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Replica  作者: 根岸重玄
恋情加速偏
338/346

二人の希望狂い、諦観を知らぬ魔人達

 ?年?月?日 ??時??分


 『殺し屋』は、呼吸を整えることすらなく、慎重に天空てんくうとの距離を測る。じりじりと、獲物の喉笛を確実に捉えるための間合いを詰める死神。対して、白銀の毛並みの天空てんくうが、迎撃のために動く。


 刹那、一閃。

 天空てんくうの動きを誘い出すように、『殺し屋』の指先から放たれたナイフが、後方の狗飼(いぬかい)へと飛来した。


「ナイフは軌道を逸らす――《果因鋳造》」


 天乃(あまの)の言霊と共に、ナイフが磁石に弾かれたような不自然な軌道を描き、狗飼(いぬかい)の横を空虚に通り過ぎる。

 だが、それは本命ではない。『殺し屋』は着弾を確認することすらなく、即座に別のナイフをコートの奥から引き抜き、眼前で体勢を崩した天空てんくうに切りかかった。


 一合、二合。

 精神世界の静寂を切り裂くように、爪とナイフの火花が散り、激しい応酬が繰り広げられる。先ほどの、不可視にして理不尽な一撃は来ない。


(やはり、術者は天乃(あまの)(しん)だ。ナイフを逸らすことと同時に、自身の攻撃を通すことはできないようだな)


 『殺し屋』は冷徹な分析に基づき、ナイフで天空てんくうの苛烈な爪をいなしながら、最小限の予備動作でその身体を何度も切りつけた。傷は精神世界によることの再生能力によってすぐに塞がるが、斬撃の衝撃と痛覚の蓄積は、瞬間的に天空てんくうの動きを確実に鈍らせる。


 それを見逃す死神ではない。鈍った刹那を突き、再びナイフが天空てんくうを深く抉る。

 天空てんくうの傷が増えていく。回復の速度を上回る密度で、『殺し屋』の連撃が叩き込まれる。天空てんくうも決してやられるがままに切り裂かれていたわけではない。反撃、防御、回避――持てる技術のすべてを試してなお、文字通り「押されている」のだ。


 圧倒的なまでの殺人の経験値。その絶対的なアドバンテージを前に、天空てんくうは瓦解しかけていた。

 見かねた天乃(あまの)が、再び魔術を起動しようと唇を動かす。


「『殺し屋』に爪の一撃を――《果因鋳――」


 だが、そこまで口にした瞬間、天乃(あまの)は脊髄反射で魔術の行使を破棄した。

 直観が告げた破滅を回避するため、異なる結果を強引に引き寄せる。


「ナイフは軌道を逸らす――《果因鋳造》!」


 狗飼(いぬかい)を狙って放たれた新たなナイフが、衝突音さえ立てずに軌道を変える。


「ほぉ、やるものだ」


 天乃(あまの)が攻撃の魔術を発動させようとした、そのわずかな思考の隙。

 『殺し屋』はコートの袖から、目線を向けることなくナイフを狗飼(いぬかい)に向かって投擲していたのだ。


 その間にも、天空てんくうへの連撃は止まらない。

 初めは小さな傷をつけるだけだった死神のナイフは、今や迷いなく動脈と神経を断つ割合を高めている。そのたびに鮮烈な血飛沫が舞うが、それすらも逆再生するように天空てんくうの肉体へと戻っていく。


 『殺し屋』の目が、感情を排した機械のように無機質に光った。

 次の瞬間、重い音を立てて天空てんくうの左腕が切断された。

 即座に腕が繋がりはしたものの、そこからはもはや一方的な蹂躙が始まった。


天空てんくう!」


 四肢を次々に切断され、紅の飛沫を上げる天空てんくうを見た狗飼(いぬかい)の、悲痛な叫びが精神世界を震わせる。

 その声に応じるかのように、主君の慟哭に呼応した臣獣たちが、憤怒のままに『殺し屋』へと襲い掛かった。


 『殺し屋』は煩わしげに臣獣を蹴散らすが、そこにわずかな隙ができる。

 四肢の再生を終えた天空てんくうが、決死の跳躍で『殺し屋』の展開する殺人領域から脱出することに成功する。


「……っ。ご心配をお掛けしました」


 荒い呼吸と共に天空てんくうが膝をつく。


「ねぇ、あーくん。どうすればいいと思う?」


 圧倒的な地の利。

 『殺し屋』自身が課した枷。

 殺意の減退という致命的なデメリット。

 それらのプラス要素がすべて重なってなお、戦況を完全に支配し続けるこの男は、もはや不世出の怪物と言うほかあるまい。天乃(あまの)というイレギュラーの力をもってしても、攻撃に転じるための「一撃」の隙すら作らせてもらえないのだ。


 天乃(あまの)が攻撃に転じる可能性すら、『殺し屋』は完全に、予測と技術で封じている。

 詰んでいる。

 それが、冷徹な観測者としての天乃(あまの)が出した結論だった。

 だからこそ――


()()()!」


 諦観という言葉を知らぬ魔人が、その魔法の言葉を口にする。


「ここは君の世界、そうだろう?」

「そうだね。この程度、()()()()()()()()()よね」


 もう一人の希望ヒカリ狂い、狗飼(いぬかい)朱音(あかね)もまた、不敵な笑みを浮かべてそれに同調した。

 その刹那、『殺し屋』は己の失策を悟った。

 単純に、天乃(あまの)らを追い詰めすぎたのだ。――追いつめられた極限、反動としての「覚醒」が来る。


「ここはわたくしの世界――何を自由に振る舞ってるの?」

「『殺し屋』に世界による拘束を――《果因鋳造》!」


 狗飼(いぬかい)天乃(あまの)の言霊が重なり、一つの事象として結実する。

 次の瞬間、『殺し屋』の身体が石化したように硬直した。呼吸一つままならず、自由に動くのは目線だけ。

 何が起こったのか。その理屈は不明。

 だが、理不尽の権化である『覚醒者』が二人掛かりで行使した力だ。通常の魔術的な拘束とは、次元が違っていた。


(引き際だ!)


 『殺し屋』はこの瞬間、迷いなく撤退を決意した。

 プライドなどは投げ捨てて、なりふり構わず逃げに徹することにしたのである。

 彼はその鋭い視線で、自分を縛る「対象」を殺しにかかる。そこにあったのは、世界の軋轢そのもの。それをわずかに目で殺した『殺し屋』は、指先が自由に動くことにようやく気が付いた。


 即座に、ナイフを取り出し、狗飼(いぬかい)の内面世界から上位世界へと繋がる通行口を無理やり開ける。

 『殺し屋』はそこへ跳び込もうと、強引に身体を突き動かす。


「あら? お帰りですか?」

「逃がすと思うか?」


 二人の希望ヒカリ狂いが、逃走を図る死神を追い詰める。

 『殺し屋』は遮二無二、残されたナイフを狂ったように振るった。

 身体を拘束していた不可視の「何か」が、殺害され、断ち切られていく。ようやく身体が自由を取り戻す。

 だが、眼前のゲート――上位世界への通行口は、何らかの概念的な障壁が塞いでいた。


 『殺し屋』はその「何か」の正体を知らぬまま、ただ執拗に、絶望的に殺し尽くした。

 そこに生命があるかは関係ない。そこにある「現象」であれば、『殺し屋』はどのようなものであれ殺し尽くし、消し去ることができる。


 天乃(あまの)が更なる理不尽な「結果」を講じる。その寸前、『殺し屋』は、辛くも上位世界への脱出に成功した。

 それは他者から見れば惨めな敗走であったが、あの極限の状況から生還したこと、それこそが『殺し屋』にとっては、間違いなく一つの「勝利」であった。


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