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 ミュージシャン気取りのギターを抱えた青年が、駅前の広場にある噴水の近くで、希望の歌を口ずさんでいる。身なりの乱れた垢まみれの白髪の老人は、子供向けの可愛らしいキャラクターが描かれているオレンジジュースの空き缶を拾った。コンビニの入り口付近にたむろする金髪にジャージ姿の少年たちは、火を点けた煙草を片手に、目の前を行き来する女に点数をつけている。そこから10mも離れていない路地裏では、メガネをかけた小太りの男が数人の男女に挽き肉にされかけ、悲鳴をあげている。それらの悲鳴をも呑みこみ、街は歪なカバにも似た装飾過多の車が撒き散らす爆音を吐き出した。

 時刻は午後二時過ぎ。千春の予想した通り、野上は春眠橋駅のホームで彼の帰りを待っていた。

 野上は千春と再会するや否や、用意していた私服を渡し、彼にトイレで着替えさせた。そして千春を私服に着替えさせると、共にこの街まで電車で移動した。

 その街は人々から『若者の街』と呼ばれていた。国内ではどこよりも発展がめまぐるしく、高度な技術が溢れている。

 若者なら誰もが憧れる街。その街は千春が子どもの頃からテレビや雑誌などでそう紹介されていた。

 生きていければ満足、難しいことは気にしないという既存の思想に対し『お前等恥ずかしくないの?』と云いたい人が作りだした街。千春が八年前にこの町に下した結論がそれだった。しかし、その小賢しい能を以てしても、目の前の光景は変えられない。

 ロビーにピカソが描いたような、独特の色彩感覚で描かれた絵が飾られている、街中のホテルの一室。二つの固そうなベッドが微妙に距離を置いて配置されいる。窓側にある片方のベッドは、布団、シーツ共に乱れはなく、綺麗に整えられているが、もう片方の、出入口側のベッドのほうは、皺だらけの布団がだらしなく半分床に倒れていて、乱れたシーツの上には男性用、女性用関係なく、幾多の性具が置かれてある。その上、野上が自慰にでも耽っていたらしく、乱れている方のベッドからは千春の嫌いな欲情の臭いがした。

 しかし、千春はさして気にせず、性具が置かれてあるベッドの端に腰かけた。まるで生まれる前からそこに座ることが解っていたかのように、自然な振る舞いで。

「良い子だ」

 野上は千春の後から部屋に入ると、乱れのない整った方のベッドに座り、笑みを浮かべる。

「お前のそういう従順なところが俺は気に入ってる」

 近くで服を脱ぐような音が聞こえ始めた。野上は早速行為を始める気らしい。

 千春は野上に背を向けたまま俯いた。ホテルに来るのは久しぶりだった。

 最後に訪れた時には誘拐犯の三枝も一緒にいた。その時、彼は千春のことを何があっても忘れない為にと、親子の印と称し、肩に消えることのない傷痕を、千春の手で付けさせた。千春のことは決して忘れないと口にもした。幼き千春にとって三枝は神様のような存在だった。また、本当の父親のようにも思っていた。とはいえ、今となっては千春も彼の言葉を信じていなかった。三枝はあの日、警察に身柄を拘束されてから、千春との連絡を絶った。

 もう二度と会うことはない。千春はそう考えていた。こんな形で彼の記憶が蘇るとは思いもしなかった。

「千春、お前も服を脱げ。始めるぞ」

 ぼうっと座っている千春を見て焦れたのか、悪性の腫瘍じみた性器を垂らす全裸の野上が、彼を催促する。

 野上と過ごす時間を少しでも短くしたいのであれば、彼に従ったほうが得策だ。しかし、千春は野上の言葉を無視した。

 千春の頭の中は、一時的に三枝とのことでいっぱいになっていた。約六年前、十一歳の千春を誘拐した張本人、三枝俊吾。三十半ばにして犯罪に手を染めた彼は元々、千春の固定客だった。

 千春が仕事で初めて三枝と会ったのは、この街のとあるホテルの一室。三枝は千春が一人で部屋に入って来ても、傍に寄っても、ベッドの上に腰かけたまま、険しい顔で俯いていた。千春からしてみれば、三枝の振る舞いは、まるで自分の体には興味がないと示しているかのように見えた。相手の体を求めない彼のその態度は、いささか千春の好奇心をくすぐった。

『おにいさんは裸にならないの?』

 三枝の出方をしばらく窺った後、千春はベッドの上に腰をおろし、彼に流行りの玩具でも見るような目で訊ねた。すると、三枝は戸惑いを顔に浮かべ、千春に質問を返した。『どうしてそんなことをするんだ?』と。

 千春が三枝から感じ取った通り、彼は最初から千春の体を求めてなどいなかった。ただ、三枝は純粋に千春との会話を楽しみたいようだった。

『おにいさんは僕とセックスしたい訳ではないみたいだね』

 自分に性的欲求を抱いていないことが解ると、千春はすぐに三枝に惹かれた。千春が彼に心を開くようになるのには、そう時間はかからなかった。

 それから二人は幾度となく顔を合わせ、話をしたが、三枝は決して千春に暴力を振るわなかった。肉体的にも精神的にも、苦痛を与えはしなかった。千春に直接体を求めに来る時がある、他の大人達とは大違いで、三枝は常に彼の義母と話を通してから彼と会っていた。

 しかし、そんな律儀な三枝も、千春の義母に金を払うのが馬鹿馬鹿しくなったのか、単に彼を一人占めしたくなったのか。動機は不明だが、ある日、まだ幼い千春を誘拐し、地方へと三枝は行方をくらました。

 千春を地獄から救う。二人で幸せになろう。二人で地方へと向かう際、ホテルの一室で、三枝は千春にそう言った。

 当時、千春は義母に売春を強いられ、家では拷問まがいの体罰を毎日のように受けていた。その上、千春はいつしか三枝のことを『お父さん』と呼ぶようになり、彼に憧憬を抱くようになっていた。故に、千春が三枝の誘いを断る理由は微塵もなかった。

 しかし、今では千春は後悔していた。三枝について行ったことではなく、自身の軽はずみな行動に対して。

 結局千春は警察に保護されるまで、三枝の素性を何一つ知らなかった。会う度に他愛もない話をし、そこから何となく三枝俊吾という人物像をイメージしていたが、今となっては彼のことで千春が確信しているのは一つだけ。彼が描いた誘拐の計画は不完全だったということだけだ。

 千春のことは絶対助ける。俺を信じろ。

 ふと、三枝の言葉が千春の脳裏をかすめる。

 父さん、それなら、僕はどうして今こんなところにいるんだよ。

 千春がそっと苦笑いを浮かべると、室内に野上の刺のある声が響いた。

「いつまでそうしているつもりだ」

 千春は野上の声で現実世界に戻され、はっとして自身の陰部へと目を向ける。野上とは違い性器のない彼の陰部には、去勢痕が露出している。いつの間にか服も下着も脱がされ、全裸になっていた。

 勝手なことしやがって。

 野上に対する不快感が爆発しそうになり、真横に座る彼から少しでも距離を取ろうとして中腰になると、右手に何か握っていることに気付く。

 何だこれは……。

 千春が握らされているのは、筒からナイフが突き出ている、丸底フラスコに形が似た非合法の性具だった。

 千春はそれがフラスコではなく、性具だと気付いた瞬間、野上を睨みつけた。が、歪な笑みを浮かべる野上に、それ以上のことはできなかった。

 千春は怖かった。野上のような男が。平気で人を傷付けることのできる人間が。

「早く帰りたいならさっさと始めろよ」

 野上に促され、千春は再びベッドに腰掛けると、震える両手で性具を握り、俯く。

 父さん。父さんの計画は、僕の目から見ても不完全だった。でも、僕は父さんのことを恨んではいないよ。父さんのしたことは、無駄ではないよ。

 禁断症状にも似た手の震えが、唐突に治まる。

 こんな変態に、彼女が目をつけられなくて良かった。そう思いながら、千春はフラスコに似た性具を自身の陰部に向け、今日見たばかりの奈穂の笑顔を脳裏に浮かべ、目を閉じた。

 刃物が突き出ている非合法の性具を陰部に当てても、不思議と痛みは感じなかった。

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