澱みなき継承の裏で水無月烈火は兄の顔で微笑む
2036年7月13日 午前10時00分
「定刻となりましたので、当主会議を始めさせていただきます」
場所は都内某所の料亭である。外観は慎ましく、看板も目立たないが、内部は数寄屋造りの落ち着いた空間が広がっている。庭には手入れの行き届いた松が配され、池の水面が静かに光を返していた。障子越しに差し込む柔らかな光が、座敷に集う当主たちの顔を淡く照らしている。
そこには現存するすべての原型術師の当主が居並んでいた。
右鏡、御堂、狗飼、四星、新保、円瑞、邑雀。
それぞれが一族を背負う者の顔をしている。視線は静かだが、その奥には計算と警戒が潜んでいる。誰一人として気を抜いてはいない。
「まず、第一の議案ですが――」
「それについては、私から申し上げたい」
そう声を上げたのは狗飼家前当主、玄磨である。落ち着いた声音でありながら、場を制するだけの重みがあった。視線が自然と彼に集まる。
「当家の当主の交代ですが、突然のことで皆様驚かれているはず。事情を説明いたしますと、不詳の我が娘がこの齢にして我が家の秘奥を習得してしまったというのが事の発端です。そこで、我が家の約定に従い、当主交代ということに相成りました。尤も、娘は未成年者ですので、しばらくは私が後見人として業務を代行することになりそうです」
淡々とした説明であったが、その実、これは宣言に等しい。狗飼家の決定は覆らないという意思表示でもある。
「では、この議題について質疑のある方、いらっしゃいますか?」
「一つ、尋ねたいのだが」
手を挙げたのは右鏡家当主、右鏡多重である。老獪な視線が狗飼へ向けられる。
「貴殿の娘が狗飼家の秘奥を習得したことを証明できるのかね?」
場の空気がわずかに張り詰める。秘奥の習得は一族の根幹に関わる問題であり、証明なくしては承認できない。
「前例によれば――」
その問いに対し、狗飼は淀みなく口を開いた。事前に用意された問答集を読み上げているかのように、言葉は一切滞らない。
「――現当主の霊獣を使役することで証明と為すのが慣習とのことです。というわけで、朱雀、わたくしにお茶のお代わりを」
「御意」
玄磨の霊獣である朱雀が、主の意向を尋ねることなく狗飼の言葉に従う。その所作は自然であり、違和感は微塵もない。
玄磨はわずかに目を細めただけで、制止はしなかった。それ自体が承認を意味している。
「これで証明となったと思うのですが、いかがでしょうか?」
静かな確認。だが反論の余地はほとんどない。
「他に質疑はありますか? では、意見に移っていただきます」
「わしは賛成する」
そう述べたのは四星家当主、四星弦十郎である。豪放な老人でありながら、その判断は常に合理的だ。
「人員は若い方がよい。という意味ではわしが最も引退すべきなのじゃがな」
場にわずかな笑いが生まれるが、緊張は解けない。
「他に意見はありませんか?」
「では、一応、形式的な理由で反対意見を投じておこうか」
新保家当主代理、新保覇夏が口を挟む。その声音には棘があるが、敵意というよりは確認に近い。
「話によれば、新当主は未成年者だから業務は引き続き玄磨さんが行うという話じゃないか。だったら、当主交代は新当主が成人してからでいいんじゃないのかい?」
もっともな疑義である。実態を重んじるならば、確かに急ぐ必要はない。
「これについては、いかがでしょうか?」
「では、形式的ながら反論を。狗飼家当主の交代は当主の意向または秘奥の習得に限られています。そして、後者はどのような状況であれ当主資格を得るものとなっておりますので、わたくしが成人後に改めて行うというわけにはいかないのです」
狗飼の回答はやはり淀みない。理は整っている。感情を差し挟む隙がない。
新保は小さく肩をすくめ、それ以上は追及しなかった。
本人も述べていた通り、ただの形式的な反論に過ぎないからだ。
「他に意見はありませんか? なければ投票に移りたいと思います」
この投票は形式的なものとなった。結果は全員賛成。
ここに、狗飼は新当主として正式に認められた。
場の空気がわずかに変わる。旧世代から新世代への移行が、確定した瞬間である。
「それでは、第二の議題ですが、事前に配布した資料の通り、辰上家の血統の生存が確認されました。そこで、本人を呼んで質疑応答を行いたいと思います。水無月風華さん、どうぞ」
その声に応えるように、水無月が入室する。その恰好は学校の制服姿である。緊張を押し殺した面持ちで、しかし足取りは乱れていない。背筋を伸ばし、視線を正面に据えている。
その後ろに付き従うのは黒いスーツ姿の烈火である。
「皆様方、お初にお目にかかります。私は水無月風華の後見人、水無月烈火と申します。本日は我が妹に質疑があるとのこと。我が妹が委縮しないよう私がサポートに徹しますので、どうか以後お見知りおきを」
声音は柔らかい。だが、その言葉の裏には明確な牽制が含まれている。水無月に過度な圧力をかけることは許さないという意思表示である。
当主たちは互いに視線を交わす。若い後見人の態度を測っている。
烈火は微笑を崩さない。その表情の裏で、場の力関係を瞬時に読み取っている。
そこにいたのは、温厚な兄の顔を被った策士であった。
2036年7月13日 午前10時21分
「では、質疑を開始してください」
空気がわずかに張り詰める。先ほどまでの議題とは異なり、ここからは一人の少女の立場そのものが問われる時間である。
まず手を挙げたのは四星であった。
「まず、大前提の確認じゃが、そこのお嬢ちゃんが辰上家の血筋というのは間違いないのかい?」
問いは穏やかだが、本質を突いている。血統こそが原型術師の家にとって絶対条件である。
それに回答したのは烈火である。
「これは後で調べれば結果が出ることなので先に申し上げますが、事実です。なんなら、ここにDNA鑑定の結果もありますよ?」
さらりとした口調で封筒を掲げる。その余裕は、準備の周到さを物語っている。
「そうかい。なら、いい。ちなみに、貴殿はそこの嬢ちゃんの兄と言ったが、もしかして貴殿も?」
四星の目が細められる。探る視線である。
「いえ、自分と妹は血が繋がっておりませんので」
烈火は肩を竦める。その仕草は軽いが、言葉は正確だ。
血の有無を曖昧にしない。その線引きがかえって誠実さを感じさせる。
「では、大前提として君が辰上の血縁として、君がそれを知ったのはいつじゃ?」
「先週です」
水無月が答える。声は小さくとも、はっきりと響く。視線は逸らさない。
「ほぉ、随分と最近なんじゃのぉ」
「えぇ、うちでは風華の血筋については一切喋らないことになっていましてね。知っていたのも僕と親父殿だけですよ。どうやら、風華は別ルートで知ってしまったようですが」
烈火が補足する。
“別ルート”という曖昧な表現に、何人かの当主が反応する。だが追及はされない。今はそこが本題ではない。
水無月は膝の上で指先を組み合わせていた。強く握りすぎないよう意識している。緊張を悟られないための、小さな努力である。
続いて、狗飼が手を挙げる。
「さて、風華さん。まずは急な呼び出しに応じてくれてありがとうございました。それで、率直にお訊きますが、この会合に呼ばれたこと、どう思われます?」
声音は柔らかい。だが、その瞳は相手の本音を逃さない色をしている。
「どうって」
風華は一瞬だけ言葉を探す。
正解を言う場ではない。
だが不用意な本音もまた危うい。
「何でもいいですよ? 嬉しいでも、面倒でも」
あえて逃げ道を与える。
水無月は小さく息を吐いた。
「なら、率直にいうと、面倒ね」
座敷にわずかなざわめきが走る。
だが烈火は微動だにしない。むしろ、ほんのわずかに口元が緩む。
「だと思いました」
狗飼は即座に応じる。
「だからこそ、今回の議題は風華さんの負担にならない形で終わらせる必要がありますよね?」
その言葉と同時に、あらかじめ用意していた資料を配布する。
段取りは完璧である。
水無月の発言を引き出し、それを根拠に次の提案へと繋げる。
そこには、次の文言が記されていた。
一、水無月風華(以下、「甲」とする。)を辰上家当主として認める。
二、辰上家の権限及び義務は甲が成人するまで凍結する。
三、その他については甲が成人後に改めて協議する。
実質的な名目承認と凍結措置。
責任を負わせず、権限も行使させない。
血統のみを保全する中立案である。
水無月は資料に目を落とす。
自分が「甲」として記されていることに、妙な現実味を覚える。
烈火はその横で、紙面を一瞥しただけで内容を把握している。
悪くない落としどころだ。
むしろ、こちらの想定よりも好条件である。
問題は――
この提案が、誰の利益を最も守る形になっているのか。
烈火の視線が、ほんの一瞬だけ狗飼へ向けられる。
狗飼はにこやかに微笑んでいる。
盤面は整いつつある。
だが、誰が主導権を握っているのかは、まだ確定していなかった。




