歪んだ再会、かつての『敵』は今もここに
2036年6月7日 午後13時12分
唐突に現れた緋澄の問いに、誰もが硬直する中、真っ先に口を開いたのは天空であった。
「緋澄様」
「なに?」
「少々確認を。天乃様とは以前からお知り合いだったのですか?」
「知り合い? これと? 私が?」
緋澄は、嫌悪感を示すような表情で天乃を指さしながら、冗談じゃないと首を横に振る。その眼差しには、温情など微塵も存在しなかった。
「違うわ、天空。
これは、端的に言うなら、『敵』よ、『敵』」
「『敵』?」
緋澄のあまりにもざっくりとしつつも、誤解の余地を生じさせないシンプルな回答に、天空は困惑気味に言葉を返すことしかできなかった。
「そう。『滅ぼすべき害悪』ね」
「……緋澄様がそこまでおっしゃるほどですか」
「うん、まあね。でも、天空も似たような意見なんでしょう?」
「はて? この天空は、『自分の意志』なるものが公式には認められていないしがない一召喚体にすぎませんので。意見などという高尚なものは、持ち合わせてはおりません」
緋澄の言葉に、天空は建前をもって返答する。だが、その瞳の奥には、天乃慎という存在に対する複雑な感情が渦巻いていた。
「あのね。あなたが自分の意志がないなんて回答をして、それを額面通りに受け取る人間がいるわけがないでしょうが。そうね。私の見立てによると、『積極的に殺そうとまでは思わないけど、どこか遠くでのたれ死んでくれるなら諸手を挙げて歓迎する』って感じくらいには思ってるでしょ、違う?」
「……確かに。仮にそうなればこの天空の懸案事項も減りますので、強ち否定もできませんが」
問い詰めてくる緋澄に対し、天空はもともとあまり隠すつもりもなかったのか、胸中を吐露するかのように苦笑交じりに言葉を零す。
「負債を抱え込んでいる身としては、もう少し正確に述べるなら、『目の前で死にかけていたら手を伸ばすのを躊躇う』という感じでしょうか。なお、最終的に手を伸ばすかは状況によります」
そして、しれっと慇懃無礼に辛辣な評価を付け足すところが、まさにこの召喚体に強烈な個性が存在することを示していた。
「私は、機会があるのなら、自分の手を汚すことも厭わないけどね。ただ、困ったことに一向に機が熟さないの。残念な話だけど」
「なるほど。緋澄様も大変なご様子ですね」
「あのぉ……」
緋澄と天空の物騒な会話におずおずと手を挙げて口を挟んだのは、当の緋澄の妹である遊上であった。
「一応、本人が目の前にいるので、そういった話は、ちょっと……」
「ちょっと? なに?」
遊上の言葉に不機謙に返す緋澄の威圧的な態度に、遊上は怯みそうになったが、何とか続きを発する。
「よくないかなって」
「……へぇ」
緋澄は少し驚いたように、一拍間をおいてから言葉を吐き出す。
実際、遊上が人前で姉である緋澄相手に自分の意見をはっきりと口にするのは非常に珍しいことなのである。
特に、物心がつき、分別を弁える年齢になったころからは、遊上がこのように緋澄に口答えをした回数は、数えるほどしかない。
「天乃慎」
「え? はい」
「悪かったわね。デリカシーに欠ける言葉を口にしたかもしれないわ。さっきのは一片の曇りもない私の本心だけど、気にしないように」
「へ? いや、まあ。気にしてないので。はい」
唐突に緋澄からフルネームを告げられた天乃は、何事かと身構えたが、いきなり謝罪され、さらなる混乱に陥る。
その様子を見た緋澄は、初めて、天乃の態度に不信感を持ったようである。
「何よ、さっきから。ちょっと態度がおかしいわね。悪いものでも拾い食いしたっていうの?」
「いや、そういうわけでは。えーっと、つまり……」
「待て、主殿。そこからは、わっちが話そう」
体感的には初対面の緋澄との距離感を掴みかね、しどろもどろになる天乃をみかねて、事情を知る英莉が助け舟を出す。
「あら? 珍しいわね。っていうか、なんでここに使い魔がいるわけ? もう校内では魔術師だってのを隠すのは止めちゃったの?」
そう云って、緋澄は、英莉に目線を合わせるようにしゃがみこみ、無表情のまま嫌がる英莉の頬をえいえいと指で突き始める。
「ええい、止めんか。違うぞ、《荊の》。今のわっちは、守護霊システムの産物ということになっておるから、学校の中でも問題なく行動できるのじゃ」
「へえ、そうなんだ。……なんでそんなややこしいことに?」
「うむ。それは、今の主殿の状態とも関係あるのじゃが。詳しくは説明できんし、している暇もないが、要点だけ述べると、記憶がないのじゃ、主殿は。全部な」
「そ」
緋澄は、抵抗せずに為すがままにされている英莉の頬を指で突き、ぐりぐりと押し込むようにしながら、ただ一言だけの簡素な返答をする。
「《荊の》。……うぬ、心底興味なさげじゃな。もうちょい驚いてもええんじゃぞ?」
「え? うん。でも、私には関係ないし、興味もないし」
「お姉ちゃん……」
遊上が残念な生き物を見るような目で姉を見やると、緋澄も若干ばつが悪そうな顔をして、英莉に頬から指を放し、露骨な話題変更を試みる。
「それで? 狗飼はどうしたのよ? 本来はその話だったでしょ?」
「うむ。そうじゃったな。これも端的に言うと、攫われた。誘拐じゃ。カドカワシじゃ」
「角川って奴が犯人ってこと?」
「誰じゃ、そやつは?」
緋澄と英莉が揃って首を傾げる。
なお、正しくは「勾引かし」である。
「誘拐、ねえ。確かにぽやぽやしてて抜けてる娘だから、知らない人にもついて行きそうではあるけど……」
緋澄はそこで言葉を切り、天空に目を向ける。
「で? 天空は何してたの?」
「はっ、その、面目次第もございません」
「私は別に責めてはいないのだけど。でも、自覚があるのは、とてもいいことね。ええ、ないよりもずっといいわ。あと、ちゃんと恥じているのなら、今後の態度で取り返しなさいな。それで? 警備隊にはもう連絡したんでしょ? だったら、後はプロにお任せして、我々素人は家に帰って吉報を待ちましょう。
ってことで、はい、解散」
「い、いや。それがのぉ……――」
英莉がここまで言葉を発した瞬間、緋澄は唐突に怒気を込めて全身から魔力を周囲に放出する。その場にいた者たちの鼓膜を震わせ、大気が重低音を奏でるほどの魔力が吹き荒れた。
「――――私は、今、『帰ろう』といったわ。この意味、わかるわよね?」
英莉ほどでないにしろ、緋澄も感情が表情に出ないタイプであることから、英莉はその兆候に全く気づいていなかったが、緋澄はここ最近にないほど激怒していた。
怒髪天を突き、腸が煮えくり返っていたといってもいい。
とはいえ、緋澄は、別に、天空が不甲斐ないだとか、英莉たちが自分達だけで狗飼の救出に向けて動こうとしていただとか、校内の警備体制が甘いのではないのかだとか、そのような些末なことに怒っていたわけではない。
ただ、緋澄は、話を聞いているうちに、なんとなく苛立ちが抑えきれなくなるほどムカつき、一瞬にして沸点を振り切ってしまったのである。その理由は本人をして正しく理解していない。
だが、世界に二十人といないといわれる戦略級魔術師の魔力放出をまともに浴びた英莉は、吐こうとした言葉を喉に詰まらせる。
「――――――ッッ!!」
(くっ、こやつッ、ただの威圧だけで!?)
確かに、魔導書『魔人の枷』による拘束が解かれておらず、臨戦態勢ではなかったとはいえ、自他ともに認める人知を超えた人外の中の人外であり、全身を最高級の神秘である魔導書で構成している英莉の動きを、単なる魔力放出による威圧だけで封じるという所業は、緋澄の規格外さを雄弁に物語っていた。
(しかも、それだけではない!! 体が動かん、じゃとッッッ!?)
それだけでなく、英莉の身体は、硬直し、地面に縫い付けられたかのように指一本も動かすことがままならない状態となっていた。それは天空も同様である。緋澄が放つ濃密な魔力が、逃げ場のない檻となって二人をその場に固定していた。
なお、魔力を持たない遊上は、緋澄によって、器用にもその魔力放出の波の影響が出る範囲から外されていたが、元来の力関係から本気で激怒する姉に意見を言えるはずもなかった。
だから、この場で声を上げる者がいるとすれば――
「悪いけど、今すぐには帰れない」
――事前に魔眼で緋澄の魔力放出の予兆を検知し、影響が及ばない範囲を見切って、とっさにそこに避難していた天乃しかいなかった。女王が放つ圧倒的なプレッシャーを前にしながらも、天乃の立ち姿に揺らぎはない。
「どうやら、英莉によると、今回の件の適任はここにしかいないらしいからな」
「…………は?」
女王の視線が、彼女の「敵」へと、氷のような鋭利さを伴って突き刺さった。




