透明なる密告と殺人鬼の矜持
2036年7月13日 午後4時38分
「あー、楽しかった」
ベンチから立ち上がり、御堂が伸びをしながら感想を零す。その横顔には、今日一日の興奮の余韻と、終わりが近づくことへの一抹の寂しさが混在していた。傾きかけた陽光が彼女のシルエットを縁取り、祭りの終わりのような切なさを醸し出す。
「まだ何か行くか?」
天乃が問いかけると、御堂は迷うことなく、園内のどこからでも見えるあの巨大な輪を指差した。
「観覧車」
「それは、普通の観覧車なのか?」
この遊園地の「普通」が信用できないことは、午前中のジェットコースターで身に染みている。天乃の疑り深い視線に対し、御堂はいたずらっぽく微笑んで解説を加える。
「中から見ると何にも乗っていないように見える、らしいわよ?」
「どういう意味だ?」
「ゴンドラが消えて見えるみたい」
「つまり、何もないのに上昇しているように見えるってことか? 普通のアトラクションはないのか、ここには」
天乃は呆れ声を出す。確かに、外から見る限りそれは極めてオーソドックスな観覧車だ。しかし、一歩足を踏み入れれば、そこは魔導技術による認識干渉の極地。剥き出しの虚空に座らされるようなスリルが待っているのだろう。
「じゃあ、行くか」
「うん」
二人は夕闇が迫る観覧車エリアへと歩き出す。だが、その後ろを進んでいた英莉が、一瞬だけその場に立ち止まった。彼女の鋭い視線が、誰もいないはずの空間を射抜く。微かな「違和感」を察知したようだったが、やがて何もなかったかのように天乃らを追って移動し始めた。
英莉が立ち去った直後、彼女が見つめていた空間がガラスのように割れ、隙間から一人の女性が這い出してきた。『殺し屋』の駒、ジェーン・ドゥである。彼女は離れていく背中を見つめ、獲物を見つけた猛獣のような笑みを浮かべた。
「天乃くんと彩芽ちゃん、見っけ」
2036年7月13日 午後5時02分
天乃らが観覧車の列に並んでいると、不意に足元から聞き覚えのある声がかかった。
「主殿、変な奴がおるぞ」
英莉がいち早く身構え、天乃の視界の端に「それ」が映る。
「変だなんて、失礼しちゃう。一度首を切ってあげた仲じゃない?」
影から這い上がるように姿を現したのは、不敵な笑みを浮かべたジェーンだった。
「……ジェーン」
「あんた、なんでこんなところに」
御堂の声が険しくなる。先週の死闘の記憶が生々しく蘇り、周囲の空気が一気に凍り付く。しかし、ジェーンはどこ吹く風で、列を整理するスタッフのような自然な動作で先を促した。
「落ち着きなよ。こんなところで何かしたりしないって。詳しい話はほら、あのゴンドラの中でしよう?」
いつの間にか天乃らの番になっていたようだ。案内係に促され、天乃は迷った末に御堂に目配せすると、狭いゴンドラの中に入る。続いて英莉が、最後に招かれざる客であるジェーンが滑り込み、扉が重厚な音を立てて閉まった。
ゴンドラが上昇を始めると同時に、床も壁も、あらゆる色が急速に透過していく。
「へぇ、こりゃあ、すごいね」
ジェーンが感心した声を出す。足元には数百メートル下の地面が、頭上には遮るもののない夕焼け空が広がり、まるで四人が椅子ごと虚空に浮いているかのような錯覚に陥る。
「それで? 何の用だ」
絶景を楽しむ余裕などない天乃が、単刀直入に尋ねる。
「いやぁ、デート中にごめんねぇ? 私も気を使えないわけではないんだけどね」
「だったら、さっさと消えてくれない?」
御堂の機嫌は本日最悪を更新し続けている。せっかくの二人きりの時間が、最悪の殺人鬼によって汚されたのだから当然だった。
「そう邪険にしないでよ、彩芽ちゃん。実はね、師匠と狗飼朱音が手を組んだんだ」
爆弾発言。天乃の眉が跳ね上がる。
「『殺し屋』と狗飼さんが? それをなんでオレ達に、しかもよりにもよってオマエから報告に来るんだ?」
「いやぁ、これも苦肉の策なんだよねぇ。実のところ、師匠の許可は取ってません」
「ほぼ裏切りってことか?」
「私的には師匠を裏切ってるつもりはないんだけど、保険を掛けてるだけだから。私達は来月に都内で開かれる国際企業フォーラムを襲撃する」
ジェーンは淡々と、恐るべきテロ計画の全貌を口にした。
「それで? まさか止めてくれとでも?」
「できれば止めてほしい」
「――どういう意味だ?」
「正確には、狗飼朱音を止めてほしい。そっちが止まればこっちは適当に私がしておくから」
「どうして、オレ達にそんな相談を?」
天乃の疑念は晴れない。敵が敵を売る。その真意がどこにあるのか。
「狗飼は信用できない。まだ天乃くんたちの方が信用できる」
「調子のいいこと言ってるって自覚ある?」
不機嫌に言い放った御堂の言葉は正論だった。天乃と御堂は、この女と文字通りの殺し合いをしたばかりなのだ。
「でも、人命を見捨てられるほど冷酷にはなれないでしょう? 君たちは」
ジェーンは確信に満ちた、満面の笑みを浮かべる。人の良心を武器として使う、殺人鬼特有の嫌らしさがそこにはあった。
「最後に聞かせろ。オマエがその計画をオレ達の手を借りてまで頓挫させたい理由はなんだ?」
天乃が射抜くような視線で問い詰める。ジェーンは一瞬だけ、遠くの地平線を見つめた。
「矜持のため」
「殺人鬼にもあるんだな、そんなものが」
「あるんだよ。今回の計画はあまりに命がもったいない」
「は?」
理解不能な単語に天乃が聞き返すと、ジェーンは聖職者のような敬虔さですら感じさせるトーンで続けた。
「命は大事だよ。限りある資源だ。だからこそ、ちゃんと丁寧に殺さないと。雑に消費すべきじゃない」
彼女にとって、大量虐殺は芸術の冒涜に等しい「浪費」なのだ。
「――オマエとは分かり合えないことが分かったよ」
天乃の冷めた一言と同時に、いつの間にか観覧車は頂上を過ぎ、下りに差し掛かっていた。透明な壁の向こう側、夕闇に沈む街並みが、まるで崩れゆく砂の城のように頼りなく見えた。




