禁忌の第三法則、怪異の王の継承
2036年8月9日 午前8時09分
【呑界融蝕】の内部では、絶望的な光景が広がっていた。
「邪魔をするなァァあああ!」
水無月の《皇権天上世界》が放つ豪華絢爛な光。それは王の威光をもって、混沌とした魔の環境すらも律していく。
結果、周囲は王宮のような荘厳な意匠に変化し、神獣の下へとつながる一本の道が出来上がる。しかし、それはあくまで「人」という社会的な存在に対する言葉に過ぎない。出来上がった道は、一瞬で魔界から湧き出た臣獣に埋め尽くされる。
理性を魔の海に溶かし、神話の獣へと成り果てた今の狗飼には、人の王の言葉はあまりに通りが悪いのだ。
「くっ、これほどまでに人としての『個』が消失しているというの……!?」
水無月の焦燥を嘲笑うかのように、原初の海から這い出る臣獣たちが黒い波となって押し寄せる。
「彩芽、下がってろ! もっとだ!」
天乃の叫びと共に、御堂が後方に下がりながら《加速砲撃》を乱射する。一発一発が臣獣の肉体を粉砕する威力を持ちながら、倒しても倒しても、弾けた肉片が次の瞬間には新たな臣獣へと再構成される。まさにジリ貧状態だ。
御堂が持つ《相反加速世界》を展開すれば、殲滅の効率を上げることが叶うかもしれない。だが、同時に水無月の王域とも干渉してしまう。この状況においてはそれはもはや邪魔にしかならないだろう。かといって、最大の威力を持つ《流星》は、神話の獣となった狗飼すらをも蒸発させかねないため封印せざるを得ない。
そして、御堂の力を原因として敵に結果を押し付けていた天乃も同時に機能不全に陥った。
(増殖が止まらない。怪異をベースとした未知数の獣の群れ。このまま対処できなければ詰みだ)
天乃に冷たい焦燥が押し寄せる。
「動く臣獣は順次死亡する――《果因鋳造》」
天乃の宣言と共に、空中に孔が穿たれ、臣獣たちが撃ち抜かれる。しかし、その数は一向に減りはしない。死亡した臣獣から他の臣獣が生まれるからだ。それらも順次撃ち抜かれるが、増殖する速度の方が圧倒的に早い。
「キリがない」
効果が薄いことを悟り、天乃は魔術を解除する。
「皆様! 撤退を推奨します!」
天空が声を張り上げ、撤退を進言する。彼女こそ、最もそれをしたくないであろうことは明白だ。だが、その彼女がそう述べたことにより、危機的状況がそこまで進行していることを意味する。
既に全員満身創痍だ。最後方に控えているはずの御堂にも臣獣の爪牙が迫っている。
だが、そう。諦観を知らないのは何も敵だけではない。
「まだだ!」
天乃が叫ぶ。手段は尽くした。彼にできることはこれ以上ない。
――本当に?
ドクンと天乃の心臓が跳ねた。
「このまま引けるかッ! オレの希望はここにあるッ! 臣獣たちは消滅する――《果因鋳造》!!」
世界が静止する。
【論理矛盾です。原因を証明してください】
無機質な機械音のような声が天乃の脳内に響く。
(知ったことか!)
【論理矛盾です。原因を証明してください】
(だったら、証明してやるよ! 論理矛盾の解消法第三だ!)
それは自身を「原因」を内包する存在へと変貌させることで、結果を強引に発生させる禁忌の外法だ。
例えば、果物を切るという結果が欲しいものの、周囲に刃物がなかったとする。その場合、原因が存在しないため、天乃は果物を切断するという結果を得ることはできない。
しかし、もし天乃自身の肉体が刃物のような性質を備えていたとすればどうだろうか。
天乃は自身の身体を用いることで果物の切断という結果を得ることができる。そうすれば、常に望んだ結果を出力することができる。それが第三番目の論理矛盾の解消法である。
(――オレが怪異の王であればいい! そうすれば、怪異をベースとした臣獣に怪異の王としての圧を行使できる!)
【注意:それは貴方の身体に不可逆の変質を齎します。実行しますか?】
だが、それは天乃という存在に不可逆の変質を強要することでもある。一時的に原因となるのではなく、未来永劫その変質は呪いのように天乃に蓄積されていくのだ。
(――もちろんだ、実行する!)
【原因が証明されました。論理矛盾が解消されます】
世界が動き出す。その瞬間、臣獣の一部が消滅した。
再生も再誕もしない。完全なる消滅である。
「天乃!?」
「慎!?」
水無月と御堂が同時に反応する。
「反撃開始だ! 臣獣はオレが蹴散らす」
そう述べた天乃の瞳には、かつてのエリザベートと同じ、底知れぬ黄金の魔力が宿っていた。
「今ここに、怪異の王の継承は為された。邪魔な獣は消え失せろ――《果因鋳造》!」
それは怪異に対する絶対的な生殺与奪権の強奪。
生誕を司る神話の獣となった狗飼に対し、天乃は「死」を統べる怪異の王となることで対抗したのだ。
見た目こそ変化はない。だが、その本質は、もはや人間というカテゴリーを逸脱した、怪異と人間が入り混じった超常的な存在へと成り上がってしまったのである。




