目的とは常に最難関の突破の連続である
2036年7月13日 午後7時43分
そこは第10学区。総面積の約9割を国立浅木大学の広大なキャンパスが占める、事実上「大学のための学区」である。夏休みを前にした夜の校舎は静まり返っていたが、その一角にある研究室には、天乃、御堂、英莉、水無月、そして烈火の5人が顔を揃えていた。
「悪いね。急な集まりということで、僕が大学で所属する研究室を使わせてもらっているよ」
最年長である烈火が、スーツの上に羽織っていた白衣を脱ぎ捨てながら気さくに切り出した。
「いえ、ありがとうございます」
天乃が短く礼を述べると、烈火はどこか観察するように、興味深げな視線を天乃へと向けた。
「確かに、面影がある。あのときの彼と同一人物とは、言われないと気づかなかったけれど。ははっ、目つきが違う」
「……知り合いでしたか」
「僕は君とは大した関わりは持たなかったよ。義妹のお気に入りということで、ちょっと調べた程度さ」
「もう、烈火兄ぃ! 今はいいでしょ、その話は」
水無月が苛立たしげに制止すると、烈火は苦笑して両手を上げた。
「おやっと、そうだね。事情はだいたい風華(ふうか)から聞いた。俄かには信じがたいものだったけれど、残念ながら、僕は義妹の言うことなら根拠なしで信じる悪癖がある。だから、そういうものだという前提で話をするよ」
「余計な疑問を挟まないのは美徳だな、水無月烈火」
影の中から染み出すように現れたのは、『仲介屋』だった。
「おや、そういう君は、今は『仲介屋』と名乗ってるんだっけ?」
「そうだ。そして、それ以上でも以下でもない。とにかく情報を共有する。狗飼朱音は『金融屋』の駒となった。そして、来月の国際企業フォーラムを『殺し屋』と襲撃する気だ」
「だったら、朱音ちゃんを叩くなら早い方がいいね」
「同感だ。律儀に襲撃を待ってやる謂れはない」
烈火の言葉に『仲介屋』が冷徹に同意する。
「『仕切屋』との対決に備えて、厄介な障害になりそうな他プレイヤーの駒は早めに排除しておきたい」
「だが、また補充されるだけなんじゃないか?」
天乃の抱いた素朴な疑問に、『仲介屋』は間髪入れずに回答を返した。
「だとしても、『殺し屋』と組もうなんて考える駒はそう多くないだろう。それに、『金融屋』に駒の補充をさせない方法もある。『宗教屋』のときと同じだ」
「そうか、身柄を拘束して監禁してしまえばいいのか。だが、狗飼さんには立場がある。襲撃未遂なんて証拠のない根拠じゃ、拘束しておく理由が足りないだろう?」
「そのあたりの政治はオレの管轄ではない。あくまで一案だ。排除の方法については一任する」
『仲介屋』は腕を組みながら、突き放すように言った。殺害が最も手早い解決策であることは、あえて口にしなかった。
「諦めてもらうのが一番だけどな」
天乃が小さく零すと、水無月が呆れたような溜息を吐く。
「ああなった朱音は厄介よ。目的のために手段は選ばない」
「目的って?」
天乃の問いに、水無月は隣に立つ『仲介屋』をちらりと盗み見た。
「なんでも、アタシの前に『百目鬼暁斗』を連れてくるんですって」
「――ご苦労なことだ。『百目鬼暁斗』ならそこにいるだろうに」
皮肉を込めて『仲介屋』が指差したのは、天乃だった。
「オレは物じゃない」
「アタシもそう言ったんだけどね……」
水無月の顔には隠しきれない不満が滲んでいる。
「そうだ。『仲介屋』、『占い屋』の予言をまだ伝えていない」
「――『魔獣は溢れる。結果は鋳造される。そして世界は巡る』、だ。抽象的過ぎて何のことかわからないのはいつも通りだ。こればかりはあまり考えても仕方ない」
『仲介屋』は肩を竦めて予言を捨て置いた。
「それじゃあ、いつにする?」
天乃の問いは、具体的にいつ狗飼に襲撃を仕掛けるかという開戦のタイミングを問うものだった。
「とりあえず、朱音を拘束しておける期間は長くても3日くらいよ」
「来月までは無理だな。『仲介屋』、『仕切屋』との対決に必要な条件はなんだ?」
「前にも言ったが、『仕切屋』をこちらの世界に引っ張ってこないと話にならない。風華の餌としての完成度はそれなりに高いものの、それだけでは奴が動く理由には至らなかった。別案を検討する必要がある。あとは、他のプレイヤーの動向次第だな。プレイヤーは『仕切屋』を排除する動きに対抗してくるだろう。自分たちのゲーム報酬がかかっているんだ。ゲームを根本から否定するために動くオレと敵対しないわけがない」
「ということは、『仕切屋』をこっちに呼び出す条件さえ整えばいいんだな?」
「そうだが、何か腹案でも?」
天乃は一呼吸置き、静かに提案した。
「例えばだが、プレイヤーが本気で排除されたらどうなる?」
「一人二人ではゲームに支障はないだろうが、人数が増えれば『仕切屋』とて対策を打たねばならないだろうな。現状、『薬屋』と『復讐屋』の二名が完全にプレイヤーではなくなっている。ゲームを降りているプレイヤーも何人かいる」
「だったら、そのプレイヤーを削る戦略はどうだ?」
「こっちの世界に長居する物好きは『殺し屋』と『壊し屋』くらいだ」
「だったら、まずはその二人からだ」
「まぁ、他に案もないしな。最難関二人の排除くらいはやってみるべきか」
『仲介屋』は天乃の案を頭の中でシミュレートし始める。
「とはいえだ。オマエが餌になるというパターンもまだ継続中だ」
思案を打ち切った『仲介屋』は、まっすぐに天乃を見据えた。
「いいか? オマエが戦うのは目の前の敵ではない。叩きのめすべきは常に過去の自分自身だ。それを覚えておけ」
「どういう意味だ?」
「この言葉をどういう意味に変えるか、それもオマエ次第だ」
それだけを言い残すと、『仲介屋』は空間の歪みに吸い込まれるようにして、音もなく姿を消した。
研究室に残された5人の間には、鉛のような沈黙が降りた。御堂は不安げに天乃の横顔を見つめ、英莉は影のように主の背後に控えている。
窓の外には、やがて来る決戦の地となるであろう夜の街並みが、嵐の前の静けさを湛えてどこまでも広がっていた。




