摩耗する殺意と魂の収穫祭
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「随分と速かったな」
『殺し屋』の声が、闇の奥から冷淡に響く。足元に転がっていた狗飼玄磨の名が記された紙片は、いつの間にか消えていた。狗飼は、返り血一つ浴びていない清潔な姿で、相変わらずの不敵な笑みを浮かべて立っている。
「えぇ、見知った親娘ですもの。他人だとここまでスムーズには事は運べません」
「そういった意味ではなかったのだが、まぁいい。適性試験は合格だ」
『殺し屋』はわずかに沈黙し、目の前の少女の異質さを再確認するように見つめた。実の父を「効率的だから」という理由で排除したその精神構造。それは狂気という言葉で片付けるには、あまりにも機能的すぎた。
「それでは、続きをお聞かせいただけるんですね?」
「そうだな。私の権能のデメリットについてだな。――恒久的な殺意の減退だ。私は人を殺すたびに、人に対する殺意の感情を失っていく」
狗飼は眉をひそめる。殺人を司る上位存在にしては、あまりにも矛盾した呪いだった。
「それは、作業的になるということですか?」
「一時的にだが、人を殺そうと思わなくなる。その後も人殺しに向けたモチベーションが湧きにくくなる。私にとっては致命的なデメリットだよ」
「駒を介した殺人では?」
「それは問題ない。あくまで私が直接殺した場合だ」
「だったら、素直に駒に任せてはいかがですか?」
「その結果が現状の停滞だ。別に私の駒の性能が低いというわけじゃない。単純に手数の問題だ」
『殺し屋』の言葉には、苛立ちというよりは、物理的な停滞への淡々とした現状報告が混じっていた。自らの手で殺せば意欲を失い、駒に任せれば速度が落ちる。盤面を支配するプレイヤーにとって、このブレーキはあまりに重い。
「でしたら、わたくしがそれを補えるのでは?」
「そうだな。ちょうどいいイベントもあるしな」
「イベント?」
「来月に開催予定の国際企業フォーラムだ」
「あぁ、今年は日本でやる予定でしたね」
狗飼の脳内に、近未来的なドーム会場と厳重な警備網のイメージが浮かび上がる。経済と魔術の融合を象徴するその祭典は、原型術師界隈でも大きな話題となっていた。
「各国の要人が集まる関係上、私のターゲットも複数来日する。狙うはプレオープン、関係者だけに施設が解放される日だ」
「そこを襲撃するわけですか」
「そうだが、容易にはいかない。何人か戦略級も参加予定だからだ」
「戦略級ですか」
狗飼の瞳が、面白そうに細められる。「戦略級」――一国を灰に帰すほどの武力を持つ異能者たち。
「私の駒も一対一ならともかく、複数の戦略級と張り合えるほどの実力はない」
「いや、そんな実力ある方が怖いですよ」
狗飼は冗談めかして笑う。
「そこで、君には陽動を依頼したい」
「陽動?」
「その大量の霊獣で一気に襲撃をかけて、戦闘可能な魔術師を引き付けてほしい」
「なるほど。そういうことならわかりました。本命は貴方と駒で叩くんですか?」
「そうなるな。私はなるべく殺しはしない予定だが。そこは状況次第だな」
『殺し屋』が、自らの摩耗を避けるために温存される。その間に狗飼が舞台を血で染める。役割分担としては極めて合理的だった。
「では、襲撃の日まではこっちで適当に動いていいですか?」
「そうだな。一度私の駒と会う機会を作り、作戦を詰めておこうと思うが、それ以外は何をしていても構わない」
「では、わたくしはこれで」
そう言い残すと、狗飼は軽やかな足取りで、闇に溶けるようにその場を立ち去った。
「――ジェーン。どうだった?」
狗飼の気配が完全に消えた後、『殺し屋』が傍らに問いかける。空間の揺らぎから、一人の女性が姿を現した。
「はい、師匠。完全に狂人の類いかと。実の親を殺すのにわずかの躊躇もありませんでした。また、先ほどの作戦にも嫌悪感を示すこともなかったです」
ジェーンと呼ばれたその女性――『殺し屋』の駒は、困惑と警戒を滲ませた報告を上げる。
「私の駒の適性があるということか?」
「それは、どうでしょう? 殺人至上主義なのではなく、目的達成のために殺人を厭わないタイプなのかと」
「そうなると、彼女の目的の意味がよくわからない」
『殺し屋』は顎をさすり、盤面を見つめる。
「ゲームの早期決着ですか」
「彼女がそう述べるということは、『金融屋』の目的達成は既にできているか、できる見込みかといったところなのだろう」
「どうしますか?」
「現状は放置だ。陽動で使えるならそれに越したことはない」
「わかりました。では、そのように」
闇の中で、さらなる虐殺の計画が静かに、そして確実に組み上がっていく。




