第五十三話 遠い声
ルミシャ
すくった。
両手で、そっと。
ひとしずくはおもみがなかった。
なのに、手のひらにずしりときた。
失われた時間の、ぜんぶ。
これを、ティユラに。
振り返った。
来た道がなかった。
上も、下も、おなじ黒だった。
金の文字はもう尽きている。
どこから降りてきたのか、わからない。
ああ、と思った。
これだ。
二千年、ここから出られなかった。
帰り道は、はじめからなかった。
歩いた。
たぶん上へ。
ちがった。
戻った。
また歩いた。
雫は手のなかにある。
ティユラを助けられる。
なのに、帰れない。
ティユラ。
約束した。
雫をとったら、あたしが呼ぶ。 聞こえたら、呼び返してくれと。
息を吸って、闇に向かって呼んだ。
「ティユラ」
声が、吸いこまれた。
返事はなかった。
もう一度。
「ティユラ」
しずかだった。
二千年と、おなじしずけさ。
やっぱり、とどかないのか。
そのときだった。
――ルミシャ。
遠い、うえのほうから。
細い、かすれた声。
――ルミシャ、こっち。
ティユラだった。
あんなに弱っていたのに。
声を振りしぼって、呼び返してくれた。
あたしの名前を。
二千年、だれも呼ばなかった名前を。
声のするほうへ、足を向けた。
一歩ごとに、声がすこし近くなる。
――ルミシャ。
――こっち。
その声だけが、闇のなかでひとつの方角だった。
帰り道は、なかった。
声が、帰り道になった。




