魔導遊園地でのひととき
2036年7月13日 午前10時32分
「まさか、ジェットコースターの線路が途中で切れて急遽フリーフォールに移行するとは」
天乃が、まだわずかに震える足を気にしながら呟く。
「さすが魔力で調整を行っているアトラクションね。一味違うわ」
御堂は平静を装って答えるが、声はほんの少しだけ乾いている。
二人が最初に選んだのは、この施設で一番人気とされるジェットコースター「果てしなき実験機」であった。
通常のジェットコースターではありえない挙動をしており、線路を離れて宙を跳ね、360度空中で回転し、挙句の果てには真下へ落下する。悲鳴と浮遊感と重力の裏切りが、これでもかと詰め込まれている。
安全は魔力制御によって保証されている――と理屈では理解していても、本能は別問題である。
「果てしなき実験機という名前がしっくりくるな」
天乃は苦笑する。
御堂は頷きながら、内心でそっと胸を撫で下ろしていた。
(手、握りっぱなしだった……)
落下の瞬間、無意識に天乃の手を掴んでいたことを思い出す。
振り払われなかったことに安堵し、今さらながら頬が熱くなる。
ちなみに各アトラクションの前には、その機構にどのような魔導技術が採用されているのか事細かに記載されたパネルが設置されている。魔力圧縮炉の応用例や、疑似慣性制御術式の説明などが並び、さながら技術見本市の様相を呈している。
遊園地であると同時に、研究成果の展示場のようでもある。
「まぁ、一番の難関は超えたってことで、次どうする?」
御堂はそう言うが、声にはまだ少しだけ余韻が残っている。
怖さよりも、共有した高揚感の方が勝っている。
「うーん、おっ、これなんか面白そうだな。コーヒーカップ」
天乃がパンフレットを指さす。
「面白いって?」
「なんでも回転中は回転力に応じて周囲の景色が切り替わるらしい」
単なる回転ではなく、術式によって視界そのものが変質する仕組みらしい。回転数が上がるほど幻像の精度も上がるという。
「それは、ちょっと面白そうね」
御堂の目がわずかに輝く。
絶叫系よりも、こうした“変化を見る”系の方が性に合っている。
天乃と御堂は連れ立ってコーヒーカップへと向かう。
歩幅は自然と揃っている。
どちらからともなく距離が近い。
御堂はさりげなく天乃の横顔を盗み見る。
楽しそうに次のアトラクションを探しているその表情に、胸の奥が温かくなる。
(今日は楽しむって決めたんだから)
当主会議のことも、水無月のことも、いまは遠い。
少なくとも、この区画の中では。
その後ろを、ソフトクリームを舐めながら英莉が付いていく。
二人の距離感を確認しつつ、あえて何も言わない。
完全に保護者ムーブである。
英莉は内心で小さく息をつく。
三人の影が、陽光の下でゆっくりと伸びていた。
2036年7月13日 午後12時30分
コーヒーカップの後、天乃慎と御堂彩芽はリアルタイム変幻迷路、強制スクロールレーザー射的を経て昼休憩に入っていた。
ぶっ飛んでいたのは最初のジェットコースターだけで、他は比較的まとも寄りのアトラクションであったことだけは幸いである。もっとも、まともと言ってもこの施設基準での話だが。
三人は飲食店コーナーにあったハンバーガーで昼食を済ませる。紙包みを開くと、妙に分厚いパティから肉汁が滲み出す。遊園地の軽食としては上出来である。
「個人的に気になってるのはこの夢幻城かしらね」
御堂がパンフレットを指差す。瞳はまだどこか興奮を帯びている。午前中の刺激が抜けきっていない。
「なになに、『そこはあたかもワンダーランド。忙しいあなたにひと時の夢幻を』か。詳しい説明をしない系アトラクションだな」
天乃が読み上げる。
「その怪しさがいいんじゃない」
御堂は笑う。
やや判断力が鈍っている可能性は高いが、本人は気づいていない。
「じゃあ、とりあえず行ってみるか」
そうして二人は夢幻城へ向かう。後ろからソフトドリンクを片手に英莉が続く。相変わらず一歩引いた位置取りである。
列に並び、順番を待つ。外観は中世の城を模した造りだが、どこか作為的な歪みがある。窓の配置も左右非対称で、見ていると距離感が狂いそうになる。
ようやく中へ通される。
その内部は、外観を大きく裏切るほどの巨大空間だった。
「どうなってるの?」
御堂が感心したように上空を見上げる。
天井は目算で三十メートル以上はある。壁も遥か遠く、中央には巨大な机と椅子が設置されている。自分たちが小人になったかのような錯覚を覚える。
「すごいわね」
「あぁ」
天乃はその魔眼で術式の構造にあたりをつける。空間拡張ではない。視覚と距離感の認識に干渉しているだけだと見抜く。だが、それを口にするほど無粋ではない。
二人は小人の感覚を楽しみながら、次の部屋へ進む。
今度も同じ部屋。
だが、妙に狭い。
圧迫感がある。壁がすぐそこまで迫っているように感じる。天井も低い。無意識に身を縮めたくなる。
部屋の大きさは変わっていない。
変わっているのは主観のみだ。
「ちょ、何この部屋!?」
御堂が思わず声を上げる。
「落ち着け、部屋の大きさは変わっていない」
天乃は冷静に告げる。
「そうは言っても、こんなに狭いと……」
視界情報と身体感覚の不一致が、不安を煽る。
無意識に天乃へ近づきそうになるが、実際には距離は変わらない。錯覚がそう感じさせているだけである。
「ここはさっさと抜けるぞ」
「わかった」
最後の部屋。
上下が逆転していた。
天井が足元にあり、床が頭上にある。机と椅子は“床”に張り付いている。自分たちは“天井”に立っている。
だが重力は通常通りである。
一周回って正常な部屋に見える。
「うん?」
最初に違和感へ気づいたのは御堂だった。
「ねぇ、この部屋の出口、どう見てもあっち側にない?」
上を指差す。そこにはこれまでと同じ扉が設置されている。ただし、上の床側に。
「まさか、この最終局面で謎解き要素だと!?」
天乃が芝居がかった声を出す。
「で? どうやって出るかわかった?」
「多分」
「じゃあ、その方法を使ってみましょう」
「まぁまぁ、せっかくだ。彩芽もこの謎に挑戦してみたらいい」
御堂は腕を組む。
「壁を破壊して脱出する」
「却下だ」
「出口までジャンプしてみる」
「してみたら?」
御堂は軽く跳ねる。
だが当然、重力は通常通りだ。
「うぅ……なんか冷たい」
「ちゃんとした回答がなかったからな。正解は、これだ」
天乃は壁に歩み寄り、足の裏を壁へと向ける。そのまま接触させると、迷いなく垂直に歩き出す。
「え?」
御堂の視界では、天乃が天井へと登っていくようにしか見えない。
やがて“床”へ辿り着くと、そのまま自然に立つ。
「この通り、この部屋では足を向けた先が床になる」
重力方向を足裏の向きで再定義する術式である。
「これは、どういう原理なの?」
「気になるなら表のパネルを見てみたらどうだ?」
「そうする」
御堂も同じように足を壁へ向ける。一瞬だけ身体が浮く感覚に襲われるが、すぐに安定する。
足の裏に伝わる確かな“床”の感触。
主観の裏切りが、今度は快感へ変わる。
二人は出口から外へ出る。
現実の地面に立ったとき、わずかにふらつく。
世界が正しい向きで固定されていることに、妙な安心を覚える。
御堂は小さく息を吐いた。
今日はずっと、現実と錯覚の境界を行き来している。
だが、隣に天乃がいる限り、足場が崩れることはないと、なぜかそう思えた。




