絶対零度の尋問、凍てつく信頼と生存の証明
2036年6月6日 午後2時24分
「悠長なのは好きじゃない。が、まずは前提の確認からだ。お前は誰だ」
「え……? 天乃慎、だと思いますけど」
天乃は突然そんなことを問い掛ける雹霞の意図を図りかねていた。
「そうか。まぁ、だろうとは思う。私もお前が天乃慎であるということはなんとなく、そう思う。だが、確証はない。私の知っている天乃とお前は、そう、いうなればズレている。同じ形をしているが、決定的にズレている……らしい」
「はぁ」
天乃にはよくわからない話である。
「らしい、というのは、私自身はそのズレを認識できていないからだな。ただ、百目鬼さん曰く、そうらしい。ただ、その原因が記憶の欠損から来るものだと言われれば反論はできないそうだがね。あの人、感覚的なことばっかいうんだよ」
「百目鬼さんというのは、百目鬼亜澄さんですか? オレは彼女と会った覚えがないのですが」
「そうか、お前には正体を明かしていないのか。百目鬼さんは一度、お前と直接面会している」
そこで、雹霞はいったん言葉を区切る。
「……お前が消えたと啓吾から報告があったあと、時間があったのでね。お前の主治医から話を聞いたよ。お前について、何か変わったところがなかったか、とね。そうすると、医者は守秘義務に抵触しない範囲で、という前置きを置いて、感想だけを言ってくれたよ。異常だったと」
「オレが異常?」
「どう異常だったのかも訊いてみた。あまり突っ込んだ話はしてくれなかったが、要は順応性が高すぎる、環境への適応能力が凡人のそれではない、という話だった。お前、魔術に関する知識も常識レベルで改変されていたそうだな」
「……えぇ」
「つまり、どうだろう。お前にしてみれば、まさに異世界にでも放り込まれたようなものだったんじゃないか? 記憶喪失のおまけつきでな。それにかかわらず、お前は非常に落ち着いており、取り乱した様子もなく、魔術のこともあっさり受け入れ、理解し、疑問を覚えてはすぐに質問し、その質問も的確だったと聞いている。
確かに、お前の人格は記憶の欠落により大きく変容を遂げたのだろう。実際驚いている。本来はこんな好青年が、どんな経験をすればあそこまで捻くれた性格になるのだろうかと、大いなる疑問だよ。
だが、人間というのは生まれついての衝動の方向性、渇望の根源というか、これを『起源』などというが、これについてはよほどのことがない限り、変容を受けないらしい。少なくとも、記憶喪失程度で変容を受けるものではないそうだ」
「つまり、記憶喪失前後で変容しないものだから、オレが天乃慎であることを証明できるものということですか?」
雹霞が一瞬考えるような仕草をする。
「……なるほど、順応性が高い、ね。いや、まぁ、そうではあるんだが、私はお前の『起源』など知らん。故に、お前を測る物差しにはなり得ん」
「では、なぜ、『起源』の話を?」
「いや、お前の主治医の話では、この『起源』こそが、お前の順応性の正体ではないかという話だった。すなわち、未知への探求心、現環境への順応、それこそがお前の『起源』ではないかというのだ。先程の話にもあったな、お前は風華の《王宮勅令》の効果を受けやすい体質だと。それが、《王宮勅令》に行動を制限されている中でお前がその環境に順応できた結果だとしたら? 辻褄はあうのではないか?」
(確かに、オレは一度登ったからという理由だけで、何の援助もなく十階建てのマンションからベランダを伝って降りたりしたな。あれも順応の結果か?)
「……そうかもしれないですね」
「まぁ、私にとってはそんなことはどうでもよいがな。これで、前提の確認は終わりだ。お前は天乃慎だ、その前提でいくぞ。それでは、本題に入る。現在、お前には一つの容疑がかけられている。その罪状は、時計塔への不法侵入だ」
「時計塔?」
天乃には聞き覚えのない施設だった。
「この街の中央にある施設のことだ。世界の孔を門戸で閉じたうえ、その周囲を塔で囲っている。その塔には大きな時計がついていることから、時計塔と呼ばれているのだよ」
天乃は、病院で聞かされた事前知識の一つを思い出す。
――曰く、浅木にも世界の孔が存在し、《門戸作成》という魔術により封じていること。
「なるほど、時計塔は初耳ですが、浅木に孔が開いていること、それを封じていることは聞いています。その施設にオレが立ち入ったと? 覚えがないのですが」
「立ち入ったのは、正確には、記憶を失う直前のお前だ。先ほど容疑といったが、不法侵入に関してはほぼ確証があるらしい。お前と、中年の男の二人が堂々と時計塔に入っていく姿が映像で残っているらしいからな。さて、これに関する処罰をどうするかというのが、本題だ」
「ちなみに、聞くだに重要な施設っぽいんですが、警備はどうなってるんですか?」
「万全だ。何せ、時計塔には入り口がない。そもそも入る意味もないしな。故に、転移魔術以外での侵入など不可能、というのが最近までの常識だった。まぁ、お前らが見事にそれを破壊してしまったがな。そう、文字どおりの破壊だ。正確には破壊したのは中年の方らしいが、時計塔の側面には大穴が開けられていたらしいよ。
そもそも、時計塔自体が門戸を守る強大な概念礼装だ。これを作成したのは魔術を神秘と崇めていた古式魔術師どもだが、その腕は一流だった。これに穴を開けたり中に侵入するなどという行為はまずもって、現在の魔術のレベルでは不可能とされていたのだ。なにせ、現在において一点突破においては最強の攻撃力を誇るとされる《流星》でも全く歯が立たなかったという話だからな。時計塔内部も侵入者撃退用の罠だらけだと聞くし、まったく、どうやって内部を進んだのやら」
「あの、いいですか」
「あぁ、なんだ?」
「なんか、さっきから伝聞ばかりなのはどうしてですか?」
「時計塔の秘密を知っていいのは限られている。要は、時計塔を傷つけた方法や内部の詳細については、理事クラスでないと知ってはいけないからだよ。それもあって、お前の不法侵入の件は公にはなってない。時計塔に開いた穴については、時計塔の機能により自動修復された」
「なるほど。それで、オレの処分はどうなるんですか?」
「本来なら、退学処分――プラス本土での法の処罰というところなのだろうが、お前は、どうなのだろうな。まず、実行犯ではない点、未成年である点、記憶喪失となっている点、そして、真にお前の意志であったのかという点で評価が分かれ得るだろうな」
「真にオレの意志だったか? そうか、守護霊システム。それが機能していなかった以上、オレがその中年に操られていた可能性を否定できないってことですね」
雹霞の表情は一瞬驚きを含むものとなったが、すぐに真顔に戻る。
「…………そうだ。わかったか。お前は今、薄氷の上に立っているが、辛うじて助かっている。そして、今回のアーサー・リードの件がこの事件とどう絡んでいるか。それ次第では寛大な処置もあり得る。お前が口封じされかけているのであれば、浅木として、お前を――というよりお前の封じられた記憶を守る価値が生まれるからだ」
「アーサー・リードで思い出しましたけど、奴は今どこに?」
「不明だ。《結界》から出てきた様子がない。いや、それどころか、《結界》があった形跡がないというべきか。消えてしまった。街中のカメラのどこにも映っていない。まぁ、今はこの件は置いておこう問題はお前の処遇だ」
「えっと、アーサー・リードの件次第では処罰が変わり得るんですよね? だったら――」
「あぁ、そうか、すまない。さっきのは余計な情報だった。私もまだまだだな。他人との会話はやはり難しい。つまりだな、私の前に拘束されずに立っているという時点で、現時点におけるお前の処分は決まっているのだよ」
「えっと、どういうことでしょう?」
「無罪放免。というより、事件そのものがなかったことになる予定だ。時計塔には侵入者なんていなかった、ということになる。もともと時計塔の件は知っている者が少ないからな、こんなことすらできてしまう。今回、天乃を直接呼び立てたのは、そういう現状にあることを知っておいてもらいたかったということと、アリバイ作りだな」
「アリバイ? つまり、事件そのものがなくならなかった場合、こうやって呼び出しを受け、出頭して、取調べを受けたということにしておきたかったということでしょうか?」
「そういうことだ。それと、一応忠告を含むものだ。今のお前には身に覚えがなくとも、お前は一度ルールを破っている。これが後々問題となることないように品行方正な言動を心掛けるように」
「はぁ, わかりました」
「これにて本題は終わりだ。何か疑問点は?」
「その、事件そのものがなくなる予定というのは、百目鬼さんが他の理事を説得するということでしょうか」
「そうだ、他の理事も同調する可能性が高いらしい。その理由までは教えてくれなかったがな」
「そうですか。わかりました」
「そうか。では、ここまでが本題だ。後は、個人的な用件が一件あるだけだな。私としては、これがメインだが」
そういうと、雹霞は椅子から立ち上がり、天乃に近づいてくる。
「どうしました、雹霞さん。オレにはそんな殺気を向けられる覚えはないんですがね?」
天乃の魔眼は雹霞の薄紫色の魔力の流れを的確に捉えていた。それは蛇がとぐろを巻くように部屋をあっという間に循環する。途端に呼吸することが困難となるほどの冷気が天乃を襲う。視界が凍り付く。空気すらも凍っているかのような錯覚を受ける。天乃は、魔力が部屋を循環し始めたころ、とっさの判断で入り口に駆け出していたが、ドアに辿り着くことはできなかった。その前に靴が床に凍り付いてしまったからである。
「絶対零度――《氷獄の麗人》。まぁ、私の魔術はそう呼ばれている。閉鎖空間ではこの通り、視界が一瞬で凍り付くほどの威力を持つ。ドアノブに触れようとするなよ? 凍傷で指が落ちても知らんぞ?」
雹霞は先程と変わらない様子で天乃に語り掛ける。
「さて、質問だ、天乃。お前、何を考えている?」
「し、質、問が、漠然、とし、すぎてて……」
天乃は凍えて震える体を引き摺り、丸まるようにしてガチガチと音を鳴らす歯を食いしばりながら必死で言葉を紡ぎだす。
「急に察しが悪くなるのは止めろよ、まったく。お前が他人の思いどおりに動くものか。時計塔への侵入は間違いなくお前の意志だ。記憶喪失だと? そんな都合のいい言い訳が通ると思うなよ。挙句にアーサー・リードの登場だ。さすがの私でも偶然で片づけるのは無理があると思うぞ。
それで、訊いている。どこまでがお前の描いたシナリオだ?」
雹霞はあくまで淡々と問い掛ける。時間が経てば経つほど天乃へのダメージは蓄積していく。いうまでもなく、低すぎる外気温は凍傷や低体温症の原因となる。室内故に風が吹いていないのが唯一の救いだが、これはもはや尋問の域ではなく、れっきとした拷問となっている。
「質問、の、意味、が、わ、かりま、せん」
「そうか、記憶喪失というのが本当だとすればそうだろうな。しかし、お前がそんな迂闊なことをするとは思えん。果たして、死の淵に立っても惚けていられるものなのかな? 興味があると思わんか? ん?」
(駄目だこの人。根本的に勘違いしてやがる。いや、天乃慎を信頼しすぎている。天乃慎が失敗するとは思っていない。失敗の結果が今のオレだろうに。このままでは殺される。――まだか)
「雹霞、さん。冗談、じゃ、済みませ、んよ」
「そうだな、私だってここまでやった以上、冗談で済ます気はない」
雹霞の視線はそれこそ凍てついている。天乃は丸めた体をさらに丸め、必死で摩擦熱を起こそうと肌を擦る。
(だめだ、このままでは本当に殺される。思考が鈍ってきた。意識も朦朧として来ている。……もうだめだ)
「…………」
「本当に何もないのか。驚いた、もう意識がないとは。このままでは本当に死ぬぞ?」
雹霞はこの状況に至っても魔術を解除しようとはしない。あの天乃慎が何もしていないとは露ほども考えていないからだ。そして、それは間違っていない。
『天乃? どうしたの? 話し合いは終わった?』
そのとき、雹霞は確かに義妹の声を聞いた。
「なるほど、そういうことか。この手は二度目だな」
天乃が体を丸めて抱えるようにして温めていたのは、スピーカーモードに設定された携帯端末だった。
『天乃? ”我,汝に発声を命じる”』
その瞬間、凍り付いて微動だにしなかった天乃の意識が回復し、体の震えが生じ始める。
「――た、助かった。ついでに、雹霞さんを説得してくれるとありがたい」
『は?』
「ほぉ、大したものだ。もうこの環境に順応したのか?」
「姑息療法ですがね。実際、これでは動けそうにない。ただ、水無月の声が聞こえればだいたい何とかなりますよ」
『なになに? どうなってんの? とりあえず、そっち向かったらいいの?』
水無月は天乃の窮地を救ったことなど気付かないまま呑気な調子である。とはいえ、義姉が天乃を殺しかけているとは露ほども思っていないのだから、当然なのだが。
「いや、そうだな。啓吾を呼んでこちらに来てくれ」
雹霞は《氷獄の麗人》を一瞬で解除すると、部屋の中央の椅子に腰かけた。
『雹霞姉ぇ? わかった。』
そのまま水無月との通話が途切れる。
「二十点、といったところか。私が本気で殺そうと思えばお前は死んでいたぞ?」
雹霞は椅子の上で足を組み替えると、何事もなかったかのように天乃に告げる。
「冗談きついですよ。あなたが本気だったらそもそも10秒生きていられるか怪しい。まったく全力って感じじゃなかったですよ?」
天乃は、いまだに震える体を抱きしめるようにしながら返答した。これは天乃の憶測だが、あながち外れているとも言い難い。天乃の魔眼には雹霞の魔力の流れが見えていたが、雹霞の体外に排出された魔力は全体のわずか数パーセントといったところだったのだ。
「知ったふうな口をきくな。お前にはまだ本気は見せていないはずだが?」
「それくらいは文字どおり、肌でわかるということですよ」
「ふん、まぁ、私の目的は半分は達成できたかな。この程度で死ぬようならむしろ殺してやった方が幸せだろう? 生き残ったということは、まぁ、この程度では簡単には死ねないということだ。よかったな」
いや、さっきの多分普通に死人が量産されます、という言葉を辛うじて飲み込んだ天乃は、体の震えが収まっていくのを感じた。やはり、水無月の《王宮勅令》を受けた後の天乃の体には何らかの変化が生じているのだろう。
「――しかし、そうなると記憶喪失の方は本当なのか。意外だな」
「あのぉ、仮にオレが死んだらどうしてました?」
「いや、死ぬとは思っていなかった。死んだら慌てただろう」
「……――――はぁ、勘弁してくれ」




