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Replica  作者: 根岸重玄
恋情加速偏
304/346

継承義務と仮初の配偶者

 2036年7月13日 午前10時32分


「いくつか質問をよろしいですか?」


「えぇ、どうぞ?」


 烈火(れっか)の声に応えたのは、狗飼(いぬかい)である。


 烈火(れっか)は回答者を指名しなかった。それにもかかわらず、狗飼(いぬかい)が自然に口を開いた。まるで、この場の質疑応答は自分が取り仕切ると決めているかのように。


 烈火(れっか)は一瞬だけ視線を細める。

 主導権を握ろうとする意志は明白だった。


「まず条項について、第1項ですが、認める主体が記載されていないのは何か理由があってのことですか?」


 穏やかな口調である。

 だが問いは鋭い。書面の曖昧さは後々の解釈を左右する。


「えぇ、まぁ、正直、主体は当主会なんでしょうけど、本日までこの議題については全会一致を見ていませんでしたので、省略しております。正式な書面にする際には主体も明記しますよ」


 狗飼(いぬかい)は微笑を崩さない。

 不備を指摘されても動じる様子はない。想定内という顔である。


「そうですか。では次に第2項について。辰上(たつかみ)家の権限及び義務、これは具体的に何を指しますか?」


 烈火(れっか)は淡々と続ける。

 一つ一つ、曖昧さを削ぎ落としていく。


「そうですね。権限についてはほとんど形骸化していますが、現在でもよく使われるのは当主会議での議案発議権、異議申し立て権、意見表明権、投票権といったところでしょうか。義務については当主会議への出欠公示義務、超法規的措置に関する協力義務、そして、継承義務あたりでしょうか」


 狗飼(いぬかい)の説明はよどみない。

 条文を暗記しているかのようである。


 だが烈火(れっか)はそれに流されるほど甘くはない。


「その継承義務について、疑義があります」


 座敷の空気がわずかに変わる。


「はて? 疑義とは?」


 狗飼(いぬかい)の声音は変わらない。

 だが、その瞳は一段深くなる。


風華(ふうか)は確かに辰上(たつかみ)の家系ですが、血の濃さでいうとほとんど他人です。隔世遺伝的性質から辰上(たつかみ)としての力が一時的に強まった結果なのです。つまり、一代限りで再現性は乏しいものと判断せざるを得ません」


 烈火(れっか)の言葉は理路整然としている。

 水無月(みなづき)を守るための布石である。


 継承義務を形式的に残したままでは、将来的に婚姻や出産を義務として迫られる可能性がある。

 それを先回りして潰そうとしている。


 水無月(みなづき)は横で静かに息を呑む。

 自分の将来が条文の一文として扱われている現実に、わずかな違和感を覚えながらも、口は挟まない。


「あぁ、なぁんだ。そんな問題ですか」


 狗飼(いぬかい)は肩の力を抜いたように言う。

 本当に些事であるかのように。


「本人にさしたる魔術の素養がないものの、血筋はしっかりとしていて、起源が順応という風華(ふうか)さんにぴったりの配偶者がいますよ?」


 座敷の空気が凍る。


 烈火(れっか)の視線が鋭くなる。


朱音(あかね)――アンタ、まさか」


 水無月(みなづき)の声には明確な警戒が滲む。


 狗飼(いぬかい)はにこやかに続ける。


天乃(あまの)慎さんっていうんですけどね?」


 その名が落ちた瞬間、場の視線がわずかに交錯する。


 烈火(れっか)の表情から笑みが消える。

 一瞬だけ、彼の中の計算が止まる。


 天乃(あまの)慎。


 異質な素養を持つ少年。


 水無月(みなづき)は思わず拳を握る。

 胸の奥がざわつく。

 自分の人生が、まるで駒のように並べられている。


 狗飼(いぬかい)は柔らかく微笑む。


 それは提案の形を取っているが、実質は布石である。

 水無月(みなづき)の継承問題を、別の盤面へと移す一手。


 当主たちは黙している。

 この一言が、単なる軽口ではないことを理解しているからだ。


 烈火(れっか)はゆっくりと息を吐いた。


 盤面が、動いた。


 2036年7月13日 午前10時45分


「まぁ、この件は風華(ふうか)さんが成人したときに改めて議題にするとして――」


 議場の空気が一旦収束しかけた、そのときである。


「あぁ、わしからもちょっとええか?」


 そう述べたのはまたしても四星(しせい)であった。老獪な目が水無月(みなづき)へ向けられる。


「その嬢ちゃんの成人ってあと何年じゃ?」


「おっと、資料に記載してなかったですかね? 今年で16歳ですから、あと2年です」


 狗飼(いぬかい)が即答する。


「何じゃ、わしの見間違いじゃなかったか。どうにも実年齢より幼く見えてしまっての」


 四星(しせい)は笑う。悪意はない。ただの確認である。


「まぁまぁ、そこにはいろんな事情があるんですよ」


 狗飼(いぬかい)は軽く流す。具体的な事情には踏み込ませない。水無月(みなづき)の過去をこの場で掘り返す意味はない。


「他に質疑はありますか?」


 一瞬の静寂。


「質疑とは違うのですが、意見をよろしいでしょうか?」


 手を挙げたのは烈火(れっか)である。


「なんでしょう?」


「この後、そこの狗飼(いぬかい)新当主とうちの風華(ふうか)、そして私の3人で会談を持ちたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」


 場に小さな波紋が広がる。


 司会が狗飼(いぬかい)を見る。


「――どうなさいます?」


「いいですよ?」


 狗飼(いぬかい)は即答した。迷いはない。


「お父様は当主会の食事会に参加してください。その代わり、朱雀を借りていきます」


 玄磨はわずかに目を細めたが、反対はしない。朱雀が娘のもとへ向かうこと自体が、当主権限の象徴でもある。


「えっと、それでは、閉会といたします。この後の食事会には奮ってご参加ください」


 司会の声が響く中、狗飼(いぬかい)水無月(みなづき)兄妹は静かにその場を後にした。


 背後で障子が閉まる音がする。


 盤面は会議室から、個室へと移る。


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