人の身にて神に抗うということ
2036年8月8日 午後8時42分
「シャァァアアアアア!!」
「フンッ!」
轟音と共に、静止した空間そのものが物理的な質量を伴って粉砕される。《行き止まり》の拳が空気を凝固させ、それを『壊し屋』の拳が「破壊」を創生することで打ち破る。
ここまでで交わされた必殺の応酬は、優に200を超えていた。
山岳地帯の地形はもはや原形を留めていない。岩肌は抉れ、木々は分子レベルで粉砕され、二人の周囲には不毛なクレーターが広がっている。戦況は一進一退どころか、完全に膠着していた。だが、それは高密度のエネルギーがぶつかり合い、互いに一歩も引かないデッドヒート。
一撃。たった一撃でもまともに喰らえば、魂ごと消滅しかねない死の舞踏だ。
「いい加減にしろよ、葬式参列者。しつこいにもほどがあるぜ」
《行き止まり》が肩で息をすることもなく、不敵な笑みを浮かべて挑発する。
「そっくり返そう、《行き止まり》。何故まだ壊れない」
『壊し屋』の問いは、純粋な疑問だった。自身の《創生破壊世界》は万物を無へと帰す絶対の理。それを真っ向から受け続けながら、目の前の青年は微塵も衰える気配を見せない。
「うるせェ、このまま魔力切れまで粘るつもりかよ。だったらいいこと教えてやる。前回と違って今のオレの魔力切れはねェ。使用量より回復量が勝ってやがるからなァ!!」
咆哮と共に、《行き止まり》の全身から魔力が噴き上がる。
非公式の原型術師である《行き止まり》が、数多の魔術師を差し置いて「最強」の一角に数えられる真の理由は、停滞や遅延といった魔術そのものではない。
それは、異常なまでの魔力保有量と、それを上回る変換効率にある。
24時間、全力で魔術を行使し続けても、大気中から取り込む魔力の回復速度が、自身の消費量を上回る。前回のように、血を分けた唯一の姉である《生き留まり》に数年分の魔力を一括供給するという、自身の存在根源を切り売りするかのような例外的な暴挙にでも出ない限り、彼がガス欠を起こすことなどあり得ないのだ。
「出鱈目な変換効率だ。これだけの出力に回復が追い付くとは――」
『壊し屋』はその言葉を疑わなかった。目の前の現実が、何よりの証明だ。嵌合を維持し、超高度な停滞魔術を連発し、さらに魔力噴射による音速機動を繰り返す。並の術者なら数秒で干からびるはずの熱量を放出しながら、《行き止まり》のプレッシャーはむしろ先ほどより高まっている。
継戦能力のバグ。無限という言葉が最も相応しいスタミナ。
だが、その力は本来、活かされる機会など存在しないはずのものだった。なぜなら、《行き止まり》の戦いとは、相手に何もさせずに終わらせる「蹂躙」が常識だからだ。
「世の中、さぞつまらないだろう」
『壊し屋』が、静かにその本質を突く。
「あァ? 今俺を哀れんだか?」
《行き止まり》が不快げに片眉を跳ね上げる。
「あぁ、実に可哀想だ。それだけの力を持ち、それだけの戦闘継続能力をもっているにも拘らず、それが活かされる機会が全くないとは」
「――可哀想なのはお前だぜ、『壊し屋』。人のことを戦闘機械かなんかだとでも思ってやがんのか」
《行き止まり》の口から漏れたのは、意外にも、闘争を否定するような厭戦の言葉だった。
「性能が発揮されないから可哀想だ? そんなわけねェだろ、馬鹿じゃねェのか。俺はな、本来戦闘なんざ真っ平御免なんだよ」
拳を固め直し、彼は独白を続ける。
「そりゃあ、まァ? 今よりガキの時分には、この能力に酔った時代がなかったとは言わねェよ。本気で世界丸ごと敵に回しても勝てるんじゃねェかと自惚れていた時代がなかったわけじゃねェ。だって考えてみろよ。何も通さねェ無敵の盾と、尽きることねェ無限のスタミナが最初からセットで備わってたら、誰だって勘違いしちまうだろう? 自分が最強だってな」
自嘲気味な笑いが、彼の口元に浮かぶ。
「だから、その鼻っ柱を折られたときは衝撃だったぜ。俺の増長を止めたのは無敵のヒーローなんかじゃなくて、無欲の聖人でもなくて、最強最悪の魔人でもねェ。――ただのコソ泥の小僧だったのさ」
それは、かつて《行き止まり》を揺るがした小さな「敗北」の記憶。
「そいつは魔導書を盗みだすために浅木に侵入し、この俺を、魔導書を抱えたまま『片手間』に排除して、そのままあっさり立ち去った。俺に勝ったっつうのに、そのことを喧伝することも、誇ることすらしやしねェ。路傍の石と同じ扱いをされたのさ。衝撃だったぜ。翌日にゃあ、俺の不甲斐ない噂が浅木中を廻ってるもんだと信じていた。最強無敵の看板もここまでかと、ちょっとセンチメンタリズムな気分になったりもしたんだぜ?」
《行き止まり》の瞳に、当時の困惑と、その後に訪れた解放感が去来する。
「それが、実際どうだ? 俺が負けたっつう事実は噂レベルでも存在しやしねェ。完全にいつも通りだ。面食らったなんてモンじゃない。残ったのは、奇妙な達成感だ。何も成し遂げちゃあいないのに、それでも俺の世界は確かに変わった。いや、『変わってない世界』が俺の意識を変えた。……俺だって、ただの人間なんだってな」
彼は一歩、地を踏みしめる。その衝撃で大地がひび割れる。
「それに引き換え、テメェはなんだ? 神様気取ってこんなところで小僧相手にダンス中ってか? もう一回言ってやるよ。可哀想なのはテメェだ、『壊し屋』ァ!!」
その叫びと共に、《行き止まり》の魔力が爆発的に膨れ上がった。世界から取り込まれるエネルギーが、彼という「終点」に収束し、純粋な暴力へと変換されていく。
「ならばなぜ私の前に立ち塞がった。ここにはお前の方から来たはずだが?」
『壊し屋』の淡々とした問いに、《行き止まり》は鼻で笑った。だが、その瞳に宿るのは、凍てつくような純粋な殺意だ。
「忘れてっかもしれねェけどよォ。テメェは前回時点で俺の逆鱗を踏み抜いてんだぜ? 地下住民の連中が姉貴に何しようとしてたか、まさか覚えてねェとは言わせねェぞ?」
「……こう言っては何だが、お前はそのようなことに頓着しないと思っていた」
「だったら、お生憎様だ。俺は身内以外はどうでもいいが、身内にゃあ、ちィと甘いらしいんでな」
《行き止まり》と『壊し屋』の距離は約五メートル。
そのような会話をしている最中にも、二人の周りの空気が次第に粘性を帯びるが如く遅延していく。停滞し、重く固まりかけた空気を、『壊し屋』が「破壊」する。
――バキンッ!
物理的に固まった空気が割れる音が響いた。【呑界融蝕】による世界の衝突が続くこの周囲では、もはや当たり前の光景となっていた。
「埒が明かんな」
「そうか? だったら、ギア上げていくか?」
『壊し屋』の呟きに、《行き止まり》が凶悪な笑みで挑発を返す。
直後、『壊し屋』は唐突に襲い来る息苦しさに加え、強烈な寒気を感じるようになった。
「まさか、空気を意図的に――」
「ご名答、停滞遅延の法則、存分に味わいなァ」
《行き止まり》が周囲の空間に存在する空気を対象に、減速魔術を発動させているのだ。
完全に停止させてしまうと空気は固形化し、『壊し屋』によって破壊されてしまう。ならばと、適度に流動性を持たせた状態でじわじわと削る方針に切り替えたのだ。
その結果、『壊し屋』の吸い込む空気は粘性を帯びたが如くゆっくりとしか吸い込むことができなくなる。また、空気を構成する気体の振動が極端に弱まることで熱が伝導しなくなり、気温が徐々に低下していく。
しかも、周囲の空気が遅延することで、『壊し屋』の動きにも微妙な負荷が常にかかる状態だ。
「テメェの破壊はこの状況も打開できんのか?」
《行き止まり》の挑発に、それでも『壊し屋』は平然としている。
「なるほど。確かに、一般的な破壊では脱却できなかったであろう。だが、忘れたか? 私は単に破壊するのではない。破壊を創生するのだ」
次の瞬間、空気が割れる音が響き、『壊し屋』の周囲の空気が一気に元の速度を取り戻した。
「ちッ、やっぱそうかよ、面倒くせェ」
この瞬間、《行き止まり》にも『壊し屋』が行ったことがはっきりと理解できた。
「テメェの権能は単に破壊することじゃねェ。正確には、綻びを創生する権能ってことかよ!」
「よくぞ見抜いた。まぁ、だからと言って打開策はあるのか?」
今度は『壊し屋』が《行き止まり》を挑発する。
「あァ? 確かに、普通の状態じゃそれは無理かもな」
《行き止まり》はあっさりとそれを認める。
「だが、【呑界融蝕】。こいつを利用すれば理論上、どんな世界相手でも対抗可能なんだろ?」
複数の世界が混ざり合った空間、【呑界融蝕】。この中では、世界は主導権を握るべく絶えず他の世界を弱体化し続ける。
結果、互いの世界は弱体化を続け、いずれ一方が他方を呑み込む現象が発生する。そうなったとき、吞み込まれた世界は活動を停止するのだ。つまり、そうなれば一方的に世界を相手にぶつけることができる状態になる。
「つまり、俺の《終点静止世界》がテメェの《創生破壊世界》を吞み込んじまえばいいだけの話だろうがァ!!」
これまでの小手調べではない。《行き止まり》は一気に魔力を解放しつつ、自らの世界の強度を補完する。
「愚かな。単に魔力の多寡が勝敗を決するのであれば、私はとっくに敗北している。なにせ、私に魔力はないのだからな」
『壊し屋』が衝撃的な事実を提示する。
「だったら、テメェの世界は何を原動力に動いてるんだよ」
「内面世界の原動力はその精神性だ。そして、申し訳ないが、この私はプレイヤー。お前から言わせれば神様気取りということなのだろうが、この世界において我々は本当に特別なのだ」
そう述べた瞬間、『壊し屋』の《創生破壊世界》が【吞界融蝕】の外側に展開される。
「何ッ!? こいつァ、どうなってやがる!」
「私はプレイヤー。プレイヤーはこの世界を維持する動力として自らの世界を提供している。つまり、この世界に私の世界でない場所は存在しない」
【呑界融蝕】が外側に展開された《創生破壊世界》と接触を起こす。すると、再び【呑界融蝕】が発生する。これを繰り返せば、相対的に《終点静止世界》が薄まり、いずれ《創生破壊世界》に吞み込まれるのは必至だ。
「反則にもほどがあんだろ」
「誇れ。私にこの手段を講じさせたのはお前が初めてだ」
『壊し屋』の宣言が、《行き止まり》の絶望的な状況を告げていた。




