逃れ得ぬ斥力と静寂を切り裂く銃声
2036年6月6日 午後3時35分
それは、蠢いていた。
失われた一部を求めて。
失われた血を求めて。
それは小さな動きだった。
だから、誰も気付かなかった。
ただ一人を除いて。
2036年6月6日 午後4時28分
午後の傾いた太陽がアスファルトに長い影を落とす中、緊縛した魔力の奔流が収まり、冷徹な対峙の空気が広がっている。
「チェックメイトよ。殺し屋のお姉さん」
殺し屋の少女が最初に感じたのは風だった。
――風が正面から吹き付ける感覚である。
それは、徐々に後ろに引っ張られる感覚へと変化していく。
気づいたときには、たたらを踏んで少し後退していた。
強い向かい風の中、正面に進むことができなくなってしまったかのような――踏ん張っていないと、後ろに落ちていきそうな感覚とでもいうのか。
とにかく、この場合、正体がわからないのが一番まずい――そう感じた殺し屋の少女はナイフを横薙ぎにふるう。
しかし、風はおさまらない。
――魔力を徐々に消耗していく感覚がする。
この妙な風は自分の魔力をもって形成されている。それでいて、まったく正体がつかめない。
謎の焦燥感が殺し屋の少女を追い詰めていく。
――気づいたときには、殺し屋の少女は勢いよく走りだしていた。
天乃らの反対側に。それはまさに必死の逃走であった。
――それはまるで、落下するような感覚だった。
後ろからの追い風も相俟って、まるで自身が風になったかのよう軽快ささえある。
しかし、直後、殺し屋の少女は後悔する。
――敵の攻撃が自身に有利に働く状況などあるわけがない、まさに、この状況こそがこの正体不明の嵌合の狙いではないのだろうか、そんな後悔である。
そして、それを裏付けるかのような声が聞こえた。
「遅い、全然遅い!!」
殺し屋の少女が三歩踏み出すかというころ、御堂はスリングショットからパチンコ玉を射出する。
それは、瞬時に音速を越え、ソニックブームを巻き起こしながら間を置かずオーバーオールの少女に追いつく。
殺し屋の少女は後ろを振り向くことなくナイフを横薙ぎに振り、今までと同様にパチンコ玉の勢いを削ごうとする。
しかし、弾の威力は減衰するが、今度は止まらない。
それどころか、地面に落ちていた多くのパチンコ玉もオーバーオールの少女の方向に向けて地面を転がりだす。
そのうち、地面を転がっていたパチンコ玉は空中へと飛び上がり、その全てが殺し屋の少女に向かって飛び掛かる。
ついに、殺し屋の少女はそれらを躱すことができずにパチンコ玉の嵐をまともに背中に受けてしまう。
「ぐはっ…………うぐっ」
御堂の弾をまともにくらった殺し屋の少女は、そこから五メートルは吹き飛ばされ、地面に無防備に正面から勢いよく叩きつけられる。
まるで交通事故にでもあったかのような光景であった。
「うっわー、痛そう」
自分がやったことにも拘らず、御堂は人ごとのように云い放つ。
次の瞬間、天乃の目は、御堂と殺し屋の少女によって形成されていた場が消滅したことを確認した。
これは、場を形成していた術者である殺し屋の少女の意識がなくなったことを意味していた。
――《拒絶の場》
それこそが御堂彩芽の嵌合の正体である。
嵌合とは、形式的な意思を合致させて対象を術中に引き込む技術である。
一方の意志だけでは成立せず、複数の魔術師間の合意によって形成されるものであることから、それは合意を形成した魔術師たちが行使する合作による術式ということになる。
すなわち、嵌合に嵌まった術者はどれだけ不本意であろうと嵌合の形成・維持・強化のために自身の魔力を削られていくことになるのである。
しかも質の悪いことに詠唱を介した嵌合は意思の合意を擬制される。つまり、本人の意思に拘わらず、嵌合の成立に合意したものと勝手に見なされるのである。
また、複数の術者により形成されることにより、術そのものの強度も通常の術式以上であり、これを外部から消失させることは非常に難しい。
御堂の心の奥底にある渇望は『近づかないで欲しい』という想いである。
この想いがが形になった《拒絶の場》は、『離れたい』と願った者との間に形成され、両者の間に互いを離すように作用する斥力を発生させる。
御堂が詠唱を終えた瞬間、殺し屋の少女は撤退を考えた。
ただでさえ詠唱によって意思が擬制されているのに、この行動が『離れたい』という願いと受理され、殺し屋の少女は嵌合に完全に嵌まってしまったのである。
《拒絶の場》によって発生した斥力は、御堂が放った物にさえ有効であることから、御堂の放った物は御堂と嵌合に嵌まった者との間に発生した斥力に乗って更なる加速を可能とする。
地面に転がっていたパチンコ玉が動き出したのは、《拒絶の場》の斥力によって転がった初速を《加速砲撃》で加速させ、空中に飛ばした結果である。
そういった意味で、御堂の嵌合である《拒絶の場》は《流星》や《加速砲撃》と非常に相性が良い嵌合であると云える。
「それで? 天乃さん? 彼女は一体?」
「わからん。オレの家にいた不法侵入者だとしか云えん」
刹那の問いに、天乃は本心からそう答える。
「そうですか。ちなみに、彼女はどのような魔術を使っていたのですか? 天乃さんにはわかったのでしょう?」
「あいつは、そうだな。二つの魔術を使っていた。一つは身体強化系の何かだと思う。もう一つは、云うなれば《概念殺し》だ」
「何? それ?」
今度は御堂が天乃に問い掛ける。
「たとえば、彩芽のスリングショットは何度も勢いがなくなっていたな。これは、弾の勢いが『殺された』んだ」
「は? なにそれ?」
御堂は理解できないという顔できょとんとする。
「理解しろ。魔術とはそういうものなんだろ? 特性説的には消滅特性ということで説明できるはずだ」
「では、私の術式が発動しなかったのは? 私の発生の反対である消滅なら確かに説明できますけど、《概念殺し》という意味では何を殺されたのでしょう?」
「多分、『相殺された』んだ」
「――なるほど、器用な術式ですね」
「??」
『相殺』の漢字が頭に思い浮かばなかった御堂は意味が分からないという顔をしている。
「そして、あいつは《概念殺し》と身体強化を同時には扱えなかった。初めに刹那の攻撃を避けたのは、身体強化系を使っていたからだ」
もちろん、御堂と刹那には話していないが、魔力を見る魔眼がこの二つの術式の看破に繋がったのはいうまでもない。
殺し屋の少女が身体強化系を使うとき、魔力は全身を覆っていた。
一方で仮称《概念殺し》を使っていたときは、ナイフに魔力が集中していたのである。
ちなみに、英莉の返り血を浴びなかったのも、血の噴き出す勢いを殺したからだとすれば説明が付く。
「なるほど? つまり、最後は天乃さんが前に出ることで、強制的に相手に身体強化系を使わせ、相殺できない状況に持ち込んで、私の矢で壁を作らせたということですか?」
「まぁ、実はそれだけじゃないんだが。そうだな、あいつが攻撃の予兆を感知していたのは、多分だが、『殺気』を読み取ってたんだ。よく見ていればわかるんだが、あいつは、自分に対する攻撃しか察知できていなかった。だから、壁を作る矢を察知することができず、大きな隙を作ることになったわけだ」
「へぇ。相変わらず、天乃さんの観察眼は素晴らしいですね」
「ふん。でも、本人がそれを活かせないのがこいつの弱点じゃない。大したことはないわ」
刹那は素直に感心し、御堂は憎まれ口をたたく。
その弛緩した空気が一気にひりついたのは、銃声と共に天乃の腹部に一発の銃弾が撃ち込まれてからだった。
裂けるような銃声が静まり返った住宅街を切り裂き、鮮血がアスファルトの冷たい地面へと零れ落ちる。
「……ぐっ」
「え?」
「あ、まのさん?」
気が付けば御堂の嵌合である《拒絶の場》が再び形成されていた。
殺し屋の少女が意識を取り戻していたのだ。
しかし、術者である御堂すらその気配に全く気付かなかった。その理由は――
「息を『殺した』。やっぱり、こうやって『暗殺』するのが一番成功率高いね」
殺し屋の少女が上半身だけを起こして口元の血を拭いながら手元の拳銃を天乃たちに向けて呟く。
「《概念、殺し》……か」
天乃は膝が付きそうになるのを何とかこらえて立ち続ける。
天乃の腹部から溢れ出す血液は、それがただの掠り傷でないことを明確に突き付けていた。
「あれ? まだ立つんだ。この妙な場のせいで勢いが殺されたかな? 私はもう限界だってのに、頑張るんだもんなぁ、男の子だねー」
実際、天乃に着弾した銃弾は《拒絶の場》によって速度が減殺されていたというのはあるが、それでも人体に穴を穿つには十分な威力があった。
一方、殺し屋の少女も直前に勢いを殺したとはいえ、大量のパチンコ玉を背中に受け、吹き飛ばされたことで大きなダメージを受けていた。
具体的に言うと、一発が腹部を貫通して出血しており、衝撃で内臓がいくつか破裂している。さらに、その周りの骨も何本も折れている状況であった。
奇跡的に脊椎に損傷こそ受けていないものの、重体といって差し支えない。
「ちょっとあんた、大丈夫なんでしょうね!?」
「御堂さん、今はこの場の維持と対象の排除が優先よ。喰らいなさい!」
天乃に声をかける御堂に対し、刹那は自分がすべきことを理解していた。
《架空の矢》がオーバーオールの少女にむかって飛んでいく。
殺し屋の少女はそれに対し、拳銃の銃弾を二発撃ちこむ。
そうすると、架空元素の勢いが殺される。
斥力の助けがあったとはいえ、勢いを二回も殺された架空元素の矢は殺し屋の少女の手前までしか届かない。
「ホント、嫌になるわね」
「こっちのセリフだよ。こっちはもう立てないってのに。容赦ないね」
実際、殺し屋の少女は限界だった。
実のところ、彼女の主装備はナイフではなく、現在彼女が使用している拳銃であった。
では、なぜ、拳銃を最初から使わなかったのかというと、彼女の身体強化術がナイフを使っているときにしか使い物にならないということと銃声によって人が集まってくるのを避けるためであった。
では、なぜ彼女が拳銃を使い始めたのかというと――
「やれやれ、ジェーン。ずいぶんとひどい状況じゃないか。助けは必要かね?」
――この男を呼ぶためであった。
夕暮れの冷たい影が覆う路地の曲がり角。不敵な笑みを浮かべた男が、静かに足音を響かせて現れる。その男は、長身の金髪碧眼の整った顔の西洋人で、黒いコートを羽織っていた。
そう、それは天乃と水無月が警備隊の庁舎の前で会った男であった。




