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Replica  作者: 根岸重玄
恋情加速偏
341/346

停滞の揺り籠、終焉の始まり

 2036年8月9日 午前9時27分


 国際企業フォーラム会場では、華々しいプレオープンの開会式に向け、スタッフたちが慌ただしく動き回り、着々と準備が進んでいた。

 その喧騒の渦中に、周囲を威圧するような鮮やかな赤いドレスに身を包んだ狗飼(いぬかい)朱音は、既に到着していた。狗飼(いぬかい)家は有力な出資者としてプレオープンの招待リストに名を連ねており、彼女がここにいることに不自然さはない。その傍らには、従者として天空てんくうも静かに控えている。


 だが、狗飼(いぬかい)に課せられた真の任務は、祝辞を述べることではない。

 ここで相場操縦のために派手に暴れ、可能であれば関連企業の重鎮を死に至らしめること。それはゲームを既に降りた『金融屋』が、自らの資産を削った駒に報復として残した、最悪の「遺言」であった。


天空てんくう、準備は?」

「いつでも大丈夫です、お嬢様」


 狗飼(いぬかい)主従は短く顔を見合わせる。その瞳に宿る決意が爆発しようとしていた。


「じゃあ、始めるよ」


 狗飼(いぬかい)がそう呟いた刹那、彼女の隣に音もなく現れた漆黒のドレスの少女が、狗飼(いぬかい)のドレスの裾を小さく摘まんだ。


「そう生き急ぐものではないぞ。私のように上手に生き留まろうではないか」

「誰?」

「《生き留まり(ピリオド)》」


 その静かな呟きと共に、《生き留まり(ピリオド)》が「時」を止める。

 彼女の指先に触れられていた狗飼(いぬかい)の時間も、因果の鎖に絡め取られるようにして停止した。


「お嬢様!」

「おっと、手ェ出すなよ。こっちは別にもっと荒事にしてもいいんだからなァ」


 動かぬ主へと駆け寄ろうとした天空てんくうを、鋭い制止の声が阻む。そこにはスーツ姿で不敵に笑う《行き止まり(デッドエンド)》が立っていた。


「貴方は、《行き止まり(デッドエンド)》様、でしたね?」

「俺のことを知ってんのか。なら話が早ェ。このまましばらくじっとしてろ」

「そういうわけには参りません。お嬢様にも事情があります」

「《契約》のことは聞いてる。それも含めてちょっと待てっつってんだよ」

「どうして、貴方様が……」

「細かいことは詮索すんな。そんなことより、ほら。プレオープンの開幕だ」


 《行き止まり(デッドエンド)》が顎で会場を指したそのとき、華やかなファンファーレと共にプレオープンの開幕を告げる声が響き渡った。

 会場は、期待に胸を膨らませてパビリオンへと急ぐ者、その場でシャンパングラスを片手に談笑を続ける重鎮たちで溢れかえる。今のところ、静止した狗飼(いぬかい)たちを不審に思う観客の気配はない。


「いつまでこの状況を続けるのですか?」

「さァな。『仲介屋』の読みじゃあ、そろそろプレイヤー共が動き出すはずだ。それまでは待機だ」

「――ということは、天乃(あまの)様達も来られるのですか?」

「あァ? 俺はあいつらの付き添いだ。成り行きでここにいるにすぎねェよ」

「そうですか。では、貴方方にお任せしましょう。しかし、不思議ですね。貴方が天乃(あまの)様と協力関係にあるとは」


 天空てんくうの言葉に、《行き止まり(デッドエンド)》は鼻で笑った。


「クライアント様の意向だよ。個人的な因縁は果たしたしな」


 それはかつて刃を交えた天乃(あまの)のことであり、同時に『壊し屋』のことでもあった。


「――来たか」


 《行き止まり(デッドエンド)》が低く呟いた瞬間、会場の影からゆらりと「死」の気配が現れた。『殺し屋』、そしてその駒であるジェーン。会場に紛れるためか、その姿はスーツとドレスである。もっとも、『殺し屋』はいつものコートを羽織っている。

 その姿を目撃した《行き止まり(デッドエンド)》は一気に膨大な魔力を噴出させると、弾丸のような速度で『殺し屋』に向かって飛翔した。


「入場券はお持ちですかァ!!? お客様ァァァ!!!」


 《行き止まり(デッドエンド)》の重い飛び蹴りと、『殺し屋』が抜き放ったナイフが激突する。火花が散り、その衝撃波で周囲の観客から鋭い悲鳴が上がった。


「悪ィが、ここが終点、行き止まりだぜ?」

「師匠」

「あぁ、先に行け。リストの上位から積極的に執行しろ」

「聞こえなかったか? テメェら二人。まとめて俺が相手になるっつってんだよ」

「傲慢だな。悪いがこちらにも予定がある。君に構ってあげられる時間はあまりにも少ない」

「プレイヤーってのはどいつもこいつも癇に障る物言いしか出来ねェのか?」


 《行き止まり(デッドエンド)》の全身から、地面を陥没させるほどの尋常ではない魔力が溢れ出す。それは革靴の靴底越しに『殺し屋』へ物理的な圧を掛けつつ、同時に周囲の魔術師たちに「異常事態」を知らせる狼煙でもあった。


「師匠!?」

「構わん、行け!」


 ジェーンが駆けだそうとしたそのとき、新たな影が二つ、戦場に割り込んだ。


「なぁんか異常があったから来たっすけど、どうして浅木最強戦力がここにいるんっすっかね?」

「さぁな」


 現れたのは『護り屋』の駒、《機械操作グレムリン》こと藤咲夏南と、短機関銃(サブマシンガン)を構えた間森啓吾であった。


「《行き止まり(デッドエンド)》、加勢は必要か?」

「あァ? 誰に口利いてやがる、間森ィ」

「そうだったな、お前は『必要』とは言わないんだった。《機械操作グレムリン》――狙うのは駒の方だけだ。『殺し屋』は《行き止まり(デッドエンド)》に任せろ」

「あいあいさー」


 間森は冷静に銃口を上空へ向けると、耳を劈く威嚇射撃を繰り返した。パニックに陥った観客たちが次々と逃げ出していくが、これによって「ここが戦場である」という事実が周囲へ強烈に伝播していく。


「警備が来るまでの間だけでいい。足止めに徹しろ」

「ひゅー、やるぅ。痺れるほどの鮮やかな手際だねぇ。まぁ、それじゃ止まってあげられないけど」


 間森の的確な指示に対し、ジェーンは余裕の笑みを浮かべて軽口を叩き、ナイフを構え直した。


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