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Replica  作者: 根岸重玄
恋情加速偏
332/346

魂の衝突、最初で最後の大喧嘩

 2036年8月9日 午前8時14分


天乃(あまの)様! 水無月(みなづき)様! この天空てんくうに、お嬢様までの道を!」


 戦場に天空てんくうの切実な叫びが響き渡る。その覚悟に、満身創痍の二人が即座に応えた。


「任された!」

「行ってきなさい、天空てんくうッ! 道よ、在れ!」


 天乃(あまの)の《果因鋳造》が、神獣へと続く直線上の臣獣たちを概念ごと消し去り、強引に「空白の直線」を切り開く。そこへ間髪入れず、水無月(みなづき)の《皇権天上世界》が黄金の光を流し込み、王宮の回廊にも似た豪奢な道を舗装した。


 さらに、水無月(みなづき)天空てんくうにその道を踏破するための四肢を与える。白銀の毛並みを湛えた巨大な狼へと変じた天空てんくうに、御堂(みどう)が最後にそっと触れた。


「一応、私からも加速もあげる」

「ありがとうございます。御堂(みどう)様」

「行ってきて!」

「はい!」


 次の瞬間、天空てんくうは銀の流星と化した。音速の壁を容易く突き破り、衝撃波を残して瞬時に神獣の懐へと到達する。

 あらゆる臣獣の母たる神獣は、正面から飛び込んできた銀の弾丸にその身を撃ち抜かれた。


 だが、衝撃は起こらなかった。神獣の身体は、まるで愛し子を迎え入れるかのように、その弾丸を音もなく呑み込んだのだ。

 最後のピース――術者直属の霊獣である「天空てんくう」が嵌ったことで、神獣はその形態をさらに変化させる。世界を喰らうほどの巨大なあぎとを備えた、銀光を放つ巨大な狼へと。


「そんな――」


 絶望に染まりかけた御堂(みどう)の声に、天乃(あまの)水無月(みなづき)が同時に吠えた。


「「()()()!」」


 それは、ただの強がりではない。天空てんくうという従者を信じるがゆえの咆哮だ。


「落ち着きなさい、御堂(みどう)天空てんくう朱音(あかね)と喧嘩するとゆったのよ。取り込まれて終わりなわけないじゃない」

「今のオレ達のすべきことは、そいつが決着するまでの時間稼ぎだ」

「慎……」


 怪異の王へと変貌を遂げ、黄金の瞳を宿した恋人の容態が気にならないわけではない。だが、御堂(みどう)は溢れ出しそうな不安を呑み込み、手甲型のスリングショットを力強く構え直した。


「わかった。お説教は全部終わった後にね」

「それは確定してるんだ……」


 肩を竦める天乃(あまの)の態度に、わずかな余裕を感じ取った御堂(みどう)は、改めてスリングショットに弾丸を番える。


「当たり前でしょ」


 そう言って、御堂(みどう)は迫りくる臣獣たちへ狙いを定めた。


「だって、ちょっと勝手が過ぎるんだもん」


 御堂(みどう)の瞳には、恋情故の正当な怒りが宿っていた。


「あはは、お手柔らかに」


 天乃(あまの)は苦笑しながら、怪異の王の力を行使して臣獣の束を消し去っていく。


「なんか、アタシが恥ずかしくなってきた」


 死線と絶望の渦中で繰り広げられる恋人たちの逢瀬を前にして、水無月(みなづき)は小さく、呆れたように苦言を呈するのであった。


 ?年?月?日 ??時??分


「お嬢様」


 天空てんくうは、膝を抱えて座り込んでいる狗飼(いぬかい)朱音(あかね)を見つめていた。

 ここは神たる獣の内部世界。精神の深淵。最後のピースを取り込んだ神獣は、外部では荒れ狂う銀狼へと変貌していたが、その核となるこの場所は、驚くほど静まり返っていた。


「この天空てんくうがお傍に参りましたよ」


 天空てんくうの声が虚空に響く。しかし、狗飼(いぬかい)は答えない。膝を抱えたまま、顔を伏せている。


「お嬢様? 具合が悪いのですか?」


 天空てんくうは拒絶を恐れず、それでもゆっくりと、慈しむように語りかける。


「うぅん。ちょっと天空てんくうがどんな顔してるか見たくなくって」


 ようやく反応した狗飼(いぬかい)の声は、妙にしおらしく、そして幼かった。


「あぁ、先ほどのこと、気にしてるんですね」

「うん。天空てんくうに本気で反対されたってことは、わたくし、また間違ってしまったんだなって」

「取り返しが付かないと思ってらっしゃる?」

「そうだよ。もう取り返し付かないよ」

「だからと言って間違ったまま突っ走るのはどうなんでしょう?」

「仕方ないよ。わたくしが正しいと思ってるんだもん」

「困ったお嬢様です」

「ごめんね」


 その謝罪には、これまで彼女が塗り固めてきた全ての虚飾がなかった。剥き出しの、狗飼(いぬかい)朱音(あかね)という一人の少女の本心だった。


「ですが、今回はこの天空てんくうが許して終わりというわけには参りません」

「そうだね」

「だから、お嬢様。喧嘩をしましょう」


「本気で言ってたの、それ?」


 顔を上げぬまま、狗飼(いぬかい)が戸惑ったように問い返す。


「ええ、水無月(みなづき)様に指摘されました。お嬢様を諫めることができないこの天空てんくうは、お嬢様の従者として足りていないのだと」

「そんなことないよ。天空てんくうはちゃんとやってるよ。わたくしが至らないだけで」

「いいえ、お嬢様。足りぬ従者と至らぬ主君では前者の方が罪深いのです。なぜならば、この天空てんくうが従者として足りていれば、このような事態は避けることができたはずなのですから」

「それは、ちょっと傲慢だよ」

「ええ、ですから、喧嘩をするのです。互いに譲れぬものがあるでしょう?」

「わかってる? わたくしは天空てんくうの主君で、ここはわたくしの世界で、天空てんくうはその世界を構成する重要な要素。勝負なんて最初からつかないよ?」

「ええ。ですが、勝負と喧嘩は違います。喧嘩はすることに意味があるのです」


「――しつこいなぁ」


 狗飼(いぬかい)の声からしおらしさが抜けていく。それはいつもの不遜な調子に戻ったかのようで、不覚にも天空てんくうは涙しそうになった。


「だったら、いいよ。喧嘩でしょ。してあげる」


 狗飼(いぬかい)はそう言って、ゆっくりと立ち上がった。その眼には、再び強い、だがどこか吹っ切れたような希望ヒカリが宿っていた。


「わたくしが勝ったら、今度こそ最後まで協力してね」

「ええ、この天空てんくうが勝ったら、そうですね。皆様に一緒に頭を下げましょう」

「それは、勝っても負けてもわたくしにとっては――」

「どっちになっても、この天空てんくうはお嬢様の味方です。最後まで」


「……生意気ぃ、ちょっとだけ揺らいだよ。このわたくしが自分の希望を捨てそうになった。天空てんくうが一緒に謝ってくれるなら、捨ててもいいかなって思っちゃったじゃん」


 狗飼(いぬかい)は自嘲気味に、だが愛おしそうに天空てんくうを見つめる。


「そうおっしゃっていただけたのなら、従者冥利に尽きるというものです」

「でも、手は抜かないよ」

「それはこの天空てんくうとて同じこと」

「じゃあ、始めようか」

「最初で最後の大喧嘩、ですね」


 ここに、主従の絆を確かめ合う、魂と魂の衝突が幕を開けた。


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