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Replica  作者: 根岸重玄
記憶喪失編
5/286

出会い

2036年6月6日午前9時31分


 目覚めて以降,何度も手術と称する治療が継続されたが,天乃(あまの)(しん)の記憶が復元されるには至っていなかった。

 天乃(あまの)の治療に対応した魔術師(まじゅつし)は10人を超え,頭部に触れるだけというものから催眠療法のようなものまで様々な方法が試されたが,どれ一つとして効果的な治療とはならなかった。

 そこで,天乃(あまの)は,これ以上の入院の継続には意味がないとして,いったん日常生活の中に戻され,経過をみながら治療を継続していくという方針で病院から解放されることとなったのである。

 ただ,天乃(あまの)が常識改変によって失った魔術(まじゅつ)に関する情報と,この特区に関する情報については,病院の中で特別講習というかたちで補習を受けてさせられており,未知の知識の羅列(られつ)に正直辟易(へきえき)としていた。

 もっとも,これも治療の一環だと言われれば断ることもできない。

 (いわ)く,魔術(まじゅつ)が一般的に認知されるようになったのは約60年前であること。

 (いわ)く,その原因は世界にあなが開いたことによるものであること。

 (いわ)く,魔術(まじゅつ)を扱えるものが急速に増加したのは,この世界のあなから何らかの物質がこの世界に流れ込んできており,適性のある者が環境に適応した結果であると考えられていること。

 (いわ)く,この特別区画は()()()()()()という地名であり,全敷地が国立行政法人浅木(あさき)大学の所有であること。

 (いわ)く,浅木(あさき)にも世界のあなが存在し,《門戸作成》という魔術(まじゅつ)により封じていること。

 (いわ)く,浅木(あさき)内の情報は外界にはほとんど出ないこと。

 (いわ)く,魔術(まじゅつ)の原理はいまだ解明には至っていないこと。

 (いわ)く,原理の解明が進んでいないのは個々の魔術師(まじゅつし)同士で拠り所としている理論・感覚が異なるせいであり,世界のあなから漏れ出てきていると思われる物質が観測できないことによること。

 (いわ)く,個々人の差異を考慮しても統一的に俯瞰(ふかん)できる体系の整理が進められており,高等学校では一般教養の他に主にその理論体系について学ぶこと。

 (いわ)く,魔術(まじゅつ)を行使できない者でこの特区に来ている学生は将来魔術(まじゅつ)関係の研究職等を目指しているものが多く,非常に勉学について熱心であり,真摯(しんし)であること。

 (いわ)く,(いわ)く,(いわ)く……。




「さて,天乃(あまの)君。

 本日付で君は当病院を退院することになる。

 もちろん,通院は続けてもらうがね。

 来週からは学校にも復帰することになる。

 こちらでも可能な限りの予備知識は伝えたが,魔術(まじゅつ)関連の知識がごっそりと抜けていたのは,君にとって大きな障害となるだろう。

 まぁ,可能限りサポートは続けよう」


 壮年(そうねん)の医師の言葉に,天乃(あまの)は頷く。


「さて,そろそろ迎えが来る頃だと思うのだがね」

「迎えって,僕の保護者の百目鬼(どうめき)って人が来るんですか?」

「いや,本人は多忙のため,代わりの者を寄越すという連絡を受けている」

「そうですか……。

 親族ということなら,ぜひ会ってみたかったのですが」

「まぁ,そのうち機会はあるだろう。

 なにせ,彼女は――」


 そこまで医師が言いかけたとき,こちらに向かって声をかけてくる者がいた。


「おぉ,(しん)

 無事だったか?

 いや,話を聞く限り無事ってわけじゃなさそうだが。

 先生もどうも,お久しぶりです」


 その男はスーツ姿にサングラスという恰好だったが,まだ若く,高校1年生の天乃(あまの)と同年代くらいにも見える。

 身長は天乃(あまの)よりも10cmほどは高く,スーツ越しでもわかるほどに引き締まった体格をしている。


間森(まもり)君。

 君,今日は学校はどうしたのかね?」

「そんな,先生。わかるでしょう?

 こっちも勉学に勤しむ心は持ち合わせていますよ。

 ですがね,親友の一大事とあっては駆けつけぬわけにはいかんでしょう?

 学校がどうの,授業がどうの,単位がどうのと気にしている場合じゃあないんですよ」

「そうなのかね?

 私は水無月(みなづき)君が来ると聞いていたのだが」

「そこまでわかっているなら話が早い。

 あの人がこんなことをできると思いますか?

 無理ですよ。案の定俺にぶん投げです。

 百目鬼(どうめき)さんもそこらへん考えて人選した方がいいと思うんすがね。

 っと肝心の主役を置いてきぼりにしちまったかな。

 一応,顔見知りなんだが,覚えてないって話だろう?

 だったら,改めて挨拶しようか。

 俺の名は間森(まもり)啓吾(けいご)

 お前とは,まぁ,悪友みたいなもんだった。よろしくな」

「よ,よろしくお願いします,

 間森(まもり)さん」


 天乃(あまの)が挨拶すると間森(まもり)は微妙な表情を浮かべる。


「――マジで記憶ねぇんだな。

 違和感しかねぇぜ。構わねぇ,俺のことは啓吾(けいご)って呼んでくれ。

 いや,マジで。お願いします。

 あっ,ちなみに俺,お前とタメで同じ学校のクラスメイトだから」

「えっ? じゃあ,その恰好(かっこう)は?」

「うん,なんも知らねぇみたいだな。

 この街をこの時間帯にどっかの学校の制服で歩こうもんならサボりとみなされて,速攻で警備隊(けいびたい)に補導されっての。

 その目を誤魔化すための仮装だよ」


 警備隊(けいびたい)とは,この浅木(あさき)区においての警察機構の役割を果たす組織である。


(余計怪しいような……)


「むろん,こんなもんじゃあ誤魔化し切れるわけはねぇんだけどよ。

 それでもしないよりマシなんだぜ?

 実際,公欠扱いだから見つかっても問題ねぇんだけどよ」

「公欠? どういうこと?」

「あぁー,それ説明すっとなげぇから追い追いな。

 まずはお前んち行こうぜ。もろもろの話はそっからだ」

「そうかい。

 それじゃあ,私はここで」

「あ,先生ありがとうございました」


 天乃(あまの)は立ち去ろうとする医師に声をかける。


「礼には及ばんよ。

 結局記憶を復元することはできなかったわけだしね。

 じゃあね,天乃(あまの)君,間森(まもり)君。

 帰り道には,気を付けるんだよ。

 天乃(あまの)君はまた来週には予約を取っておくから,学校が終わったら来るようにね」


 医師はそのまま立ち去り,その場には天乃(あまの)間森(まもり)だけが残ることとなった。


「んで? 荷物とかは?」

「ほとんどないよ。財布とかスマホとかくらいさ。

 ほとんど着の身着のまま運び込まれて,見舞いに来る人も荷物を持ってきてくれる人もいなかったからね」

「そうかい。

 あっ,ちなみに,見舞いがなかったのは薄情な奴らが多かったんじゃなくて行方不明扱いだったせいだぜ」

「え? なんで?」

 

 間森(まもり)の思いがけない言葉に天乃(あまの)は驚愕する。

 どうやら,入院中,天乃(あまの)は学校を無断欠席しているという扱いになっていたらしい。


「まぁ,そりゃあ,な。

 なんとなくだけどわかるぜ。

 おそらく,理事会としては今回件を隠蔽(いんぺい)しようとしたんじゃねぇの?」

「理事会?」

「そ。特区内にある学校にはそれぞれ理事ってのがついていて,その理事達で構成された組織が統括理事会――通称理事会ってわけ。

 あとはお前の家までの道すがらで話してやるよ」

「わかった」


 2人は,間森(まもり)が先導する形で天乃(あまの)の住居――といっても学生寮であろうが――に向かうことした。




「なんか思ったより普通だね」


 天乃(あまの)魔術(まじゅつ)特区浅木(あさき)の内部を見た感想はこれに尽きた。

 天乃(あまの)のいう通り,そこは普通の街並みであって特に魔術(まじゅつ)を臭わせる得体のしれないものは存在していない。


「どういう想像だったんだ?

 あちこちに(ほうき)にのった魔法使いどもが飛んでたり,妖精やドラゴンがいたり,怪しげな店舗が立ち並んでいたりする光景でも想像していたのか?

 だったらそんなことは全くないさ。いたって普通の街さ。

 見かけ上はな」

「そうなんだ。まぁそれはいいや。

 それよりも,さっきの隠蔽がどうのって話はどういうこと?」


 間森(まもり)の先導に従ってしばらく進んだのちに天乃(あまの)は先ほどの件を間森(まもり)に切り出す。


(しん)は,俺たちがこの特区じゃ特別な存在だってことは知ってるか?」

魔術(まじゅつ)を使えない未成年者ってこと?」


 この特別魔術(まじゅつ)特区浅木(あさき)は,魔術(まじゅつ)を使える才能がある未成年者を集め,魔術(まじゅつ)の制御法を教えるという役割を果たしている。

 そのため,この特区に所属する未成年は何かしらの魔術(まじゅつ)を扱えることが前提となっている。

 だからこそ,天乃(あまの)のように魔術(まじゅつ)を扱えない未成年者は少数派であり,特別ということになる。


「そう,それそれ。

 魔術(まじゅつ)を使うには魔力ってのがいるらしい。

 まぁ,車でいうガソリンみたいなんもんだ。

 これは大体の人間が持ってるらしい。

 もちろん,魔術(まじゅつ)を使えない俺たちもな。

 じゃあ,俺たちが何で魔術(まじゅつ)を使えないかっていうと――」

魔術(まじゅつ)を使うための演算領域が極端に小さいか,そもそも存在しないから,だろう。

 また,そういった器官を持たない人間は保有魔力数も少ないって話だっけ?

 病院の座学で習ったよ」

「そうか。まぁ,そうだ。

 車でいうエンジンに当たる部分がないからってことだな。

 んで,ここからが重要なんだが,このエンジンの有無はどうやって決まるのかってことだ。

 環境的要因や遺伝的要因なんか様々いわれてるが,はっきりとしたことはわかっていない。

 ただ,親族間では似た系統の魔術(まじゅつ)が得意って傾向もあるから遺伝的要素は見逃せない」

「僕たちは,3親等以内に魔術師(まじゅつし)がいるのに魔術(まじゅつ)の才がない」

「そういうこと。

 それだけ近親者に魔術師(まじゅつし)がいながらどうして俺達には魔術(まじゅつ)が使えないのか。

 そこに着目して,いっそのことそういう未成年者らを集めて共通項なりを調べてみようってのが,俺達がここに集められた理由さ。

 むろん,そういう意味じゃ俺達だってモルモットなわけだが,魔術(まじゅつ)が使えないのに浅木(あさき)の中に高校生のうちから入れるっていう特大の見返りがある」

「それってすごいことなの?」

「もちろんさ。

 魔術(まじゅつ)関連の職に就きたかったら,浅木(あさき)大の卒業はほぼ必須だってのに,今まで浅木(あさき)は未成年の非魔術(まじゅつ)使いの侵入を頑なに拒んでやがったんだぜ。

 もちろん,それは安全保障上の面も考慮されての結果だけどな。

 それを限定的ながら解除した第1号が俺達ってわけ。

 浅木(あさき)はこの第1号を選別する際,守護霊システムの安全性を説いて生徒を募集したんだ。

 そんな俺達のうちの1人が入学して2か月足らずで魔術(まじゅつ)による攻撃で記憶喪失になったってことになったら,どうよ」

浅木(あさき)のメンツは丸つぶれってわけか」


 天乃(あまの)は渋い顔で間森(まもり)の言葉に返答する。


「そうさ,守護霊システムはそういった意味では失敗できないプロジェクトだったんだろうぜ。

 だから,お前を行方不明って扱いにしてすぐに記憶を修復し,守護霊システムの穴を塞ぎ,お前には口止めをしてシレっと復学させる予定だったんだと思うぜ」

「でも,僕の記憶は戻らなかった」

「あぁ,そのせいで予定が狂っちまった。

 いつまでも(しん)を行方不明にしておくと,今度は別の問題になっちまうからな」

「それにしても,浅木(あさき)って結構大胆なことするんだね。

 僕や僕の保護者が黙ってなかったらどうするつもりだったんだろう?」

「あ? 百目鬼(どうめき)さんが文句を言うわけないだろう?」

「へ? 百目鬼(どうめき)さん? 僕の保護者がどうしたの?」


 意外な言葉に天乃(あまの)間森(まもり)百目鬼(どうめき)という人物について聞き返す。


百目鬼(どうめき)さんは俺達の学校の理事なんだよ。

 つまり,守護霊システムや未成年の非魔術師(まじゅつし)の受け入れなんかの責任者ってわけさ。

 ってことは,この措置は百目鬼(どうめき)さんも了承したってことだろ。

 そりゃあ,(しん)としては黙っとくもんなんじゃねぇの?」

「なるほどね。

 啓吾(けいご)が公欠で僕を迎えに来たのはそういう事情か。

 職権濫用なんじゃないの?」

「相変わらず,そういうところは鋭いねぇ。

 まぁ,本来,俺みたいな一学生が迎えに行くってのはおかしな話なんだが,これに関しちゃあ,ちょっとした理由があってな。

 百目鬼(どうめき)さんはその立場上,自由に使える組織がいくつかあるんだが,そこの1個に今回の件を依頼したんだ。

 ところが,その組織ってのがちょっとした社会不適合者の集まりでな。

 まともに応対できる人材が限られていて……。

 結局たらい回しにされた挙句に俺にお鉢が回ってきたってわけ」

「ふーん。大変なんだな。よくわからんけど」

「思いっきり他人事の感想ありがとよ」


 天乃(あまの)間森(まもり)が少しずつ打ち解けてきたころ,天乃(あまの)は周囲の違和感に気づく。


「ところで,結構遠いんだな。病院と僕の住処(すみか)って」

「まさか……そんなはずはねぇよ。

 歩いて10分程度だ。

 こっちだったような? あれ?」

「それに,啓吾(けいご)が言ってた警備隊(けいびたい)の姿を一度も見てないんだが……」

「それも,おかしい。

 実際,俺は来るときに6回ほどはかち合った」


 ここに至り,間森(まもり)も周囲の状況に違和感を覚え始める。

 間森(まもり)はスーツの内ポケットから素早くスマートフォンをとりだすと,何かのアプリを起動させる。


「なんだこりゃ。まぁいい。

 とりあえず,『召喚(サモン)』」


 間森(まもり)が困惑気味な顔をした後,呪文を唱える。

 すると,美しい毛並みをした犬のような獣が現れる。

 もちろん,間森(まもり)自身に魔術(まじゅつ)を扱う素養はない。

 しかしながら,既に魔術が掛かっている魔道具を用いれば,間森(まもり)のような才能のない人間でも魔術(まじゅつ)を用いたように見えるのである。


「それが守護霊(ガーディアン)ってやつ?

 初めて見るけど」


 天乃(あまの)も病院での座学の成果で,魔術(まじゅつ)を使えないはずの間森(まもり)が何もない空間から獣を召喚したことに疑問を差し挟まない。


「そゆこと。

 なんかよくわからんが,魔術(まじゅつ)による攻撃を受けてるっぽいんだが,守護霊が反応しねぇ。

 とりあえず,待機(ステイ)から活性(アクティブ)にモードを切り替えてみたんだが……どうにもしっくりこない」

「またか」


 天乃(あまの)の記憶も天乃(あまの)の守護霊が反応しない魔術(まじゅつ)によって消去されているらしい。

 それを考えると,今回で2回目である。

 天乃(あまの)は,守護霊システムには意外と大きな欠陥があるのではないかと真剣に考えるようになっていた。


「また?」

「僕の記憶も守護霊が反応しない魔術(まじゅつ)で消されたらしい」


 天乃(あまの)間森(まもり)にも事情を説明する。


「なるほどな。

 それで,今回の件も同一犯だと思うか?」

「わからないな。

 そもそも今どんな魔術(まじゅつ)がかけられているのかわからないし,守護霊システムがうまく機能したところを見たことがない身としては,システムの重大な欠陥を疑わざるを得ない」

百目鬼(どうめき)さんも含めて上層部には耳が痛い話だろうぜ。

 けどな,掛けられてる魔術(まじゅつ)ならなんとなくわかる。

 多分,目的地にたどり着けなくなる類のものだ」

「根拠は?

 僕の住居に辿り着けなかったから?」

「それもあるが,()()()()()()()()()()()()()()()()

 それにも(かかわ)らず,そのことに何の違和感も持ってなかった。

 認識阻害系かもな。

 よくある《人払い》とは逆の感じの」

「ん? 向こうから誰か来――」


 天乃(あまの)がそう口にした瞬間,天乃(あまの)は地に伏せていた。

 いや,伏せたというより叩きつけられていたと表現するのが正しいのかもしれない。


「かはっ!!?」


 地面に叩きつけられ,肺の中の空気を一気に吐き出した衝撃で状況が把握できない天乃(あまの)は,一瞬前に聞いた言葉を思い出す。

 どこからともなく現れた少女はただ,天乃(あまの)達に向かって「平伏(ひれふ)しなさい」といったのである。

 その少女の見た目は,天乃(あまの)が一週間ほど前に見た金髪の娘と同じ年齢くらいの幼さであり,身長ほどもの長さが存在する黒い長髪を折り畳むかのように束ねている。

 その服装はなぜか冬服の大きめのブレザーを羽織っているものの,天乃(あまの)間森(まもり)と同じ第三高校の女子用の制服姿である。

 もっとも,ブレザーの丈が長すぎて手はほとんど隠れているし,スカートも見えないので,一見するとブレザーしか羽織っていないように見える。


(しん)!? 無事か!?」


 天乃(あまの)の上から間森(まもり)の声が聞こえてくる。

 どうやら間森(まもり)は無事守護霊に守られたらしい。

 間森(まもり)の代わりに守護霊の獣が地に伏し,鳴き声を発している。

 おそらくこれが警報なのだろう。


「――なんとか,ね。っていうか,

 守護霊ってそんなふうに役に立つんだ……」


 最初こそ突然の衝撃で気が動転したものの,天乃(あまの)はすぐさま立ち上がる。

 少女の方は,間森(まもり)が立ったままであったことから,その間何もせずにこちらの反応をうかがっている。

 そして,天乃(あまの)が起き上がると,間森(まもり)に対して声をかける。



「ねぇ,アンタがこの妙な魔術(まじゅつ)の術者ってことでいいのね?」



 少女が訝しげな眼で両手を挙げて降参のポーズをしている間森(まもり)を見やる。


「待ってくれ。

 あんた,水無月(みなづき)風華(ふうか)だな。

 えーっと,俺を見たことはないか。

 一応,あんたの姉さんと一緒にいるところでも何回か会ってるんだけど」


 間森(まもり)が少女を水無月(みなづき)風華(ふうか)と呼ぶと,少女――水無月(みなづき)はさらに警戒心を高めたようだが,姉の話が出ると,少し思案するような素振りを見せる。


雹霞(ひょうか)(ねぇ)と一緒に?

 ――どうかしらね,覚えはないわ」

「ええっと。

 ちゃんとした挨拶は初めてかな。俺は間森(まもり)啓吾(けいご)

 んで,こっちが天乃(あまの)(しん)

 俺達は三高の10組の人間だ。生憎こいつは守護霊を置いてきちまってるがな。

 ほれ,学生証だ」


 そういいながら,間森(まもり)は胸ポケットから片手で慎重に取り出したカードを,水無月(みなづき)に向かって投げる。

 水無月(みなづき)はカードを空中で受け取ると,うーんと(うな)るようにカードを見やる。


「……10組ってあの10組?」

「そう,まさしく。

 今年から設置された例の10組だ。

 その俺達に攻撃はまずいんじゃないのか?」


 水無月(みなづき)胡乱(うろん)な目を向けると,間森(まもり)は大きく肯定する。


「こんなところで,しかもそんな恰好なのはどうして?」


 水無月(みなづき)は納得できないのか質問を継続する。


「学校に行ってない理由なら今日,俺は公欠だからだ。

 しかも,ちょうどあんたの姉さんの代理としてこの天乃(あまの)(しん)を病院まで迎えに行っていたんだ。確認してもらってもいい。

 この恰好は,まぁ,仕事用の恰好だとでも思ってくれ」

「仕事? アンタ,自分で学生だってゆわなかった?

 それにお生憎様,外部との連絡は遮断されてるわよ。

 アタシの攻撃に対する守護霊の警報も機能してないでしょ?」

「そうなのか。そうだな,確かに。

 えっと,仕事云々にはいろいろ事情があるんだが,生憎それは話すことはできない。

 とにかく,こっちに交戦の意思はない。

 この妙な現象にはこっちも困ってたんだ。

 一緒に協力して脱出しないか?」

「アタシ,アンタを信用できない。

 アンタかそっちの喋んないほう――天乃(あまの)だっけ?

 どっちかが術者である可能性を否定できない。

 特にそっちは10組なのに守護霊もついてないって話だし。

 怪しすぎるわ」


 水無月(みなづき)天乃(あまの)に矛先を向ける。

 天乃(あまの)は思案顔だったが,ここに来て初めて口を開く。


「――別に,話せないわけじゃないさ。ただ,順序があると思ってね。

 謝罪が先なんじゃないかな,こういう場合」


「ふぇ?」


 水無月(みなづき)は虚を突かれたように()頓狂(とんきょう)な声を上げる。


「いやなに。

 そちらの視点に立つとこちらが怪しく見えるのはわかった。

 だけど,そちらは完全に黒じゃあない人間に対して先制攻撃を仕掛けたんだ。

 そちらがこちらを黒だと立証できなかった以上,謝罪はあって然るべきかなって。

 そう思うんだけど,どうだろうか?

 水無月(みなづき)風華ちゃん,だっけ」

「うっ,確かにそうかも……

 じゃないわ,アンタたちが怪しいのは変わんないんだからぁ。

 あと,ちゃん付けすんな。アタシはアンタと同い年のはずよ!」

「え? どう見ても小学生――」

「それ以上ゆったらまた地面にキスさせるわよ」

「まぁ,落ち着け二人とも。

 どうも喧嘩してる場合じゃねぇみたいだ。

 ――あれ,どう思うよ?」

 

 間森(まもり)が指差す先には大剣を携えた西洋風の甲冑が一つあった。大きさは目測で190cmほどである。

 この街並みにはおよそ似つかわしくない光景であるその甲冑はカシャカシャと音を立てながら天乃(あまの)らのいる方向に前進しきている。


「何だ,あれ」

「たぶん,見た感じ人形(ゴーレム)の一種だな。中に人間は入ってない。

 けど,(やっこ)さん,なんだか()る気満々って感じだぜ。

 最悪だ」

「つまり,ブッ潰してもいいってことよね?

 『我,傀儡に自壊を命ず(ブッ潰れなさい)。』」


 水無月(みなづき)が甲冑に向かって先ほど天乃(あまの)達に向けたような言葉を紡ぎだす。

 ――《王宮勅令(おうきゅうちょくれい)》。

 水無月(みなづき)が使うことのできる唯一の術式である。

 その特性は支配にある。

 雑な説明をすると,言葉を用いて他者に行動を強制するものである。

 もちろん,ここでも魔術(まじゅつ)の大原則は有効であり,望まない結果を実現することは容易(たやす)いことではない。

 それでも,水無月(みなづき)の《王宮勅令(おうきゅうちょくれい)》に抵抗することは一般的に困難とされている。

 理由は,単純に水無月(みなづき)の支配特性への相性の良さと魔力保有量とされている。

 保有魔力量の多い魔術師(まじゅつし)はそれだけで単体で結果を実現する力が強く,望まない者に望まない結果を与えやすいとされているのである。

 その原理についても仮説があり,(いわ)く,魔力というのはそれだけで異界を形成するものであり,その保有量が多いということはその存在が単体で物理法則の及ばない異界を形成することができるということにつながる。

 したがって,その異界の中では現実の修正力が大きく弛緩(しかん)するため,魔術(まじゅつ)が成功しやすい環境ができているというものである。

 ただ,この説には異論があり,そうであるならば,魔力保有量の多い者に対する魔術(まじゅつ)攻撃の成功率は大きくなるはずだが,現実にはそうはなっていないということから,魔力保有量と他者介入型の魔術(まじゅつ)の成功率には相関関係はないという説も近時有力視されてきている。

 そのように,保有魔力量と魔術(まじゅつ)の効果の高さとの相関関係については不明確ではあるものの,水無月(みなづき)の《王宮勅令(おうきゅうちょくれい)》を受けた甲冑は,全身の関節を(ひしゃ)げさせながら膝の部分から崩壊していく。




 これは,単純に水無月(みなづき)の力量が相手を上回ったというだけではなく,術式の相性の良さというものがある。

 それは,水無月(みなづき)の《王宮勅令(おうきゅうちょくれい)》は支配特性であり,甲冑を操作する魔術(まじゅつ)は従属特性であると考えられるという点である。

 水無月(みなづき)の《王宮勅令(おうきゅうちょくれい)》は本来,意思のない無機物である甲冑に命令をしてもそれを操作できる代物ではない。

 しかしながら,従属特性の術式により,術者の意思が介在した状態にある甲冑に対しては,干渉可能となるのである。

 そして,従属特性の術式は多くの場合,最初に目標を入力すれば,あとは自動で動くことから,術者と対象とのつながりはあるものの,非常に希薄(きはく)という特徴がある。

 そのような状態にある対象に対して,直接新たな命令を直接書き込む形となる支配特性の術式は相性がよく,支配特性の術式がほとんどの場合で上回るのである。




「どんなもんよ」


 水無月(みなづき)喝采(かっさい)をあげ,天乃(あまの)は安堵の表情を浮かべるが,間森(まもり)の険しい顔は変わらない。


「なぁ,このカシャカシャって音,どっから聞こえてきてると思うよ?」

「ふぇ?」

「音?」


 カシャ,カシャ,カシャという金属が擦れる音と共に今度は9体の甲冑が現れる。


「なんなのよ,こいつらぁ!」



 先程の説明の通り,従属特性の術式で操作されている対象に対しては,支配特性の術式による上書きが有効である。

 しかしながら,支配特性の術式は基本的に対象一つにつき,一つの術式が必要となるが,従属特性の術式は,一つの術式で複数の操作が可能であり,その点においては支配特性を上回っているのである。




水無月(みなづき)ちゃん,さっきみたいに何とかできないのか?」


 憤慨する水無月(みなづき)天乃(あまの)が声をかける。


「無理よ,巻き込めて3体まで。残りは止められないわ。あと――」

「なら,逃げんぞ。

 水無月(みなづき)妹は俺が担ぐ。

 (しん)は病み上がりだろうが何とかついてこい」


 水無月(みなづき)の言葉を遮り,間森(まもり)がこの場で最適解と思える提案する。

 水無月(みなづき)の体つきでは,全力で疾走する甲冑から逃げきれないのは火を見るより明らかだったからだ。


「待ちなさい。アタシを担ぐのは天乃(あまの)の方よ」

「けどそいつは病み上がりで――」

「守護霊がないんでしょ。

 だったら,アタシが命令すればいいのよ。あの鎧から逃げろ,走れってね。

 短時間なら何とかなるわ。ところで,天乃(あまの)君だっけ?」


 水無月(みなづき)は可愛らしい顔を(ほこ)ばせて天乃(あまの)に向き直る。


「な,なにかな。嫌な予感がするけど」

「パルクールって知ってる?」

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