第二十三話 焚き火の帳面
ルミシャ
焚き火の爆ぜる音で、目が覚めた。
坑道じゃない。 岩場の窪み。 誰かが運び出したんだ。
体を起こそうとして。 手が、すこしすり抜けた。
岩についたはずの手のひらが、向こうの石を透かしている。
ああ。 本当に減ったな。
驚きはなかった。 戻らないものを数えるのは、とっくにやめた。
火の向こうに、ティユラが座っていた。
膝を抱えて。 あたしを見ていた。
たぶん、ずっと。 あたしが眠っているあいだ、ずっと。
いつもは、あたしが起きている側だった。 眠れない夜を数える側。 今夜は、逆だった。
「……起きた」 「みたいだね」
ティユラはそれきり、黙った。 言いたいことが山ほどある顔で。
訊く権利は、ある。 取引だ。 「何者か、納得するまで」。
坑道で、半分は見られた。 あたしの力も。 消えかける体も。 もう、ごまかせない。
ティユラが口を開いた。
「あなたが、何なのか」
来た、と思った。
「……訊かないことにした」
意外だった。
「いいの?取引だろ?」 「うん。だから、貸しにしておく」
ティユラは火を見ていた。
「あなたは、あたしを助けて、自分を削った。 理由は知らない。 でも、それを聞き出すために問い詰めるのは。 ……なんだか、違う気がした」
この女が。 答えより先に、相手を選んだ。
便利な力でも、貸し借りでもなく。
おかしかった。 あたしの正体は棚に上げて。 あたしが消えないかどうかを、ずっと見ていたんだ。
火が爆ぜた。
「ひとつだけ、本当のことを言う」
ティユラが顔を上げた。
「あたしは、あんたが思うよりずっと昔の人間だ。 そして、たぶん長くない」
それ以上は、言わなかった。 言えなかった。
ティユラはしばらく黙って。
「……知ってる」 「は?」 「長くないのは。坑道で、わかった」
知られていた。 あたしが減っていくことを、この女はもう知っている。
それでも、生きていたい理由がまだある。
枯れない樹の実。 海の見える丘。 あの子に渡せなかった、名前。
ひとつも、果たしていない。
「あんたは」 あたしは訊いた。 「あたしが消えたら、貸し、どうすんの?」
ティユラは答えなかった。
ただ、火に薪を足した。 あたしのぶんまで、暖かいように。
その横顔を見ていた。 琥珀と、深い緑。
――今度は、目をそらさずにいられた。
ティユラが湯を使いに出ていった。
机に帳面が開いたままだった。
いつもの貸し借りの数字じゃなかった。
走り書きだった。 ティユラの字で。
『時層の庭』 『世界に拒まれた魂』 『端から、消える』 『繋ぎとめる方法』
あたしが減っていくのを、この女は知っている。 さっき、そう言った。
でも、ただ知っていただけじゃなかった。
訊きもせず、一人で。 あたしを繋ぎとめる方法を、探していた。
あたしが消えたら、貸しをどうするのか。
あの問いに、答えなかった。
これが、答えだったんだろう。
ページの隅に、小さく書いてあった。
『まだ、間に合う』
指が、止まった。
帳面をめくる手が、動かなくなった。
あたしのために、誰かが間に合わせようとしている。
二千年、なかったことだ。
みんな、あたしを置いて、先に行った。
訊けば、いい。 ほんとうなの、と。
なのに、喉が動かなかった。
どれくらい、そうしていただろう。
やがて、帳面をそっと閉じた。
見なかったことにした。 この女が言わずにいるなら。
湯の音が戻ってきた。
あたしは何も言わなかった。 ティユラも何も言わなかった。




