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Replica  作者: 根岸重玄
記憶喪失編
26/286

《案山子》

2036年6月6日午後20時51分


(危なかったが,何とかなったか。

 予想以上だったな,天乃(あまの)(しん)

 これで記憶を失った直後だというのだから驚かされる。

 だが,とにかく,ここにはもう用済みだ。

 《誘導記憶操作》を解除して撤収(てっしゅう)するとしよう)


 マンションの屋上へと続く扉の裏にいた中年の痩身(そうしん)の男は,天乃(あまの)が倒れたのを目視で確認すると,速やかにその場を立ち去ろうと(きびす)を返す。

 だが,階段を1段下りた直後,扉が吹き飛ぶような音とともに背後からものすごい力で首を(つか)まれる。


「何っ!?」


 次の瞬間,男は浮遊感を覚える。

 首を(つか)んだ手に,階段下まで強引に片手で投げ飛ばされたのだ。


「がっ!!」


 そのまま階段の踊り場に投げ出された男は,受け身をとることもできずにうつ伏せに倒れこむ。

 そして,起き上がろうとする前に階段上から跳んできた華奢(きゃしゃ)な体に腕の間接を極められ,取り押さえられる。


「ぐああぁっ!!」

「ようもやってくれたのぅ。わっちは今ちぃと機嫌が悪い。

 取り押さえろとの命令じゃからこうしておるが,本当なら殺してしまいたいところじゃ」


 男を取り押さえていたのは,『魔人の枷』で髪を雑に結われた黒髪の英莉(えり)だった。

 その表情は無表情だが全身から怒気が伝わってくる。


(まずい! 早く《誘導記憶操作》を使わなければ……

 しかし,この状況では……

 とりあえず,10秒,それだけでいい。

 まずは,この拘束を解かねば)


「足掻くなよ,小僧。

 魔術を使おうとしたらその瞬間に意識を刈り取る。

 わっちは力加減が下手じゃからな。

 もしかしたら二度と意識を取り戻さんかもしれんぞ?」


「おいおい,それじゃあ,困るんだよ。

 そいつがどこの奴でどうしてオレを殺そうとしたのか()かなきゃなんねぇんだから」


 階上から聞こえてきたのは天乃(あまの)(しん)の声であった。


(バカな。確かにこの少女(ばけもの)を使って腹部を(つらぬ)いたはず!!)


「おぉ,主殿よ。腹具合はどうじゃ?

 わっちはちゃんと操られながらも指示通りにしたぞ?」

「ん? あぁ,多分問題なく再生されている。

 お前の破壊したものを再生する能力でな」


(破壊したものを再生する能力!? なんだそれは!!)


 エリザベートの腕が天乃(あまの)の腹部を貫いたとき,エリザベートは自らが破壊したものを再生する能力を使い,天乃(あまの)が《虚言(きょげん)(いまし)め》で負っていた傷ごと治療していたのだ。

 その指示は,天乃(あまの)が脳内で考えたことをエリザベートに伝えるという方法で出したものである。

 天乃(あまの)は,エリザベートの身体を操っている術式は完全にコントロールを奪取(だっしゅ)する(たぐい)のものでないことをエリザベートが自らの意志をもって話せている事実から推測し,()けに出たのであった。

 その後,天乃(あまの)は手に隠し持っていた『魔人(まじん)(かせ)』をエリザベートに使用し,英莉と術者をつなぐパスから術者の位置を特定し,現在に至るというわけである。


「さて,と」


 天乃(あまの)は階段の踊り場まで下りてくると,うつ伏せになっている中年の髪を引っ張り,顔を上げさせる。


「やっぱり,見覚えはないな。英莉はどうだ?」

「さぁの? ニンゲンの顔はあんまり覚えとらん。

 見ておっても忘れておる。なにせ,長生きなのでな」


(くそっ,最悪だ。だが,本人が来たのなら問題ない。

 これはチャンスだ。ここで,始末すればいいだけの話だ)


 天乃(あまの)は掴んでいた髪を放すと,男に忠告する。


「ちなみに,やめておけよ? オレは他人の魔力の流れを見ることができる。

 アンタが何者であれ,大体のタネが割れた魔術じゃあ,オレを殺せない。

 具体的に言うと,アンタの魔術は発動まで時間がかかる。

 そして,記憶を操るのも人を操るのもそこに使用した時間に比例する。

 ただし,人を操れるのはいずれにしても短時間だ。そうだろ?

 だから,屋上で気絶してる女の子を使ってオレを攻撃したときはいきなり敵対関係から入ったんだ。

 暗殺するならもっと時間をかけて友好関係を築いた方が確実だったはずなのにな」

「――“魔術師,殺し”か。大層な名前じゃないか。

 それは,さぞ多く恨みも買っているだろうな。

 この俺のような刺客(しかく)を送られるくらいには。

 ぐっ」


 ギギギという音が鳴る。英莉が拘束を強めた音だった。


「小僧,うぬは訊かれたことに答えるだけでよい」


 英莉は拘束を強めながら冷酷(れいこく)に告げるが,天乃(あまの)は,そのまま何事もなかったように尋問(じんもん)を続ける。


刺客(しかく),といったな? アンタの(やと)(ぬし)は?」

「さぁな。俺のような現場要員にはそこまでは知らされない。

 だから,俺から情報を引き出すのは無理だぞ?」

「現場要員――つまり,組織的に荒事を請け負う団体の構成員か」

「……」

「図星って感じか? まぁ,いいや。

 そういった組織はおいおい調べればいいことだ。

 ただ,1つだけわからないことがある。

 アンタの術式の特性上,もっと直接的な幻覚を見せて一気に攻める方がよかったはずだ。

 なぜ,《虚言(きょげん)(いまし)め》なんて発動条件が相手に依存(いぞん)した術式が選択されたんだ?」

「…………」

「おい,答えてよいぞ?」


 深刻そうな顔をする男に対し,英莉が更に男の腕を曲げていく。


「――がぁ,くそっ,どういうことだ?

 《虚言(きょげん)(いまし)め》!?

 なんだそれは,お前を攻撃した術式は《空気弾》のはずだ。何を言ってる!!」

「英莉,気絶させろ! 急いで上に戻るぞ!!」

「ん? お,おぉ。てい」


 可愛い掛け声とは裏腹に英莉の手刀は一瞬のうちに男の意識を刈り取る。


「念のため,じゃな」

「急げ,英莉。場合によってはもう一度,髪を解く必要がありそうだ」

「なら今やってくれ。そっちのが早い。

 どうせ後で整えてもらう予定じゃったし。

 ちぃとやっときたいこともあるしの」


 英莉は,(またが)っていた気絶した男を見やり,ニカッと笑う。


「――わかった。ほら,解いた。行くぞ」


 天乃(あまの)は階段を急いで上がっていく。


 エリザベートは(へこ)んでボロボロになっていた屋上の扉をその(つが)いごと蹴り飛ばすと,天乃(あまの)より先に屋上に辿り着く。

 天乃(あまの)がそこに追いつくと,屋上の扉は逆再生するように(へこ)みごと直っていく。


「すごーい。さすが,先輩の使い魔。

 何が起こってるのサッパリわかりませんねー。

 っていうか,さっきのも痛かったですよー。

 ちゃんと頭を防御したのに,一瞬気絶してしまいましたー」


 そこにいたのは,学ランを着た少年だった。さきほどの少女はどこにもいない。


「なるほど,五感の認識を狂わせる術式か。

 確かに,見た目を偽れるなら,性別も偽れるか。

 その姿も本当かどうかわからないわけだな。

 ()()()()()()()()()すらも」

「やだなー。先輩には見えてるんでしょ? 僕の魔力の流れが。

 それはどのように見えているか僕にはわからない。だから,偽りようがないわけですよー。

 だから,ここにいるのは間違いなく僕ですよ」

「主殿。わっちが見えている位置に彼奴(きゃつ)が居るのなら,わっちが取り押さえるぞ?」


 エリザベートは今にも飛び掛からん気勢で(すご)んで見せる。


「まったく,先輩の脳筋(のうきん)使い魔ちゃんには困ったものですねー。

 ちょっとした余興(よきょう)に僕の力見せましょうかー?」


 そういうと,少年は手を天乃(あまの)らに向かって(かざ)す。

 すると,エリザベートは明後日の方向に跳びかかり,腕を振るって屋上の一部を破壊する。


「おりゃあ」


 その後も,エリザベートは何かを追いかけるように腕や脚を振るう。その度に屋上は破壊と再生が繰り返される。


「止めろ,エリザベート! それは幻覚だ!」


 天乃(あまの)が呼びかけるが,エリザベートには聞こえないようだ。


「無駄ですよ,先輩。彼女にはあなたの声が聞こえていません。

 いや,正確には,()()()()()()()()()()()()()というべきですかねー」


(どうする?

 いや,奴は言ったな。奴にわからないものは偽れないと。

 なら,オレの考えを読めるというエリザベートの感覚はわからないのではないか?)


「彼女は邪魔(じゃま)なので,退場してもらいましょー」


 そういうと,エリザベートは急激に方向転換をする。

 そして,屋上から跳躍しようと足を(かが)める。

 どうやら,敵が屋上から飛び降りた姿を幻視しているようだ。

 天乃(あまの)は,そんなエリザベートに届くように心の中で念じる。


(敵は,7時方向。距離5~8メートル)


「その指示を待っとった!!」


 エリザベートは屋上から飛び降りようとした姿勢のまま,天乃(あまの)の指示通りの方向に勢いよく跳躍する。

 もともと,人間には対応不可能な速度で移動するエリザベートの急激な方向転換に少年は当然対応できない。

 しかし,天乃(あまの)の大雑把な指示では,少年を捉えるには至らなかったようだ。

 エリザベートは少年の至近距離にまで一瞬で詰め寄ったが,そこから動く気配がない。


「次,どっちじゃ!」

「なんで,こいつ,僕の場所がわかってるみたいに!」

(4時方向,距離1メートル)

「そこかぁ!!」


 エリザベートの振るう腕が,後ろに下がろうとした少年の首を正確に捉える。

 エリザベートは,そのまま,少年の首を掴み引き倒すように後頭部から屋上に叩きつける。


「があああー」

「おお,まだ意識があるか。思ったよりタフじゃの。

 んじゃ,もう1発いっとくか?

 ()()()()()()()()()()()。それくらいしか思いつかんのじゃ」


 エリザベートは,まだ見えない少年に嗜虐(しぎゃく)の笑みを向けている。

 天乃(あまの)の目には,少年が後頭部に魔力を集中させてガードした様子が映っている。

 そして,魔力の質を変化させ,次なる術式を繰り出す姿がはっきりと見えていた。


「ぐうううー」

「ん? 触っとる感覚が消えていく?

 馬鹿が! 力加減を誤って首を落としても知らんぞ!

 主殿(あるじどの)彼奴(きゃつ)はここにおるか?」

()()()()()()()()


 周囲に天乃(あまの)の声が響き渡る。

 だが,当然,天乃(あまの)は一言も発していない。


(まだそこにいるぞ,最後の悪足掻(わるあが)きだ)


 天乃(あまの)は,思考することでエリザベートに指示を出す。


「なるほどのぉ,もうおらんのか。

 では,主殿よ。少々この手を握ってみてもよいか?」


 エリザベートの浮かべる笑みは,虫を潰して回る遊ぶ子どものように純粋で無邪気なものだった。


「やめておけ。それよりも,奴は移動している。

 いま,屋上から下に降りようとしている。急いで追え!」

「えー。もういいじゃろ?

 逃げる奴なんて大したことないんじゃよ。

 それより,わっちはこの手が掴んでいた奴の首の感触を思い出したいのじゃよぉ。

 なんせ,野蛮(やばん)な脳筋じゃからなぁ。あはははは」


 エリザベートが虚空から聞こえてくる誤った指示に乾いた笑いを返す。


(意外と気にしてたのか,それ……

 大丈夫だよ,オマエはちょっと猪突猛進(ちょとつもうしん)で何事も力で解決しようとする傾向があるが,老獪(ろうかい)さもちゃんと持ってるよ?)


「いやぁ,主殿はわっちのことをちゃんとわかっとるのぉ。

 そこまでいうなら,仕方ない。この失礼なヤツの発言は一旦保留にしてやろう」

「コイツ,ちょろいな」


 エリザベートは天乃(あまの)の発言に気を良くしたのか先ほどまでの態度を改める。

 そして,感覚のなくなった手を少し絞めるようにしつつ,手元に向かって話しかける。


「おい,術を解け。もうわっちにはそれ効かんから。

 さもないと本気で握るぞ? この手」

「わー,待った,待った。わかりましたよー」


 エリザベートが取り押さえている少年の姿が現れる。

 その少年は観念したように両手を上げている。


「まったく,ちょっとした余興で命を落とすところでしたよ。

 というわけで,この拘束を解いてくださいよ,先輩」


 しかし,悪びれずに天乃(あまの)に拘束を解くように要求してくる。


「主殿よ,この厚かましさは……

 こやつ,もしかしたら,とんでもない大物かもしれんぞ」

「あぁ,オレもちょっと感心したところだ」

「なんですかー?

 ちょっとしたおふざけがあったことは認めますけどー。

 今日は僕に感謝してくださいよー?」


 少年は相変わらずへらへらと笑っており,緊張感に欠ける言動が目立つ。


「感謝だと?」

「そうですよー? 僕は今日,八面六臂(はちめんろっぴ)の大活躍だったんですからー。

 まずー,今朝ですかねー?

 アーサー・リードの張った結界に水無月風華みなづきふうかを誘導しましたー。

 なぜか僕の魔術を防御せずに途中からは自分から結界の中を目指すように進んでいましたがねー。

 それでも最初のきっかけを与えたのは僕です,はいー」

「なんだと?」

(防御をしなかったのは多分,『虚空の旋律(コクウノシラベ)』のせいだな。

 アレは水無月が危機に陥ることを望んでいるからな)


 エリザベートに押さえ付けられている少年は続ける。


「それだけじゃないですよー?

 『殺し屋』に気付かれないように一瞬だけ僕が手を出しましたー。

 これは相当難易度が高かったですねー。

 でも,先輩放っといたら死にそうだったじゃないですかー?」

「――確かに,なんか一回,そんなことがあった気がするな」


 確かに,『殺し屋』が目測を誤ったようになったことがあったことを天乃(あまの)は思い返す。


「そして,今回,なんかまた,先輩にちょっかい出そうとしていた奴がいたんで,操られていた女の子――

 あっ,名前は藤咲夏南(ふじさきかな)ちゃんっていうんですけどね?

 ――その女の子とこーして入れ替わって先輩にいろいろとちょっかい出していたわけですよー?

 まぁ,これは挨拶を兼ねてって感じですけどー」

「――オマエ,何者だ?」


 天乃(あまの)の問いに少年は淀みなく答えを返す。


「僕のことは,そーですね,案山子(スケアクロウ)とでも呼んでください。

 あなたの後輩にして後継機にして後方支援を担当していますよー,先輩」

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