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Replica  作者: 根岸重玄
恋情加速偏
337/347

枷と爪牙と理不尽と

 ?年?月?日 ??時??分


 『殺し屋』が無造作に、二振りのナイフを掲げた。

 天乃(あまの)はその光景を、苦い記憶と共に凝視していた。彼は知っている。あの黒色のコートの裏側には、底の見えない暗器の森が隠されていることを。一本や二本、投擲を凌いだところで、死神の弾薬が尽きることは決してないのだ。


「何あれ、ずっこい! あんなに何本も持ってるなんて反則じゃない!?」


「……いや、むしろ優しいくらいだ」


 天乃(あまの)狗飼(いぬかい)の叫びに、皮肉めいた嘆息を漏らす。

 もし『殺し屋』がナイフなどという、射程も殺傷範囲も限定された獲物に拘泥していなければ、自分たちは出会い頭に、あるいはこの内面世界に侵入された瞬間に、抵抗の余地もなく命を刈り取られていただろう。


 『仲介屋』が以前、淡々と語っていたことがある。『殺し屋』はあえてナイフを使っているのだと。それはプレイヤーとしての制約でも、ましや権能に課せられたシステム上の縛りですらない。彼が自らに課した、傲慢なまでの「枷」にすぎないのだ。


 曰く、そうでもしないと「殺しすぎてしまう」から。


 狗飼(いぬかい)もその一端は聞き及んでいたが、『殺し屋』の権能には、殺害を実行するたびに殺意が減退するという致命的なデメリットが内包されている。

 もし彼が、より効率的に命を奪える武器――例えば、現代兵器の極致である自動拳銃を選択していたなら、彼はあまりにも容易に、そして過剰に標的とそれ以外を殺戮してしまうだろう。そうなれば、彼の殺意という名のガソリンは一瞬で枯れ果てる。


 それを避けるため、彼はわざわざ自身の肉体を晒し、一歩踏み込まねば届かないナイフを選んだ。自らを不自由にすることで、殺意の燃費を無理やり調整しているのだ。

 そうでもしなければ、『殺し屋』という怪物は止まらない。この異常性を危惧した『仕切屋』が、他プレイヤーとのパワーバランスを保つために権能と称してデメリットを付与せざるを得なかった、呪いのような均衡の天秤であった。


「とにかく、異質なんだよ、『殺し屋』は。存在そのものが殺人の最適解で構成されている」


「まったく、下らぬ権能のせいで苦労する。他のプレイヤーの、あの自由奔放さが羨ましいよ」


 『殺し屋』は吐き捨てるように、自嘲気味な呟きを漏らす。その瞳には、殺人を義務としてこなす者特有の、底知れぬ虚無が宿っていた。


「つまり、勝手に縛りプレイしてくれてるから、わたくしたちはまだ生きていると?」


「そういうことだ」


 狗飼(いぬかい)の問いに、天乃(あまの)は即答する。


「でも、さっきからかなりの数、わたくしの獣を殺してない? あの人。そんなに殺してたら、殺意が減っちゃうんじゃないの?」


「獣は獣、人は人だ、狗飼(いぬかい)朱音(あかね)。私にとっては、それらを同じ『命』として一括りにすることはできない。なぜなら、私は殺人鬼だからな」


「人の命でなければ、その渇きは充たされぬというわけですか?」


 天空てんくうの問いに、『殺し屋』はわずかに首を傾げた。


「一概にそうとは言えんのが歯がゆいところだが、概ねそうだと回答しておこう。少なくとも、器物を壊して喜ぶ子供じみた趣味はないのだからな」


 そう言って『殺し屋』は、周囲を取り囲む銀色の臣獣たちを冷徹に睥睨した。


「これらは、私にとってはただの器物に過ぎん」


「そうですか……なら、都合がいいね。天空てんくう! わたくしの守りはあーくんがやってくれるっぽいから、全力でやっちゃえ!」


天乃(あまの)様、お嬢様をお任せします」


「任された!」


 天乃(あまの)狗飼(いぬかい)の前に踏み出す。それを受け、天空てんくうが白銀の疾風となって地を蹴った。


「いいぞ、殺意の質が上がったな。そう来なくては、殺し甲斐がない」


「ところで、お尋ねしますが。――貴方から見て、この天空てんくうは『人』ですか?」


 肉薄する天空てんくうが、獣の咆哮のような問いを投げかける。


「あぁ、その魂の在り方。見た目は獣人だが、確かに君は『人側』だとも」


「それは重畳。――せいぜい、その死を噛み締めてください!」


 天空てんくうが、裂帛の気合と共にその爪を振りかざした。


「おっと」


 『殺し屋』はそれを最小限の動きでナイフの腹に当て、火花と共に弾き飛ばす。さらに空いた死角、無防備な天空てんくうの腹部に向かって、岩をも砕く膝蹴りを叩き込もうとした。


「『殺し屋』に爪の一撃を――《果因鋳造》!」


「ぬっ……!?」


 その瞬間、『殺し屋』は反射的に、自身の神経が警鐘を鳴らすよりも早く、その場から後方へと跳躍し退避した。

 だが、着地した彼のコートには、確かに天空てんくうの爪による鋭い裂傷が刻まれていた。


「相打ち覚悟の一撃がその程度か。随分と壁が高いな」


「構いません。今度はもっと引き付けます。……お嬢様を守る盾が、もう一人いますから」


 天空てんくうは、天乃(あまの)の放った意味深な言葉の「結果」に、確かな手応えを感じていた。


 一方、『殺し屋』の思考は加速する。


(何が起こった? 今の不可視の一撃……確かに私は、直感に従い何かを躱したはずだった。だが、あれは回避することも防御することもできない『理不尽』な一撃だったようだ。まるで、別の世界から届いた一撃であるかのような不可思議さ。これが、天乃(あまの)(しん)の新たな力か)


 検証の必要がある、と死神は冷静に自己のデータを更新する。


狗飼(いぬかい)朱音(あかね)を狙ったナイフが逸れた原因。そしてこの不可視の一撃。これらが本質的に同じ現象だとするならば、一体何が考えられる? もっとサンプルが必要だ。火中の栗を拾う趣味はないが、これを攻略せねば、私は理由もわからず敗北するという確信がある……!)


 『殺し屋』が再び、慎重に、そして深くナイフを構え直した。

 そこには油断も躊躇もない。

 ただ静かに、必ず殺すという絶対の意志だけがそこにはあった。


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