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Replica  作者: 根岸重玄
恋情加速偏
320/347

前提を覆す魔眼――ジョーカーとしての本領

 2036年8月8日 午後7時46分


「どうやら、時間のようですね」


 身体に刻まれた無数の弾痕を、内側から噴き出す炎で焼き尽くしながら、朱雀(すざく)が静かに呟いた。その輪郭が、夕闇に溶けるように淡く透け始めている。


「時間?」


「身体が――消えていく?」


 天乃(あまの)御堂(みどう)は、目の前で粒子となって霧散していく朱雀(すざく)の姿を凝視した。


「今日はお開きということです。では、また、明日。お会いしましょう」


 朱雀(すざく)はそれだけ言い残すと、その場で音もなく燃え尽きた。熱量さえ感じさせないその炎が消えた後には、燃えカス一つ残されていない。主である狗飼(いぬかい)朱音(あかね)の消失に伴い、現世への繋ぎ留めが解除されたのだ。


「(主殿)」


「エリザか」


 直後、エリザベートから天乃(あまの)に、主従のパスを介した念話が届く。


「(すまん。敵の首魁を逃した)」


「それは――仕方ない。こっちも時間いっぱい足止めに徹し切られた」


「(ひとまず合流せんか。正直わっちには、この状況は判断しかねる)」


「? わかった。彩芽あやめ、二人と合流するぞ」


「うん」


 天乃(あまの)御堂(みどう)は、静まり返った狗飼(いぬかい)邸へと足を踏み入れた。荒れ果てた廊下を抜け、書斎の重厚な扉を開くと、そこには呆然と立ち尽くす水無月(みなづき)、微動だにせず床に伏せる天空てんくう、そして、どうしたものかと思案顔のエリザベートがいた。


「主殿」


「エリザ、何があった?」


「うむ、まずは報告と征くか。実は――」


 そこからのエリザベートの説明は簡潔だった。だが、その内容の重苦しさに、天乃(あまの)御堂(みどう)も口を挟むことができない。


「つまり、狗飼(いぬかい)さんは今日の襲撃を読んでいたわけだ。例え自分の身に何かあっても、目的だけは達成できるように。用意周到に準備をして」


 天乃(あまの)の視線が天空てんくうに向けられるが、天空てんくうは視線を落としたまま何も答えない。無理もない、彼女ですら知らされていなかったのだ。


 直後、その場の空間が鋭く裂け、『仲介屋』が姿を現した。


狗飼(いぬかい)朱音(あかね)の居場所が特定できない。おそらくだが、時間になるまでこのまま虚数空間に潜伏し続けるつもりだろう」


「だったら、どうする?」


「無論、一番合理的なのはこのまま今日は休んで、明日の襲撃に備えることだが――」


 『仲介屋』の言葉に、水無月(みなづき)が握りしめていた拳がピクリと反応した。


「――不服がある者がいるらしい」


 『仲介屋』は腕を組み、水無月(みなづき)を見遣る。彼女は先ほどから、一言も発していない。


「――水無月(みなづき)


 天乃(あまの)が気遣わしげに声をかけるが、彼女は視線を上げようとさえしなかった。


「先ほどのやり取りはオレも聞いていた。その上で、まだ手はあると言ったら、どうだ?」


 沈黙する水無月(みなづき)に、『仲介屋』が意外な提案を口にする。天乃(あまの)は、この男が水無月(みなづき)にだけは、どこか異様なほど甘い対応を見せることに改めて気づく。


「……どうするの?」


 すっかり意気消沈していた水無月(みなづき)だったが、その言葉には敏感に反応した。


「何、単純な話だ。オレと天乃(あまの)で、今から会場を虱潰しに俯瞰するだけだ。オレ達なら、隠れた魔獣を見つけ出すことができる」


 天乃(あまの)と『仲介屋』の魔眼は、本質的に同じものである。それは魔力の流れを物理的な事象として視覚化する。魔力の塊である召喚体を探し出すには、これ以上ないほど都合の良い力だ。


「前提を覆す異能――」


 天空てんくうが低く呟いた。それは狗飼(いぬかい)が最も警戒していた天乃(あまの)の特性だ。敵に回して初めて、その理不尽なまでの厄介さが、天空てんくうの胸にすとんと落ちた。本来なら詰みであるはずの状況で、あっさりと打開の一手を提示できるのは、彼らをおいて他にはいない。


「これはアタシのエゴで、本来はこんなことしなくていいことだって、わかってる。――だけど、お願い。アタシの友達を、助けて」


 水無月(みなづき)は深く、深く頭を下げた。


「……だ、そうだが?」


『仲介屋』が、促すように天乃(あまの)に話を振る。


「流石にこの頼みを断れるほど、オレの心臓は強くないって」


「では、仕方ないな。オレも手伝うとしよう。現地で落ち合うぞ」


 『仲介屋』はそう告げると、再び空間を割り、上位世界を経由して移動を開始した。


「アンタはどうするの? 天空てんくう


 水無月(みなづき)の問いに、天空てんくうはすぐには言葉を返せない。


「……この、天空てんくうは」


「なら、来なさい。今度こそ、朱音(あかね)を止めるわよ」


「ですが、その、本当によいのでしょうか?」


「まだ言ってるの? 朱音(あかね)が人殺しの犯罪者になってもいいっての?」


「よくはないのでしょう。ですが、それはお嬢様の覚悟でもあります。水無月(みなづき)様はお嬢様を怒りましたが、この天空てんくうは知っております。お嬢様とて、水無月(みなづき)様と離れ離れになることを望むはずがないのです。でも、それでも、お嬢様は禁忌を踏み越えられた。不退転の覚悟を以て事に臨んでいるのです。それを一介の従者であるこの天空てんくうが邪魔をしてしまうのは、本当に正しいことなのでしょうか?」


「面倒な性格してんのはアンタも一緒ね、天空てんくう


 水無月(みなづき)は、困った子供を見るような柔らかな笑みを浮かべ、天空てんくうの頭をくしゃくしゃと撫でる。


「ちょっとは、朱音(あかね)と喧嘩してみたら?」


「お嬢様と、喧嘩?」


「大事なんでしょ? ほっとかれたくないんでしょ? んで、今、放置されてちょっとだけムカついてるんでしょ?」


「――ムカつく。この感情が、そうなのでしょうか?」


 人型の姿に戻った天空てんくうが、自身の胸にそっと手を当てる。


「確かに、なんとなく、腹が立ってきたような気もします」


「じゃあ、朱音(あかね)の覚悟とやら、一緒に台無しにしてあげましょう?」


「喧嘩、ですね?」


「そうよ。あれだけずっと一緒にいて、喧嘩の一つもしないなんて、やっぱり不健全なのよ」


「では、初めての喧嘩、頑張ってみます」


「いや、喧嘩ってそういうものじゃないから」


「?」


 頭上に疑問符を浮かべた、融通の利かないもう一人の幼馴染に対し、水無月(みなづき)は明るい笑顔を向けるのであった。


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