静寂に集う刃
2035年5月5日午後3時13分
重厚なドアが静かに開く。
天乃は、何も言わずに室内へと足を踏み入れた。
無駄な挨拶も視線の交流もない。ただ、必要とされる場所へ淡々と進む。
応接セットの奥。
ソファに座るのは、百目鬼亜澄――浅木特区の理事会を構成する一人にして、天乃の祖母。
その隣、壁にもたれかかるように立っているのは、
柄物のシャツにサンダルという、場違いなほどラフな格好の男――天乃鵲。
気怠げな笑みを浮かべている。
そしてもう一人、壁際に控えるスーツ姿の男。
サングラスをかけた整った顔立ちに、無駄な動きはない。
間森啓吾。
さらに、部屋の隅には、
赤い着物に身を包み、黒髪をポニーテールにまとめた小さな少女――英莉が、静かに控えていた。
人形のような外見と、淡い存在感。
天乃の入室を確認し、百目鬼が口を開いた。
「あ――慎、来たわね」
天乃は小さく顎を引くのみで応じる。
「まずは紹介からね」
百目鬼が視線をサングラスの男に向けた。
「彼は間森啓吾くん。懐古主義者に潜入して情報を掴んでいる、こちら側の協力者よ」
「間森啓吾っす。まあ、今はそっちの味方ってことで」
間森はサングラス越しににこやかに笑い、軽く手を挙げた。
だが、その軽い仕草の裏に、天乃は本能的な違和感を覚える。
(……態度は軽いが、信用できるかは別問題だな)
天乃は目線ひとつでそう判断した。
「さて、本題に入りましょうか」
百目鬼は、わずかに表情を引き締めた。
「間森さんからの報告によると――懐古主義者は現在、非常に厄介なものを開発しているわ。――マジックキャンセラー。魔術を無効化する装置よ」
天乃の表情が僅かに硬くなる。
魔術師にとって、魔術を封じられることは即ち無力化を意味する。
それが実用段階に達しているというのは、危機的状況だった。
「そして、その実証実験の標的に選ばれたのが――緋澄眞琴」
天乃はわずかに視線を落とした。
記憶の奥底に残る、あの銀青色の魔力。
まだ正式に浅木の住人になっていない少女を、懐古主義者は標的に選んだ。
「前回の襲撃以降、彼女には警備隊から護衛をつける予定よ。慎、あなたと間森くんには、そこに紛れ込んで彼女を守ってもらう」
「了解」
天乃は即答した。
間森も、片手を挙げて軽く応じる。
「鵲さんには、別ルートから仕入れた襲撃計画の詳細を探ってもらうわ」
「了解了解」
鵲はひらひらと手を振った。
「ナイトウォーカー様には、非常時に備えて待機してもらいます。慎や間森くんに万一があった場合は、即座に行動を開始していただきたいのです」
百目鬼の言葉に、赤い着物姿の少女――英莉は静かに、確かに頷いた。
天乃はその小さな動きを一瞥するだけで、再び前を向く。
「以上よ。各自、速やかに準備に入って」
百目鬼はそれだけ告げると、書類に視線を落とした。
天乃は振り返らず、静かに部屋を出た。
これから始まるのは、
ただの護衛任務ではない。
見えない脅威が、すぐそこに迫っているのだ。
2035年5月5日午後6時10分
夜の気配を孕んだ空気が、コンクリートの建物群をなでる。
浅木特区外・本州某所、警備隊の仮設指令室。
そこに向かって、天乃と間森は並んで歩いていた。
無言のまま数分。
やがて、間森がぽつりと口を開いた。
「……一応、言っとくけどさ」
天乃は視線を向けずに耳だけ傾ける。
「俺、魔術師じゃないから。正面から魔術バトルされたら、正直あんまり役に立たないかもしれないぜ?」
サングラスの奥、間森の表情は読めない。
ただ、その声色には妙な軽さがあった。
天乃は、特に意外とも思わずに応じる。
「――問題ない」
事実を受け止め、あっさりと返す。
(元々、そこは期待していない)
天乃にとって重要なのは、敵の動きを乱すための戦力が、どれだけ揃うかだけだった。
間森が魔術を使えなくても構わない。
それに応じた使い方をすればいい。
「……へぇ、随分あっさりしてるな」
間森が、興味深そうに肩をすくめた。
「普通、もうちょっと驚くと思ったんだけど」
「無能じゃなければそれでいい」
天乃は淡々と告げる。
本当に戦えないなら、最初から組み込む価値もない。
だが、百目鬼が現場に送り出した以上、
何らかの能力はあるはずだと割り切っていた。
「――了解。一応、それなりには動けるつもりだから、期待しすぎずよろしくな、慎くん」
間森は、わざと軽い調子で言った。
天乃はその言葉にも特に反応せず、無言で足を止めた。
視線の先――警備隊の仮設指令室には、制服姿の隊員たちが集まり、厳重な警備体制が敷かれているのが見えた。
(ここからが、本番だ)
天乃は、静かに呼吸を整えた。
守るべき対象――緋澄眞琴。
彼女を巡る闘争が、すぐそこまで迫っている。




