過去からの刺客と《虚言の戒め》
2036年6月6日 午後6時52分
西の空の朱色はすっかり闇に呑まれ、静かなリビングの窓越しに浅木の夜景が小さく明滅している。天乃と英莉は机を挟んで会話を続けていた。
「オレが魔術師?」
「そうじゃな。古式由来の百目鬼家の血筋が不能者のはずあるまい? だいたい、その魔眼はどう説明する気じゃ?」
英莉は呆れるように肩を竦めて見せる。
「……そうだとして、なぜ、オレは魔術を使えないことになっている」
「ふむ、それは。――その方が都合がよかったからじゃな」
「どういう意味だ?」
「のぉ。主殿は今、魔術を使えるか?」
「いや、使い方がわからない。そもそもどんな魔術を使えるのかも知らない」
「じゃろう? 魔術は一朝一夕で習得できるものではない。それこそ、ある程度の下地が必要なのじゃ。主殿が記憶と魔術に関する知識を失った場合、主殿はきっと魔術を失うと考えた。故に魔術を使えなくともよい学科に入学したのじゃ」
「まさか、それだけのために十組は作られたのか?」
「無論、これは副次的な効用じゃ。あの制度の主眼は別にある」
天乃の考えがわかるという英莉は、天乃の考えを見透かしたようにそれを否定する。
どうやら、流石に肉親の権力を使って無理やりに非魔術師のための学科を設立したわけではないらしい。
「そもそも、この教育機関――浅木の設立の趣旨目的に照らせば、主殿は入学の必要すらなかったらしいぞ」
「どういうことだ?」
「この魔術特区浅木は、この国における魔術関連の教育機関じゃ。つまり、自身の力を完全に制御でき、魔術に関する知識を十分に獲得できる環境にあるのであれば、そもそも、ここに来なくてもよいのじゃよ。実際、主殿は義務教育期間中は、外の普通の教育機関で済ませておるとのことじゃ」
「そうか、確かに。そうでないとおかしなことになるか」
仮に、高校入学以前にも浅木にいたのであれば、天乃は魔術を使えないなどとは扱われ得ない。少なくともかつての同級生が違和感をもってしまうのは避けられないだろう。
「まぁ、もっとも、先ほど云った条件を満たす魔術遣いなどほぼおらん。それに、仮に条件を満たしておっても、魔術師ならば義務教育から浅木で教育を受けるのが普通じゃ」
「そうなのか」
「そうじゃろ? 外の教育機関では、結局、いまだに偏見がすさまじいというからな。それこそ、檻に入っていない猛獣のような扱いにならざるを得ないらしいぞ。それはそれで痛快じゃったらしいがな」
「……そうか」
それは、いったいどのような光景なのだろう。ただの子どもが、少し特殊な能力があるというだけで遠巻きに見られるというのは。
「ふん。ニンゲンはそういうとき、とことん陰湿じゃからな。とはいえ、浅木に入れなかった魔術遣いはそのような扱いを受けざるを得ん。浅木にも定員があるからの。魔力が弱すぎて暴走しても大した被害をもたらさないと判断された者などは積極的に落としておるそうじゃ」
「そうなのか」
「すべて百目鬼から聞いた話じゃから、真実なのじゃろ。最近は魔術遣いとしての能力を持ったニンゲンが増加傾向にあるから、将来的には浅木以外の受け皿も必要になるじゃろうという話じゃ」
「あれ? 何でこんな話になったんだっけ?」
「ん? わっちもなんでこの国の将来を憂いとる立場から語っとったのじゃろ? んー、思い出せんということは大した話ではなかったということじゃろ」
くかかと英莉は笑うと、立ち上がる。
「主殿よ、そろそろ飯にせんか? 空腹じゃろう?」
そういえば今日は結局昼も食べ損ねたな、と考えた天乃は、思い出したかのように空腹に襲われる。
「あー、そうだな。だけど、何かあるのか?」
「まぁ、座っとれ。飯の用意はわっちの仕事じゃ」
「そうなのか。……なんか、悪いな。世話になる」
「……ッ!! あ、主殿は、わっちのことをもう少し道具のように考えた方がよいぞ? なんか、このような扱い初めてじゃから、わっちとしても、ちぃとムズ痒い」
「……なぁ、これはちょっと訊いといた方がいい気がするんだが、オレってどんな奴だったの?」
英莉は少々困ったように苦笑いすると、ぽつりと、呟くように言葉を発する。
「…………まぁ、難儀な性格じゃったよ」
「あー、なんとなくわかったよ。英莉が言葉を濁すってことは、そういう性格だったってことだろ?」
「気にせんことじゃ。しかし、なんじゃろな。今の主殿と前の主殿は全く性格が違うと云えばそうなのじゃが、根っこの部分では同じと感じるのぉ。わっちとしても、ほとんど違和感なく自然に接することができておる。この調子なら、他の者らともそれなりにうまくやっていけるじゃろ」
英莉はひらひらと手のひらを振って台所へ向かう。天乃は、何か手伝った方がよいかとも思ったが、足手纏いにしかならない未来が目に浮かんだので、自重することとする。
室内の小さな生活音が響く静かな夜。手持無沙汰となった天乃は、机上のノートパソコンの電源を入れる。机の上のノートパソコンから伸びる青白い光が、暗がりのなかで少年の顔を冷ややかに浮かび上がらせている。パスワードを要求されるが、当然、覚えているはずもない。
「なぁ、英莉。このパソコンのパスワードってなんだ?」
「パスワード? さぁのぉ。わっちは知らんぞ?」
(それじゃあ、完全にゴミじゃないのか、これ。ん? 魔力の残滓?)
天乃が目を凝らすとキーボードには微かな魔力の残滓があった。その残滓には濃淡があったことから、順番に押せということだろうか。天乃は、魔力の残滓の濃い順番にキーを押していく。
(R-E-P-L-I-C-A-0-5-2-8か。どういう意味だ?)
天乃がパスワードを入力し、エンターキーを押すと、パスワードは正しかったようであり、パソコンのデスクトップが表示される。デスクトップにはいくつかのショートカットがあったが、天乃の目に留まったのは『Read me』というタイトルのテキストデータだった。天乃はそのデータを開く。
『天乃慎へ
このメッセージを読めているということは無事『殺し屋』の手から生き残ったということだろう。
最初に断っておくと、『殺し屋』にオマエの殺害依頼を出したのは俺だ。
もっとも、さすがに撃退は不可能だと思ったから、エリザベートという制限時間を設けさせてもらった。
どうしてそんなことをしたのか。お前は疑問に思うだろう。
一つ目はオレが築いたネットワークの強度を図るためだ。あの時間帯なら、高確率で御堂彩芽と出会えることはわかっていた。そして、彩芽が6月6日の午後4時44分に《流星》を使用することは既に決まっていたことである。それが、どういう理由によるものかを図りたかったというのが第一の理由だ。
二つ目の理由はお前を図るためだ。本気ではない『殺し屋』にあっさりと殺されるようでは、どのみち、これから先を乗り越えることはできない。かといって、ある程度のテコ入れなしでは『殺し屋』は手に余る、それくらいの難易度を選んだつもりだ。
魔眼だけでは乗り切れなかったはずだ。もし未来を掴むことができたかのような感覚が残っているなら、それは予兆だ。きっとお前の役に立つ。
まだ、細かな理由はいくつかあるが、割愛する。今は必要なことだけ伝えよう。
百目鬼亜澄に会え。
以上、健闘を祈る。 天乃慎より』
(なんだこれ。オレからのメッセージ? オレは、いったい何がしたかったんだ?)
天乃はとりあえず、そのほかにも何かないかを探る。だが、見つかったのは、学校の教科書やさまざまな魔術に関連する論文をスキャンしてPDFファイルにしたものなど、魔術関連の資料が大量に見つかったほかには、目ぼしいものは見つからなかった。
天乃が、なんとなくそのうちの一つの論文(タイトルは「浅木で生まれた子どもたち」である)に目を通していると、英莉から声がかかる。
「おーい。主殿、おまたせじゃ。とりあえず今日は時間も時間じゃし、手の込んだものは作れんからの」
そう云って英莉が持ってきたのはミートソースパスタと生野菜のサラダだ。
「ありがとう、あれ? オレの分だけ?」
「まぁの、わっちは通常の食事を必要とせんからな。食えんわけではないが、食う必要もないので、食っておらんのじゃ」
「そう、なのか。なんか悪いな」
「気にするでないわ。それより、食事をしながら少々話の続きをしようと思う。話し忘れておったことがあったのをデュラムセモリナ粉をこねていたときに思い出したのじゃ」
「待て、このパスタ……手作りなのか」
「話しておくべきことというのは――」
「無視かよ」
そのとき、ガチャという音とともに玄関のドアが開く音がする。静かな室内に足音が響き、外の夜気とともに新たな足音が室内に踏み込んでくる。
「ただいまー、英莉ー、ご飯できてるー?」
「ぁあ、話す前に帰ってきてしもうた」
「あれ? 生きてたの、兄貴?」
天乃が、玄関の方から聞こえた声に振り返ると、そこには御堂と同じ制服を着た少女が立っていた。
「おかえりじゃ、妹御。いうておらなんだか? 今日から主殿が帰ってくると」
「ふうん。なんか、頭に大怪我したとかいう話だったっけ?」
少女が天乃に問い掛ける。天乃は、先程の英莉と少女の会話から、少女が自身の妹であると知り、少々困惑したが、記憶喪失の説明としてそういうことになっているのだと瞬時に理解し、返事をする。
「え?――あぁ、そうなんだ」
「しまった。だめじゃ、主殿、返事をするな!」
英莉が止めるが、天乃は既に返事をしてしまった後である。――カチッと何かが嵌まった感覚がした。
「《虚言の戒め》。ちょろいね、この兄貴は。さて、質問に答えてもらおうか」




