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Replica  作者: 根岸重玄
登校騒乱編
43/347

《無貌》の支配者

 2036年6月7日 午後12時51分


 警備隊の本庁を足早に出てきた間森(まもり)は、さっそく私用の携帯端末を取り出し、コミュニケーションアプリを立ち上げる。

 そして、三人目の行方不明者――元《案山子》こと藤咲(ふじさき)夏南への通話を試みる。


「……………………」


 間森(まもり)が何度か呼び出しを行うが、応答はない。電子音だけが無機質に響き、彼女の不在を強調していた。


(……出ないか)


 次に、仕事用の端末を取り出し、藤咲(ふじさき)に貸した自分のセーフハウスに仕掛けた隠しカメラの映像を表示する。

 間森(まもり)は、そのまま、動画の下にあるシークバーを弄り、昨日の午後10時までコマ送りで時間を遡っていく。


(映ってもいない。結局、ここは使うつもりがなかったのか。――それとも、ここに向かう途中に何かあったかだな)


 間森(まもり)は、一瞬、このまま特務課の自分のデスクに引き返して、街の防犯カメラの映像を精査してやろうかとの衝動にもかられたが、あのようなやりとりをした後で、仕事でもないことで《形状変化(シェイプシフター)》の前に堂々と戻るためには、面の皮の厚さが少々足りなかった。

 むしろ、間森(まもり)であれば、これが本業であれば、絶対に戻ったであろうし、相手が《形状変化(シェイプシフター)》でさえなければ、仮にあのようなやりとりをした後でも堂々と戻ることもできたのであろうが、そもそも、相手が《形状変化(シェイプシフター)》でさえなければ、あのようなやりとりにはなっていなかったであろうから、それは無意味な仮定である。

 間森(まもり)は、他に何か方法はないかを数秒検討した後、何もないとの結論に至り、そのまま藤咲(ふじさき)のことを忘れることにした。

 薄情なようだが、間森(まもり)の認識としては、藤咲(ふじさき)は一人前の工作員である。

 付き合いは短いが、その腕には一定の信頼があるし、仮に何か問題を抱えて不都合に巻き込まれたのだとしても、それはそれまでの素行の結果なのだから、過剰に肩入れすべきではないと経験から学んでいるのである。

 なにより、間森(まもり)にとって、藤咲(ふじさき)の件はそこまで優先度の高い案件というわけでない。

 このような事情を総合的に勘案した結果、藤咲(ふじさき)に関しては、これ以上手を尽くすべきではないと判断したのである。

 だから、間森(まもり)は、藤咲(ふじさき)のことは保留とし、当面の懸案事項である天乃(あまの)(しん)に関連する仕事を優先することする。


真理まりの話では、相庭(あいば)一臣(かずおみ)は、表向きは四区担当だが、本当は三区の担当って話だったか)

(それにしても、なぜ本来の担当区を秘匿している?)

(《遠隔視》そのものは、大した難易度の術式ではないし、古来より使われてきた普遍的な術式のはずだ)

(つまり、警備隊内でもこれが使えるという者は、そこそこいるはず)

(だが、真理まりの話では、この区画唯一の使用者とのことだった)

(この時点で既におかしかったんだ。まるで、特定の誰か以外、その術式の行使を『許されていない』かのような違和感がある)

(もともと三区にいたはずの《遠隔視》使いはどこに行った?)


 間森(まもり)は、手元の端末を弄って、直近の警備隊における人事異動の情報を読み漁りながらも、足は第三学区の方角に向かっていた。


(データ上は大きな異動が行われたという形跡はない)

(ただ、これ自体はあくまで表向きの情報だ)

(実際のところは、――真理まりに訊くのが一番か)

(っていうか、三区にも魔術師の隊員は普通にいるな)

(いくら本庁が近いとはいえ、この学区には第三中と第三高があるんだから、これはむしろ当然と言えば当然か)

(やっぱり、このリストの全員が《遠隔視》系統の術式が使えないってのは、不自然すぎる話だ)

(つまり、このリストの隊員は、もう三区にはいないということか? あるいは、いても『機能していない』のか)

(――だったら、とりあえず、三区の駐在所から当たってみるか)


 間森(まもり)が考えを整理し、端末から目を放すと、警備隊員の制服を身にまとった男性が、体操服姿の女生徒を先導するように、連れ立って歩いており、正面の道を横切っていったのが、一瞬、間森(まもり)の視界に入った。


(今のは、うちの学校の生徒か?)

(この時間、体操服姿なのは、1年のはずだが、なぜこんなところに?)

(それに、あの顔――見覚えがあるな)

(確か、狗飼(いぬかい)家の狗飼(いぬかい)朱音(あかね)だったか?)


 間森(まもり)の視界に入ったのはわずかな時間であったため、女生徒が狗飼(いぬかい)であるとの確証を得るには至らなかったが、学生が体操服姿で校外をうろついていることに疑問を持ったため、急いで、2人が消えた先を覗き込む。


(おかしい。あの警備隊員、相方が一人もいない?)


 間森(まもり)が周囲を見渡したが、女生徒を先導するように歩く警備隊員は、一人きりであり、その周囲に他の隊員は存在しなかった。

 警備隊は、魔術特区――浅木区の治安維持組織であり、魔術犯罪者に対抗し、これを取り締まる組織でもある。

 そのような組織であることから、危険と常に隣り合わせという状況にある。

 そこで、警備隊の基本方針として、隊員の単独行動の禁止を掲げている。

 常に複数人で対応することで、単体を対象とする魔術への対応力を高め、不意打ちで全滅して対応が後手に回るという事態を避け易くしているのである。

 したがって、緊急時でないにもかからず、相方が一人もいない警備隊員というのは、組織の内部にいる間森(まもり)からは、特に不自然な存在として映ったのである。それは規律の乱れというより、もっと根源的な「組織の欠落」を感じさせた。


(さて、どうするか)

(一応、狗飼(いぬかい)が原型術師としての立場で行動している可能性ってのがある)

(その場合、ある程度の掟破りや横紙破りは十分あり得る)

(今回はそのケースだろうか?)

(否)

(原型術師がそういったことをするってのは否定しないが、ここまで堂々とはしないはずだ)

(やるとしても秘密裏に、できなくても、せめて目撃者を減らす努力くらいはするはず。だというのに、奴からは周囲を憚る気配が微塵も感じられない)

(いや、待て)

(逆に、なぜここまで堂々としている?)

(もしかして、既に何か対策をしているのか?)


 間森(まもり)が懐から私用の携帯端末を取り出すと、そこには守護霊管理用アプリからの通知が三件きていた。

 間森(まもり)は、急いでアプリを起動する。


 浅木区では、魔術を扱えない未成年者を学生として迎え入れるにあたり、彼らを魔術から守るためのシステムが導入された。それが守護霊システムである。

 これは、学校から配布される端末または私用の携帯端末に管理用アプリを入れることで、その端末を保有する者を対象として、守護霊と呼ばれる召喚体による保護が働くようになっている。

 具体的には、魔術の対象からの離脱、魔術への抵抗、魔術攻撃に対する防御、一定の条件を満たした場合には、反撃も可能となる。

 普段は待機状態となっており、魔術の対象からの離脱、魔術への抵抗、魔術攻撃に対する防御が自動で発動するようになっている。

 そして、使用者が『召喚』という肉声を発するか、一定条件がそろったとき、活性状態となり、守護霊による反撃が始まるようになっている。

 欠点は、端末と連動しているのに、このアプリのバッテリー消費量が激しいことであろうか。

 一度、活性状態になれば、次に充電するまでの間は、端末の電池が切れた後でも守護霊は活動できるが、逆をいえば、待機状態の間に電池が切れてしまえば、基本的な防御機能が失われるうえに、活性状態に切り替えることもできないのである。

 そこで、守護霊アプリ専用の端末を持つか、予備のバッテリーをなるべく常に携帯しておくといった対策が推奨されている。


 間森(まもり)が守護霊アプリの三件の通知内容を確認すると、現在、魔術の対象になっていること、その魔術への抵抗に成功していること、既に警備隊に通報していることが表示されていた。


 魔術の原理は、いまだ解明されているとは言い難いが、術者の認識に従って世界を上書きする技術であるという理解が通説とされている。

 そして、個々の魔術師が持つ世界を上書きする能力は、事象干渉能力と呼ばれており、その強さは個々人によって大きく異なる。

 なお、第三高で行われていた魔力競技のうち、『対戦』と『妨害』は、主に、この事象干渉能力が重要な要素なる競技である。

 このような理解に従うと、魔術は、複数の魔術師の認識が重なる領域においては、事象干渉能力が高い魔術師による魔術が優先的に発動することとなる。

 そして、他人とはまさに、『異なる認識が支配する領域』そのものなのであるから、他者を対象とした魔術(例えば、水無月の《王宮勅令》などがこれに該当する)が実行された場合には、まずは、その対象となった者を上回る事象干渉能力が要求されることになる。

 ただ、この事象干渉能力は、数値で示すとするならば、条件次第でその値を変える変数なのであり、常に一定の値を持っているというわけではない。

 要は、認識の問題なのであるから、対象となる者の認識を『そのような現象が起こることは不自然ではない』程度まで落とし込めていれば、ある程度成功率が高まる傾向にあるのである。

 そして、このように自身を対象とした魔術を事象干渉能力のみによって打ち消す現象を『魔術抵抗』と呼んでいる。

 なお、この際の事象干渉能力を魔術抵抗力または抗魔力と呼ぶこともある。


 間森(まもり)は、アプリの『抵抗成功』の表記を見て、守護霊が何らかの術式を無効化していたことを知る。


(ビンゴ)

(普段は全然実感しねえけど、やっぱ守護霊すげぇわ)

(量産できねえってのがつくづく惜しいな)

(だが、つまり、これは)

(一応、対策はされているってことか)

(なら、これは狗飼(いぬかい)家としての行動ってことか?)

(否)

(警備隊への通報がされてるってことは、これは正規の活動ではない)


 守護霊管理用アプリは、警備隊の情報管理用サーバーとも連動しており、警備隊員が正規の手続きを踏んで魔術を使用した際には、その情報が反映され、流れ弾対策として、魔術への回避・抵抗・防御は実施されるものの、警備隊への通報はされない仕組みとなっているのである。

 もちろん、原型術師への協力をするとしても、それは正規の任務なのであるから、魔術を使用する際には、警備隊本部の許可が必要となる。

 許可をとれば、必然的にその情報は入力され、警備隊の情報管理用サーバーに届く。

 したがって、通報がされている時点で、警備隊員としての服務規程を破り、本部に無許可で魔術の使用をしていることになるのである。

 ちなみに、警備隊に限らず、浅木区内は、使用可能区域を除く場所における魔術の使用は原則として禁止されており、それだけで犯罪となりうるほどであるから、この警備隊員の行動は、こちらにも引っかかる行為である。


(少なくとも、これであの警備隊員は黒確定――それと一緒に行動している狗飼(いぬかい)も黒に近い灰色だな)


 ここで、間森(まもり)が「黒に近い」という表現を用いたのは、狗飼(いぬかい)が自由意思で行動を共にしているわけではないという可能性を見込んでのものである。

 思案する間森(まもり)が、アプリの『抵抗成功』の表示の右側にある『詳細情報』をタップすると、術式に対する情報が表示される。


 感知時間――2036年6月7日午後12時56分

 術式系統――認識阻害系

 術式特性――支配?・収束・固定

 術式候補――視線誘導18%・認知低下8%・不明74%

 該当術者――不明

 対象指定――範囲

 回避状態――回避『失敗』

 抵抗状態――抵抗『成功』,抵抗隠蔽『失敗』

 防御状態――防御『不要』

 反撃要否――否

 通報要否――要(済み)

 位置情報――発信中


(ただ、通報があったとはいえ、認識阻害程度じゃあ警備隊は来ねえよなあ)

(しかも、抵抗に成功しちまってるし)


 許可のない魔術の使用は犯罪にもなり得るものであるが、明確な被害が出ない限り、これらは見過ごされる傾向にある。

 なお、この意味で、御堂彩芽が天乃(あまの)と出合い頭にした魔術攻撃は明確な違法行為であるが、天乃(あまの)がそれを回避したことで、公共物に対する物損程度しか被害は発生していない。

 物損の被害は、《流星》使用の件も併せて、別途御堂の実家に請求が行くとして、この件で御堂が魔術の無許可使用を理由に罰されるようなことは、ほとんどないのである。

 もっとも、この件に限って言えば、スリングショットを利用して天乃(あまの)を撃った行為が暴行罪に該当しうるので、どこをとっても完全に無罪とは言えないのであるが。

 そういった意味では、認識阻害系の魔術は、直接的な被害が生じないものの最たる例の一つとして挙げられており、警備隊が動かない可能性が高いのである。

 もちろん、これを利用して直接危害を加えたり、事故を誘発させたりするようなことがあれば、それは処罰対象となる。


(ん?)

(抵抗隠蔽――失敗?)


 抵抗隠蔽とは、抵抗に成功したことを術者に悟らせない技術のことである。

 通常、術者は、自身の魔術による事象改変が、対象者の魔術抵抗力によって妨げられ、打ち消された場合、術式が功を奏さなかったことを察知することができる。

 しかし、対象者の事象干渉能力が術者よりさらに優れていた場合、方法は割愛するが、術式を打ち消したうえで、術者には術式が打ち消されたという情報が伝わらないようにすることもできるのである。

 これにより、術者は術式が成功したものと誤認するのである。


 守護霊システムは、反撃機能こそあれ、これ単体での外敵の排除を目的とするものではなく、警備隊との連携を想定したシステムとなっている。

 よって、守護霊システムは、反撃が有効ではないとの判断をした場合には、回避・抵抗・防御を駆使し、徹底的に時間を稼いで、警備隊の到着を待つという設計思想が存在する。

 だからこそ、守護霊システムは、デフォルト設定により、抵抗した場合には、抵抗隠蔽を行うように設定されている。

 これは、術式が成功したと術者に思わせておいたほうが、追撃の判断を遅らせ、時間を稼ぐことができるからである。


(隠蔽が失敗したってことは、近くに抵抗に成功した誰かがいるってこともバレたってことじゃねえか!)

(どうする?)

(待てよ)

(対象指定が『範囲』ってことは、この術式は個別指定型ではなく、範囲指定型ってことか)


 個別指定型術式とは、直接術式の対象を個別に指定して発動する方式の術式であり、範囲指定型術式とは、一定の範囲を指定し、その範囲内の全員を対象として無差別に発動する術式のことである。

 今回の術式は、認識阻害系であり、範囲指定型であることから、術者を起点とした周囲数メートルの範囲の人間の認知を歪める術式であると推測できるのだ。


(だったら、こっちの位置までは特定できていない可能性が高い)


 個別指定型とは異なり、範囲指定型は、範囲内にいれば術者が対象を認識していなくても効果を発揮する。

 したがって、抵抗に成功した誰かがいることがわかったとしても、その範囲内にいるということ以外はわからない可能性が高いのである。


(だが、時間の問題だな)

(抵抗されたことに気付いたなら、俺なら悠長にこの場に居座ることはしない)

(魔術抵抗に成功した奴の位置の特定なんてせずに、すぐにでもこの場を離脱するはずだ)

(目撃されることを避けるための術式なんだからな)

(だったら、俺のとるべき行動は――)


 そこまで間森(まもり)が考えを巡らせていたとき、視線の先にいた警備隊員が足を止め、後ろを歩いていた狗飼(いぬかい)らしき女生徒もそれに従う。


(なぜ、止まる?)

(抵抗に成功した奴でも探すつもりか?)


 間森(まもり)の疑問を裏付けるように、警備隊の男は魔術を切り替える。

 それを見越していた間森(まもり)は、既に手元の携帯端末に目を向け、アプリから使用された術式の詳細情報を表示していた。


 感知時間――2036年6月7日午後12時58分

 術式系統――探査系

 術式特性――支配?・放出

 術式候補――俯瞰視点92%・不明8%

 該当術者――多数

 対象指定――範囲

 回避状態――回避『不可能』

 抵抗状態――抵抗『不可能』

 防御状態――防御『不要』

 反撃要否――否

 通報要否――否(済み)

 位置情報――発信中


(《俯瞰視点》!?)

(――こっちの位置を探っている!?)


 《俯瞰視点》とは、自身を中心として俯瞰するように視覚を持ち上げる魔術のことで、《遠隔視》の一種である。


(なんだ?)

(いったい何が目的だってんだ!?)


 男の行動原理がわからずに混乱する間森(まもり)は、それでも、ほとんど反射的に、《俯瞰視点》を使用する警備隊員から目を逸らし、さっと反対方向を向いて歩きだし、ただの通行人を装うことで、ゆっくりとその場を離脱しようと試みていた。


「期待外れだな。これでは、ただの木偶ではないか。」


 しかし、間森(まもり)が二歩目を出そうとした瞬間、背後の道から警備隊の制服を纏った男が現れ、間森(まもり)を見るなり、そう吐き捨てる。

 間森(まもり)は、誤魔化すのは不可能と即断し、咄嗟に振り返りつつ後ろに下がり、男と距離をとる。


「《無貌》の認識阻害を破ったから、どのようなモノかと思って見にきてやったわけだが。

 何だ、それは? 個人の力量ではなく、道具の優秀さに助けられているとはな。

 この俺が眠っている間に、そんなモノができたのか?」

「……《無貌》?」


 間森(まもり)は慎重に男を観察しながら男の言葉を反駁するが、次の瞬間、衝撃的な事実に気づき、言葉を失う。


(ってかマジかよ。冗談じゃねえぞ!)

(なんで、今まで気づかなかった!?)


 間森(まもり)が気付いたのは、男の容貌についてであった。

 間森(まもり)の目には、男の顔がはっきりと見えているにも拘らず、それを全く顔として認識できないのである。

 ただの模様にしか見えないし、記憶にも全く残らない。

 部位は理解できる。

 目はあるし、鼻はあるし、口もある。

 だが、それらが像として結びつかない。

 それらを一つの顔として認識することを頭が拒絶しているとしかいいようがない。脳の認識野が、目の前の情報を「顔」という概念に変換することを全力で回避しているのだ。

 とにかく、間森(まもり)にとって、男の首から上は、輪郭に沿って謎の模様が渦巻いているようにしか見えないのだ。

 しかも、そのような状態であったにも拘らず、先程そのことに気付くまで、男の顔の状態に違和感を持つことすらできていなかったのである。


「ほう、その様子だと《無貌》越しに俺の顔を見たのか。

 ははっ、よいぞ。ただの木偶というわけでもないようだ。

 羽虫に昇格させてやろう。

 とはいえ、我が尊顔を拝めたというわけでもなかろう。

 まあ、道端で見つけただけの羽虫にそこまでは高望みが過ぎるか。」


 よく聞けば、男の声にも統一感が全くない。

 同じ人物の声なのだろうが、すぐに印象から抜け落ち、次の瞬間には初めて聞いたような印象を受け、その度に異なる印象を受けてしまう。音としての情報は入ってくるのに、人格としての芯を結ばない。


(頭が、おかしくなりそうだ)


 間森(まもり)は、こみ上げてくる頭痛と吐き気を堪えながらも、男から視線を切ることはできない。

 間森(まもり)のプロの工作員として培われた感覚が、この男は危険だと大合唱していたからである。

 だが、逆に男の方は間森(まもり)に興味を失ったかのように、間森(まもり)から視線を外す。


「貴様では使えん。前座にもならん。

 貴重な時間を割かれたのは業腹だが、この俺にもその程度を飲むくらいの度量は――

 いや、待て。貴様の顔、どこかで……? 確か、天乃(あまの)(しん)の――」


 そういうと男は思案する素振りをし、次の瞬間、哄笑を周囲に響かせる。その笑い声すら、瞬きするたびに音色を変えて脳をかき回す。


「ふ、はははっ、喜べ、羽虫。」


 そういって、間森(まもり)に向かって嗜虐的に笑いかけた。

 もちろん、間森(まもり)からは男のそのような表情すら窺い知ることは困難だったのだが、口元に注視していた結果、口元が歪んだことを辛うじて読み取れたのだった。


「貴様の使い途が決定したぞ。」

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