加速する金属弾とナイフを振るう殺人鬼
2036年6月6日 午後3時32分
バタン。
英莉に助けを求められた天乃が真っ先にしたことは、入ってきた扉から外に出ることだった。心臓が早鐘を打ち、指先が冷たく強張る。
(なんだ? 今の?)
さきほど、天乃の目には異質な光景が映っていた。およそこの世の物とは思えない現実。平和な分譲マンションの一室にあるはずのない、命のやり取り。
(もう一度、確認するか?)
天乃は扉のノブに手をかけ、逡巡する。先程の光景が現実だったとして、自分に何ができるのか。冷静に思い返してみたのである。最悪、死体が一つ増えかねない。いや、その可能性が高い。
だが、見間違いかもしれない。一瞬しか見えなかったから、自分はひどい勘違いをしたのかもしれない。そう自分に言い聞かせ、天乃は震える手で再び扉を開けた。
その瞬間、天乃は激しく後悔した。
開いた隙間から、風に乗って漂う鉄臭いにおいを確かに感じてしまった。そして、先程の光景が間違いでなかったことを、およそ最悪の形で確認することになった。
その部屋は、英莉の頸動脈から噴き出したと思われる血液で赤黒く染まっていた。
部屋の中央に立ち尽くしていたオーバーオールの少女は、返り血を一切浴びていないのか、その身に一点の汚れもない。それが逆に、惨劇の場では異質の存在に見えた。
彼女の足元には、力なく横たわる赤い着物の少女。そしてオーバーオールの少女の手は、無数の黒い糸が生えた大きな球体状の物体を引き摺っていた。
「なんだ、戻ってきたんだ。……これどうしよう?」
少女は、手の黒い糸を無造作に引っ張り上げ、球体状の物を持ち上げる。
天乃は、その球体に開いていた虚ろな穴と、はっきりと目が合ってしまった。
それが「何」であったのかを理解した瞬間、天乃の精神は限界を迎えた。
「うわああああああああぁああああああああああああああああ――――」
喉が裂けるような悲鳴を上げたのは、自分だったのだろう。
気づけば足は自然に扉の外へと向かっていた。エレベーターを待つ余裕などない。天乃は数時間前と同じように、建物の手すりを乗り越え、下の階の手すりへと飛び移る。最短距離で五階から一階まで、まるで落ちるように降りていった。
そのまま天乃は当てもなく走り続ける。水無月と別れた道を越え、見知らぬ路地に入り込み、自分がどこを走っているのかわからなくなっても、天乃は走るのをやめなかった。背後にあの少女の気配が張り付いているような錯覚に追われながら。
「――はぁ、はぁ、はぁ、うっ、はっ、はぁ、はぁ、はぁ」
ようやく止まったところで、天乃は倒れこむようにして膝をつく。
こうなるとは思わなかった、などと言っても始まらない。だが、先程の光景は天乃の予想を遥かに超えた惨状だった。
選択を誤ったのは確かだ。一旦家を出るべきではなかった。いや、その光景がどれほど異質でも、英莉から目を背けるべきではなかったのだ。そうすれば、少なくとも、ここまで惨めな思いをせずには済んだだろう。
だが、今の天乃に一体何ができたというのだろうか。
ごちゃごちゃになった思考をクリーンにすべく、天乃は立ち上がり、周囲の状況把握に努める。
そこは丁字路の真ん中だった。正面へ進む道、右に折れる道、後ろに戻る道。
天乃はどうするのが最善かを考える。警備隊に連絡するのが現状の最善手だろう。雹霞や間森に事情を説明すれば、事態は動くはずだ。
しかし、あの光景の異質さを、現状の天乃は説明できない。自分の選択が完全に裏目に出た結果、証言の信憑性すら危うい。
他にどのような手段があるか。天乃が思案に耽っていた、その時。
「ん?」
紫色の線に気付いたのは、全くの偶然だった。
目の前を一瞬通り過ぎたかと思えば、ぴたりと自分の頭部にその線が狙いを定めていた。
(レーザーポインター? いや、魔力の線ッ!!)
気づいたときには、天乃は本能的に前転を繰り出していた。
直後、何かが天乃の頭部があった場所を凄まじい速度で通過する。ガシャン、という破壊音とともに、飛来した何かはコンクリートの壁に深くめり込んだ。
(鉄の……これは、パチンコ玉か?)
「うーん。また避けた。今回は当たりそうだったのになぁ」
声のした方を天乃が振り返ると、肩まで伸びた茶髪、どこかの学校の制服と思われるブレザーを着た少女が近づいてきていた。その制服の意匠は、どこか水無月が着ていたものを思い起こさせる。
(いったい誰だ!? 今日は厄日か!? 次から次へとトラブルが舞い込んできやがる……!!)
天乃は冷や汗をかきながら状況を観察する。少女は攻撃こそしてきたものの、それ以降は妙に親しげな、腐れ縁の相手に対するような雰囲気を纏っていた。
「なによ。今日はやけに大人しいわね。いつもの憎まれ口はどこに行ったわけ? せ・ん・ぱ・い?」
(憎まれ口? っていうか誰だ、この子。いや、こんなことに関わってる場合じゃないんだが……えーい、出たとこ勝負だ)
「あぁ、その、なんだ……誰だっけ?」
カチン、と少女の表情が凍りついた。次の瞬間、それは沸騰するような憤怒へと変わる。
「……い・い・加・減、人の名前くらい覚えろや! この唐変木!!」
少女が一歩下がり、ブレザーの左腕をまくりあげる。
そこには籠手のような形状の、狩猟用と思われるスリングショットが装着されていた。パチンコ玉が装填される。少女が手を左右に小さく振ると、手のひらに向けて発射ボタンと思われる装置が飛び出した。
少女は射出装置のボタンに親指を押しあてながら、瞬時に構える。その発射口は容赦なく天乃の顔面を向いていた。
(さっきのパチンコ玉はこれか! っつうかいきなり凶器って、マジでこの街の治安はどうなってんだ!)
「ちょっ……ギブギブ! 無理だってこの距離は!」
さすがに、少女からわずか一歩の距離では、射線が見えても躱しきれない。
そもそも、先程の魔術がどのようなものか天乃は理解していないが、剥き出しの殺意がこもった弾丸を喰らえば、重傷は免れない。
「問答無用。いっぺん死んどけ」
「そうよ、止めておきなさい、御堂さん」
横合いから、音も気配もなく、御堂と呼ばれた少女と同じ制服を着た別の少女が現れた。彼女は御堂の左腕を取り、スリングショットの射出口を上空へと逸らす。腰まである黒い長髪。その先端は、数センチほど細かく三つ編みに編み込まれていた。
「止めないで、刹那。こいつには一発ブチ込んでわからせなきゃダメなのよ!!」
「そんなことしなくても、わかってもらえると思うわよ? ね? 天乃さん?」
刹那と呼ばれた少女の、静かだが拒絶を許さない視線。天乃は瞬時にその意図を察し、必死に言葉を絞り出す。
「わ、わかってる。ちょっとしたおふざけだよ、御堂……さん」
「……はぁ?」
毒気を抜かれたようにキョトンとした顔をした御堂は、一瞬の後、天乃に凍るような冷たい目を向ける。
「刹那……止めてくれたところ悪いけど、今の発言は解せないわ」
「ホント、バカなんだから」
刹那のため息混じりの言葉は、果たしてどちらに向けたものか。それでも、次に紡がれたのは、はっきりと天乃への警告だった。
「ちゃんと、いつも通り避けてくださいね、天乃さん? くれぐれも、殺されたりしないように」
言われるまでもなく、天乃の目は先程から紫色の魔力を垂れ流し始めた御堂に釘付けになっていた。
(この魔力量、尋常じゃない。アーサー・リードや雹霞さんより上ッ! 水無月並みだ!!)
天乃がこれまで見てきた魔術師の中で、水無月は魔力量において突出していた。だが、この御堂という少女は、それとほぼ互角か、わずかに劣る程度の膨大な魔力を保有している。
魔力量は力の一要素にすぎない。しかし、これだけの量があれば、水無月のように身体に纏って擬似的な鎧にしたり、空中を飛翔したりすることも可能だろう。
そう天乃が考えていた次の瞬間、紫色の魔力が、上を向いていた籠手の射出口から天乃の方に向けて直角に折れ曲がって放出された。それは少し上の角度から一直線に、天乃の腹部を狙っている。
(胴狙い!? 本気か、コイツ!!)
頭や手足などの末端は、狙われても回避の余地がある。だが体幹を狙われると、身体そのものを大きく動かす必要があり、圧倒的に避けづらい。
天乃は後ろに距離を取りつつ、身体を大きく捻って紫色の射線から身を躱す。
しかし、その動きを読むかのように、紫色の射線が地面すれすれで鈍角に曲がり、再び天乃へと食らいついてくる。
(マジか!?)
スリングショットから弾が放たれる鋭い音が天乃の耳を打つ。天乃は強引に身体を捻りながら横っ飛びし、かろうじて射線の外へ逃れた。
天乃自身は知る由もないが、パチンコ玉が通過したのは音が聞こえたのとほぼ同時――すなわち、弾丸は亜音速で空中をジグザグに飛来したのだ。弾は先程の壁を軽々と貫通し、どこかへ消え去った。
「ちっ、躱した!!」
「ホント、あれを躱せる人間って天乃さん以外にいるんですかね?」
御堂は悔しげに、刹那は感心したように、それぞれ感想を述べる。
(本当に魔力が見えてよかった。地味な力だと思ってたが、アレがなきゃ今ので死んでたぞ!)
天乃は内心肝を冷やしていたが、本来の目的を忘れてはいない。この少女たちとの出会いは偶発的なものにすぎず、自宅の惨劇はいまだ解決していないのだ。
「これで満足か、御堂? じゃあオレは急ぐから、帰るぞ」
「は、はぁ? 待ちなさいよ! あんた、あっちの学校の方面から来たじゃない! 帰るってどこによ?」
「……見てたのか?」
「まぁね。なんか急いでたみたいだけど。ここで膝折って崩れ落ちるし」
「いつから見てたんだよ、お前……」
「初めからですかね?」
しれっと刹那が答える。
(お前もいたんかい。ところで、どうすべきか? あんな惨劇、話しても信じられないだろうし。これ以上地雷を踏まないように情報を引き出すか。先輩って言ってたから、彼女たちは中学生か?)
「えーっと、学校は……?」
「今日はもう終わったわ。っていうか、あんたこそなんでもう私服なのよ? 学校はどうしたの? それによく見たら、肩に血の跡があるし。また、面倒に巻き込まれて……もとい、首突っ込んでるんじゃないでしょうね?」
「天乃さんはそれがデフォルトでしょうに、何を言ってるの? 御堂さんは」
「さっきからちょいちょい本性が出てるよな、刹那は」
「むっ、さっきから気になってたけど、なんで今日は私のこと、御堂って呼ぶの? いつもは彩芽って呼ぶくせに」
「そうですね。どうしてですか? さっきもわざわざ挑発するみたいに御堂呼びを続けていましたし。もしかして撃たれたかったんですか?」
(んなわけあるか! でも、なるほど、御堂の反応の源泉はそれか。ここは自然になるように……)
「特に意味はないよ、彩芽。その、気分を害したなら謝る」
「え? あんたが? 謝る……? ちょっと刹那、どうなってると思う?」
「さ、さぁ? 珍しいこともあるものね」
(ちょっと謝っただけでこの反応かよ。オレって元々どんな奴なんだ?)
「雨でも降るんじゃない?」
「だったらきっと血の雨だね。ねぇ、取り込み中??」
天乃の後ろから、聞き覚えのある声が響いた。つい先ほど、自宅で聞いたあの少女の声。
天乃と御堂たちが押し問答をしている間に、オーバーオールの少女が追いついてしまったのだ。
「気を付けろ、コイツは――」
「そうね。今、私ちょっと機嫌悪いから、邪魔すんならそれなりの覚悟しなさいよ?」
天乃が警告を発するより早く、御堂は再装填されたスリングショットを少女に向け、狙いを定めていた。
「こわいね」
オーバーオールの少女も、既にナイフを抜き放っている。
「――気を付けろよ。そいつは多分、殺しに長けてる。さっきも一人、殺したところだ」
「へぇ、この嫌な感じと血の臭いは気のせいじゃないわけだ。じゃあ、遠慮はいらないってことね」
御堂が獰猛な笑みを浮かべる。
「御堂さん、人殺しはダメよ? だって、面倒じゃない? 後処理とか」
刹那は刹那で、ひどく合理的な、あるいは壊れた倫理観を持っているようだった。
「さっきから殺すとか殺さないとか……本当に中学生かよ、お前ら」
「そんなまともなこと、天乃さんに言われるとは……心外ね」
「なあ、慇懃無礼って言葉、知ってるか?」
「ねぇ、来ないの? なら、こっちからいくよ?」
オーバーオールの少女が焦れたように言い、前傾姿勢をとる。
「あら? もう私が仕掛けちゃったけど。問題あったかしら?」
しれっと告げたのは刹那だった。
次の瞬間、前傾姿勢だったオーバーオールの少女の体が、目に見えぬ衝撃を受けたかのように後ろ向きに吹き飛ぶ。彼女がいた足元のコンクリートには、四角い二つの穴が穿たれていた。
「ふーん。その躱し方は予想外ね」
刹那が多少驚いたように声を漏らす。天乃はてっきり、刹那の攻撃が命中したのだと思ったが、どうやら違う。オーバーオールの少女は何らかの方法で自ら後ろに吹き飛ぶことで、刹那の不可視の攻撃を回避したのだ。
だが、この隙を見逃す御堂ではない。スリングショットが右大腿部を狙い撃つ。弾丸の速度は先程と同じ、亜音速。
ところが、着弾の寸前、パチンコ玉が突然不自然に減速した。結局、玉は命中こそしたものの、致命的なダメージを与えたようには見えない。
「うそっ、なによ、あれ」
「魔術だ」
驚く御堂に、魔力を見ることができる天乃が即答する。
「減速系? それにしては妙ね。減速が急すぎる。弾の速度を、私の加速ごとまるでなかったかのようにしたような……」
「うーん。私の狙いは天乃君だけなんだけなんだけどなぁ。ねえ、そこの第三中の子たち? さっきの攻撃は見逃してあげるからさ、帰ってくれないかな?」
オーバーオールの少女は、余裕の表情を崩さず近づいてくる。
「冗談でしょ? こんな消化不良で帰れっての?」
「そうね、私も同感かし、ら」
刹那が再び、不可視の攻撃を畳み込む。しかし、今度はオーバーオールの少女がナイフを横薙ぎにしただけで、その攻撃が霧散するように掻き消えた。
「間違いない、あれが魔術だ。原理はわからねえが、あの動作に何か意味があるのか?」
「そう、わかった。つまり、あの動作をさせないくらい速ければいいってことでしょ?」
御堂が一歩下がり、深い踏み込みの構えをとる。膨大な紫色の魔力が、スリングショットの籠手へと収束していく。
「見せてやるわよ、《流星》を」




