永劫孤立の法則――《終刻絶縁世界》
2036年8月8日 午後9時02分
《創生破壊世界》の規模がさらに拡大する。
暴力的な破壊を伴う侵食が周囲を飲み込み、そして再び、空気がひび割れる音と共に【呑界融蝕】が発生した。その数、実に5回目。
衝突を繰り返すたびに規模と強度を増大させていく《創生破壊世界》。その絶望的な巨大質量の中央で、《行き止まり》の《終点静止世界》は、荒波に漂う小舟のようにポツンと取り残されていた。
いや、正確には彼は拡大を自らやめたのだ。
無限とも思える速度で版図を広げる《創生破壊世界》に対し、同様の速度で世界を拡張し続ければ、自身の世界の密度は希釈され、やがて薄まったところから食い破られる――その敗着を瞬時に察した《行き止まり》は、苦肉の策として世界の規模を限界まで圧縮。密度を極限まで高めた「最小にして最強」の防御陣を敷くことで、辛うじて生存を維持していた。
「先ほどから黙っているが、逆転の妙案は思いついたか?」
『壊し屋』が、勝利を確信した余裕の表情で問いかける。その背後では、宇宙の膨張にも似た速度で破壊の理が広がり続けている。
(奴の言う通りだ。この状態を維持することに、果たして意味はあんのか。とりあえず呑み込まれんのは避けられてるが、このままだといずれ物量と密度に圧殺されて終わりだ。考えろ。この状況を打開する方法は本当にねぇのか? ――本当に、この世界は無限に広がっていきやがるのか? いや、待て。広がる? このままの勢いで、どこまでもか?)
そのとき、《行き止まり》の脳裏に、この戦場の「図面」が閃いた。
このままの速度で【呑界融蝕】が広がっていった場合、真っ先に到達するであろう「壁」の存在を思い出したのだ。
「――あァ、思いついたぜ。完璧な策をな」
「なに?」
自信に満ちた《行き止まり》の声に、『壊し屋』はわずかに瞠目した。四方を自身の世界で完全に包囲し、詰ませたはずの盤面。そこから逆転の芽が出るなど、理論上あり得ないはずだった。
「じゃあ、反撃させてもらうぜェ、『壊し屋』ァ!!」
《行き止まり》が圧縮していた《終点静止世界》を爆発的に解放し、一直線に『壊し屋』へ向かって突撃する。
捨て身とも取れるその特攻。繰り出される重い拳を、『壊し屋』は最小限の動きで回避し、即座に強烈なカウンターを叩き込んだ。
しかし、打ち込まれた『壊し屋』の拳は、肉体に触れる直前で急激にその運動エネルギーを剥奪され、静止する。バキン、という音が響き、綻びから崩壊した停止領域から『壊し屋』はその拳を引き戻す。やはり、絶対防御である《終点静止世界》を磨り潰さない限り、決着はつかない。
そう悟った『壊し屋』は、さらなる「破壊」を呼び込むべく、【呑界融蝕】の外側へと《創生破壊世界》をさらに膨張させようとした。
だが――その瞬間、全方位へ拡大していた破壊の波が、突如として停止した。
あたかも、目に見えない不可視の巨大な壁に激突したかのように、不自然なほどピタリと止まってしまったのだ。
「なぜ、拡大が停止する……!?」
「来やがったかッ!!」
『壊し屋』が初めて困惑の色を浮かべる。その隙を逃さず、《行き止まり》は大きく距離を取った。
「“原初に抱いた我が情景は、世の理を侵す思想”」
次の瞬間、混迷する【呑界融蝕】の空間内に、凛とした少女の声が響き渡った。
「”刻よ、どうか我が眼前の幸福を奪い去らないで欲しい”」
それは切なる願いの発露。
「”刹那を穿つ楔となることこそ我が唯一の渇望であるが故に”」
かつて六年もの長きにわたり、暗い眠りの中で自らの時間を止め続けた少女の、魂の底からの祈り。
「”停止した世界こそ最も穏やかで安らげる居場所となるのだから”」
その旋律は、弟である《行き止まり》の詠唱と酷似しながらも、絶対的な「安寧」の響きを含んでいた。
「”終焉の幕はもう下りた、現在が終刻”」
詠唱が完成した瞬間、その少女が姿を現す。
「“没入開始――《終刻絶縁世界》”」
【呑界融蝕】の中に、既存の二つの理とは全く異なる「第三の法則」が充填され始める。
触れたものの運動、因果、その存在の遷移すらも時間ごと停止する、永劫孤立の法則――《終刻絶縁世界》だ。
「やぁ、『壊し屋』。私的には初めましてかな。ともあれ、どうやら私の弟くんが随分とお世話になったようじゃないか。是非、お礼を受け取ってもらいたいと思って、こうしてのこのこやってきてしまったよ」
「――《生き留まり》」
『壊し屋』がその名を呼ぶ。その声の主は、先ほどまで安全圏から戦況を静観していたはずの《生き留まり》であった。
「何、警戒することはない。私はこの戦場に紛れ込んだ取るに足らない羽虫にすぎないとも。だが、気をつけ給えよ。取るに足らない虫の一噛みが、致命傷にならんとは限らんのだからね」
くすくすと不敵に笑う少女の姿は、血腥い戦場において異様なほどに場違いだった。しかし、『壊し屋』の背筋を冷たい汗が伝う。
世界の拡大が阻止された、その瞬間に現れた彼女。ならば、この無敵の破壊を「物理的に止めた」張本人こそが、彼女であると結論づけるのはあまりに容易だった。
「弟くん。余計なお世話だったかな?」
「別に、そうでもねぇよ」
「なら、出張ってきた甲斐があったというものだ。さて、それでは覚悟はいいかね、『壊し屋』」
《生き留まり》が静かに宣告した瞬間、【呑界融蝕】内に彼女の法則が奔流となって流れ込む。
それは弟の「停滞遅延」とは似て非なる、完全なる「永劫孤立」の世界。
永劫孤立の法則下では、いかなる「創生破壊」もその牙を失う。既に絶対的な停止を遂げているものを、これ以上止めることは不可能であり、何より「完全無欠」な停止状態には、綻びが生まれる隙など存在しない。
まさに、《創生破壊世界》にとっての天敵。
綻びが生じないという完全完璧な理だ。
そして、《終刻絶縁世界》は抵抗を許さぬ静寂をもって《創生破壊世界》を逆進的に呑み込んでいく。
この強大な第三勢力の介入により、神の如きプレイヤーが支配していた【呑界融蝕】内の均衡は、無残にも崩壊した。




