偽物
2036年6月6日午後20時12分
「いきなり《虚言の戒め》とは。
いったいどういうつもりじゃ,妹御よ?」
英莉は,無垢な笑みを浮かべた目の前の少女を詰問する。
「この場合,英莉は悪くないよね。英莉は騙されただけだもん。
そこにいる兄貴の贋作に」
「この主殿が,贋作,じゃと?」
英莉は何を言っているのだという目で少女を見るが,少女はそんな視線も構わず続ける。
「そう。一口に偽物といってもさまざまな種類があるわ。
本物とは別人の偽者
本物に迫る贋作
本物から作られた複製
本物の代わりとなる代替
本物と同じ形をした合同
本物を模して造られた模造
本物の幻である幻影
本物の姿を映す虚像
本物と共に生まれた双子
本物の影である投影
本物の振りをした擬態
本物が失われた際の補填である予備
本物と似て非なる似非
ここにいる兄貴はその中でも贋作に当たるの」
「講釈は承るが,妹御よ。その根拠はなんじゃ?」
英莉は天乃を少女から庇うように前に出る。
「根拠? 消去法よ。
私はさっき列挙したもののうち,贋作以外は見たもの。
ここにいる兄貴の贋作が最後なのよ」
「そうではない。
この主殿を偽物と断じた根拠を問うとるのじゃ」
「あれ? それこそ英莉には言うまでもないと思ってたけど。
兄貴はもうこの世界のどこにもいない。そうでしょ?
だったら,そこにいるのは偽物でなくて何なのー?」
少女は可愛らしくコテンと顔を傾ける。
天乃にはそれがひどく歪な光景に見えた。
「ここにいる天乃慎は本物じゃとわっちが保証する。それでは足りんか?」
英莉は物分かりが悪い幼子に言って聞かせるような口調である。
それでも,少女は英莉の言葉を信じようとはしない。
「あれ? 嘘じゃないね。
《虚言の戒め》が発動しない。どういうことなの?
少なくとも,英莉は本物だと疑ってないんだねー?」
「これ以上の問答は不要と思うがの」
「そうだね。まったく,いったいどういう絡繰りなのかなー」
少女はバタバタと手足を動かして「気ーにーなーるー」などといっている。
天乃は,少女に気付かれないようにこっそりと英莉に話しかける。
「なぁ,英莉。この頭のブッ飛んだのは,オレの妹ってことでいいのか?」
「そうじゃ。あれが主殿の妹御であることは間違いない。
忠告しておくが,あれを前に嘘は吐かないことじゃ。
《虚言の戒め》という術式に嵌まるのでな」
「《虚言の戒め》とは何だ? 現状特に何もないが」
「そこの贋作ぅー?
何こそこそ喋ってんのさー」
この少女は別に油断しているわけではない。
目の前で会話がされていれば,嫌でも気づくというものであろう。
「まぁ,いいや。
贋作君は《虚言の戒め》が気になるのでしょうー?」
少女は,無垢な笑みを天乃に向ける。
天乃は,覚悟を決めて少女と会話することを選択する。
「あぁ,そうだ」
「主殿,発言には気をつけるのじゃぞ。
妹御に嘘は通じんのでな」
「むぅ。もう無駄だもんねぇー。
1回はかかってるから,これからは詰めるだけだもんねぇー」
少女はケラケラと愉快そうに笑う。
「ずいぶん余裕そうだな。
悪いが,オレもいきなり偽物だと言われて内心穏やかじゃないんだ。
つい,手が出ることもあるかもしれないぞ?」
「なるほどねー? 曖昧な言葉を語尾につけることで嘘を吐かないようにしてるのねー。
そして,強硬手段に出たときに私にどんなカードがあるのか図ろうとしたのかなー?
兄貴並みの小賢しさはあるねー,確かに」
少女は部屋の中に一歩入ってきて満面の笑みを天乃に向ける。
「ふーん。ねぇ,おもしろそうだからちょっとお話ししようか。
まず,私の《虚言の戒め》は大した術式じゃあないの。
簡単に言うと,嘘吐きに付いた嘘相当の報いを受けさせる。
それだけの術式なの。
報いを受けさせるか否かは私が決められるけど,報いの内容は私にもわからない。
ただ,その副次的効果として,私は相手が嘘を吐いたかどうかわかる。
ここまではいいかな?
そこで,提案。ゲームをしましょう?
私はあなたに3つ質問するわ。あなたはそれに答える,それだけ。どう?」
「そのゲームに参加するオレへの見返りとお前の利益は?」
「見返りは私から与えるものは特にないわ。でも,相応のものを得られると思うよー?
利益は《虚言の戒め》の蓄積回数が最大で3つ増えるってことかなー。
その内容次第では,私はあなたを殺せるようになる」
「主殿,妹御の遊びに付き合う必要はないぞ。
ここはわっちに任せてくれんか?」
「だめだめー。言っとくけど,英莉には話してないからー。
決めるのはそこの贋作君だよー。
どうかなー? やってみる?」
「……いいだろう,受けよう」
「主殿!?」
英莉は驚いた顔で天乃を見る。
このゲームを受けるメリットがないように英莉には思えたのだ。
「安心しろ。考えはある。気になっていることがあるんだ。
このゲームを通じてその違和感の正体を突き止めることが先決だと判断した」
「そうこなくちゃ」
「ただし,ルールを少々変更したい。
質問を全部で5回にする代わりにパスを2回まで認めてほしい」
「うーん。どうしよっかなー?」
「どうだろうか」
「まぁ,いっか。3問答えるっていうところは変わんないわけだしねー」
少女は,笑みを深める。
「じゃあ,第1問,あなたの出身地は?
細かい地番とかまで知ってたらそれも答えてね」
「……」
「どうしたの? 出身地だよ? 聞こえなかった?」
「聞こえていたさ」
「じゃあ,出身地は?」
「……たしか,東京だったはずだ」
「あれ? ダウト。嘘だね」
カチッと何かが更に嵌まった感覚がする。
「え?」
驚いた声を出したのは,天乃ではなく,英莉である。
英莉は天乃が記憶喪失だと知っている。
つまり,天乃が自身の出身地を知っていることなどあり得ないのだ。
「あれあれー? どうしたのかなー。嘘吐きはだめだよー?」
「…………次の質問だ」
「んー? テンション低いなぁ。
第2問,あなたの両親の名前は?」
「……パス」
天乃は少し考える素振りをするかのように周りを見渡し,パスを選択する。
「パスかー。あと1回だねー」
「そうだな」
「じゃあ,第3問,あなたの生年月日は?」
「パス」
「えー? これもパスー? これ結構簡単だと思ったんだけど」
この質問には,天乃は予め決めていたかのように即答でパスを選択する。
「ま,いっかー。これでパスはもうだめだよー? 第4問,あなたの名前は?」
「天乃慎」
「う・そ・つ・き・だ・ね」
カチッとまた何かが嵌まった感覚がする。
「どうなっておる妹御よ!
主殿が天乃慎であることに間違いなどあるまい」
黙って様子を見ていた英莉もさすがにこれには異議を唱える。
「言ったでしょう? これはこの贋作君と私のゲームなの。関係ない英莉は黙っててよ。
それに,これは贋作なんだから,名前が『天乃慎』でないのは当たり前でしょう?
それは本物の兄貴の名前なんだから」
「そ,そんな馬鹿なことがありうるのか……」
英莉は,困惑の極みにあるように頭を抱える。
「ふふふー。じゃあ第5問ー。私は誰でしょう」
「……」
「どうかなー? 最後の質問だけど」
天乃は立ち上がると,少女へと近寄っていく。
「な,なにかな? それ以上近寄ったら《虚言の戒め》を発動させるよー?
いままで君が付いた嘘は傷病歴詐称,出身地詐称,氏名詐称だよー。
少なくとも,氏名詐称は重罪に分類されてるからね。
経験則だけど,一発で再起不能もあり得るよー?」
ニヤニヤと笑う少女に向かい合うように英莉のそばで天乃は足を止める。
「いや,ここでいいんだよ,ここで。
それと,ゲームは既に終わってるぞ?」
「な,なにをー? まだ5問目に答えてないじゃん」
「オマエの第1問は?」
「出身地を聞いたじゃん」
「それが違う。それは,第2問だ。
お前の第1問は,『聞こえなかった?』だ。
オレはそれに,『聞こえていたさ。』と回答している。
故に,『私は誰でしょう。』は6問目なのさ」
「え? な,なによそれ。ズルじゃん」
「だから,本来はその質問に答える必要はないんだが。
敢えて答えるなら,虚像――それがお前の正体だ」
天乃は言い終わる直前に英莉のリボン――『魔人の枷』を解く。
「エリザベート! ここから離脱しろ!」
エリザベートは,瞬時に天乃の腕を片手で掴むと,『漆黒の翼』を起動する。
そのまま,目にも留まらぬ速さで掴んだ天乃ごと窓を突き破って外へと飛び出す。
窓を割った音はエリザベートが消しており,飛び散ったガラスの破片は時間を巻き戻すように元の場所に戻っていき,窓ガラスが修復されていく。
「主殿!
妹御の術式の射程距離はわからんが,このまま可能な限り離れるぞ!」
「いや,屋上だ。マンションの屋上に向かえ,敵はそこだ!」
「じゃが,《虚言の戒め》がすぐにでも来るぞ」
「それは気にするな! 今は屋上だ」
「――わかった。主殿を信じよう」
エリザベートは天乃を抱え直し,屋上に向かって飛翔する。
――そこには,誰もいなかった。
「誰もおらんぞ! 主殿」
「……」
「主殿? 主殿っ!?」
屋上に降りたエリザベートが見ている前で,天乃が吐血し,膝をついて崩れ落ちる。
「《虚言の戒め》か!? 妹御めっ,どこまで本気なんじゃ!」
「ち,違う,ぞ。エリザ,ベート――探せ。
近くに,いるはずだ,術者は!!」
「どういう意味じゃ?」
「は,話している,時間は,ないっ!!」
天乃は震える脚に力を入れ,強引に立ち上がる。
「結論から,いう。オレに“妹”はいない!!」




