主体と成れない人外たち、原始的不能となる契約と大怪異の恋愛観
2036年6月7日午後1時50分
「そういえば」
抵抗を諦めて無言になった遊上を引き摺るようにして歩む英莉は、唐突に立ち止まると、後ろをついてきていた天空に声をかける。
「この場合、形式的にでも《契約》はした方がよいのか、狗飼の眷属よ?」
英莉が口にした《契約》とは、魔術師同士が共通の目的に向かって、協働する際に締結されるいわゆる《魔術師間協働契約》という名の魔術の通称であり、魔術師間において一般的に普及している紛争防止システムの一種である。
魔術師間で何かを協働して共通の目的を達成する場合、その共同事業における役割や結果の享受の分配について、何らかの紛争が生じたとしても、一般的ないわゆる民法典に記載されている契約法では対処できない事態が生じることがありうる。
そもそも、魔術が存在しない社会で形成された価値観に基づいた判断しかできない裁判体による判断では、魔術師間で互いによしとした対等な契約であっても、権利濫用・公序良俗・信義則等の一般条項によって無効とされ兼ねない契約も存在する。
つまり、通常の司法機関の介入によっては、根本的な解決を期待できないケースが生じたのである。
そこで、魔術師間では、何かを協働する際には、事前に《契約》を締結し、互いの行動を自らの力をもって縛りあうという《魔術》が開発されたのである。これは、条項に記された禁則事項に抵触すると、自らの魔力が暴走して自らを傷つけるという自縛機構が搭載された魔術であり、予め定められた解除条件か終了条件を満たさない限り、その契約が有効に作用し続けるというものである。
そして、この《魔術師間協働契約》は、締結の際に用いられる契約書のひな形自体が、市場に流通している『魔道具』であり、特定の魔術しか扱えない特化者であってもこの『魔道具』を介してこの魔術を発動させることが可能という代物である。
なお、『魔道具』とは、予め魔術が掛けられており、魔力を注ぐことで装填されている魔術が発動するタイプの道具の総称である。例えば、間森達に支給されている守護霊が搭載された携帯端末などもこの『魔道具』に当てはまる。
ちなみに、《魔術師間協働契約》が内包された契約書のひな形という『魔道具』を市場に流通させているのは、【討伐令】の発布などを行う魔術師達の国際的な互助機関である『魔術協会』――通称『協会』または『術協』である。
浅木には、『魔術協会』日本支部の浅木出張所が存在しており、そこで1枚5万円程度で誰でも購入可能である。なお、契約書の内容を精査したり、複雑な条項にしたりするためには、追加で金銭が必要となり、総額が50万円を超える契約書なども存在する。
そして、『魔術協会』は、契約書の条項の一般的な文言についての統一的な解釈を公表したり、特殊な条項の内容に疑義が生じた場合における仲裁を行ったりもしている。
英莉から、そのような《契約》の締結を提案された天空は、少し思案顔になると、自分の立場の説明を始める。
「英莉様も、この天空と同じような立場ですので、ご存知かとは思いますが、この天空のような召喚体には、そもそも基本的人権が認められておりません。
そして、あらゆる法律によっても、召喚者以外の第三者との間では、権利帰属の主体となることはございません。
この天空は、お嬢様の名代としてのみ法律行為に及ぶことができ、その場合に発生する権利義務は、全てお嬢様に帰属することになります。また、この天空が犯した罪は、お嬢様が罰を受けることになります。
今回のような非常事態においては、この天空はお嬢様の名代として、お嬢様の名で《契約》を締結することはできますが、先程も申し上げましたとおり、その《契約》によって生じる義務は、全てお嬢様に帰属いたします。ですので、その《契約》によってこの天空の行動に影響を与えることは一切できません。
では、仮に、この天空の名において、《契約》を締結した場合、どうなるかと申し上げますと、その《契約》は原始的に無効となります。
したがって、結局、その《契約》の条項によって、この天空の行動に影響を与えることはできないという結論になります。そして、これは、法律だけでなく、魔術師間の《契約》にも適応されるルールであるというのが、『協会』も認める不文律でございます。
以上を理解した上で、英莉様としては、どのように判断いたしますか?」
天空の説明は、要約すると、《契約》の締結は無意味だというものであったが、英莉はこれに口を挟むことなく聞き終わると、徐に口を開く。
「長々としたご高説、実に痛み入る。
わっちは、うぬのような召喚体ではないが、権利の主体となれず、わっちの行為の効力が主殿に帰属するという点では、うぬと同様じゃ。
じゃからこそ、互いに効果が生じないという認識を前提に、形式的な《契約》をする必要があるのかという確認をしたかったのじゃよ。
要は、マナーの問題というわけじゃが」
「……驚きました。英莉様が、そのようなことを気にされるタイプとは思いもよらず。大変失礼を致しました」
天空は本気で驚いた顔をし、非礼を詫び、頭を下げる。
「いや、マジでそれな。うぬ、丁寧な言葉遣いをしておれば誤魔化せると勘違いしておるのかもしれんが、ちょいちょい無礼じゃからな?」
「はぁ、そうなのでしょうか?」
「無自覚でやっとったのか……」
「いえ、相手は選んでやっておりますが」
「やっぱりわざとなんかいっ」
「……いえ、いえ。そう、いうわけで……は。いえ。どうなんでしょうか」
歯に衣着せぬ物言いをする天空には珍しく、その態度は、どうにも煮え切らないものである。
「なんじゃ? うぬ、どうにも妙な態度じゃな」
「……そう、ですね。一時的とはいえ、協力関係を結ぶ以上、英莉様には話しておくべきでしょうか。まあ、この場には遊上様もいらっしゃいますが、聞かれたところで支障はありませんので、このままお話し致します」
天空は、所在なさげに立ち尽くしていた遊上に対して、そう声をかけると、言うべきことをまとめるために、一瞬言葉を切る。
そして、すぐに続きを口にし始める。
「この天空は、このとおり、一応、意志のようなものを有してはいますが、その本質は、お嬢様に“従うモノ”に過ぎません。
ですので、お嬢様の指示がなく、お嬢様の意志を感じられず、何がお嬢様の益になるかわからない――このような状況においては、有体に云うと、場の雰囲気に流され易くなり、その在り方にブレが生じてしまいます。」
「なるほどの。つまり、うぬの“ニンゲンの願望に応える従者”としての元来の性質から生じる弊害というわけじゃな」
「ええ、そういうことです。普段は、お嬢様の優先度が最も高いので、在り方が統一されており、行動様式にブレが生じるとなどいうことはあり得ないのですが、現状では、元の在り方を保つので精一杯なのです。
特に、現状では、英莉様の案に乗るのが、最もお嬢様との接触に資するという判断で、こうしていますが、それでも、平時のパフォーマンスが発揮できているとは言い兼ねます。
お恥ずかしい話ですが、正直、普段では起こさないようなミスも起こしかねない状況だと思っていただいて構いません」
「ハードウェアではなく、ソフトウェアの不具合というわけじゃな。うーむ。こういう状況でこそ、主殿の魔術が刺さるのじゃがな。まぁ、ないもの強請りをしたところで、仕方あるまい」
「……慎ちゃんの魔術――対人外特効術式、《認識変換》ね?」
肩を竦める英莉の言葉に、これまで沈黙を保っていた遊上が声を発する。
「そうじゃ。厳密に言えば、対人外というのは、正確な表現ではないがの。とはいえ、辰上の御子の魔術《王の法》とは、その特効範囲がほぼ全くといってよいほど被っておらん。
まぁ、じゃからこそ、辰上の御子は主殿を執拗に狙うとるわけなのじゃろうが。
――さて、話が逸れたの。で? 《契約》は、どうする?」
「……今回は不要でしょう」
英莉の提案に対し、天空が首を横に振る。
「確かに、形式を整えておくのは重要かもしれませんが、正直、それはこの天空にとっては最早どうでもよいことです」
「一応、うぬも原型術師の家系に連なるモノじゃろうが。こういったことには厳しいんじゃないかの?」
「お気遣い頂き、ありがとうございます。ただ、それを差し引いても、やはり、果たせぬ約束などは、初めからすべきではないのです。それは、とても不誠実なことですので」
「さようか。まぁ、よかろう」
英莉は、天空の言わんとするところをすべて理解したわけではないが、固辞する以上は無理矢理 《契約》を締結する理由もないことから、その提案を飲むことにする。
「うぬが不要というのであれば、わっちとしては、無理強いはせんよ。もともと、わっちも体裁とやらには拘らん身じゃしの」
「ですが、英莉様。
仮にそのようなものがなくとも、お嬢様の益になるとこの天空が信じる限りにおいて、この天空は可能な限り天乃様と英莉様の意に沿い、最大限の役割を果たすと誓いましょう」
「おや、軽々しくそのようなことを口にしてよいのか? わっちがうぬのことを使い捨てにするやも知れぬぞ?」
「そうして頂いても構わないと告げたつもりですが?」
英莉の揶揄うような口ぶりに、天空は、それでも真剣な態度を崩さずに応える。
「お、おう」
「意見を求められれば応えますが、決定権は全てお二人に委ねます。この天空は道具です。お好きなようにお使いください。ただし、それが、お嬢様の益になるとこの天空が信ずる限りという留保が存在することにはご留意ください」
「無益な自爆特攻には応じぬと?」
「それは、当然です。ですが、有益な自爆というのであれば、喜んでこの身を捧げましょう」
「いざというときには、過るよう記憶に留めておくとしよう」
「機会がないのが最善でしょうが」
「違いない」
「では、この天空はお嬢様の教室へ向かいます」
そう告げると、天空は道を外れて英莉達が向かっているものとは別の校舎へと向かっていく。
英莉と遊上が天空と別れ、天乃らの教室のある校舎の中に差し掛かると、ほとんど喋っていなかった遊上が英莉に話しかける。
「ねー、英莉ちー。さっきの天空ちゃん、大丈夫なの? ちょっと気負いすぎなんじゃない?」
「仕方あるまい。己が主と完全に切り離された単独行動中の召喚体の不安定さを思えば、あの程度は可愛いもんじゃろ。むしろ、よく律しておる方じゃと感心するほどじゃ」
「ああ、野良とかはぐれとか言われてときどきニュースになるやつね」
ときどき、様々な要因で召喚者の制御を離れた召喚体が、事件や事故を引き起こすということがあり、それがニュースで取り上げられることがある。
その多くは、暴走した召喚体が能動的に人間を襲撃したというものであり、そういった召喚体が危険だという認識は、常識の部類に属する。
「英莉ちーは? 慎ちゃんから離れると、暴走したりすんの?」
遊上の何気ない問いに、英莉は無表情のまま「はっ」と鼻で笑うような仕を見せ、やれやれとため息を吐く。
「まさか。わっちは、自らの意志で暴れることこそ有りはすれ、理性を失って暴れることなど、まず有り得ん。
逸れた召喚体が暴走するのは、もともと人に害をなす方向性を持った力の集合体に、仮初の理性と枷を付与して使役しておったニンゲンがいなくなるからじゃ」
「え? 召喚体って意志がないの?」
「上位の、それこそ神に近い精霊や悪魔などにはあるかもしれんが、ニンゲンに強制的に引っ張ってこられる程度の化生にそんな複雑なモノはないぞ。せいぜい、餌とそうでないモノの区別がつくくらいじゃ」
「え? 神? 精霊? 悪魔? 化生?」
ついに遊上の理解が追い付かなくなり、困惑した様子を見せる。
その様子を見た英莉は、歩きながら遊上に対する解説を続けることとする。
「霊・怪異・妖怪変化・魑魅魍魎・蛇蝎磨羯の類いなど、そう呼ばれとる何かのことじゃよ。
正確には違うのかもしれぬが、そういった一般的に認知された既存の枠組みにそれらを組み込むことで、ニンゲンはこれらの方向性を持った力の塊を適当な型に嵌め、使役しておるということじゃ」
「つまり、それを《召喚》と呼んでるってこと?」
「そうじゃとも。《召喚》とは、層の異なる世界の住人をこちらに引っ張ってきて型に嵌める作用と、引っ張ってきたモノに枷をかける作用の2種類の作用を複合した魔術の総称ということになる。
そういった意味で、あの眷属の状態からは、狗飼家の術式が施した枷の強力さが窺えよう」
「はえー、知らなかったわ」
「っつーか、うぬは、一応、ここの学生じゃろうが。
知っとらんとまずいのではないのか?」
「あー……まぁ、それは追々理解してくってことで。まだ習った覚えないし」
「ふーん、まぁ、わっちには関係ないがの」
(まあ、実際は習ったことも覚えてないわけだけど、それは云わぬが花ってことで)
英莉と遊上は、そのまま誰もいない教室に入り、それぞれの荷物を回収する。
「では、戻るか、人質」
「その設定まだ生きてたんだ」
「抑止力にはなるじゃろ?」
「どうかなあ。お姉ちゃんなら、やっちゃうときはやっちゃうと思うけど」
「ふん。要望どおり、ある程度時間もくれてやったのじゃ。きちんと返してくれんと困る」
無表情ながらも軽い苛立ちの感情を窺わせる英莉に、遊上はふと疑問に思ったことを口にする。
「ねーねー。英莉ちーは、慎ちゃんのことが、好きなんだろうけどさ。それは家族みたいなものとしてなの? それとも、異性として?」
「なんじゃ。藪から棒に」
「何の変哲もないただの恋バナだけど。答えられないっていうなら仕方ないけどね」
そういって、遊上はニマニマとした笑みを浮かべて英莉を見る。
「うーむ、そうじゃな。わっちのこれは、ニンゲンでいうところの愛情やら恋慕やらとは違う感情から生じる言動じゃぞ?」
「といいますと?」
遊上の疑問に英莉は律儀に回答する。
「そういった感情は、結局のところ、生殖活動へと向かうわけじゃろ? わっちには子を為す機能はないからの」
「生殖って、なんか急に生々しくなっちゃったなぁ」
「ニンゲンには重要なことなんじゃろう?」
「もちろん、そうなんだろうけどさ。それだけじゃないと思うよ、他人を想う気持ちってのはさ。やっぱり、そういったもの抜きで、好きって気持ちはあるんだよ」
「じゃろうな。でなければ、肉体的な適齢期を迎える前やそれが終わった後には、恋ができないということなってしまうのじゃろうし、同性愛なども成立し得んはずじゃ。じゃから、否定はせんよ。ただ、わっちには理解ができん――いや、実感ができんというだけじゃ。そういった余分な機能は、人外であるわっちには付属していないのじゃから」
「そっか」
「うむ。そもそもあれじゃ。わっちは、長い期間をかけて、今の人格を形成してきたわけじゃが。当初のわっちには、そもそも性別などという概念はなかった。ただ、そこにあるために都合がよいという理由で、形成した人格に付属してきたモノに過ぎん。
そして、やはり最大のネックは、わっちらが異種族ということだ。のぉ、例えばじゃが、うぬは、コミュニケーションさえとれれば、猿とでも番になろうと思えるか?」
「うっ、それはちょっとないかなあ」
英莉の話を聞いて、遊上は、動物性愛者や対物性愛者のことが脳裏を過ったが、自分の嗜好ではないため、即座に否定する。
「そう、うぬがわっちとこのようにまともに会話できとるのも、偏にわっちがニンゲンの少女の姿を形どり、同じ言葉を使っているからに過ぎん。仮に、わっちの見た目が、“名状しがたき外宇宙の怪物たち”のようなものであれば、うぬは先程のような問い掛けはせんかったであろう」
「うん、なんか、やっぱり、あれだ。人外相手に恋バナは難しいってことで」
「わっちもそう思う。おそらく、価値観の相違が埋めがたい」
うんうんとなぜか満足げに頷く英莉に対し、遊上は「でもさ」と前置きをして、再度問いかける。
「英莉ちーは、慎ちゃんが困ってたら助けるよね?」
「まぁそうじゃの」
「逆に困ってるときに助けられたら嬉しい?」
「それはそうじゃろ」
「相手が誰でもそうなの?」
「そんなわけあるまい。わっちは、助けるモノは選り好むし、借りは即座に返したい方じゃ。そういった意味で、見ず知らずのニンゲンに助けられても、困るぞ」
「なら、やっぱり慎ちゃんは特別なんじゃない?」
「少なくとも、人質としての価値くらいはあるじゃろう」
「――……人質としての価値」
「?」
(……そういえば、図らずも私が言っちゃったことだけど。
慎ちゃんにとって、狗飼ちゃんって慎としての価値はちゃんとあるの?)
英莉は、急になにかに気付いたかのように押し黙り、静かに黙考し始めた遊上を引き連れ、天乃と緋澄の元へと向かうべく、歩みを進めるのであった。
ストックが切れたので,しばらく定期更新はできないと思います。




