贖罪は、まだ遠く
2035年5月5日 午後11時38分
瓦礫と血の匂いがまだ残る現場を後にしながら、三人は無言で歩いていた。
静寂を破ったのは、緋澄だった。
「……ごめん」
ぽつりと落とされた声は、いつもの緋澄とは違い、どこか脆さを含んでいた。
「私……何もできなかった。結局、守られてただけだった」
緋澄は、ぎゅっと拳を握りしめる。
「戦略級魔術師……そんな風に呼ばれてきた。だけど、私は戦争なんて知らない。心構えはできてるつもりだったのに……いざって時、満足に動けなかった」
俯いたまま、唇を噛みしめる。
天乃は、そんな彼女をただ見下ろしただけだった。慰めるわけでもなく、叱咤するわけでもなく。ただ、冷ややかに。
間森が、ふと足を止め、緋澄を見た。
「……ちょっと違うと思うぜ」
緋澄が、戸惑いながら顔を上げる。
「あの女が慎の足を固定した時、君はちゃんと動けてた。あの瞬間、最適な動きしてたと思うぜ。もしあそこで躊躇ってたら、マジでヤバかったかもしれねぇ。君の判断は正しかったんだよ」
緋澄は、驚いたように目を見開き、それから静かに目を伏せた。
間森は、言葉を続ける。
「君は正常だと思うぜ。異常なのは俺たちだよ。異常を基準に自分を責めることはないって」
緋澄は、しばらく沈黙した後、かすかに震える声で言った。
「――ありがとう」
そして、深々と頭を下げる。
「助けてくれて。……本当に、ありがとう」
天乃は、少しだけ間を置いて、無感情に言った。
「……気にするな。これも仕事だ」
そして続ける。
「無償の奉仕に価値などない。理由がなければ、動かない。――我が身を顧みぬ人助けなんて、唾棄すべき愚行でしかない。だから、感謝ならオレ達の依頼者にするんだな」
冷たく、突き放すような響き。だが、そこに一切の嘘はなかった。
緋澄は、何かを言いかけたが、結局、口をつぐむ。
(――それでも、この人たちは私を守った)
そんな想いを胸に、彼女はただ黙り込んだ。
空気を変えようとするように、間森が軽く声をかけた。
「……しかし慎、さっきの戦い方、未来でも見えてたんじゃねぇかってくらいだったな」
茶化すような口調だったが、その奥に滲む興味は隠しきれない。
天乃は、無感情に肩をすくめた。
「……大した事ではない」
静かな声。事実を述べるだけの、感情のない響き。
「……特殊な‶眼〟で情報を拾っているだけだ。それを脳が無意識に処理している。未来を見ているわけではない。この‶眼〟があれば、誰でもできることさ」
淡々と、簡潔に。
間森はしばらく天乃を眺め、そして小さく笑った。
「……やっぱ、異常だな、慎は」
それだけを、静かに告げた。
その時だった。
崩れた建物の陰から、三つの人影が現れた。
先頭に立つのは、アロハシャツ姿の鵲。
その隣には、黒髪を取り戻した英莉。
そして――
緋澄に酷似した、もう一人の少女。
遊上真理だった。
「もしかして……真理?」
緋澄が驚きの声を上げた。
その表情には、驚きと戸惑いが入り混じっている。
遊上は、どこか覚悟を決めたような面持ちで、小さく頷いた。
さらに、遊上の制服姿を見た緋澄は、すぐに状況を察する。
「今までどこに? ……まさか。囮に使ったの?」
鋭い視線を鵲に向ける。抗議の色は隠そうともしない。
だが、それより早く、遊上自身が口を開いた。
「……私が、自分で希望したの」
緋澄は、言葉を失ったまま、戸惑いをにじませる。
「どうして……?」
震える声で問う。
遊上は、小さく呼吸を整えた。
「……私、懐古主義者にいたの。ずっと、お姉ちゃんのこと、遠くから見てるだけだった。……それなのに、結局、敵になって……」
声がわずかに震える。
「だから、せめてもの罪滅ぼし。……そのために」
絶句する緋澄。
妹がそんな場所にいたことも、そんな想いを抱えていたことも、何一つ知らなかった。
だが――
「罪滅ぼしとはいえ」
鵲が、軽く肩をすくめた。
「結局、バレたら真理ちゃんの処罰は、免れないだろうね」
冷静な声色だった。
「――っ、何とかならないの!?」
思わず、緋澄は声を荒げる。
だが、遊上は静かに首を振った。
「……私は、受けるつもりだよ。ちゃんと」
それが、彼女なりの覚悟だった。
鵲は二人を眺め、それから、ぽんと手を打った。
「でも、何とかなっちゃうんだな、これが」
冗談めかした口調だったが、どこか確信めいてもいた。
緋澄も、遊上も、間森ですら目を瞬かせた。
「……どういう意味だ?」
天乃が、変わらぬ無表情で問い返す。
鵲はにやりと笑いながら、二人の少女を指さした。
「見てごらんよ、天乃君。このとおり、そっくりじゃないか」
緋澄と遊上――並べてみれば、確かに見分けがつかない。
「ならさ。懐古主義者に所属してたのが、どっちだったかなんて、誰が断言できるのさ?」
天乃は、わずかに目を細めた。
「無理だな」
冷たく、短く断言する。
「戦略級魔術師と一般人とでは、魔力の流れが違う。……調べれば、すぐにわかる」
「それはこれから真理ちゃんが努力して埋めればいいだろう?」
鵲は飄々と返した。
「少なくとも、そんな違い、外見からはまったくわからないんだからさ」
「でも、私……魔術なんて、使えないよ?」
おそるおそる、遊上が声を上げる。
それを聞いた鵲は、にやりと笑った。
「だからさ。君が眞琴ちゃんの戦略級魔術を使えるようになれば――誰にも区別なんてできなくなる」
場に、緊張が走った。
天乃は、無言のまま鵲を見据えた。
(……何を仕掛けるつもりだ)
間森もまた、静かに様子を窺っている。
緋澄と遊上は、まだ状況を完全には呑み込めていなかった。
だが――
天乃鵲は、確実に次の手を打とうとしていた。
誰も予想できない、型破りな一手を。




