と天空は、雲行きの怪しさを感じざるを得なかった。
「無論、余裕などとは言わん。
辰上の御子は、曲がりなりにも『超越者』なのじゃしな。
とはいえ、正面切っての戦闘に持ち込めば、その時点で、ほぼわっちらの勝ちじゃぞ?
辰上の御子の直接の戦闘力は一般人とほとんど変わらん。
わっちか狗飼の眷属が、正面から相対すれば、物理的に殴り倒すのはワケないんじゃしの」
「しかし、英莉様。一般人と変わらないということがあり得るのでしょうか」
「ん? どういうことじゃ?」
「いえ、その、『辰上』なのですね? だったら、普通に操魔法による身体強化などが――」
「ああ、ないぞ」
天空の言わんとすることが理解できたのか、英莉は、天空の言葉を遮って、あっさりと結論を述べる。
「断言するが、それは杞憂じゃ」
「どういう意味でしょうか?」
「そのままの意味じゃ。
なに、簡単な話なのじゃ。あれは、今でこそ、『超越者』じゃが、良くも悪くも、本来は『普通の魔術使い』だったのじゃ。
浅木に学籍を置いていたことはあるが、魔力制御の習得を理由に、小学校を卒業すると同時に、浅木からも卒業して本土へと帰還しておる」
浅木は、魔力を持つ未就学児や義務教育期間にある学生に対し、魔力の制御を習得させるための教育機関の集合体である。
ただし、魔力を持つ未成年者の人数に対して、浅木が収容できる人数は、わずかに少なく、今後はその傾向が加速するものと見込まれている。
そこで、現状においても、制御法の学習が必要ないほどに魔力の少ない者や完全に制御ができている者については、入学の優先順位が低く設定されている。そして、一旦浅木に入った後でも、魔力の保有量が比較的少なく、既に魔力の制御ができるようになった者に関しては、個別に懇談が設けられ、浅木からの『卒業』を促されるようになる。
これは、浅木での学習の機会を失うという側面を有するが、一方で、浅木という専門機関から、『魔力が暴走する危険はありません』というお墨付きを得た状態でもある。
世間での扱いは、さながら、刑期を終えた受刑者という感じ(年齢を加味すれば、少年院帰りという感じだろうか)だが、むしろ、保有魔力の低い者にとっては、この待遇を期待する者も多く存在する。
というのも、浅木にいるということは、専門機関で魔力制御を習得しなければ、魔力を暴走させる危険性があるということの裏返しであると捉えられかねないからである。
もちろん、浅木には、膨大な魔力を持つにもかかわらず、それを完全に制御できている者というのも、一定数存在する。しかし、彼らは将来を嘱望され、浅木に囲われている魔術師界のエリートである。保有魔力が低い者では、彼らとはどうあっても同列には語られない。
そうであるならば、早期に『無害認定』をもらって浅木を出るというのが、最も社会的な受けがいいと考える層が一定数いるのである。
それに、浅木での就学経験は将来的にプラスと捉えられる職種や部署もあることから、一概に浅木での時間が無駄になるというものでもない。
このような事情から、英莉が話した辰上の境遇は、決して珍しいものではないのである。
「つまり、彼奴は、『超越者』に至ることで、莫大な魔力を得たが、それを十全に扱えるほどの高度な教育は受けておらんし、訓練も積んでおらん。
天性の勘とでもいうべき感覚で、魔力の暴走は防いでおったようじゃが、それが精々じゃろうよ。
そして、『超越者』に至るとほぼ同時に無力化されたのじゃ。
罷り間違っても、魔力を自在に操作するような高度な技法は習得しておるまい」
「なあ、魔術ってブランクがあると上手く扱えないんじゃなかったか?
もともと大した技能がなくて、三年も使ってないってんなら、魔術は使えるもんなのか?」
魔術の使用も運動などと同様に鍛錬を怠ると発動率に影響を及ぼすことは周知の事実である。運動の場合は、主に筋力の低下などが原因であるが、魔術の場合は、魔力を通すための回路が狭くなったり、栓ができたりして魔力が円滑に循環しなくなったりするのが原因だと天乃が参考にした本には記載されていた。
天乃の指摘は、このような本から得た知識を基にしたものであったが、英莉は、その指摘に対して首を横に振る。
「いや、それは期待できんじゃろ。
それは、飽くまでニンゲンの魔術師の話じゃからの。
既にニンゲンではなくなった『超越者』では、それは当てはまるまいよ」
「実は、ずっと前に活動を再開してて、修行してました、とかは?」
英莉の説明に、遊上が質問する。
「それは……ないじゃろ。うむ、ないない。有り得ん。
彼奴は、なんというか、暗躍に向かない性格なのじゃ」
「なにそれ?」
英莉の説明に今度は、緋澄が疑問を呈する。
ただ、英莉の様子を見るに、説明に難渋している様子である。
「いや、口での説明は難しいんじゃが、何の痕跡も残さずに行動できるほど器用な立ち回りができるような人格ではないのじゃ、ホントに。
一度、面と向かって会話すれば、わっちの説明が五分以内にわかる。
あと、修行漬けの地味な日々を延々と過ごせるような性格でもない。
仮に、復帰しとったなら、調子を取り戻すとか戦力を整えるとか、そんな当たり前で合理的な判断などはすることなく、即座に何らかの目立つ行動をするはずなのじゃ」
「それ、言外に馬鹿にしてね?
いや、ただ、その割には、今回は暗躍してるんじゃないか?」
「む。……確かに、そうじゃな」
天乃の指摘に、英莉は言葉を詰まらせる。
「どういうことじゃ? 仮に優秀なブレーンがついとったとして、それに従うような奴でもないんじゃが」
「オレに訊くなよ。その辺りを詰めきるには、現状では情報が足りないっとことだろ」
「確かに、そうじゃの。では、もう気にするのは止めじゃ。
とはいえ、ぶっつけ本番、出たとこ勝負は割といつものことじゃからの。
大抵のことには臨機応変に対応できるぞ」
「それは、行き当たりばったりというのでは?」
天乃の言葉に自慢げに返す英莉を見ながら、天空はぼそりと毒を吐く。
「とにかく、目的地はわかったんじゃし。
あとはこっちが彼奴の元まで辿り着けるかの勝負というわけじゃ。
では、征くとするか」
英莉は強引に会話を打ち切ると、天乃の手をガシッと掴み固定する。
「なあ、オレは今、非常に嫌な予感がしているんだが」
「さて、わっちらは、このまま空路で飛んで向かおうと思うんじゃが、うぬはどうする? さすがに、うぬまでは定員オーバーで運べんのじゃが」
「問題ありません。この天空も単騎での運用あれば、目的地までは、十分もなく到達できますので」
「ふむ、さようか。では、現地集合で――いや、待て。念のためじゃ。
待ち合わせは、目的地の手前にあるこのバス停にしておこうか」
そういって、英莉は天乃の手元にあった携帯端末を空いた方の手で引ったくり、表示された地図上の地点を天空に示す。
「わかりました。では、そこで」
「さて、主殿よ。というワケでわっちらはちょっと飛ぶから、これを解くのじゃ。さすがに、今の状態では出力が足りん」
そういって、英莉は天乃に携帯端末を放り投げて渡しつつ、空いたその手で髪を結んでいるリボンを指さす。
天乃は、空中で携帯端末を受け取ると、それをポケットに仕舞う。
「あのぉ、英莉さんはどうしても飛んで行きたいと?」
「それが最も時間の節約になるからの。公共交通機関を乗り継ぐとなると、二十五分はかかるぞ?」
「ですよねぇ」
天乃は英莉の説得を諦めて英莉の黒髪を結んでいるリボン――魔導書《魔人の枷》の端を摘み、引くことで英莉の髪を解く。
その瞬間、英莉の髪が金色に輝き始め、先程まで黒色であった目の色が金色に染まっていく。
そして、能面のような無表情が張り付いていた顔には、凄惨な笑みが浮かび上がる。
そこにいたのは、かつてエリザベート・ナイトウォーカーと呼ばれた大怪異の成れの果ての姿であった。
「ふぅ。ふむ、では、落ち着いたところで、主殿よ。ちぃと目的地までかっ飛ばそうと思うから、精々ブラックアウトには気を付けるんじゃぞ?」
「なあ、それって具体的にどういう風に気を付けたらいいのか教えてくんない? 何をどうしたら対策したことになんの?」
「ブラックアウトの原因は、身体に掛かるGによって脳に血液が回らなくなることなのだとか」
「天空さん? その知識をこの状況でどう活かせと?」
「ちなみに、記憶喪失のこともブラックアウトと呼ぶそうですよ?」
「よし、わかった。やっぱりアンタは敵だ。」
「もとより、呉越同舟ですので。そのことはお忘れなきように」
「ああ、肝に銘じておく――よ?」
「主殿、準備ができたぞ。そろそろ口を閉じておくがよい。自分の舌を噛み切りたくはあるまい?」
「それは事故じゃなくて、もはや故意のレベルだろ」
天乃と天空が会話している間にも、エリザベートは自身を構成する魔導書の1つである『漆黒の翼』を展開し、飛翔の準備を整え終えていた。
そして、エリザベートは、天乃が青ざめつつ口を噤んだのを確認すると、天乃の腰に空いている方の手を伸ばして、制服のスラックスについているベルトを掴むと、その場でわずかに膝を曲げて屈む。
次の瞬間、エリザベートは助走をつけることもなく上方向に向かって跳躍したかと思うと、天乃達は既に地上約五十メートル地点におり、跳躍を開始した地点にいるであろう人影は、既にどれが誰かの識別が困難となっていた。
「は?」
「繰り返すようじゃが、主殿、しばらく口は閉じておけよ。
声に出さずとも、わっちとであれば意思疎通はできるであろ?」
あまりの光景に呆けたような声を出した天乃に対し、エリザベートは再度注意を促すと、天乃の反応を待つことなく、目的地である第十四学区に向けて飛翔を開始するのであった。




