天を穿つ祈り――天にまします我らが神よ、どうか貴方を撃ち落とさせてください
2036年7月13日 午前11時55分
別の料亭の個室。
畳敷きの静かな部屋で、三人は対面に座っていた。朱雀は狗飼の背後に控えている。
「それで? さっきの茶番は何?」
水無月が苛立たしげに切り出す。抑えてはいるが、声に棘がある。
「まぁ待ってよ。これもいろいろと苦肉の策だったんだよぉ」
狗飼は指をもじもじと擦り合わせる。だがその目は、決して泳いではいない。
「というか、アンタ。アタシが辰上の血を引いてるってどうやって知ったの?」
「うーん、まずはその話から始めないとおかしくなるかな」
狗飼は一度息を整える。
「少し前の話になるんだけどね」
そうして、彼女は数日前の出来事を語り始める。
2036年7月8日 午前0時36分
『仲介屋』の姿が虚空に消えると、狗飼は両手を組んで天井を見つめた。
「さぁさ、プレイヤーさん、プレイヤーさん。ここに駒を志望する優良物件がありますよ? 早い者勝ちです。わたくしを駒として召し抱えたい方はいませんかぁ?」
声は妙に明るい。だが部屋は静まり返っている。
「何やってるんですか? お嬢様」
天空が呆れたように言う。
「何って。とりあえずアピールしとこうと思って」
諦めない。祈るように天を仰ぐ。
「――仕方ない。ちょっと裏技使っちゃおうかな」
狗飼は鉄扇を取り出す。多数の溝が刻まれ、開き方次第で異なる魔方陣を構築する特注品である。
「それでどうするんですか?」
「いやぁ、『仲介屋』さんってば、何度もわたくしの前で空間を開いたでしょ? あれ、再現できないかなと思って」
「上位世界への穴を開けようとなさっているのですか?」
「そだけど」
事も無げに言う。
しかしそれが常軌を逸していることは天空にもわかっている。狗飼は従属特性の魔術しか使えない。単独で空間干渉を行うことなど本来不可能である。
「お嬢様、流石にそれは不可能では?」
「何言ってるの? 魔術を使うのは天空だよ。わたくしは陣を組むだけ。名付けて《空天》。いいでしょ?」
天空は様々な魔術を扱える。《炎天》《雷天》《氷天》《天眼》。いずれも狗飼が刻んだ術式である。
つまり狗飼は、見ただけの現象を天空に再現させようとしている。
無謀である。だが不可能と断じきれないのが、狗飼という存在だった。
「むむ。ここは、こうかな?」
鉄扇を開閉しながら、天空の内部構造を微調整する。術式の接続を組み替え、《空天》を実装していく。
「――よし、完成。さぁ、天空。《空天》を使ってみるんだよ!」
天空は内側に新たな回路が組み上がっているのを感じる。
「どうなっても知りませんからね。――《空天》」
半ば諦めつつ発動する。
空間に、小さな孔が穿たれる。
ほんのわずかな裂け目。
「聞こえますかぁ。聞こえてたら駒にしてくださぁい」
「お嬢様、そんな適当な――」
その瞬間。
「――問おう」
裂け目の向こうから、声が返る。
低く、重い、意志を帯びた声。
「お前が、我が傭兵を希望する者か?」
狗飼は振り返り、ね? という顔で天空を見る。
「よくわかりませんけど、貴方の駒にしてくれるなら。お金をもらってあげてもいいですよ?」
軽口のようでいて、本気である。
空間の向こう側で、何かが笑った気配がした。
2036年7月13日 午後12時13分
料亭の個室。
「アンタが、プレイヤーの駒になった?」
水無月の声は低い。驚きというより確認である。
「あれ? ふぅちゃん、この世界の仕組み知ってる系女子?」
狗飼が目を丸くする。
「――今の話からすると、アンタ、『金融屋』の駒になったのね?」
「わぁお、大正解」
狗飼はぱちぱちと拍手する。
「じゃあ、いろんな情報源は『金融屋』なのね」
「そうだよ」
前提を共有していない烈火は、会話の流れを追えずにいる。だが口は挟まない。まずは全体像を掴む方が先決だと判断している。
「それで、どうして天乃の名前を出したの?」
水無月の目が細まる。
「これで合法的に二人が結ばれると思って」
狗飼は悪びれもなく言う。
「はぁ、あのね。余計なお世話よ。百目鬼暁斗と天乃慎は別人ってことでアタシの中で整理はついてんだから、余計な気を回すんじゃないわよ」
その言葉に、空気がわずかに軋む。
狗飼の表情から、冗談めいた色が消える。
「――――なら、百目鬼暁斗を用意したら?」
「どういう意味?」
「ふぅちゃんが成人するまでの間にわたくしが百目鬼暁斗を用意出来たら、そのときは受け取ってくれるの?」
「そんな、人を物みたいに」
水無月の声が強くなる。
「大丈夫! 何とかしてみせるよ!」
狗飼の瞳が、危うい光を帯びる。
「朱音?」
水無月が呼ぶが、届いていない。
「そうと決まったら、早速相談だね。『金融屋』さぁん」
狗飼の傍らの空間が、わずかに裂ける。
「何用だ?」
低い声が応じる。
「例の計画、進めるよ」
「そうか、存外早かったな」
「やっぱりスピードが大事、だもんね。というわけで、朱雀。早速作業を進めて」
「よろしいので?」
「よろしいに決まってるよ! ってことでふぅちゃん、わたくし、忙しくなったからここで失礼するね」
「ちょ、朱音!」
狗飼は振り返らない。そのまま足早に部屋を出ていく。
残された沈黙。
烈火がようやく口を開く。
「さて、風華。今の会話、僕にもわかるように翻訳してくれないか?」
その声音は静かだが、事態の重大さを察している。
2036年7月8日 午前0時57分
「この世界の正体は複製世界、プレイヤーのゲーム盤。ふぅちゃんの正体は辰上の姫。『仲介屋』さんの正体は百目鬼暁斗。あれ? じゃあ、天乃慎は誰なの?」
狗飼が首を傾げる。
「不明だ」
空間の向こうの声が答える。
「でも、外見も雰囲気もあーくんだよ?」
「それも含めて不明だ。どのようなスキームを使っているのか、想像もつかん」
狗飼はしばし考え込む。
「ねぇ、例えばだけど、『仲介屋』の主従の立場を入れ替えることってできないかな?」
「それは不可能だ。そのような方法は聞いたことがない。いや、プロモーションがあるか」
「なにそれ?」
「『仲介屋』が見つけたこのゲームの裏ルールだ。プレイヤーの死亡と引き換えに駒をプレイヤーにする禁忌の外法のことだよ」
「うーん。それじゃ意味ないんだよね。じゃあ、どうにか『仲介屋』をこっちの世界に引っ張って来れないかな?」
「可能性という意味では、ゲームを終了させるという手段がある」
「可能性?」
「先ほど述べたプロモーションの性質上、奴はおそらくもともと複製世界の出身のはずだ。ならば、ゲーム終了時に元の場所に戻るのが道理だと思うが」
狗飼の目が光る。
「ってことはこのゲームを早く畳まないとね。そういえば『金融屋』さんの達成条件は?」
「手持ちの資金を目標金額に達成させることだ」
「へぇ、なんていうか。俗っぽいね」
「加えてアーティファクトの収集も行っている。我が権能の補強になるし、最悪、金銭に変換してもいい」
「そうなんだ。ウチの蔵にもいくつかあると思うから、持って行っていいよ?」
「何でもいいというわけにはいかん」
「大丈夫、ウチ、割と古い家系だから。価値ある骨董品も眠ってると思うよ」
「では、後で覗かせてもらおう」
「オッケー。あとで天空にリストアップさせるねぇ」
狗飼は笑う。
百目鬼暁斗を上位世界から引きずり下ろす。
その目的は、既に定まっている。
「ふっふっふ、神を天界から撃ち落とす。それってとってもやりがいあるかも」
その無邪気な声音とは裏腹に、選んだ道はあまりにも危うい。
数日後。
狗飼朱音は、本格的に行動へ移すことになる。




