傷を負う覚悟と戦場に響く詠唱
2036年6月6日 午後4時06分
「《流星》?」
天乃(あまの)はぼんやりと、その術式の名前を聞いたことがあるのを思い出す。それは、つい一時間半ほど前に特務課の執務室で聞いた名前だった。
(確か、雹霞さんによると、一点突破における最強の攻撃術式だったか? それを、コイツが……?)
「やめておきなさい、御堂さん。これまでのは小競り合いってことで見逃されるかもしれないけど、街中で《流星》なんて使ったら、警備隊も統括理事会も黙ってないわ。あなた、ただでさえ今は微妙な立場なんだから」
「わ、わかってるわよ、言ってみただけだって」
御堂は不貞腐れたように言うが、刹那が止めなければ、激情に任せて《流星》を叩き込んでいたであろうことは、天乃には容易に想像できた。
「それで? 相談、終わった? 帰る気になったかな? 第三中のツートップのお二人?」
オーバーオールの少女は、まるで散歩でも楽しんでいるかのような足取りで、ゆっくりと近づきながら声をかけてくる。
「あらあら、そんな恥ずかしい呼び名まで知ってるの? 誰が言いだしたのか知らないけど、正直、迷惑だわ」
刹那は淡々と言い放ちながら、不可視の攻撃を数回繰り返したようだ。天乃の目には、空気が爆ぜるような魔術の余波が見える。しかし、オーバーオールの少女がナイフを無造作に振るたび、その攻撃は吸い込まれるように掻き消されていった。
「さぁて、あの妙な術式の正体を看破して攻略法を見つけないといけないんだけど、なぁ」
御堂は魔術による加速を介さず、素のスリングショットで弾を撃ち込む。しかし、少女がナイフを振ると、弾は瞬く間に勢いを失い、今度は届くことなく力なく地面を転がった。
「これもダメか」
オーバーオールの少女が立ち止まる。
「ねえ、どうしても帰ってくれない?」
そう言って、こてんと首を横に傾げる。その動作は愛らしいが、放たれる殺意は濃密だ。
(くそっ、考えろ。アイツはなぜ、最初の刹那の攻撃を避けた? ああやって掻き消せるなら、最初から動く必要はなかったはずだ。……いや、そもそもどうやって「見えない攻撃」を消している? 刹那の攻撃は、空間がわずかに歪んでいる程度でオレにもほとんど見えていない。その兆候をどうやって感知しているんだ? それに魔術じゃない純粋な物理攻撃にも対応できている。まだ、決定的な情報が足りないのか……?)
「なぁ、お前、どうしてオレを狙うんだ?」
「うーん。仕事? だから?」
「仕事?」
「そう。殺し屋なの、私」
「殺し屋って……」
「一周回って新しいわね」
御堂と刹那は冷めた目で少女を見やる。だが、その実力は紛れもなく一流だ。
第三中のツートップ――その名は伊達ではない。戦闘において、並の魔術師では彼女たちの足元にも及ばない。
刹那は、不可視の矢を放つ《架空の矢》という魔術の使い手だ。かつて宇宙を満たしていると考えられていた「架空元素」を、自己の認識によって歪めた視界内に生成し、固形化させて撃ち出す。この世に存在しない物質ゆえに、既存の物理法則や化学変化を無視して対象を穿つ。
対する御堂は、最強の攻撃力を持つ《流星》に加え、その廉価調整版とでもいうべき《加速砲撃》を操る。これは対象の軌道上に加速レールを作り出す術式であり、彼女が力を加えて射出した物体を際限なく加速させる。先程、天乃を襲ったのがこれだ。
「ところで、お二人さんは帰らないの? だったら、邪魔だから排除しちゃうけど、文句言わないでね?」
殺し屋を名乗る少女は、ゆらりと身を揺らした直後、弾かれたように一直線に突っ込んできた。
「ちっ」
御堂が舌打ちし、右手いっぱいに掴んだパチンコ玉を投げつける。天乃の目には、網の目のように重なる紫色の魔力レールが見えた。玉はそれぞれのレールに乗り、凄まじい風切り音を立てて少女を包囲する。
「逃げるわよ」
御堂は叫び、即座に離脱の体勢を作る。だが。
「逃がさない」
少女の呟きが聞こえた次の瞬間、御堂は目を疑った。
少女は今までの防戦が嘘のように、ナイフを正面に構え、鉄の嵐の中に自ら突っ込んだのだ。
踊るようなステップ。ナイフ一本で弾丸を捌き、叩きつけ、互いに衝突させて軌道を逸らす。一瞬にして「弾丸の壁」に一人分の穴を開け、彼女は正面から潜り抜けてきた。
「うそっ!?」
御堂と刹那が驚愕に固まる。しかし、天乃だけはこの超常の光景に天啓を得ていた。
彼我の距離はおよそ十五メートル。少女の身体能力なら一瞬で詰められる距離だ。天乃は、反射的に前に出ていた二人の制服の襟首を掴み、力任せに後ろへ引き寄せた。
直後、刹那の頭部があった場所をナイフが冷たく一閃する。
「あっ」
刹那は体勢を崩しながらも、即座に状況を理解し、《架空の矢》を正面に放つ。少女は独楽のように回転してそれを躱しつつ、天乃の肩へとナイフを深々と突き立てた。
「ぐあっ」
天乃は鋭い痛みに悲鳴を上げつつも、刺されることは覚悟していた。彼は出血を厭わず、ナイフを握る少女の手を掴もうと指を伸ばす。
しかし、少女はあっさりとナイフから手を離し、天乃の拘束をすり抜けた。そして、オーバーオールのポケットから次のナイフを淀みなく取り出す。
「やるー。天乃君! ナイフ一本取られたよ」
少女は呑気に話しかけながら再び構える。そこへ、天乃の死角を抜けるように御堂の亜音速弾が飛来した。少女はそれをナイフで薙ぎ、勢いを殺してから余裕を持って回避した。
「お褒めに預かり光栄だな……。だが、おかげで大体わかったよ」
「へぇ。やるじゃん。答え合わせ、する?」
「生憎、仕組みはわかったが突破口はまだ閃いてなくてね。……っつうかマジで痛ぇ」
「そりゃあ、結構深く刺さったからねぇ。痛いだろうなぁ」
少女は喜々とした声で、天乃の負傷を慈しむように言った。
「ちょっと、その肩、あんた大丈夫なの!?」
打つ手がなくなった御堂が、青ざめた顔で天乃に駆け寄ろうとする。
「大丈夫じゃねぇな。すっげぇ痛ぇ」
そんな天乃の横で、刹那が御堂の肩を叩いた。
「ねえ、御堂さん、提案があるんだけど。私たち、そろそろお暇したほうがよろしいのではないかしら?」
「な、なに言ってんのよ、刹那!」
「だって、言ってたでしょう、彼女? 狙いは天乃さんだって。だったら、私たちは関係ないじゃない」
刹那のあまりに冷徹な提案に、御堂は絶句する。
「うっわー。それはさすがの私でもドン引く提案ねー。まぁ、いいけどねー。邪魔しないなら、あなた達に手を出す理由はないし」
「マジで言ってんの、刹那?」
「ええ。大マジね。天乃さんには申し訳ないけど、ここで私たちにできることはないわ。だったら、私たちは、私たちができることをしましょう?」
「そう、私たちにできること、ね。……なら、まだ残ってるじゃない」
御堂は、震える手でスリングショットに次の弾を装填した。
「ちょっと、御堂さん!? やめなさい!」
「だぁいじょうぶ、《流星》なら使わないわよ」
「……そう。なら、お手並み拝見といきましょうか」
御堂が退かないのなら自分も残る。刹那の覚悟が決まった瞬間、御堂は安心したように目を閉じた。
「“――私が放った物体は、流星の如く流れ往く”」
「詠唱!? させないよ」
少女が顔色を変え、一気に踏み込む。そこへ、刹那が冷徹に《架空の矢》を放った。
「邪魔!!」
少女はそれを察知し、ナイフを一薙ぎして魔術を霧散させる。
攻撃が一度も成功せず、苛立つ刹那。その背後から天乃が低く声をかけた。
「(合図をしたら、“壁”を作れ)」
そして、天乃は手負いの体で少女の方へ走り出す。
「天乃さん!?」
「天乃君!?」
予想外の突撃に、殺し屋の少女さえも一瞬動きを止めた。
「“近寄ること勿れ、何時しか離れ往く運命なら”」
御堂は周囲の喧騒を断絶し、詠唱を続ける。
詠唱とは、心底の渇望を魔術へと変換する言葉の魔方陣だ。それは魔術師の切り札である「嵌合」や「没入」のスイッチとなる。詠唱中は無防備になるため、実戦でこれを用いる者は極めて稀だが、御堂彩芽は「とある理由」から、その習得を余儀なくされていた。
天乃は少女の目前まで突き進む。彼女が身構えたその時、天乃の叫びが響いた。
「今だ!!」
瞬間、天乃と少女の間に十本近い不可視の矢が地面に突き立てられた。少女が天乃を仕留めようと振るったナイフが、その「壁」に弾かれ、火花を散らす。
「ちぃ」
弾かれた衝撃と、天乃の口元に浮かんだ確信の笑み。少女は、自分の「理」が看破されたことを悟った。
「“私が抱けたものは一つもない――”」
そして、詠唱が完成する。
「嵌合成立――《拒絶の場》」
殺し屋の少女は、即座に撤退を決断した。詠唱が完成した魔術師との戦闘継続は、目隠しで地雷原を走るようなものだ。相手の条件に嵌まるか、あるいは有利な現実改変が始まるか。ここは引くのがセオリーだ。
だからこそ、御堂の狙いは容赦がなかった。少女が踵を返そうとした瞬間、世界に「カチリ」と歯車が噛み合う音が響く。
「嵌まった」
御堂は冷酷な、それでいてどこか悲しげな表情で告げた。
「チェックメイトよ。殺し屋のお姉さん」




