第二十話 寝息
ルミシャ
雪の匂いがした。 風が、木々を鳴らす音。 灰色の空から、白いものが落ちはじめていた。
道は、もうほとんど人の通らない北。
ティユラの息が白い。 唇が、すこし青い。 それでも歩調は崩さなかった。
三日めの夜。
岩陰に火を起こした。 ティユラは火のそばで、ようやく肩の力を抜いた。 ティユラは小鍋を火にかけた。 干し肉を割り入れ、雪を溶かした水を足す。 携帯食を砕いて落として、塩をひとつまみ。 慣れた手つきだった。
旅の飯にしては丁寧だ。
「料理、好きなんだ」 「……古い作り方を、集めてるだけ」 「集めてる?」 「封印術の写しに、料理がまぎれてることがある。古い書に」
封印の祖の血筋が片手間に古いレシピを写している。
ネルフィも、研究の隅に行きたい場所を書いていた。 似てるな、と思った。 言わなかったけど。
椀をひとつ、寄こされた。
「あたしは、いい。あんまり、食べたくない」 「……知ってる。でも食べな」
匙を押しつけてくる。 気づかうのが下手な女だ。
ひと口だけ、すすった。 味はよくわからなかった。 二千年、舌が遠い。
あたしは寒くなかった。 火がなくても、たぶん平気だった。
二千年、あの庭は寒くも暑くもなかった。 体が、世界の温度からすこし外れている。 便利だけど。 ――ぞっとする。
火が爆ぜた。
「あんた、なんで断らないの?」 「何を」 「死人が出てる、って聞いても受けるだろ。いつも」
ティユラは火を見たまま、しばらく黙った。
「……仕事だから」 「それだけ?」 「それだけ」
嘘だ、と思った。 でも、それ以上は踏み込ませない横顔だった。
だから、訊かなかった。
火の向こうで、ティユラがこちらを見た。 琥珀と、深い緑。 ネルフィの、目。
あたしは、その色から目をそらした。 なぜだか、まっすぐ見られなかった。
やがて、ティユラは外套にくるまった。 火の反対側で。 背を向けて。
すぐに、寝息が聞こえた。 疲れていたんだろう。
火の番をしながら、北の闇を見た。
その奥に。 あれが、ある。
まだ、遠い。 でも、わかる。 大きな、時の綻び。
肌が、知っている。 あたしを呑んだ、あの感触。
闇の奥から、呼ばれている気がした。 おいで、と。 ここなら、誰も君を置いていかない、と。
昔のあたしなら。 ふらふらと、行ったかもしれない。
でも、いまは。 背中を向けて眠る、この女がいる。
あたしは火に薪を足した。 闇に背を向けて。 ティユラの寝息のほうを向いた。
朝になれば、あの綻びへ行く。 ティユラは封じようとするだろう。 そして、たぶん足りない。
そのとき、あたしは。 力を使うことになる。
――また、あたしの残りが減る。
わかっていた。 それでも。 この女を、あの感触に渡したくなかった。
雪が、静かに積もっていく。 火だけが、生きていた。
朝は、まだ来ない。




