『まこと』の問いかけ
2036年6月7日午後1時49分
その場に残された緋澄は、英莉たちが視界から消えると、徐に天乃に声をかける。
「さて、さっきも言ったけど、ちょっとだけ気になったことを訊くわ。
前提も含めていくつか質問するから、全てに正直に答えなさいな?
そうすれば、身の安全もある程度までは保証してあげるから」
「お、おう」
天乃の返事を聞く前に、緋澄は手をさっと横薙ぎに振る。そうすると、何もなかった地面から、直径二十五センチメートルほどの太さがある樹木が2本生え出したかと思うと、地面から四十センチメートル付近の高さでその生長は止まる。
緋澄は、その樹木に躊躇なく腰掛けると、器用に脚を組み、目線で天乃にも着席を促す。
だが、天乃は目の前の現実を理解し損ねていた。
そう、樹木が生えてきたのはまだいい。植物を生長させるのが、緋澄の魔術であると、遊上から聞いていたからだ。
だが、目の前の現実はとても受け入れるのが難しい。
そう、生えてきた樹木は、緋澄がすぐに腰掛けることができる切り株だったのだ。
当然の話だが、自然界に存在する切り株は、人工的に樹木が伐採された結果、生じるものである。断じて、切り身の魚が泳いでいるわけではないように、切り株という種の樹木が存在するわけではない。
だからこそ、目の前の現象は、単に植物を生長させる魔術という範疇には収まるはずのないものである。
天乃が混乱していると、緋澄が器用にスカートのまま脚を組み替えつつ、口を開く。
「どうかした? せっかく椅子を用意してあげたのに。私の厚意は受け取れないということかしら?」
「いや、あの、切り株が……」
「どうして生えてきたのかって? ふふふ、当然でしょ。これが、私の魔術だからよ。……聞いてなかった?」
「切り株は、自然には生えてこないだろ」
「ああ、なんだ、そういうこと。ええ、それはそうね。
だけど、樹って切り株じゃないと、座るのに不便じゃない?」
「はぁ」
天乃は、緋澄が言わんとするところを捉えきれず、曖昧な返事をするが、緋澄は、それを意に介すことなく、ごく自然なことを語るかのような口調で話を続ける。
「私はね、あるとき、どこにでも座れる簡易な椅子が欲しいと思ったの。
だから、そのアイデアを研究所に持ち込んで、『造った』のよ。生長することで、切り株に成る植物を」
「……は?」
天乃は今度こそ絶句する。
理解が及ばなかったからではなく、そこに理解が及んでしまったからこそ、絶句せざるを得なかったのである。
緋澄が語る『植物を生長させる魔術』の悍ましいとも思える使用法に思い至ってしまったのである。
「……品種改良ってさ。本来はすごく時間がかかるらしいのよ。
掛け合わせて、失敗して、成功したのをまた掛け合わせて、失敗して。
こんなのを何年も何年も繰り返す必要があるらしいの」
緋澄のそんな言葉を聞いていた天乃の脳内には、先程遊上から聞いたとあるランキングに関する話がリフレインしていた。
『――指標はいろいろあるんだけど、一言でいうと魔術師の『格』かな。』
「でも、私の《荊の女王》を使えば、この過程を大幅に短縮できるの。
それに、《荊の女王》は、生長の方向性にもある程度補正が掛けられるから、望んだ種を思うがままに栽培して人工的に制作できる。
これに遺伝子組み換え技術を併用することで、もっとぶっ飛んだこともできるわ」
『――お姉ちゃんの場合は、特に、魔術行使が生態系に与える影響を無視しえないってのが、この順位になってる最大の理由みたいよ。』
「どうかしら? これが、私が最年少で例外的に戦略級認定を受けた理由よ。
生命に対する冒涜を感じる? 悪いけどそんなの聞き飽きて――」
「――なあ、ちょっと付かぬことを訊くんだが、この切り株って、何の樹木なんだ?」
緋澄が自嘲気味に語る言葉を、天乃は敢えて言葉を被せて遮る。
緋澄は面食らい、天乃から掛けられた言葉の意味を咀嚼して理解しようとするが、その言わんとすることが、結局わからず、思ったことを口にする。
「――何のって? 樹は樹でしょ」
「そうじゃないって。松とか杉とか、そういう話」
「ああ、品種の名前?
それなら、研究所にあるラベルを見ればわかるんじゃない? アルファベットと数字の羅列だけど。
いろいろと無理やり混ぜて造ったから、元となった植物まではもうわからないわよ。
私だって、その辺は正確には把握してないもの。
私付きの研究所の職員が提案したレシピに沿って、必要な生長を促し、必要な掛け合わせを行ってるだけなんだから」
「そうなのか。ちなみに、これ、繁殖は可能なのか?」
「無理よ。これ、花も実もつけない、ただの切り株なんですもの」
「つまり、ある意味で『種』としての到達点の一つってことなのか」
「ご明察ね。確かに、そういう側面もあるわ。
これ、こう見えて製造過程で1000年単位の進化を強要してるんだけど、その過程でかなりの長命種になってしまってるのよ。
生存に必要な要素は、僅かな水分と1日当たり数分の日光だけ。
ま、それすらも大気中に存在する魔力の元から代替成分を自給できてしまうんだけど。
天変地異による環境の大幅な変化にすら耐えきるわ。
ふふ、それこそ、例え人類が滅んでも残ってるんじゃないかしら。このままの姿で」
「さらっと、怖いこと言うなよ」
「だから、役目が終わったら、ちゃんと私が殺してあげないとね」
そう呟いた緋澄の目に浮かぶ感情は、わずかな憐憫であった。
「――……さっきの話だけどな」
「さっき?」
天乃は、緋澄が生み出した切り株に腰掛けつつ、言葉を続ける。
「緋澄が、化け物認定されたって話」
「ええ」
「必要以上に偽悪的に振る舞わなくてもいいんじゃないか?
この名もない植物は、緋澄という人間の才能に寄生することで、種としての完成形に進化した。要は、その関係はクマノミとイソギンチャクみたいな共生関係にあると言えるんじゃないのか?」
「はぁ。あなたね、それで励ましてるつもりなの? そんなわけないでしょ」
「そうだな。ちょっと良く言い過ぎた。
案外、人間と家畜の関係が近いのかもな。
個としての家畜には、死期についての自由はなくなったが、その代わりに、種としては間違いなく効率的に繁栄した。
なにせ、繁殖活動を妨害する要素は人間が取り除くし、仮に疫病などで滅亡の危機に陥ったとしても、人間が必死で解決しようとするだろ?
こういった面からみると、少なくとも、種としての寿命は圧倒的に伸びたと言えるんじゃないか?」
「それは、人間から見た随分と身勝手な理屈ね。
私は菜食主義者や完全菜食主義者の思想というか、方法論には全く共感できないんだけど、それでも家畜のような生活を強いられるのはゴメンだわ。
ねえ、例えが下手過ぎて全然響かないんだけど。
やっぱり、私のこと慰めようとしてるのよね?
やるならもっと真剣にしなさい?
そしたらちゃんと嘲笑ってあげるから」
「まあ、オレもこの方向性では無茶だと思ってたよ。
むしろ納得されたらどうしようかと思った」
そういって天乃は苦笑する。
「まあ、真面目な話、緋澄が相当壊れちまってるのは間違いないけど、それは緋澄だけの責任じゃないとは思うかな」
「そうかしら?」
「周りも悪いだろ。できるからやらせるってのは、なんか違うと思う」
「あら? あなたがそれをいうの、天乃慎?
あなたも結構、無茶ぶりの天才だったと思うわよ? 少なくとも、昔は」
「さあね。今のオレはそんなことは知らないしな」
「呆れた言い分ね。
――“合理の獣”か」
「“合理の獣”?」
緋澄の口から出た聞き慣れないワードを天乃が鸚鵡返しする。
「ええ、ようやく、私がしたい話に差し掛かったわ」
「そういえば、確か、オレに質問があるんだったか?」
「そうよ。
……人間は、“考える葦”だと誰かが言いました」
「パスカルだな」
天乃は、急な話題転換に首を傾げつつも、真面目に回答する。
「そんな記憶は残ってるのね」
「これは、知識だからな。
残ってなかったら、言葉も喋れないはずだろ?」
「それもそうか。まあ、いいわ。
人間が、“考える葦”だとしたら、あなたは、まさしく“合理の獣”とでも呼ぶべき存在だと言った奴がいたのよ」
「……オレが考えなしってこと?」
「曰く、合理的判断に従う装置――だったかしら。
要するに、人でなしってことよ」
冗談めかして軽口を叩く天乃に、緋澄はあくまで真剣な口調で返す。
その態度に、天乃は一瞬たじろぐが、残りの言葉も吐き出してしまうことにした。
「あとは、なんだ? “葦”じゃなくて“獣”だって?
ここでいう“葦”ってのは、自然界における弱いもの、矮小なものの比喩だったか。
だったら、“獣”ってのは――」
「それを食い物にする生来の捕食者の比喩、なのかもね」
「なんで、そこは曖昧なんだよ」
「いや、だって、そこの解釈は聞いてないもの。
ほら、国語の試験でよくあるじゃない? 『筆者の考えを述べよ』ってやつ。
あれ、苦手なのよね」
「急に真っ当な学生みたいな話題出すなよ。びっくりしたわ」
「他人の考えなんてわかるわけないじゃない。
どうせ、『早く仕事終わらせて寝たい』が正解なのに」
「物書きという職種に偏見を持ちすぎだろ。
それに、問題の意図の捉え方が明らかに間違ってる。
まずは、『問題作成者の考えを述べよ』だ」
「でも、聞いた話によると、それが正解みたいなのよね。
結局、ああいう問題は、『筆者の考え』を当てるのではなく、『問題作成者の考える『筆者の考え』』を当てるものらしいから。問題文から問題作成者の意図さえ読み取れれば、『筆者の考え』なんて読み取れなくても正解できるらしいわよ」
「何の話してんの!?」
「何って、“天乃慎”の話よ?」
緋澄は、そういって底冷えするような薄い笑みを浮かべる。
「私が話しているのは、徹頭徹尾“天乃慎”の話」
「……」
「ごめんなさいね。私、話をするのが下手なの。
他愛ない会話はできるのだけど。
正直、こういった真面目な話は、どうしたって回りくどくなっちゃうの。
本来的に向いてないのよね」
「つまり、オレのことを“合理の獣”と称したのは、オレ自身で、さっきの国語の話もオレがした話ってことか?」
「まぁ、そういうことかもね」
「なんか普通の雑談っぽく聞こえるけどな。
とても、オレの死を願ってる人間との会話とは思えない」
「それはそうよ。初めから、そういう関係だったわけじゃないもの、私達」
「それも、そうか」
「ちなみに、その件に関する詳細は黙秘するわ。
なんか、今のあなた相手だと、余計なことを云っちゃいそうだし。
事情を知らない他人への八つ当たりみたいで正直気分があまり良くないもの」
「記憶を失くす前のオレの不始末じゃあ、そうなっちまうのか?」
天乃は、なんとなく緋澄の感覚が理解できるような気がした。
「なぁ、ちなみに、発言者の意図じゃなく、緋澄の考える“獣”ってのは何の比喩だと思うんだよ」
「『自由さ』――いえ、ちょっと飾り過ぎね。『愚かさ』といってもいいわ」
「全然違うもののように聞こえるんですけど。急にポジティブな意味合いがなくなったんですけど」
「似たようなものよ。
自由だからこそ、愚かな選択すら選択肢に入れてしまえるのよ。
初めから賢い選択肢しか用意されていなければ、ずっと賢者でいられるでしょう?
私が思う“獣”の解釈っていうのは、まさしく、何にも縛られてないが故に、愚かな選択をできるモノの象徴なのよ」
「“合理の獣”たるオレは、合理的判断に従う装置だったんじゃないのか?」
「自覚がないというのは実に幸せなことね。
あなたは、どこまでも合理的に愚かな選択をするのよ。
そして、その傾向は今も変わってないわ。
例えばそうね――」
そこまでいうと、緋澄は、再び脚を組み替え、「第一問」と声を上げる。
「さっき、私があなたの使い魔を拘束するために魔力を放出した際、あなたは事前にその魔眼で兆候を読み取って、これを躱したわよね」
「ああ」
「じゃあ、訊くけど。
なぜ、あの中では最もひ弱だった真理を庇おうとすらしなかったの?」
「それは、緋澄が遊上さんに危害を加えようとしていないことが見えたからであってだな。
別に――」
「でしょうね。これは、合理的判断よ」
「あ、はい」
天乃は言い訳を諦め、緋澄は淡々と次の質問に移る。
「次、第二問。
使い魔と天空に警告を発しなかった理由は?」
「正直、気づいた時点からじゃあ、回避が間に合いそうになかったし、あの二人なら強いから、何かをくらっても問題ないかなと思って」
「合理的判断ね。
ちなみに、第三問。
私の魔力放出が数秒の足止めをする程度の効果しかないことは見切ってた?」
「ああ、これは実際、英莉が拘束されてる姿を見たときにわかったことだけど。
……なんだよ。何か責められてんの、オレ?」
「まさか。ここまではただの確認よ、確認。
次が本命の第四問。
私の二回目の魔力放出があなた目がけて迫ってきました。
さて、あなたはなぜ、左右ではなく、後ろでもなく、前に踏み出したのでしょうか?」
「……別にいいだろ? 結果的に問題なかったんだから」
「違うわ、天乃慎。
さっきも言ったけど、私は別に責めているわけではないの。
これは過程こそが重要なのよ。
そして、自覚することが肝要なの」
「自覚って……」
緋澄の淡々と事実を述べるかのような口調に、天乃は言葉を詰まらせるが、やがて、意を決し、答えを述べる。
「うーん。本人を前に言うのはちょっと恥ずかしいんだが。
なんだか、緋澄が――」
「私が?」
「なんか、泣きそうだった、から?」
「ふむ。なるほどね。全然合理的じゃないわ。
理由も帰結もおかしい」
「いや、あのだな――」
「けど、振り返ってみると、結論は最適解だったのよ。
詳しくは省略するけど、実は、あの場面であなたが取りうる選択肢の中では、前に踏み出す他に活路はなかったの。
あなたも言ったけど、『結果的に問題はなかった』のよ」
「お、おう」
「ちなみに、私が考えた合理的推論からの帰結はこうよ。
『まっすぐ向かってくるのだから、左右どちらかに躱せばいい。』
『これを躱せれば使い魔も拘束から脱して戦線に復帰するのだから、尚更これは回避するのがいい。』
どう?」
それは、奇しくも、当時の天乃の思考と合致していた。
「ね? 前に踏み出すのは唯一の活路ではあったけど、合理的判断からは導き出しにくいものだったの。
もし、合理的判断から正答を導き出そうとするならば、敵対者である私の思考や私ができることも考慮に入れる必要があったわけ」
「これが、“獣”とやらに備わってるとかいう野生の“勘”ってやつか?」
「上手いこと言おうとしたみたいだけど、第六感とは少し違うわね。
それは、どっちかというと“虫”の領分でしょ」
「虫の知らせ?」
緋澄は、「そういうこと」と述べると、携帯端末を取り出し、文字を入力する。
そして、それを天乃に見せるように向ける。
「そうねえ、どちらかというと、“観”よ。
あなた、結局のところ、合理的にしか物事を考えられない性分なんだもの」
「直感じゃなくて、直観ってことか?」
「そう、これもあなたの受け売りなのだけど。
あなた、その眼のせいで他人とは違う景色が見えているらしいじゃない?
結局、それを脳内でどのように処理してるのかって話だった気がするわ、確か。
なんか、いろいろ言ってたけど、要は、脳が余分な情報を処理する際の過程が他人とは違うんじゃないかって話だったわ。
普通の人が見逃すようなわずかな情報も、あなたは持ち続けてるんじゃないかとかなんとか。
それで、判断の過程に無意識にその情報を組み込んじゃう結果、合理的な判断として一見愚かに見える選択をするということよ」
「なあ、緋澄って妙にオレに詳しすぎない?
どんだけオレと会話してたの?」
「さて、質問の続きよ」
「あっ、これは黙秘権の行使ってやつっすね」
「第五問」
緋澄は、天乃の反応を完全に無視して質問を続ける。
「辰上ってのとあなたは、なんか因縁があるの?」
「……よくは知らないが、そうらしい。
その辺については、英莉の方が詳しいから、そっちから――」
「いいえ、結構よ。
これは、天乃慎の認識を知るための質問なのだから。答えはそれで充分なの。
じゃあ、次、第六問。
狗飼と天乃慎はどんな関係?」
「どんな?
い、いや、その、会ったことはないけど、多分知り合いだ」
「第七問。
狗飼との関係は良好なの?」
「多分、悪い。
そうじゃなければ、天空さんがオレと狗飼さんが出会わないようにあれこれする必要もなかったはずだ。
んで、オレとしても、その状況を受け入れていた節がある」
「ふうん、そうなんだ。
じゃあ、最後の質問、第八問ね」
緋澄は、座った状態から少しだけ身を乗り出し、天乃に近づくと、天乃の頭を両手で挟むようにして固定する。
そして、そのまま顔を向き合わる。
「なあ、近くないか?」
「私は気にしないわ」
(オレはわりと気にするんですがッ!!)
天乃の内心の動揺を全く意に介さず、緋澄は、最後の質問を開始する。
「天乃慎。
あなたに、辰上何某とかいう私とは方向性が違う化け物と対峙して、わざわざ狗飼を助け出さなければならない動機やメリットはあるの?
もっというと、あなたがそれをする必要はあるのかしら?」
「……現状、辰上とやらに対抗できそうな戦力は、英莉と天空さんしかいなくて、オレが彼女らを現場に連れていくのが最適だから――」
「それは、天乃慎の理由ではなく、使い魔の話に基づく現状における適否の話でしょう?
あなたも言ってたじゃない。『できるからやらせるってのは、なんか違う』って」
天乃の言い分に緋澄は真っ向から反論し、質問を継続する。
「ねえ、ほとんど初対面で、多分全然仲良くもない、むしろ、蛇蝎のごとく嫌われてる可能性が高い女の子を一人助け出すためだけに、あなたが、命を懸け、身体を張る理由は、どこにあるのかしら?
――――ねえ。そんなもの、本当にあるの?」




