怪異の王と呼ばれた存在の成れの果て
2036年6月6日 午後5時08分
「さて、これは――」
英莉は地面に落ちている『殺し屋』の柄の黒いナイフを拾いあげると、躊躇することなく、それを口に入れ、飲み込む。
「あの、今……いや、もういいか」
天乃は、いちいち相手にしていては疑問が途切れないと思い、質問を取りやめる。その後、御堂たちが去っていった方向と同じ方角に向かって天乃たちは進んで行く。途中まで全く人に会わなかったが、ちらほらと下校中と思われる学生を見かけるようになる。そして、天乃たちは第三高の近くにある天乃の自宅に戻ってくる。
天乃は、鍵を開け、扉を開ける。天乃は、英莉が首を切断された場所に目を向けるが、そこには、一滴の血痕も残っていなかった。
「さて、帰ってきたのぅ。わっちは茶を飲むが、主殿はどうする?」
「え? あぁ、じゃあ、オレももらおうかな」
英莉は慣れた様子で電気ケトルにミネラルウォーターを入れ、スイッチを入れる。
(ホットっすか……)
「ん? なんじゃ? 主殿はアイスが良かったか? それなら冷蔵庫にあるから出してやろう」
英莉は、冷蔵庫から茶を取り出し、棚から取り出したコップに中身を注いでいく。
「ほれ。どうぞ、じゃ」
(今、口に出してしてなかったよな?)
「……ありがとう」
「さて、それでは、何から話そうか。いや、期待してもらったところ悪いが、実はわっちは知っておることをすべて話すことはできないのだ。他ならぬ、主殿の命でな。なに? 命令の上書きができないのかじゃと? 結論から言うと無理じゃな。なぜなら、主殿は自身の記憶がなくなることを想定してこの命令をわっちにしたからじゃ。じゃから、わっちが話せることを話そうと思う。質問は後程まとめてしてくれ」
「まず、わっちのことを話そう。気づいておるかもしれんが、わっちは人間ではない。では、一体何か。ふむ、さすがは主殿だ。大まかな察しはついておるようじゃの。そのとおり、わっちの身体は魔導書でできておる。『闇の眷属』という魔導書がベースじゃ。さらに、その身体を『漆黒の翼』、『魔人の枷』という二つの魔導書で補強しておる。そして、人格担当は『エリザベート・ナイトウォーカー』という嘗て存在したただの化け物じゃ。嘗ては怪異の王などと呼ばれていたこともあるが、今は全盛期の力をほとんど失った抜け殻にすぎん。故あって消滅しかけていたところを主殿に救われ、三冊の魔導書をもって存在を保っている幽鬼とでも考えてくれ。わっちのことはこんなものじゃな」
「それでは、続いて主殿のことについて話そう。主殿はとある目的をもって現在の状態を自ら選んだ。だから、この状況は決して何かを失敗したわけではない。では、その目的は何か。悪いがこれは明かせん。機密事項じゃ。そんな顔をせんでほしい。これを明かすことはできんのが決まりじゃ。というか、わっちも正確なところは知らん。知らされておらんのじゃよ。万が一にも漏れることがないようにな。じゃが、主殿がすべきことは伝えることはできる。主殿がすべきこと――それはこのまま生き残ることじゃ。この街で生活し、天乃慎が健在であるということを示すこと――いわば、それが主殿のすべきことじゃ。簡単じゃろ?」
「とはいえ、今日会ったじゃろう? 『殺し屋』に。奴とわっちは旧知の仲じゃ。まぁ、奴は人を殺すことを至上と考える変態じゃ。気にせんことじゃよ。ん? どうやら、他にも何度か死にかけたらしいの。そう、主殿が目的を達成するためにはいくつかの問題がある。実はな、主殿は現在、非常に死に易くなっておる。その原因は、主殿の存在強度じゃ。これがとある要因によって非常に弱まっておるのじゃ。運命というものが存在するとすれば、主殿は死に引き寄せられるように転落しておる状態じゃな。例えばの話じゃが、今の主殿なら、道を歩いているだけで死ねる。突然制御を失った旅客機が頭上から降ってくるなど序の口じゃと思っておけ?」
「では、どうすればよいか。逆説的な話をするようじゃが、解決法は長生きすることじゃ。生き続けることにより、この世界に主殿の存在を改めて刻み付けるのじゃ。そうすれば、世界の異物を排除しようとする機能は麻痺してゆく」
「次に……いや、本来ならこちらが一番目の問題か。記憶喪失じゃ。とはいえ、これは、諦めてもらうほかない。記憶の回復は不可能なのじゃ。まぁ、これは、非常措置ではあるが、一種の願掛けみたいなところがあるらしいからな。その状態で目的を達成する。困難な条件を設定することで、大きな効果を得る。これは魔術の根本原則でもある、ということらしいぞ?」
「他には――ん? あぁ、『殺し屋』どものことなら気にするなよ? あれは、おそらくしばらくは現れんはずじゃ。じゃが、そうじゃな。『殺し屋』について、少しだけ話しておかねばなるまい。とはいえ、奴について語れることは非常に少ない。というのも、わっちが口止めを命じられておる事項に大きくかかわっておるからじゃ」
「一つ、奴もまた、厳密な意味で人間ではない。とはいえ、ベースは人じゃ。首を落とせば死ぬし、呼吸ができなっても死ぬ。不死性は低い」
「一つ、奴の目的は、主殿と似通っておる。勿論、今の主殿の短期的目的である『生き延びること』ではなく、もっと長期的な目線にたったときの目的の方という意味じゃ」
「一つ、奴や主殿と類似した目的を持つ者の人数はもっと多い。今朝の一件もそのうちの一人の差し金じゃろう。現在、積極的に主殿の命を狙うものなど、彼奴等しかおらん故に」
「こんなもんじゃ。じゃが、安心せい。彼奴等はもう容易に干渉できんようになったと考えてよい。その理由は明かせんが、彼奴等はもともと容易にわっちらに干渉できんのじゃ。今回は、例外的に干渉してきたようじゃが、もう時間切れじゃろ。じゃから、主殿は彼奴等のことは一旦忘れてもよい」
「まぁ、さしあたっての問題は、このくらいか。では、今後の方針について少し語ろう。とはいえ、原則は先刻告げたとおりじゃ。主殿には普通に生活しながら、生き続けてもらう。何を捨てても命を捨てることは罷りならん。わっちは可能な限りそれをサポートする。ただ、わっちにも限界はある」
「たとえば、『闇の眷属』の能力を全力で起動できるのは、午後四時から翌午前四時までの十二時間中合計四時間だけという制約がある」
「たとえば、『漆黒の翼』には『魔人の枷』と併用した場合、一日で合計一時間しか使用できないという制約がある」
「たとえば、『魔人の枷』にはわっち単独では解除も装着もできないという制約がある」
「じゃが、午前四時から午後四時までの間に『魔人の枷』が解除された状態では『闇の眷属』が正常に起動できなくなるという制約がある」
「逆に、午後四時から午前四時までの間に『魔人の枷』が解除された状態で、『闇の眷属』を全力で起動した場合には一時間に限り、わっちの本来の能力である『エリザベート・ナイトウォーカー』としての全力を振るえるという恩恵がある」
「という感じじゃ。まぁ、この各条件については忘れてもらっても構わん。魔導書を三冊も使っとるからな。相克を避けるために多少ピーキーな調整にしておる。覚えておいてもらいたいのは、午前四時から午後四時まではわっちの力が極端に減衰するということじゃ。実際、今日もその時間帯に首を掻っ切られておったじゃろ? つまり、その時間帯は仮に旅客機が落ちてきたとしてもわっちにはどうすることもできない」
「そこで、主殿には積極的に周りの人間を利用することを覚えてもらいたい。実際、主殿にはその気質があった。人誑しとでもいうのか? 敵対者すらも取り込んで他人とは異なる尺度で勝ちを取りに行くタイプじゃった。わっちも主殿に誑かされた者の類じゃしな。まぁ、心配せんでもその下地は出来上がっておるはずじゃ。というより、主殿はこの計画のために今年の四月から下地を整えてきたということなんじゃが。それでも、想定外は起こるものじゃ。今朝の一件は正にそれじゃ。まさか外見の偽装魔術とはな。わっちも油断しとった。まぁ、結果オーライじゃったからよかったものの、今朝、主殿は死んでおっても不思議ではなかった。そういった意味では、あの小さな娘には感謝しておけよ? こんなものか。何か質問はあるかの?」
英莉はここまでを一方的に告げると、自分で淹れた茶を飲み干す。天乃は、しばらく黙考すると、一つずつ質問していくこととする。
「さっきの話を聞く限り、オレは死に易くなっているということだったが、入院中はそのようなことはなかった。というより、あの病院を出てから、急に死にかける出来事が頻発するようになった。これはどういうことだ?」
「ふむ、いきなりで悪いのじゃが、答えられん」
「英莉は、オレと初めて会ったあの日以降何をしてたんだ?」
「基本的には、主殿の監視じゃ。わっちはある程度離れておっても主殿の監視ができるからの」
「オレがこの――」
「おっと、その質問も答えられん」
「英莉にはオレの考えがわかるのか?」
「だいたいはの。むろん、主殿の不利益になるようなことはわっちにはできんから、安心せい」
「魔導書『闇の眷属』とは、どのようなものだ?」
「わっちのこの身体の基本を構成しておる自立型暗殺人形じゃ。魔導書は書の形をとっているとは限らん。この魔導書は人間を形どった魔導書じゃ。魔力を注ぐと起動し、設定した目標を殺害するまで行動する。行動に必要な魔力は強引に経路を作って使用者から取り立てていく。勿論、禁書じゃ。外見は固定されておらず、目標に対して最適な姿に変わることができる。これの魔導書の恐ろしいところは人間と区別がつかない外見じゃな。目標によっては色仕掛けすら使うというのじゃから、制作者の殺意というか狂気は完全に一線を越えとるの」
「『漆黒の翼』は?」
「これは、球体の形をしておる人体融合型の魔導書じゃ。飲み込んだ使用者の身体に融合して、魔力を注いだ時に翼が顕現するという仕組みじゃ。この翼が出ておるときには空を飛べるのじゃ。それだけではなく、音を消すという能力もあるのぅ。ただ、人体に悪影響を及ぼすという理由で禁書の扱いとなっておる。もっとも、わっちの身体は『闇の眷属』という魔導書じゃからな。何の影響もない」
「『魔人の枷』は?」
「これは、わっちの髪を結っておるリボンじゃ。形は自由に設定可能じゃが、人体の一部を縛るものである必要があるそうじゃ。効果は、何かを制約するという漠然としたものじゃ。わっちは、これにより、『エリザベート・ナイトウォーカー』としての力を封じられておる。これが残っておると『闇の眷属』が正常に起動しなくなる故にな。それでも、結局押さえきれず、『闇の眷属』には制約が残ってしまっておるがな。また、その副作用として『漆黒の翼』にも制約がかかっておる。これは、人間相手には効きすぎるという理由で禁書となっておる」
「『エリザベート・ナイトウォーカー』ってなんなんだ?」
「それはわっちの嘗ての名前じゃ。正真正銘、人間ではない化け物じゃよ。主殿は古式魔術師というものを聞いたことはあるか?」
「世界に穴が開く以前から魔術師だった家系――だったか」
「そうじゃ、この世界には、もとより、神秘とされておった領域がある。その中には、ひっそりと、わっちのような化け物も居ったのじゃよ。妖怪変化、魑魅魍魎、蛇蝎磨羯そういった類の化け物じゃ。本来は、層の異なる世界の住人じゃからめったに遭遇はせんのじゃがな。まぁ、このあたりの話は長くなる。語る機会があればその時に語ろうぞ」
「つまり、『魔人の枷』はそういった人外を対象として作成されたものの可能性があるということか?」
「そうじゃろうな」
「ところで、なんで、そんなに大量の禁書があるんだ? 禁書ってやつは国立魔導図書館ってところで厳重に封印されているって聞いたんだがな」
「さぁのぅ。わっちはこれらを宛がわれただけじゃからなぁ。入手経路については不明じゃ」
「次は、オレと英莉の間にある契約について聞きたい」
「ふむ、一種の奴隷契約じゃ。わっちは基本的に主殿の命に逆らえない。ただし、わっちは働いた対価を要求できる」
「それは、奴隷なのか?」
「わっちの仕様上仕方ないのじゃよ。じゃから、わっちが要求できる対価は食事だけじゃ。それ以外のものは要求できん」
「食事?」
「まぁ、血液等じゃな。わっちは、稼働するだけで結構な魔力を消費しとる。自己生産だけでは追いつかんのじゃ。じゃから、外部から取り入れる必要がある。主殿とわっちの間には『闇の眷属』による魔力の経路がつながっとって、常時魔力の供給を受けておる状態じゃ。しかし、戦闘機動などをした際にはそれだけでは足りなくなることがある。その場合、わっちは食事として主殿の血を求めることがあるということじゃ」
「待て、オレには、それだけの魔力があるということか?」
「何を今更……おぅ、そういうことか。うーむ、まぁ、これは黙っとけとは言われておらんしな」
英莉はうんうんと頷き、二杯目の茶で喉を潤すと、天乃を見据えてはっきりと口にした。
「主殿は魔術師なのじゃ」




