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Replica  作者: 根岸重玄
恋情加速偏
333/346

喧嘩を引き裂く殺意の刃物

 ?年?月?日 ??時??分


「あははは、楽しいね! 天空てんくう!」


 狗飼(いぬかい)の拳と天空てんくうの拳が、爆音と共に正面からぶつかり合う。

 衝撃で互いの腕が砕け、肉片が飛び散る。だが、次の瞬間には巻き戻るかのように元通りに修復されていた。ここは狗飼(いぬかい)の精神世界の深奥。術者の主観が現実を支配する領域において、肉体の欠損など意味をなさない。

 だが、天空てんくうとてこの世界を構築する重大要素の一つだ。狗飼(いぬかい)の精神的な支柱であるがゆえに、その存在強度は極めて高く、そう簡単には砕け散らない。


「そうですか? いまいち張り合いというものがないのですけど」


「いつもの訓練と同じだと思ってるからだよ! 喧嘩なんだからさぁ、互いに文句でも言っていく?」


「それではこの天空てんくうから。――いつも破天荒すぎます、お嬢様。そろそろいい年なんですから、いい加減落ち着いてください」


 天空てんくうの容赦ない言葉と共に、鋭い蹴りが狗飼(いぬかい)の腹部に突き刺さった。朱音(あかね)の身体が紙屑のように吹き飛び、精神世界の地平を転がっていく。


「あ、なんかちょっと爽快な感覚がありました」


「やっぱり、鬱憤溜め込んでるじゃん! しかも結構洒落ならないレベルのやつ!」


 狗飼(いぬかい)は激しく吹き飛びながらも、器用に言葉を紡いだ。そんな彼女に、天空てんくうが風を切って追走する。


「では、次も不肖、この天空てんくうが務めさせていただきます」


「ちょっと! せめて交互にしようって!」


 空中で体勢を立て直した狗飼(いぬかい)が文句を言うが、天空てんくうは止まらない。その瞳は本気だ。


「いい加減まともに学業に従事してください。スペックだけはいいんですから」


 天空てんくうの鋭いかかと落としが、空中にいた狗飼(いぬかい)の脳天を直撃し、地面へと叩きつけた。轟音と共に土煙が舞う。


「あと、いつものサボり癖はいただけません。今後は狗飼(いぬかい)家当主としての仕事もあるのですから」


 天空てんくうは無造作に、地面に転がる狗飼(いぬかい)の身体を踏みつけた。顔面に降り注ぐ苛烈なスタンピング。

 それを何とか両手で受け止めた狗飼(いぬかい)は、屈辱に顔を歪ませながら、そのままの体勢から強引に天空てんくうの足を掴んで放り投げた。


「そういうところ! そういうところが天空てんくうはダメダメなの! わたくしへの労りが足りない! 甘やかしが足りない! もっと優しくしてくれてもいいのに! 容赦がない!」


 吹き飛ばされた天空てんくうは、空中で身を翻しながらその言葉を反芻する。


「そうでしょうか? この天空てんくうは十分お嬢様を甘やかしてしまっているような?」


「嘘つきだ! 本気でそう思ってるなら価値観が違うとしか言いようがないよ!」


 立ち上がった狗飼(いぬかい)と、軽やかに着地した天空てんくうが再び向かい合う。


「そうでしょうか? お嬢様はできるのにやりませんよね?」


「だってやったらやったで次はもっとハードにするでしょ?」


「それはそうでしょう? できるのにやらないのは怠惰です」


「そういうところ! もう、天空てんくうはそういうところが非人間的なんだよ! いい? 人間は限界を超えるまで酷使されると死んじゃうんだよ!?」


「限界を超えて進化する『覚醒者』が何を言ってるのですか?」


「あー、『覚醒者』差別だ! それだけは言っちゃいけないんだ! できるからやらせるってのは虐待なんだぞぉ!」


 狗飼(いぬかい)が心底憤慨したかのように両腕を振り回す。その幼稚な仕草を見て、天空てんくうの口元に微かな笑みが漏れた。


「なんでしょう。やはり、ちゃんと喧嘩すると気分がいいですね」


「そうかな!? わたくしは思った以上に過酷な現実に耐えられそうにないよ!?」


 天空てんくうの意外な本音を聞いた狗飼(いぬかい)は、圧倒的な実力差(と正論)を前にして少し涙目になっている。


「では、続きと行きましょう。まだまだまだまだ、お嬢様には言いたいことが、伝えたいことがあるのです」


「うわぁん、天空てんくうが『覚醒者』みたいなこと言ってる!」


「お嬢様はありませんか? この天空てんくうに伝えていないこと。伝えたいことは」


「……ほとんどないよ。だってわたくしは、そういう本音を天空てんくうにだけは隠していないんだもの」


 にへら、といつもの屈託のない笑みを浮かべる狗飼(いぬかい)。その無防備な表情を見た瞬間、天空てんくうの中に澱んでいた激情が堰を切って溢れ出した。


「だったら! だったら、どうして今回は独断で決めてしまわれたのですか! どうして一緒に巻き込んでくれなかったのですか! どうしてお嬢様の前に立ちはだかる役割をこの天空てんくうにさせてしまったのですか!」


 天空てんくうの怒号が精神世界を震わせる。


「どうしてだろ。わかんない」


 狗飼(いぬかい)は、きょとんとした様子で首を傾げた。


「そんなことありますか?」


「うーん、確かにわたくしは今日のために独断で別動隊を動かしていた。でも、それってなんでなんだろ? 天空てんくうにも朱雀(すざく)にも何も言わなかったのはなんでなんだろ? いつものわたくしなら作戦を共有くらいしたはずなんだけど」


 突如として流れ出した不穏な懸念。

 そう、狗飼(いぬかい)朱音(あかね)は霊獣を単なる便利な従者と捉えていない。彼女にとっては紛れもない「家族」である。だからこそ、今回のように何も伝えず独断で動いたことは、これまでの人生で一度もなかった。あの狂言誘拐のときでさえ、天空てんくうの許可を事前に得て、その上で記憶を操作する手間をかけていたのだ。


「なんで?」


 その違和感の正体に気づきかけた瞬間だった。


「ッ!? お嬢様!」


 天空てんくうが弾かれたように狗飼(いぬかい)を突き飛ばした。

 次の瞬間、空間を裂いて飛来したナイフが天空てんくうの腕を深く貫く。


天空てんくう!」


「大丈夫です。この世界でなら――」


「ならばなぜ庇った?」


 冷徹な響き。その声は、主従二人以外の、完全に異質な第三者のものだった。

 突如として精神世界の空を割り、響き渡った声に狗飼(いぬかい)は全身の産毛が逆立つのを感じ、警戒を強める。


「それはわかっていたからだろう。これが君たちを()()()()()()()()ものであるからだと」


 言葉とともに、空間の歪みから音もなく現れたのは『殺し屋』であった。


「殺害の権能は絶対だ。どのような空間でも君たちを確実に殺すことができる」


「『殺し屋』さん?」


「なぜ、貴方がここに!?」


 天空てんくうが腕のナイフを引き抜き、傷口を抑えながら叫ぶ。


「なぁに、上位世界からであればプレイヤーは個人の内面世界にも到達できる。誰もやらんがね。その理由は、まぁ、わざわざ不利な土俵で戦う奴はいないってことさ」


 『殺し屋』は退屈そうに周囲を眺めるが、その瞳に宿る冷気は精神世界の温度を一気に氷点下へと引き下げた。


「何しに来たの?」


「同盟解消の通知と、君の殺害の実行だよ、狗飼(いぬかい)朱音(あかね)


 狗飼(いぬかい)の内面世界に、逃げ場のない『殺し屋』の致死的な殺意が溢れ出した。


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