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Replica  作者: 根岸重玄
恋情加速偏

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336/348

蹂躙される聖域に介入する楔

 ?年?月?日 ??時??分


 銀光が尾を引く精神世界の空で、『殺し屋』の振るうナイフが残酷な煌きを放つ。


 天空てんくうはその爪を鋭く閃かせ、火花を散らしながら死神の凶刃を受け流していた。

 《天空召喚――人魔狼形態モード・ウェアウルフ》。

 今の天空てんくうの姿は、月下に狂い咲く白銀の人狼そのものである。足場や空間の密度すら狗飼(いぬかい)の自由になるはずの精神世界。本来ならば圧倒的な地の利があるはずのこの場所で、戦況は完全に『殺し屋』側に傾いていた。


 まず、『殺し屋』を捕縛すること自体が不可能だった。狗飼(いぬかい)は必死に『殺し屋』の機先を読み、彼を拘束しようと地面を隆起させ、空間を歪めている。だが、そのすべてが通用しない。

 広範囲を覆い尽くす飽和攻撃を仕掛けても、『殺し屋』は手にしたナイフ一本で、それこそ概念ごとすべてを薙ぎ払ってしまう。ならばと天空てんくうを突撃させても、柳に風とばかりにあっさりあしらわれ、本命の攻撃を通す隙すら与えられない。


 その無駄のない立ち回りは、殺戮でありながら芸術的ですらあった。狗飼(いぬかい)たちはこの完全有利な世界において、たった一撃掠らせることすら叶わないでいる。


 一方で、『殺し屋』はすれ違いざまの刹那、的確に天空てんくうの身体を削り取っていた。

 この空間は狗飼の内部世界であり、天空はその一部であるから、即座に傷は塞がる。だが、死神の刻む「死」が、再生を上回る冷徹さで積み重なっていく異様な光景は、主従にとって受け入れがたい恐怖であった。


天空てんくう、どう?」

「お嬢様、これは異常です。こちらの攻撃が掠る気配もありません」


「純度が低い」


 戸惑う主従の声に、『殺し屋』が反応する。

 一切の予備動作なく空間を滑り、死神が囁いた。


「まったく以て殺意が足りない。これでは蚊も殺せまい。もっと殺意を振りまき給え」

「嘘だね。だって殺意の察知なんて得意そうじゃん?」

「それはまぁ、そのとおりなのだが」


 狗飼(いぬかい)の指摘に、『殺し屋』は素直に頷く。


「だがね。中途半端が一番良くない。どうせ込めるなら全力で掛かって来給えよ」

「お嬢様、耳を貸す必要はありません」


 天空てんくう狗飼(いぬかい)を背に庇い、鋭く声を飛ばす。


「君もだよ、天空てんくう。中途半端は良くないと言っている。いい加減、お嬢様への守りを捨ててはどうかね」

「お断りします。そういうということは多少なりとも効果があるということ。貴方様にお嬢様を傷つけさせるわけには参りません」


 天空てんくうは舞踏のようにしなやかな動きで、絶えず『殺し屋』の視界から狗飼(いぬかい)を外すよう誘導を続ける。


「あぁ、麗しの主従愛。実に容易い」


『殺し屋』は天空てんくうの舞踏を既に見切っている。狗飼(いぬかい)が放つ、工夫こそあれど本質的には代映えのしない攻撃にも、既に飽きがきていた。次の瞬間にも天空てんくうを排除し、狗飼(いぬかい)の喉元を切り裂くことは造作もない。

 だが、それでは狗飼(いぬかい)朱音(あかね)という存在は絶命しない。

 だからこそ、死神は待っていた。この世界の核が、最も無防備に晒される瞬間を。


「ん?」


 狗飼(いぬかい)が疑問の声を上げた。


「何だろう。これ」


 次の瞬間、静まり返っていた内部空間に、臣獣たちが姿を現した。その数は瞬く間に増殖し、精神世界の地平を埋め尽くしていく。現実世界で『仲介屋』によって母胎回帰を宿命づけられた臣獣たちが、因果の糸に引かれて狗飼(いぬかい)の深層世界へと戻って来たのだ。


「ちょうどいいや、やっちゃえ」

「何?」


 主の呼びかけに応じ、臣獣たちが一斉に『殺し屋』へと視線を向ける。それは、この精神世界に侵入した明確な「異物」に対する排斥本能だった。

 獣の波が、死神を蹂躙せんと殺到する。『殺し屋』は淡々とそのナイフを振るった。


 閃光一閃。急所を切りつけられた臣獣が、その場に崩れ落ちて絶命する。肉片からの再生も、再誕も発生しない。存在そのものを停止させる、完全なる「殺害」だった。


「無駄なことを」


 それは『殺し屋』の処理すべきタスクを一つ増やしたに過ぎない――そう考えたのは、狗飼(いぬかい)たちだけではなかった。

 次の瞬間、独楽のように鋭く回転した『殺し屋』が、遠心力を乗せて手元のナイフを投擲した。

 その切っ先が向かう先には、増殖する臣獣の影に隠れ、わずかに無防備を晒した狗飼(いぬかい)がいた。天空てんくうの鉄壁の守りから、一瞬だけ外れた死角。そこを死神は、寸分狂わず突いた。


「くッ……」


 天空てんくうの爪が空を切る。だが、一歩届かない。

 放たれたナイフは引力に引かれるように、まっすぐ狗飼(いぬかい)の額へと吸い込まれていく。


 だが、直撃の寸前、空間が紙を破るように割れた。

 そこから飛び出した影が、狗飼(いぬかい)の真横に滑り込む。


「ナイフは軌道を逸らす――《果因鋳造》」


 世界が静止し、論理矛盾ロジックエラーを告げる無機質な声が響く。天乃(あまの)は吠えるように反論した。


(オレがその拳で空中のナイフを殴り飛ばした。故にナイフの軌道は逸れた。一発で成功するとは思えないし、オレの拳は無事じゃ済まないだろうが、それでも結果は発生する!)


 次の瞬間、論理矛盾ロジックエラーが解消される。

 不可視の衝撃がナイフを叩き、その軌道を強引に横へと逸らした。刃は狗飼(いぬかい)の髪をかすめ、虚空へと消える。当然、《果因鋳造》の結果によって、天乃(あまの)の拳が傷つくことはない。


「あーくん? あーくんだ」

「手伝いは必要か?」


 天乃(あまの)慎は、怪異の王の魔力をその身に宿したまま、狗飼(いぬかい)へと視線を向けた。


「いいの? わたくし、そんなことしてもらえるようなことした覚え、ないよ?」

「まぁ、確かに、迷惑と面倒しか受け取っていない気がする。でも、あの水無月(みなづき)があそこまで求めた友達なんだ。だったら、それを手伝うのに理由はいらないよ」

「いいの? また彩芽あやめちゃんに意地悪しちゃうかもよ?」

「そのときは、オレが全力で止めればいいだけだ」

「そっか。うん、じゃあ、共闘よろしく」


 天乃(あまの)狗飼(いぬかい)、そして天空てんくうが、再び前方の『殺し屋』へと向き直る。


「希望狂いが、二人」


『殺し屋』がそう呟くと、空間が震えるほどの殺意が噴出した。


「ちょうどいい。あのときの借りを返そう、天乃(あまの)慎。『仲介屋』も今回は文句を言うまい」

「やってみろ、『殺し屋』」


 天乃(あまの)が不敵に応える。

 死神と、希望に狂った者たちによる、因縁の第二ラウンドが幕を開けた。


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